ままぴよ日記 94 「愛犬の急病」

 子育て広場の開所式がありました。スタッフではなくなったけれど来賓として祝辞を述べる機会を作っていただきました。
 広場を立ち上げて20年。ここに至るまでの歴史と、私達の思いの原点を話しました。初めから一緒に立ち上げたスタッフは思い出して号泣、市の職員は初めて知った歴史に驚き、感動して原稿のコピーをくださいと言われました。異動になった課長も駆け寄ってきて涙ぐんでいます。市長も新しい課長に「この人達のいう事聞くように。間違いないから」と言ってくれました。
 この言葉自体が奇跡です。行政の壁は厚かった!でも今は同じ目的に向かって共に働き、喜び合う関係になれたのです。
 ママ達が昼からの開館が待ちきれなくて外で待っています。
 ここは、小さな町の小さな子育て広場です。でも、20年間、無我夢中でやり続けたら、いつの間にか一番いい形で夢が実現していました。

 私は、この2週間のなみだ涙の日々を思い出しながら、こんなに晴れやかな気持ちでこの日を迎えられたことが嬉しくて、愛犬のいる家に飛んで帰りました。

 そう、愛犬の身にとんでもないことが起こったのです。
(かんなまま)
————————————————————————

元気のなくなった我が家の愛犬


前回、記事を書き終わった直後に我が家の愛犬の元気がなくなりました。

夫の還暦の誕生日に生まれた、不思議なご縁で結ばれた犬です。14歳ですがとても元気で、もうすぐ開館する子育て広場まで散歩するのが楽しみでした。

身体を小刻みに振るわせて丸くなっています。生気がなく、顔つきも変わっています。その日は土曜日。動物病院は午前中までなので、他の用事を後回しにして連れて行きました。

熱はなし、便も普通。どこか痛いのでしょうね、と痛み止めを注射されて帰宅しました。少し安心しましたが、一向に良くなる気配がありません。

いつも一緒に寝るので、早めにベッドに入りました。ぐったりしています。そう言えば水を少し飲んだだけで何も食べていません。


日曜日は朝から新しい子育て広場の家具の塗装です。何もないところから始めた広場なので、夫が家具のほとんどを作りました。新しい施設でも使ってくれることになり、皆で塗りなおすことになったのです。

愛犬の様子が気になって熟睡できません。1時半ごろだったでしょうか、なぜか反射的に飛び起きました。すると、布団の上でけいれんを起こしているではありませんか!初めてのけいれんでびっくりしました。

私は愛犬を抱きながら夜間診療の病院に電話しました。すぐに連れて来てくださいとの事で、慌てて行く準備をしました。家から高速で1時間以上かかる病院です。

その間も、起き上がろうとするのですが、起き上がれません。やっと起きて私の所に歩いてこようとして、そのまま横に倒れました。これはただ事ではありません。

夫は朝まで様子を見たら?と言っていたのですが、私の決心が硬いのを見て一緒に行こうと言ってくれました。夫が運転して私が犬を抱いて行きました。道中も私の腕の中でぐったりしています。このまま死んでしまうのではないかと思って祈り続けました。



着いたのは夜中の3時です。夜間なのに何人もの人が来ていました。みんな心配そうに待っています。ある家族は犬が亡くなって、悲嘆にくれています。スタッフに見送られて帰っていきました。

私はただただ抱きしめて祈っていました。診察が始まりました。外で待ってくださいと言われたのですが、私の方をすがるように見ます。「大丈夫、そばに居るよ」と、離れていても私の気で愛犬を抱きしめ続けました。

祈る方法を知っているのは幸いです。神様に「○○をお守りください」と祈り、ガヤトリー・マントラを唱え、愛のマントラを送り続けました。

診察室に呼ばれました。先生からけいれんよりも、気になることがあると言われました。腹部エコーで胆のう粘液嚢腫の疑いがあり胆管が腫れて塞がり、膵臓、肝臓も炎症を起こしているとのことでした。血液検査でも白血球が33000に跳ね上がり、細菌感染のCRPが高すぎて測定不能になっていました。ビリルビンも高く黄疸が出ています。


重症です。高齢なので覚悟してくださいと言われました。そして、今からすぐに治療を始めないと危ないから、この病院が閉まる朝の8時まで入院する事になりました。

私達は一旦家に帰り、朝方迎えに行きました。入院中もけいれんを起こしたようです。このまま家に帰らずに、病院に行って治療を続けてくださいと言われましたが、日曜日です。かかりつけの病院はお休み。

ダメもとで電話をしました。出ません。とにかくその病院目指して車を走らせました。近くになって祈るような気持ちでもう一度電話をしました。出てくださいました!そして、「すぐ連れて来てください」と言われてホッとしました。

検査データを持って行きましたが、すでに電話で状態を聞いてくださっていたようです。すぐに抗生物質投与の治療が始まりました。夕方の5時まで預かります、と言われて後ろ髪をひかれながら帰りました。


毎日祈る日々が続きます


夫と2人、落ち着かないまま子育て広場に行きました。みんなは私達の指示を待っています。単純作業が救いでした。ヤスリをかけて、塗ります。鉄棒はさび落としをして、塗ります。

