無観客を受けて国立競技場に納められる数千食のお弁当が日々廃棄されている一方で、かつてないほど多数の人が炊き出しに並ぶ日本

 これでもかと日本の抱える汚物が噴出する五輪ですが、これはとりわけ辛いニュースでした。報道特集の取材で、国立競技場に日々納められる数千食ものお弁当が廃棄されていることを突き止めたものでした。まだ食べられるものを捨ててしまうことの罪悪感に苦しくなります。お弁当を納める業者さんは捨てられると知って作り、持ち込む。無観客決定によるキャンセル料が関係業者全てに補償されれば起こらなかった理不尽です。しかも一方で日々の食事に困っている人々がかつてないほど大勢存在するという矛盾。動くべき立場の者が無責任を決め込んで、幾多の命よりもお金を重視し続けるのは、東京五輪の最初から付いて回りました。2016年のリオ五輪では、ロンドン五輪で生じた大量の食品ロスを反省し、余った食材を絶品イタリア料理に変身させて生活困窮者に提供するというプロジェクトを成功させたそうです。このプロジェクトを行ったレストランは高く評価されました。食品ロス問題の専門家、井出留美氏は「命を奪って食事を準備しているのに、それを捨てるのは、命を二度殺すということ」「(五輪を)何がなんでも開催しようとしていること自体、人に対する愛情や慈悲の心が感じられない」と述べておられました。五輪の中止は、私たちが人間らしくいられるか否かの分岐点だと感じます。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)




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五輪の食材、食品ロスはないのか?大会組織委員会に聞いた
引用元)

2012年のロンドン五輪では、食品ロスが2,443トン発生した(中略)
(中略)
ロンドン五輪の反省を踏まえ、2016年のリオデジャネイロ五輪では、余った食材を使って生活困窮者へ食事を提供する「Reffetto-Rio(レフェットリオ)」のプロジェクトが開催された(中略)
(中略)
食事を提供するためには事前に食材を用意しなければならない。その食材は、肉にしても魚にしても命のあったもの。命を奪って食事を準備しているのに、それを捨てるのは、命を二度殺すということだ。食材やその生産者、食事を準備する人や組織に対して慈しみの心を忘れた態度では、食品ロスの発生は、五輪に限らず、いつまで経っても止むことがないだろう。医療関係者も困窮者も飲食店も泣いている。なのに、何がなんでも開催しようとしていること自体、人に対する愛情や慈悲の心が感じられない。それでも、どうしても開催するならば、せめて食材を捨てないでほしい。
(以下略)

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