注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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大統領選を控え、問題を持ち込みたくないバイデン政権はアッサンジと司法取引
引用元)
櫻井ジャーナル 24/6/26
WikiLeaksのジュリアン・アッサンジはアメリカ当局と司法取引で合意し、ロンドンのスタンステッド空港で飛行機に乗り込み、オーストラリアへ向かったと伝えられている。
彼は2019年4月11日にロンドンのエクアドル大使館内でロンドン警視庁の捜査官に逮捕され、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所に収監されていた。「国防情報を流布するための共謀」をアッサンジ側は認め、懲役5年の刑期を言い渡されたものの、ベルマーシュ刑務所に収監されていた5年間が算入されるので、自由の身になる。最終決定はアメリカ領である北マリアナ諸島の裁判所で言い渡される予定だという。
(以下略)
彼は2019年4月11日にロンドンのエクアドル大使館内でロンドン警視庁の捜査官に逮捕され、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所に収監されていた。「国防情報を流布するための共謀」をアッサンジ側は認め、懲役5年の刑期を言い渡されたものの、ベルマーシュ刑務所に収監されていた5年間が算入されるので、自由の身になる。最終決定はアメリカ領である北マリアナ諸島の裁判所で言い渡される予定だという。
(以下略)
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配信元)
ジュリアン・アサンジが母国オーストラリアの首都キャンベラの空港に帰国し、妻や父と再会したpic.twitter.com/2ap3b18EK8
— ShortShort News (@ShortShort_News) June 26, 2024
世界中のジャーナリストが、この起訴が設定した危険な前例を理解することが重要
— ShortShort News (@ShortShort_News) June 27, 2024
─ジュリアン・アサンジ弁護人 https://t.co/A0j3dOJsa6 pic.twitter.com/TdmAMmHmrx
司法取引で、ジュリアン・アサンジはスパイ防止法違反を認めることに同意した。「アメリカの国防に関連する資料を所持またはアクセスすること」がそれに該当する行為だが、それは新聞記者が日常的に行っていることであり、米政府に都合の悪いジャーナリズムはスパイ扱いされることが示された。 https://t.co/h2tBL1BMfg pic.twitter.com/yZUXIDNyaI
— J Sato (@j_sato) June 25, 2024
ウィキリークスが民主党全国委員会のリークメール2万通以上を削除。米政府がジュリアン・アサンジを解放する取引条件にこれもあったもよう。 https://t.co/I3JA4kAZmP
— J Sato (@j_sato) June 26, 2024
ジュリアン・アサンジがWikileaksで米政府の悪事の数々を告発していた時に、当時国務長官だったヒラリー・クリントンが「こいつをドローンで殺せないか?」と提案した。 https://t.co/RQnSyyWBvn
— J Sato (@j_sato) June 25, 2024
Caitlin Johnstone:
— Alzhacker (@Alzhacker) June 27, 2024
なんと、もしかしたら、どんなことも可能なのかもしれない
ジュリアン・アサンジがオーストラリアの自宅に到着する深く感動的な映像を見て、私が最も印象に残ったのは、それが実際に起こるまで、これがすべていかに不可能に感じられたかということだ。… https://t.co/S77jrop74d
アサンジ氏の解放を伝える情報の中で印象的だったのは、Alzhackerさんが取り上げておられたCaitlin Johnstoneさんの投稿でした。私も彼女のようにアサンジ氏の自由を望みながらも、心のどこかで彼はこのまま獄中で非業の最期を迎えるのではないか、「エドワード・スノーデンのようにワシントンと対立関係にある国で残りの人生を送る」のではないかという不安を払拭することはできませんでした。
「それなのに、彼はそこにいる。それは起こったのだ。」
故郷オーストラリアに無事帰国し、拍手の中で夫人や父と抱擁しました。「もしかしたら、どんなことでも可能なのかもしれない。アサンジで起こったことが、今日の世界で見られる他のあらゆる不正や虐待(に対して)でも起こり得るのかもしれない。」「アサンジは解放された。もしかしたら全人類が解放されるかもしれない。」切なる願いの奥底にある諦めなど不要で、本当に突然、願いが叶えられる現実に生きているのかもしれない、そのような嬉しい驚きと希望を持ったのでした。