ままぴよ日記 93 「子育て広場が完成しました」

20年来、待ちに待った子育て広場が完成しました。もうすぐオープンします。それを祝福するかのように桜も咲き誇っています。

本当は、飛び上がるほど嬉しいはずなのに、涙が出ます。
なぜ?
恥ずかしいけど、涙の原因にお付き合いください
(かんなまま)
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私達が思いを込めて作った新しい子育て広場が完成しました


満開の桜のトンネルをくぐると、そこは子育て広場!


4月にオープンする私達の広場です。まだ工事のロープが張られているので勝手に入ることはできません。庭に回って覗くと小さな丘が見えます。歩き始めた子ども達が挑戦したくなるような高さです。

その丘を囲むようにどんぐり、銀杏、モミジの木が植えられています。秋になったら色とりどりの葉っぱやどんぐりが子ども達と一緒に遊んでくれることでしょう。少し離れて山桜桃梅の木。白い可愛い花が咲いています。もう少ししたら真っ赤な実をつけて子ども達のお口に入ることでしょう。そして桜の木が3本!今満開です。

日よけが張られた砂場、足洗い場もあります。子ども達にとって葉っぱや木の実、泥や砂、水は大切な遊び仲間です。ここには人工的な遊具は殆どありません。自然が子どもを誘ってくれるような仕掛けを作りました。

建物と庭の間に屋根付きの広いデッキがあります。そこは屋内でもあり、外でもあり、子どもをいつの間にか外に誘ってくれる空間です。日差しの強い夏はここでプール遊びができます。

部屋の中は、歩き回る子のスペースとねんねの赤ちゃんのスペースがあります。子どもでも家の中から外が見える高さに窓を作りました。ママが赤ちゃんと一緒に部屋に居ながら、上の子が外で遊んでいる様子を見る事ができます。

広場の利用者は殆どが2歳未満。特にねんねの赤ちゃんが多くなりました。だから部屋にはプラスチック系の大型遊具はありません。絵本コーナーは床を1段2段と下げて階段状にくりぬいています。きっとこの段差が面白くて、登ったり下りたり、お座りしたりすることでしょう。

他に、セミナールーム、桜並木が見えるランチルーム、相談ルーム、授乳室、オムツ替え、男女のトイレと子ども用のトイレが併設されています。お尻や足を洗うシャワー室もあります。


開放的なスタッフルームはオープンカウンターなので全てが見渡せます。もともと、スタッフは部屋に籠りません。広場内で親同士を繋いだり、子どもの様子に配慮しています。

そうです!私達が思いを込めて作った新しい子育て広場が完成したのです。ここに至るまで20年かかりました。


私にとっては奇跡の子育て広場


思い返せば、私も子育て中の40代でした。その頃は高度成長期。お受験が盛んで、医者の子は医者にさせるというプレッシャーが重くのしかかっていました。4人4様の個性を尊重してあげたいと思う一方で、期待される「できる子」に育てられなくて悩んでいました。子どもは母親の成績表でした。

子どもの疲れた顔を見る度に、私は子どもに何をしているのだろう?子ども達は幸せか?と、解決の糸口が見えない悩みを個人の問題として抱えていました。

どうしてこんなに子育てが苦しいのだろう?友人に話すと、みんな個人で悩み、奮闘しているのがわかりました。もう、これは社会の問題で、乳幼児期からの支援が必要だと感じて、子育て支援グループを立ち上げました。最近、子育て広場を整理していたら、その時の連絡網が出てきました。そこには、当時の私の思いが書かれていました。

「かつては家庭や地域で自然に出会えた子育て風景。その中で親も子も見よう見真似で育ち合い、育てあい、生きた情報を交換しあっていました。子育ては1人でできるものではありませんし、最初から完璧な親などいないのです。

でも今は「子育ては誰でもしてきた事。できて当たり前」と言う意識だけが残り、実際には今までふれたこともない赤ちゃんを前に、どうやって育てたらいいのか不安でいっぱいになって孤立した若い親が増えています。

我が町でも少子化が進み、一方では親の子育てと労働の両立支援で保育園の充実は図られるようになりましたが、家庭保育の親子は近所に子どもがいないので遊びに行くところもなく、ますます孤立無援の状態に陥っているのが現状です。

まさに私達子育て支援グループは、この町で安心して子育てできる環境を作るために立ち上げました。乳幼児を育てている親子を真ん中にして、地域、行政が手を取り合って、子育ち、親育ちを応援していきたいと思っています」

残念な事に、この問題は、解決どころかもっと深刻になってきています。私達はこの20年、何をしてきたのでしょうか?

いえ、言い続けてきたのです。人の意識はそう簡単に変わるものではありません。子育てに無関心な人達が選ぶ議員や市長。いつも経済優先で、子育てはおまけでした。毎年言い続けて、しまいには変人扱い。

でも、あきらめませんでした。子育て現状を知れば知るほど、ママや赤ちゃんへの思いが募ります。「これをやってみたけど好評でしたよ」「これをしたら効果があります」など、先ずは自分達で実践して行政に提案してきました。

ますます少子化が進み、社会の子育て力が無くなって、産後鬱、虐待が増えていきました。行政は限られた予算で何をしたらいいのかアイデアを持ちません。私達を見ると目をそらしていた行政も、私達の存在を認め、頼りにしてくれるようになりました。それに至るまで20年かかったという訳です。

