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子ども達には自由が一番!
冬休みに親抜きで孫達がやってきました。中学3年生のお姉ちゃんは目指す高校に帰国子女枠で合格したので受験勉強から解放されて嬉しそうです。息子の孫も合流して無邪気に遊んでいます。
ばあばの役割は甘やかすこと。1人ひとりのリクエストに順番に応えて食事を作り、自由に遊ばせます。幸い、誰もゲームをしないので、雪が降る中でも半袖になって走り回る子ども達。鼻水を垂れて、ほっぺは真っ赤!遠い昔に群れていた子ども達の姿そのままです。
日頃、自由に遊んでいるなら、こんなにはしゃぎまわらないでしょう。もう落ち着いてもいい年頃です。でも、今はその時間を取り戻すかのようにはじけています。
楽しいお正月が過ぎて、宿題してない~という現実が迫ってきました。1人が焦りだすと今度は合宿のようにテーブルを囲んで宿題を始めました。
そして、時間に追われる日常に戻っていきました。「途中の新幹線の駅で飛び降りたかった!」と、あとで教えてくれた孫。子ども達には自由が一番!私まで辛くなります。
翌日の面接が気になって落ち着かないお兄ちゃん
その後、2日空けて娘の家に手伝いに行きました。少し間をおかないと体がもちません。
娘は子育てと末期がんの夫の介護のダブルケアをしています。その上、自分の大学院の研究があります。ただでさえハードな日々。
でも、追い打ちをかけるように今年は受験生が2人。お兄ちゃんの受験の面接と、パートナーの大学病院の受診日と、大学院の仕事と幼稚園の早迎えの日が重なってしまいました。
前日、娘が5歳の弟を早く寝かせつけている間に上の子たちは宿題。だらだら宿題をする小3の弟の横で、翌日の面接が気になって落ち着かないお兄ちゃん。
お兄ちゃんは公立の中学校に行けるのですが、近くにある国立のバカロレア教育の中学校に行きたいと言い出しました。試験の教科は習っていないことが多くてハンディがありますが、帰国子女の推薦枠で受けるので面接が重要です。
塾で面接の練習をしているようで、ドアのノックの仕方や、お辞儀、座り方まで教えられた孫。目を見て答えなさい。大きな声で、敬語で・・・、と。もうそれだけで緊張して泣きそうです。
「大丈夫。聞かれたことに自分の言葉で素直に答えなさい」「ずっと目を見ていると逆に緊張するから普通にしていていいのよ」「あなたは考える力もある。うまく答えようなんて思わなくていい」「祈れば神様がそばにいてくださるよ」と伝えました。
寝る前に「祈って!ばあば」と頼まれました。「わかった。落ち着いて面接が受けられますように、とお祈りするよ」と言ったら「駄目だよ!合格するように祈って」と、言われてしまいました。
その気持ちはよくわかります。この状況になったら私も合格させてあげたいと思います。でも、その中学が孫にとっていいのか?合格だけが幸せの道ではない、と思うと無責任なことは言えなくなります。
緊張したら頭が真っ白になるタイプ。試練です。
翌朝、有無を言わさず起こされた子ども達。学校、幼稚園、病院、面接会場に出かけていきました。
私はこの喧騒の日々で除霊、浄化の祈りも3唱がやっと。娘のパートナーが受診している間に除霊と浄化の祈りを3マラして、孫のために祈りました。祈りの時間を確保するのもままなりません。
仕事しながら子育てしているママ達は、いつお祈りの時間をとるのだろうと思ってしまいます。やはり、日々の生活をヤマ・ニヤマを指針として良心に沿って生きていくしかありません。
診察が終わり、タクシーが家に着くと、面接を終わった孫がちょうど車から降りるところでした。顔を見ると明るい!駆け寄ってきて満面の笑みで「僕、大丈夫だったよ。ちゃんと答えられた!」と言いました。
娘も横で「私も息子を誇りに思ったわ」「想定外の質問ばかりだったけど、完璧どころか、聞かれたことに対して自分の体験の実例を挙げて自分の言葉で話していたよ」と、感心していました。
「神様、ありがとうございます!」と心から感謝しました。
結果がどうであれ、大丈夫。この経験が孫の自信になったと思います。日常の読書、会話で物事を深く考える子に成長しています。まだまだ感情に振り回されて自分を卑下したり、癇癪を起したりしますが、経験を通して自信をつけていってくれればと願います。
エネルギー全開の一番下の弟
その後、娘はすぐに自分の仕事に行ったので、私とお兄ちゃんで一番下の弟を幼稚園に迎えに行きました。駐車場がないので2キロ以上を歩くしかありません。
歩道がある大通りを過ぎて狭い路地に入ると、車が真横を通っていく危ない道です。この道をエネルギー全開の孫と歩くのかあ~。
手をつなぐのが嫌い。興味のあるものに突進する。人の言うことを聞かない。子どもらしいと言えば子どもらしいのですが歩道のない車道では危険すぎます。
「あっ、犬!」「あっ、お友達!」と言いながら走りだします。子どもは見たいものしか見えていないので危険です。多分、この子は先に体が動いてエネルギーを発散させるタイプ。教室や家の中だけでは納まらない子です。
外遊びの多い幼稚園を選んだのですが、クラスの男の子を巻き込んでダイナミックに遊ぶので、若い担任の先生を泣かせてしまったそうです。私は、孫の手をぎゅっと握り、私の話に興味を持つように働きかけますが、その手を振り払います。
そして「おしっこ!」と言い出しました。まだ家まで1キロ以上あります。田舎道ならおしっこできる場所を探せるのですが、道路沿いには素敵な家ばかり。車はビュンビュン走り、途方にくれました。我慢できない!ともう漏れんばかりです。
そこに救世主のようにガソリンスタンドが目に入りました。許しを得て、トイレに駆け込みました。今のママが車や自転車で送りたい気持ちがわかります。子どもが安心して歩ける道がない!
