ぴょんぴょんの「〈トランスニストリア〉と呼ばないで(2)」 ~〈トランスニストリア〉の名づけの親は〈ルーマニア〉

 前回は、〈オスマン帝国〉によって、〈モルダヴィア公国〉の中の、今の〈モルドバ共和国〉の地域が〈ロシア〉に割譲され、〈ロシア〉がその地を〈ベッサラビア〉と命名したこと。一方、〈ベッサラビア〉を〈ロシア〉に取られた〈ルーマニア公国〉は、周囲のルーマニア語圏を吸収して〈ルーマニア王国〉になったことを話しました。
 今回は、第二次世界大戦で、ナチス政権になった〈ルーマニア〉が、〈ドイツ〉とともに〈ソ連〉に侵攻し、取ったドニエストル川東岸地域を〈トランスニストリア〉と名づけたところから、ふたたび〈ソ連〉に占領され〈モルダヴィアSSR〉に引き戻されるところまで話します。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「〈トランスニストリア〉と呼ばないで(2)」 ~〈トランスニストリア〉の名づけの親は〈ルーマニア〉

〈ソ連〉のテーマパークみたいな「沿ドニエストル共和国」


はあ〜、今日も歴史の話かあ。

しょっぱなから、ため息つくなよ。

だって、あの辺り、一生行くことないし、まったく興味ないし。ってゆうか、あんなとこに行く物好きいるの?

知らねえな? あそこ、めっちゃおもしれえんだぜ。これを見ろ。


ウソ! まるで、〈ソ連〉のテーマパークみたい。

「沿ドニエストル共和国」に行った動画もいっぱいあるが、その中でもオススメはこいつだ。



ほんとだ、まるで〈ソ連〉のまんまだ。


前回のおさらい


ではでは、気を取り直して、まずは前回のおさらいだ。現在の〈モルドバ共和国〉のある場所は、14世紀は何という国だったか?

おっ! クイズ形式で来たね。〈モルダヴィア公国〉?

ピンポン♪

〈オスマン帝国〉と〈ロシア〉に、かわりばんこに支配されてたね。

その通り。じゃあ、〈ベッサラビア〉は?

どっかで、聞いたような名前だねえ?

1週間前に話したばかりだぞ! この地図に見覚えがあるだろが?

〈ベッサラビア〉
Wikimedia_Commons[Public Domain]

あ、思い出した。白枠のブーツが今の〈モルドバ共和国〉。黄色いのが〈ベッサラビア〉。ブーツの下の〈ベッサラビア〉南部は、今の〈ウクライナ〉だっけ。

じゃあ、〈ベッサラビア〉と命名したのは、だれだ?

そんなの聞いてないよ。

ちゃんと言ったぞ。〈ロシア〉だよ。〈ロシア〉に負けた〈オスマン帝国〉が、支配していた〈モルダヴィア公国〉の東を〈ロシア〉に割譲した。そして〈ロシア〉は、その地を〈ベッサラビア〉と名付けた(1812年)。

割譲(かつじょう)?

「一国が領土の一部を他国にゆずり渡すこと。」(goo辞書)その後、領土を取られた〈モルダヴィア公国〉は、同じルーマニア人の住む〈ワラキア公国〉と合併して〈ルーマニア公国〉になり(1859年)、さらに〈ルーマニア王国〉を経て、現在の〈ルーマニア〉に至ると、ここまで話したな。

はあ〜、もう、ゲップが出そう。


2つの地域を合体させたことですべての混乱が始まった


なに、言ってんだ。ここからが本題だぞ。〈ロシア〉は、もらい受けた〈ベッサラビア〉を〈ウクライナ〉と併合して、〈ウクライナ〉の自治州〈モルダヴィア民主共和国〉にした。ところが、〈ロシア〉革命(1917年)が起きると、〈ベッサラビア〉は独立宣言(1918年)して、〈ルーマニア王国〉にさっさと帰ってしまった。

逃〜げ〜た~ 女房にゃ〜♪ 未練はないが〜♪(「浪曲子守唄」作詞:越純平 )


よっ! 昭和! だが、〈ソビエト・ロシア〉には未練があった。どうしても〈ベッサラビア〉を取り戻したい。そこで、スターリンは禁じ手を使う。

禁じ手って?

ヒトラーとスターリンが「独ソ不可侵条約」を結んだ(1939年)際、二人はこっそり秘密協定を結んだ。その中で、〈バルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)〉と、〈ルーマニア〉領〈ベッサラビア〉〈北ブコヴィナ〉を、〈ソ連〉がもらうことに決めたんだ。


なんちゅう、勝手なやり方!

秘密協定通り、〈ソ連〉は〈ルーマニア〉に「〈ベッサラビア〉を渡せ」と言った。すると〈ルーマニア〉はあっさりと〈ベッサラビア〉を〈ソ連〉に渡しちまった。

へ? いいの?

