ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第13話 ― 最重要、1921年国家間条約

 1912年、辛亥革命からの中華民国設立のこの年から始まった日本の大正期、地上世界は激動していました。1913年末にFRBが設立された米国は「偽ユダヤ」に乗っ取られた状態になり、地上世界に多大な影響を与えることになります。続いての1914年の第1次世界大戦勃発から、戦後の1919年のパリ講和会議などが世界に激動を与えるのです。
 帝政ロシアは滅亡させられソ連の誕生。オスマン帝国が完全解体され、かつイスラエル建国の道が無理やり引かれました。こういった世界激動の背後にあったのがロスチャイルド一族でした。
 また、第1次世界大戦への憲法違反での米国参戦により惨めな敗戦国にさせられたドイツでは、1920年にナチ党が結成されています。
 このような大正期、その大正期に最重要の事柄がおきたのが1921年です。地上世界の真の支配者たちによる最重要な取り決めが交わされたのです。日本、中国、アジア、世界民衆に激甚な影響を与える取り決めです。
 無論、最重要な取り決めですから秘密裏に交わされたものです。取り決めを行った人物は日本の裏天皇堀川辰吉郎、ロスチャイルド・イギリス本家のウォルター・ロスチャイルド、フランス分家のエドゥアール・ド・ロチルド、それに米国の石油王ジョン・ロックフェラー、この4者です。
 合意の内容は第2次世界大戦を勃発させること、またその合意には、戦争中に日本がアジアから莫大な金塊を略奪集積することがありました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第13話 ― 最重要、1921年国家間条約

1921年国家間条約と四カ国条約の質の違い


軍事行動を膨張させて日中戦争、太平洋戦争に突入していくことになる日本の軍部の独走の始まり、その背後には八咫烏直属の五龍会のメンバーたちがいたことを前回に見ました。

日本国民が、中国、アジアその他の民が、塗炭の苦しみを味わうことになった戦争、これに突入させたのは一体なんであったのか?

改めてですが、この真相と核心につながる内容が、2016/10/08のニール・キーナン氏の金塊の歴史年表(Yutikaさんによる翻訳記事)に記されています。次のようにあります。

1921年法 – 国家間条約 – 三極三頭三国間黄金委員会:
1921年に日本の昭和天皇はイギリスのジョージ五世国王やウォレン・ハーディング米国大統領、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相(全員がフリーメーソン)と会うためにロンドンへ飛んだ。目的は彼らの【戦争ごっこ】“第二次世界大戦"を造り出し、
(中略)
日本は「1921年国家間条約」で昭和天皇が当初合意した内容に沿って、金塊の大半を1924年から1945年の間に日本が建設したインドネシア(当時はオランダ植民地)やフィリピン諸島(当時はアメリカ植民地)の秘密の掩蔽壕の中へと運び込んだ。

1921年に昭和天皇が渡英して、ロンドンで英国王ジョージ五世、ウォレン・ハーディング米国大統領、 フランスのジョルジュ・クレマンソー首相との間で“第二次世界大戦”を造り出すことに合意したというのです。

更にその合意には、日本は金塊を略奪・収集し、それをインドネシアやフィリピンに運び込み、保管することも含まれていたというのです。

1921年、イギリスの首相ロイド・ジョージらと会う皇太子裕仁親王
Wikimedia Commons [Public Domain]

一方ですが、「1921年国家間条約」で検索して出てくるのは基本的には「四カ国条約」「ワシントン海軍軍縮条約」のみです。「四カ国条約」とは、米国の主導で1921年12月13日に調印された条約で、概ねは次のような内容とされます。

1921年ワシントン会議において,日・英・米・仏4ヵ国の間で結ばれた条約。第1次大戦後の太平洋地域における日・米間の対立激化に対し,米国の主導のもとに締結され,太平洋上の各国領土に関する現状維持の尊重,紛争を共同会議で処理することなどを定め,この条約の発効をもって日英同盟は終了すると規定した。
コトバンクより)

「四カ国条約」は第1次世界大戦後、大国の戦勝国である日・英・米・仏4カ国の間で今後の世界のあり方が協議されて結ばれた条約ということです。大事な点はこの条約で日英同盟が解消されたことですが、無論ここには昭和天皇は登場しませんし、ましてや日・英・米・仏で第2次世界大戦を起こすことの合意など情報としては出てくるはずもありません。

ニール・キーナン氏は「1921年法 – 国家間条約 – 三極三頭三国間黄金委員会」としていますが、これと「四カ国条約」「ワシントン海軍軍縮条約」は別次元のものなのです。

「1921年国家間条約」とは、日・英・米・仏の国家を牛耳る真の支配者たちによる秘密合意による条約なのです。秘密条約が結ばれた後に、日英同盟を解消する「四カ国条約」が締結されたと見るのがいいのでしょう。日英同盟が健在なままでは第2次世界大戦は起こせませんから…。

第2次世界大戦勃発が合意されていた 〜合意した真の支配者たち


日本が戦争中に「天皇の金塊」「黄金の百合」などとも呼ばれる莫大な金塊を略奪・集積したことは、高橋五郎氏の書籍などで明かされました。そして何よりも、時事ブロクで掲載された非常に多くの綿密に明かされた情報からも、日本による莫大な金塊の集積は明らかです。こういった点からも「1921年国家間条約」が結ばれていたのは事実だろうと見受けられます。