本来、子どもは好奇心の塊で、自由に遊びながら身体の感覚を通して成長していくようにできているのに、その体験が許されない社会。孫のようなタイプは落ち着かない子と認定されて、怒られてばかりです。
町の中に学校や幼稚園につながる子どもの道ができたらいいなあと、夢のようなことを考えながら家にたどり着きました。
好きなことしかしない小3の弟
小3の弟も帰ってきました。この子はおっとりさん。好きなことしかしない。好きな食べ物しか食べない。嫌なものは気が向かないから時間を忘れてボーっとするのです。
「ねえ、ボーっとしている時は何を考えているの?」と聞いてみたら「何にも考えていないよ」という答え。達人だ!と尊敬するのですが、この忙しい世の中では問題児なのです。
決った時間に登校するのも大変です。「行ってきます」と出かけたので学校に行っていると思っていたら靴を持ったまま玄関に座り込んでいるという調子です。「まだいるの?」と言ったら「あっ」とびっくりして出かけます。
何でも真に受けるから「ばあばは今日から50歳よ」と冗談で言ったら「えっ?本当?」と喜んでくれます。かわいくてたまりません。
好きなご飯はお代わりしますが、嫌いなものは進みません。私は「食べなくていいよ。もう遊んでらっしゃい!」と言います。「いいの?僕食べてないよ。食べられるよ」とけなげなことを言うのです。
栄養の偏りが心配、好き嫌いのない子に育ってほしいと思って娘がしつけをしているのでしょう。その気持ちはわかりますが、嫌いなものは嫌いなのです。孫にしかわからない理由があるのでしょう。必要になったら食べる時が来るかもしれません。
そんな孫ですが、遊びに行く時の自転車は早いし、野球も機敏に動くそうです。孫の七不思議!
片付けられないお姉ちゃん
お姉ちゃんは絶対捻じれの8種体癖!ぶりっこの女の子がいたら、わざと横でおならをするような子です。4種体癖もあるのか整理整頓が苦手。困ったことに高校は寮生活でルームメイトがいるらしいのです。
本人曰く「半年に一度、ルームメイト交代の申し込みができるから、私の相手は次々に代わっていくと思う。あ~、私と同じように片付けられない人が来てくれたらいいなあ~」と、自分を変えようとは思っていないようです。
読書家、お菓子作り、手芸がうまいなど多趣味ですが、すべて長続きしない。作りかけのものが部屋中に散らかっています。
娘はしつけようと頑張りましたが、本人が困っていないので効果がありません。どうせ凸凹家族です。お互いに苦手なものを認め合って暮らした方が幸せです。
オーストラリアに住んでいる私の娘もお姉ちゃんと全く同じ匂いがします。野生の感覚を持ち、芸術的な才能もある。好き嫌いがはっきりしていて、迎合しない。部屋は泥棒が入ったみたいにしていますが、職場が森の茂みなので気にしない!良きパートナーを見つけて、とても上手に子育てをしています。
荒波を航海している船長のような娘
4人の個性あふれる子ども達を育てるのは至難の業です。1人1人に向き合う目を持っていなければいけません。でも、娘は生活に余裕のないダブルケア。いつも時間に追われて1人ひとりの個性に向き合えていないどころか、無理強いしていることも多々あります。
娘はそのこともわかっています。向き合えていない分は後でフォローをしているようです。
ただ、やりたくない事をやりたくない時にやらされている時は人数分の不満がさく裂します。娘も余裕がないのでボルテージが上がります。そんな時に平常心を保つことがいかに大変か!
娘は荒波を航海している船長のように、朝から晩まで沈没しないように気を張り、マシーンのように体を動かしています。ヴァータ体質が亢進しているのがわかります。
私は娘をねぎらい、娘しかできない仕事に向き合えるように、せっせとご飯を作って冷凍します。孫を愛でます。祈ります。
そんな時、家族のように一緒に育った姪が娘の家に居候してもいい?と声をかけてくれました。仕事がリモートで、本社が娘の家の近くらしいのです。
独身で、家事と料理がプロ並みの子です。時々娘の家に行って手伝ってくれているので娘の家の事情も子どもの性格もわかってくれています。何も言わなくても分かり合える人がそばにいること。家にいて家事を分担してくれる人がいることは今の娘にとってどれだけ救いになるでしょう。
早速、家族会議を開き、来てもらう方向で話が進んでいます。神さまが見守ってくださっているのを感じずにはいられませんでした。
それにしても、大人社会の都合で自由を奪われた子どもは自分の殻を作るか、反抗します。親もまた子育てと仕事の間で気力と体力をすり減らしています。
私も、大きな流れに飲み込まれて子どもを駆り立てていた時期がありました。でも、子ども達がそれぞれの「嫌だ!」をストレートに表現してくれたおかげで気づかされました。子どもは私を親に選んで自分を生きるために生まれてきたのだ、と。
それからは気が楽になって子ども主体の伴走者になった気分です。子どもの数だけ驚き、一緒に迷い、笑い、悲しみ、慰め、未知の世界をのぞかせてもらっています。
そして、個性あふれる、それぞれの幸せを祈っています。
一瞬にしてすべてを無くした人々。戦時下にいる人々もそう。
どうか神様のご加護をと祈るばかりです。
何が起きても平常心を保てるのか?他人ごとではありません。