〈ソ連〉は、戻ってきた〈ベッサラビア〉を、ドニエストル川東岸の〈西ウクライナ〉と併合して、〈ソ連〉の構成国の一つ〈モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国(Moldavian Soviet Socialist Republics)〉、略して〈モルダヴィアSSR〉とした(1940年8月2日)。

つまり、 今の〈モルドバ〉≒〈ベッサラビア〉と、今の〈沿ドニエストル〉≒ ドニエストル川東岸をくっつけたのは、〈ソ連〉だったのか。

そうだ。そしてそれが、すべての混乱の始まりだった。〈ベッサラビア〉の住人は主に〈ルーマニア〉人。〈西ウクライナ〉は主に〈ロシア〉人と〈ウクライナ〉人。この2つの地域を合体させたことで、後々、めんどくさいことになる。

〈沿ドニエストル〉が〈モルドバ〉から独立するための〈トランスニストリア〉戦争とか、だね。


〈ソ連〉から〈ベッサラビア〉を取り戻した〈ルーマニア〉


さて、話かわって〈ルーマニア〉だ。〈ソ連〉に「〈ベッサラビア〉をくれ!」と言われて、「ノー!」と言えなかった〈ルーマニア〉はどうなったか? 国民の怒りが爆発してクーデターが起こり、政権交代して、ついにナチス政権になっちまった。

なんとまあ! おかしな方向に行っちゃったよ。

1941年6月、「独ソ不可侵条約」を破棄したヒトラーは、〈ソ連〉への侵攻を開始する。ナチス化した〈ルーマニア〉も〈ドイツ〉について行った(1941年6月22日)結果、〈ルーマニア〉は〈ソ連〉から〈ベッサラビア〉を取り戻すことに成功した。

アドルフ・ヒトラー
Author:Das Bundesarchiv[CC BY-SA]


うわー! やったね!

さらに〈ルーマニア〉と〈ドイツ〉はドニエストル川を超えて、〈西ウクライナ〉に侵攻し、そこら辺を〈ルーマニア〉の支配とした。ドニエストル川(ニストル)の向こう(トランス)にあるので、〈トランスニストリア〉と命名した。

〈トランスニストリア〉という名前をつけたのは、〈ルーマニア〉だったんだね。

だが、この時代の〈トランスニストリア〉は、今の〈沿ドニエストル〉よりもっと広い範囲だ。

かなり、〈西ウクライナ〉に食い込んでるね。


さて、取り戻した、勝ち進んだと言っても、喜んではいられない。戦争して取ったわけだから、多くの死傷者が出た。その上に、ナチスと言えば優生思想だ。〈ルーマニア〉も、ナチスが劣等民族と呼ぶユダヤ人をはじめ、多くの人々を虐殺した。1943年3月までの〈ルーマニア〉〈ドイツ〉の占領下で、18万人以上のユダヤ人が殺害されたと言う。

はあ~ 血塗られた〈トランスニストリア〉。


ふたたび〈ソ連〉領になる


そこから約4年して、〈ルーマニア〉が〈ソ連〉に降伏すると、〈ルーマニア〉の統治下にあった〈ベッサラビア〉+〈トランスニストリア〉は、ふたたび〈ソ連〉領になった(1944年8月23日)。

もう、取ったり取られたりで、グルグルしちゃう。

〈ソ連〉は、〈トランスニストリア〉のほとんどを〈ウクライナSSR〉に併合し、ドニエストル川東岸に残された、今の〈沿ドニエストル〉より少し広い〈トランスニストリア〉と〈ベッサラビア〉を合わせて、〈モルダヴィアSSR〉とした。位置関係は、下の地図でよくわかる。

「トランスニストリアにおける辺境の変遷:青:1940年までの〈ルーマニア〉、オレンジ:現在の〈トランスニストリア(沿ドニエストル共和国)〉、黄:第二次世界大戦中のファシスト・〈トランスニストリア〉、 赤線:1991年の〈モルドバ共和国〉、オレンジ線:共産主義〈モルダヴィアASSR〉」
Wikimedia_Commons[Public Domain]

え〜っと、〈モルドバ〉の赤いブーツと、そこから飛び出したオレンジ線の範囲が、〈モルダヴィアSSR〉か。ほとんど、今の〈モルドバ共和国〉に近い形になってきたね。


〈ソ連〉が意図的に起こした人工飢饉「ホロドモール」


さて、〈モルダヴィアSSR〉に住む〈ルーマニア〉人が、どんな待遇を受けたかは、想像にかたくない。

〈ソ連〉の敵だったからね。

そうだ。〈ルーマニア〉に亡命した〈ルーマニア〉人も多かったが、残された〈ルーマニア〉人は、〈ソ連〉によって銃殺かシベリア送りにされたが、〈ルーマニア〉人以外でも、多くの人々が餓死させられた。〈ウクライナ〉と同じように、〈モルダヴィアSSR〉でもホロドモールがあったんだ。

ホロドモール?

〈ソ連〉が意図的に起こした「人工飢饉」のことで、〈ウクライナ〉では多くの人々が餓死した。

〈ウクライナ〉って穀倉地帯なのに、なぜ餓死するの?

〈ソ連〉は〈ウクライナ〉で穫れた小麦を、労働者が多く住む都市圏や、外貨稼ぎの輸出に向けて、生産者に回さなかった。そのせいで、多くの農民が餓死した。「その数少なく見積もって500万人以上、1000万人との説もあります。通りのいたるところに餓死者の死体が放置され歩行者から気にもとめられなくなっていたようです」「この莫大な餓死は人為的計画的なもので明らかな大量人民虐殺です。ホロドモールと呼ばれます。」(ユダヤ問題のポイント

歩行者から気にもとめられなくなっていた餓死者の死体
Wikimedia_Commons[Public Domain]

なんでそんなことしたの?

ソビエト共産主義の連中いわく、自営農はブルジョアだから、キライなんだとさ。〈モルダヴィアSSR〉の犠牲者は、当時の人口の約1割にあたる30万人と言われている。(Wiki

農民を大事にしないと、国は滅びるよ。

それ、日本政府に言ってくれ。

ところで、飢餓とか餓死とかの話を聞いてたら、お腹が空いてきたんだけど?

じゃあ、ここらで休憩するか? つづきは、また次回ってことで。

(つづく)


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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