財政難の行政が市の単独事業として新しい子育て広場を建設するのは不可能だと言われていたのですが、私達の熱意と、利用しているママ達が議会と市長を動かしました。

そして、建物の設計、庭の設計、木やおもちゃの選定まで私達の希望を叶えてくれたのです。


私達も、任された責任があるので、いろいろなことを学びなおしました。そして、どんなまなざしで親子を見守るのか?スタッフで語り合いました。

今、開館前の広場の前に立ち、これは現実か?と思いをかみしめています。私にとっては奇跡です。


私の中の葛藤


でも、ひとつだけ辛いことがありました。

やっと作り上げた広場が社会福祉協議会への委託事業から市の直営事業になったのです。それで職員体制が変わりました。全員が市の会計年度任用職員になり、最低でも週に3日間、9時から5時まで働くのが条件になりました。

私は家業があるのでこの体制では働けません。よって、スタッフではなくなりました。有無を言わさず「あなたの出番はありません。もう来なくていいよ」と言われた気がしました。「新しい広場でこんなことも、あんなこともしたい」と胸を膨らませていただけにショックでした。

建物が完成して、スタッフは準備のために新しい広場に行っているのですが、私には声がかかりません。行政と何度も話し合い、設計をしたのに見に行く事もできないという辛さ。こっそり陰から見るだけです。新しい広場に向けて張り切るスタッフの会話に入れません。梯子を外されたような喪失感に襲われました。

そんな心乱れる自分を見ながら、私にとって、この広場の存在がどれだけ大きかったのかを気づかされました。そして、私の夢が成就するという、その時に、まさかの退場です。さあ、この気持ちをどうしましょう・・・。

元々心配事が重なっていたので眠れない日が続きました。朝起きて、ため息をついている自分がいます。「おいおい、朝から波動落ちてますよ」と、自分に言います。「私は何が欲しかったの?」「素晴らしい広場ができたから、それでいいでしょう」…でも不満らしいのです。

「何が不満?」母の所に行く道すがら、繰り返し、どうしようもない問答をしている自分がいました。思わず赤信号を走り抜けてしまいました。危険です。


そのたびに、授けていただいた愛のマントラと、感謝のマントラを唱えました。でも、心乱れます。苦行です。

自分の欲に驚きました。名誉欲?執着?これはもう向き合うしかありません。

私は誰のためにしたの?「私がしました」って認められたかったの?もっと続けたかったの?そう、もっと続けたかったのは事実です。新しい事も始めていました。そのアイデアを市に提案して快諾されたばかりでした。でも、あなたはスタッフではないので要らないと言われました。

厳密に言うと、「スタッフでやります」と言われたのを、私の耳には「あなたは要らない」と聞こえました。私が勝手に傷ついたのです。その不満と怒りを他の人に言いたくなりました。「言ってどうするの?その人が困るだけでしょ。悪を吐くな」と、押さえました。

言いたい衝動にかられます。でも、言わなくてよかった!と何度も思いました。私の不満は私の問題です。そんな時、母に救われました。母が「3人目を産んだ」と言うのです。「おめでとう!」と言って義姉と笑い転げました。

家で、やんちゃな猫と無邪気に遊びました。笑っているうちに少し気が楽になり、「私は全然不幸じゃないのに1人で不幸を作っている。ご苦労なことだわ」と思いました。

愛犬との散歩している時、ふと、新しい広場に行ってみようかなと思えてきました。広場の仲間に「私も新しい広場を見たいな。引っ越し手伝おうか?」と言ったとき、「手は足りているからいいよ。完成してから、いつでも遊びにいらっしゃいよ」とお客様のように言われたのが、辛くて足が向かなくなっていたのです。

桜のトンネルが私を迎えてくれました。そして開館前の広場の前に立ちました。

庭を見たら私が選んだ木が植えてあります!初め反対された丘も作ってくれていました。横を見たら山桜桃梅の花が静かに咲いていました。それを見たとたん、木が私に「あなたが呼んでくれたから、ここに来ましたよ!」と言ってくれたような気がしました。

そう、木が、砂場やお山が私の願いを受け取ってスタンバイしてくれています。建物の中も、入ったことはないけれど、どこに何があるのかわかっています。その全てに愛を込めたつもりです。そして、その気持ちが神様に届いて、この広場が生まれました。

「私が作った」「これからも私が関わる」なんておこがましい。もう、私の手を離れて新しい広場が始まるのです。


私は何も失くしていません。傷つく必要もないし、私がスタッフでなくなった事も神様のお手配だと、心から思えました。

結局、私はこの広場の講師になりました。行政が気を使って私の居場所を作ってくれたようです。そして開所式の時は子育て支援グループの代表として招待され、来賓として祝辞を述べる事になりました。

市長が私にと、ご指名くださったそうです。

その話を聞いた当初は「なぜ、作った当事者ではなく来賓?」と悲しかったのですが、これは私への愛だと思いなおしました。

これからは講師として、この広場事業に関わっていきます。でも、もうそんな事はどうでもよくなりました。私の未熟さで落ち込みましたが、それは神様の祝福だと思っています。それがなかったら、イケイケどんどんで、こんな神聖な気持ちになれなかったかもしれません。

今日、孫を連れて広場のある公園に行きました。偶然、市長も来られていたので挨拶をしたら「夜中に、フェンスの夢を見てねえ。どうもこの高さが危ない気がするけど、どう思う?」と相談されました。確かに危ない高さです。乗り越えた先は川が流れています。私も「同感です」と言ったら「ここで相談できてよかった!事故があったらいけないからさっそく変えよう」と言ってくださいました。

私も、ずっと来ていなかったので気が付きませんでした。でも、市長も夢にまで見るほど考えてくださっているのがわかり、嬉しくなりました。

さあ、いよいよオープンです!

ここに至った全ての事に感謝します。そして、これからこの広場がたくさんの親子に「子育ち親育ちの喜びと希望」を与えられる場になりますようにと、心から祈っています。


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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