1921年に当時は裕仁親王であった昭和天皇は、3月に渡欧し、9月まで欧州に滞在し欧州各国を歴訪しています。この裕仁親王の欧州外遊中に「1921年国家間条約」が結ばれたのでしょう。

ただし、この昭和天皇と各国の首脳などの同意でさえもまだ真相には届いてはおらず、更に奥があったことが既に明かされています。

先のYutikaさんの翻訳記事を受けての2019/12/16の竹下さんの記事で以下のようにされています。

先の大戦で、日本と英国、米国は裏で手を結んでいたことになると思います。ただ、この記述ではフリーメーソンの陰謀だったという話になりますが、ここに出てきている人物(註:昭和天皇、ジョージ五世英国国王、ウォレン・ハーディング米国大統領、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相)は、みな操り人形だったと思います。
実際の「1921年国家間条約」は、彼らの背後にいたウォルター・ロスチャイルド、エドゥアール・ド・ロチルド、ジョン・ロックフェラー、そして堀川辰吉郎との間の合意だったと思います。おそらく、堀川辰吉郎はロスチャイルド家の血が入っており、合意に従って、金塊を略奪することが戦争の目的だったはずです。

ウォルター・
ロスチャイルド
Wikimedia Commons [Public Domain]
エドゥアール・
ド・ロチルド
Wikimedia Commons [Public Domain]
ジョン・
ロックフェラー
Wikimedia Commons [Public Domain]

堀川辰吉郎

ウォルター・ロスチャイルドが英国の、 エドゥアール・ド・ロチルドがフランスの、 ジョン・ロックフェラーが米国の、そして裏天皇の堀川辰吉郎が日本の、それぞれの真の支配者だったということです。
この4者で、第2次世界大戦の勃発とその戦争の内容のあらましについての合意は、既に1921年時点で成立していたということです。

…それにしても、 日本国民が、中国、アジアその他の民が、塗炭の苦しみを味わうことになった戦争の目的が「金塊を略奪すること」とは…😱

ただし、これまでの金塊の歴史、戦争などを巡る動きの経緯やその後の世界の動きを考慮するならば、ウォルター・ロスチャイルド、エドゥアール・ド・ロチルド、ジョン・ロックフェラー、堀川辰吉郎との間の合意が成立していたのは事実だと見受けられます。


1921年国家間条約は一連の流れにあったもの


江戸期に主に八咫烏の手によって日本から膨大な黄金が海外に流出し、それが地上世界を動かしていったことを特別編(黄金の流出から)を通じて見ました。


特にその黄金がロスチャイルド一族の手に渡り、それが世界革命の形にて顕現したであろうことを特別編(黄金の流出から)8あたりで見ました。


明治維新は世界革命の一端であり、黄金の流出を通じて外国勢力を呼び込んで、その裏から八咫烏が日本の実権を握っています。八咫烏もロスチャイルド一族ももとをたどれば古代イスラエルの末裔であり、両者が古くからのネットワークで繋がっていたであろうことも既に見てきました。


この大正期、ロスチャイルド一族は1914年勃発の第1次世界大戦を主導し、更に戦後1919年のパリ講和会議を取り仕切り、第1次世界大戦とパリ講和会議によるベルサイユ条約を通じて、第2次そして第3次世界大戦にまで通じていくための“仕込み”をしていたことを近・現代編 特別編3あたりで見ています。

Wikimedia_Commons [Public Domain]
Wikimedia_Commons [Public Domain]
Wikimedia_Commons [Public Domain]
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堀川辰吉郎は、睦仁親王とロスチャイルドの娘との間の子ということでした。一連の流れ、すなわち日本からの黄金流出から世界革命へ、第1次世界大戦そしてパリ講和会議へ、という流れ、この流れから見て、堀川辰吉郎がウォルター・ロスチャイルド、エドゥアール・ド・ロチルド、ジョン・ロックフェラーと「1921年国家間条約」を結んだとするのはとても自然です。この4者の合意から「金塊を略奪すること」を目的にした第2次世界大戦勃発の流れになっているのは間違いないことでしょう。

ただし、この「1921年国家間条約」で気になることもあります。昭和天皇が堀川辰吉郎の「操り人形」だったということで、堀川辰吉郎と昭和天皇の関係性がどうだったのか?が一つ。そしてそれ以上に気になるのは、大正天皇が全く影も形も出てこない点です。

実際にそうだったのかは不明ですが、昭和天皇(裕仁親王)の渡欧の頃には大正天皇は元々病弱であった上に、脳病も発症していたとされています。このような大正天皇の病状下での裕仁親王外遊に対しては、欧米の支配からのアジア独立の大アジア主義を掲げた立場からでしょうが、頭山満やアムール川の黒龍会が渡欧反対運動を起こしたような状態でした。

ともあれ裕仁親王の渡欧外遊時には、実質として大正天皇は社会的には抹殺されていた状態だったでしょう。そして裕仁親王の帰国後は、裕仁親王による摂政制度が敷かれました。全く影の薄い大正天皇がなぜそうだったのか? 八咫烏とはどのような関係だったのか?も気にはかかります。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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