広場を利用しているお父さん達が活躍してくれました。行政職員もボランティアで来てくれています。天気が良くてすぐに乾きました。祈りながら、もくもくと働きました。

昨日まで元気だったのに信じられません。でも、ひと月前、兄夫婦が飼っていた犬が突然死をしたばかりだったので不安でした。兄たちが病院に預けている間に「亡くなりました」と言う連絡を受けてショックを受けていました。

「死に際に抱いてあげられなかった」「もっと早く迎えに行けばよかった」と、今でも悔やんでいます。私も、最期はこの腕の中で見送りたいと切に願います。


長い一日でした。気が付けば夫も私も一睡もしていません。人ってこんな時は眠くならないのを知りました。

夫は夕方から医師会の講演会なので私1人で迎えに行きました。でも、私の顔を見たら興奮してけいれんを起こしました。私の方に駆け寄ろうとするのですが立てません。その様子を見て先生が「このまま預からせてください」と言われました。

「それなら、待合室で待ちます。そばに居てあげたいです」と言いました。愛犬も私のそばに居たがっているのが痛いほどわかります。私の覚悟を理解してくださって「それなら連れて帰ってください。けいれん止めの注射液をあげましょう」と言われました。

車の助手席に乗せましたが、けいれんして座席の下に落ちます。とにかく、必死で連れて帰りました。家でも痛いのか苦しそうに呻きます。もう助けてくださいとは言えない状態でした。「○○にとって一番いい方法をお計らいください」「もう神様にお任せいたします」と必死で祈りました。抱いて「愛しています」と唱えながら大好きな庭に出ました。元気だった頃のうんちがそのままあります。涙が溢れてきます。

夫に電話をして「死に目に会えないかもしれないよ、帰ってきて」と伝えました。夫もすぐに帰ってきて見守りました。家が安心するのか、少しずつ落ち着いてきたのがわかりました。水を飲みました。その夜も一緒に寝ました。

不思議なもので、寝ていても異変があったらすぐに気が付きます。つながってるのを感じます。ベッドから降りようとしていたのでおろしてあげました。下に置いていた水を飲みたかったようです。

次の朝は、少し元気になっていました。朝9時に病院に連れて行き。抗生物質の点滴を受けます。その病院から母の所に行くのが日課になりました。


母は落ち着いているので助かりました。母は何も知らないのに私の顔を見ると「大丈夫よ、心配しないで」と言うのです。自分の事なのか?愛犬の事なのか?寝たきりなのに私を心配してくれています。

毎日祈る日々が続きました。私にとってこの小さな存在がどれほど大きかったか、今更ながらに思いました。もちろん、母の存在も大きいのですが、ペットは特別です。

愛犬も私をとても愛してくれていました。私が家に帰り着く前に気が付いて玄関で待っています。悲しい時も楽しい時もそばに居ました。私も、愛犬に同調するのか自分の胆のうの部分が痛みます。気のせい?と思いましたが、そこに手を当てて愛を送りました。

それにしても最近、母、子育て広場、愛犬・・と、私の大事なものとの別れの鐘が鳴り響いています。これはどういう意味なのだろうか?と思わずにいられません。きっと、その大切さを味わい、愛しみ、次のステップに行くときが来たのでしょう。

ただ今回は、あまりにも突然だったので涙が止まりません。でも、大丈夫、私は何があっても、それを受け入れます。私ができる事は「ありがとう」「愛しています」とその時まで抱きしめ続けるだけです。そうしたら必要なことが起こると信じています。

それでも、迎えに行くときはどんな顔をしているだろうかと心配です。「今日検査します」と言われた日は判決が下される気持ちでした。覚悟して病院に入ると愛犬が診察台に立っています!

白血球が下がってきて、ビリルビンが正常値になっているとの事で、先生が笑顔で「抗生物質が効きました。治療が早かったから回復してきています」と言われました。


奇跡です!玄関を出て空を見上げたら縦に虹が出ていました!きっと大丈夫。神様が祝福してくださっている!と感じられて車の中で泣きました。

でも、数値はまだ高い状態で、油断はできません。現に、今度は肝臓の数値が上がってきています。きっと、もう少し一緒にいる時間をいただいたのだと思います。後悔の無いように残された時間を大切にしたいと思います。

気が付けば4月のカレンダーをめくるのさえ忘れていました。書いてある言葉を読んでびっくり!そこには
「あらゆる生命は「愛」によって進化します。人間に心から愛された生き物は急速な進化を遂げ、人間はこうした生命から「愛」を学ぶのです」
と書いてありました。

そうです、私は愛犬に愛を学ばせてもらいました。痛い時も苦しい時も文句ひとつ言わないで、愛しい目で私を見ていました。きっと、私に無償の愛を送って、私のために頑張ってくれたのだと思います。私はそれに応えきれるほどの愛を持っていたでしょうか?


これからも学ばせていただきます。悲しい事があるけれど、不幸ではありません。いえ、むしろ幸せが増えているのをしみじみ感じます。


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
かんなままの子育て万華鏡はこちら


Comments are closed.