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ぴょんぴょんの「〈トランスニストリア〉と呼ばないで(2)」 ~〈トランスニストリア〉の名づけの親は〈ルーマニア〉
〈ソ連〉のテーマパークみたいな「沿ドニエストル共和国」
沿ドニエストルは、コールドスリーブされたソ連風味の街並みなのである。 pic.twitter.com/DO0Su4bE4C
— Armchair Analyst (@OfficeChael) February 23, 2024
前回のおさらい
ちゃんと言ったぞ。〈ロシア〉だよ。〈ロシア〉に負けた〈オスマン帝国〉が、支配していた〈モルダヴィア公国〉の東を〈ロシア〉に割譲した。そして〈ロシア〉は、その地を〈ベッサラビア〉と名付けた(1812年)。
「一国が領土の一部を他国にゆずり渡すこと。」(goo辞書)その後、領土を取られた〈モルダヴィア公国〉は、同じルーマニア人の住む〈ワラキア公国〉と合併して〈ルーマニア公国〉になり(1859年)、さらに〈ルーマニア王国〉を経て、現在の〈ルーマニア〉に至ると、ここまで話したな。
2つの地域を合体させたことですべての混乱が始まった
なに、言ってんだ。ここからが本題だぞ。〈ロシア〉は、もらい受けた〈ベッサラビア〉を〈ウクライナ〉と併合して、〈ウクライナ〉の自治州〈モルダヴィア民主共和国〉にした。ところが、〈ロシア〉革命(1917年)が起きると、〈ベッサラビア〉は独立宣言(1918年)して、〈ルーマニア王国〉にさっさと帰ってしまった。
ヒトラーとスターリンが「独ソ不可侵条約」を結んだ(1939年)際、二人はこっそり秘密協定を結んだ。その中で、〈バルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)〉と、〈ルーマニア〉領〈ベッサラビア〉〈北ブコヴィナ〉を、〈ソ連〉がもらうことに決めたんだ。
地図があるとよりわかりやすい。北ブコヴィナは現在もウクライナ領のまま。ベッサラビアは今はモルドバ共和国。 pic.twitter.com/QzSAfHoPVE
— e (@xsummersleepx) August 10, 2023
〈ソ連〉は、戻ってきた〈ベッサラビア〉を、ドニエストル川東岸の〈西ウクライナ〉と併合して、〈ソ連〉の構成国の一つ〈モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国(Moldavian Soviet Socialist Republics)〉、略して〈モルダヴィアSSR〉とした(1940年8月2日)。
そうだ。そしてそれが、すべての混乱の始まりだった。〈ベッサラビア〉の住人は主に〈ルーマニア〉人。〈西ウクライナ〉は主に〈ロシア〉人と〈ウクライナ〉人。この2つの地域を合体させたことで、後々、めんどくさいことになる。
〈ソ連〉から〈ベッサラビア〉を取り戻した〈ルーマニア〉
さて、話かわって〈ルーマニア〉だ。〈ソ連〉に「〈ベッサラビア〉をくれ!」と言われて、「ノー!」と言えなかった〈ルーマニア〉はどうなったか? 国民の怒りが爆発してクーデターが起こり、政権交代して、ついにナチス政権になっちまった。
1941年6月、「独ソ不可侵条約」を破棄したヒトラーは、〈ソ連〉への侵攻を開始する。ナチス化した〈ルーマニア〉も〈ドイツ〉について行った(1941年6月22日)結果、〈ルーマニア〉は〈ソ連〉から〈ベッサラビア〉を取り戻すことに成功した。
さらに〈ルーマニア〉と〈ドイツ〉はドニエストル川を超えて、〈西ウクライナ〉に侵攻し、そこら辺を〈ルーマニア〉の支配とした。ドニエストル川(ニストル)の向こう(トランス)にあるので、〈トランスニストリア〉と命名した。
「トランスニストリア」というのは現代ではモルドバとウクライナに挟まれた細い地域を指すが、第二次世界大戦中はウクライナの方まで含むわりと広い地域をトランスニストリアと言った。という事をようやく理解した。現代のモルドバ地域はこの時はベッサラビアという名称。 pic.twitter.com/u4rLOVA9I1
— e (@xsummersleepx) January 9, 2022
さて、取り戻した、勝ち進んだと言っても、喜んではいられない。戦争して取ったわけだから、多くの死傷者が出た。その上に、ナチスと言えば優生思想だ。〈ルーマニア〉も、ナチスが劣等民族と呼ぶユダヤ人をはじめ、多くの人々を虐殺した。1943年3月までの〈ルーマニア〉〈ドイツ〉の占領下で、18万人以上のユダヤ人が殺害されたと言う。
ふたたび〈ソ連〉領になる
〈ソ連〉は、〈トランスニストリア〉のほとんどを〈ウクライナSSR〉に併合し、ドニエストル川東岸に残された、今の〈沿ドニエストル〉より少し広い〈トランスニストリア〉と〈ベッサラビア〉を合わせて、〈モルダヴィアSSR〉とした。位置関係は、下の地図でよくわかる。
「トランスニストリアにおける辺境の変遷:青:1940年までの〈ルーマニア〉、オレンジ:現在の〈トランスニストリア(沿ドニエストル共和国)〉、黄:第二次世界大戦中のファシスト・〈トランスニストリア〉、 赤線:1991年の〈モルドバ共和国〉、オレンジ線:共産主義〈モルダヴィアASSR〉」
Wikimedia_Commons[Public Domain]
〈ソ連〉が意図的に起こした人工飢饉「ホロドモール」
そうだ。〈ルーマニア〉に亡命した〈ルーマニア〉人も多かったが、残された〈ルーマニア〉人は、〈ソ連〉によって銃殺かシベリア送りにされたが、〈ルーマニア〉人以外でも、多くの人々が餓死させられた。〈ウクライナ〉と同じように、〈モルダヴィアSSR〉でもホロドモールがあったんだ。
〈ソ連〉は〈ウクライナ〉で穫れた小麦を、労働者が多く住む都市圏や、外貨稼ぎの輸出に向けて、生産者に回さなかった。そのせいで、多くの農民が餓死した。「その数少なく見積もって500万人以上、1000万人との説もあります。通りのいたるところに餓死者の死体が放置され歩行者から気にもとめられなくなっていたようです」「この莫大な餓死は人為的計画的なもので明らかな大量人民虐殺です。ホロドモールと呼ばれます。」(ユダヤ問題のポイント)
(つづく)
今回は、第二次世界大戦で、ナチス政権になった〈ルーマニア〉が、〈ドイツ〉とともに〈ソ連〉に侵攻し、取ったドニエストル川東岸地域を〈トランスニストリア〉と名づけたところから、ふたたび〈ソ連〉に占領され〈モルダヴィアSSR〉に引き戻されるところまで話します。