ぴょんぴょんの「〈トランスニストリア〉と呼ばないで(1)」 ~〈モルダヴィア公国〉から〈ルーマニア〉までの歴史

 読者の方から紹介された、「〈モルドバ〉情勢についての動画」を、まのじ編集長が「モルドバ案件、といえば、ぴょんぴょん!」とのコメント付きで送信してくれました。
 それを読んで、「あれっ?〈モルドバ〉ってなんだっけ?」すっかり忘れてましたが、以前、ここで、〈モルドバ〉について書いていたんです。半年前だぞ〜、だいじょぶかあ〜??
 さて、動画を見て、〈モルドバ〉についておさらいしていたら、前回〈トランスニストリア〉と表記した一帯が、「〈トランスニストリア〉と呼ばないでくれ」と言っていることを知りました。
 なんでだ? と、調べているうちに、1回じゃ終わらなくなっていました。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「〈トランスニストリア〉と呼ばないで(1)」 ~〈モルダヴィア公国〉から〈ルーマニア〉までの歴史

〈トランスニストリア〉とは呼ばない


おい! 10月20日に、〈モルドバ〉で大統領選挙があるそうだ。

・・・?

知っての通り、2020年12月に誕生した〈モルドバ〉のサンドゥ大統領は、EUに飼いならされた傀儡で、サンドゥが再選されれば、〈モルドバ〉は第二のウクライナになるかもしれんのだ。

サンドゥ大統領
Author:president.gov.ua[CC BY]

あのお・・。

なんだ?

・・〈モルドバ〉ってなんだっけ?

はあ?! 半年前に、ここで話したじゃねえか。

もしかして、国の名前?

ボケるのはまだ早いぞっ。

もしかして、川の両岸で国が分かれてる?

それそれ! ドニエストル川な。

ドニエストル川
Author:Tanya.K.[CC BY]


たしか、川の西側が親EUの〈モルドバ共和国〉で、東側は親ロシアの・・〈トランスニストリア〉!

おー、記憶がよみがえってきたな。

親ロシアの〈トランスニストリア〉は、親EUの〈モルドバ共和国〉と戦争になったけど、ロシア軍の助けを借りて独立した。未承認国家だけど。


そうそう、上の図で、〈 MOLDOVA(モルドバ共和国) 〉に張り付いてる 濃い黄色の部分が〈 TRANSNISTRIA(トランスニストリア) 〉。 だが、もう、〈トランスニストリア〉とは呼ばない。

ええ? トランス=向こう、ニストリア=ドニエストル川で、「ドニエストル川の向こう」って意味だよね。せっかく覚えたのに〜?

理由は・・。


ナチ?

そう、〈トランスニストリア〉は、ルーマニアがナチスだった時代、この地域をロシアから奪った時につけた名前だ。その後、ソ連に占領された時代も〈トランスニストリア〉と呼ばれた。ナチスとファシズムに支配された、屈辱の時代を思い起こさせる〈トランスニストリア〉は、二度と使いたくないそうだ。Telegram

じゃあ、これからなんて呼べばいいの?

〈沿ドニエストル共和国〉、ドニエストル川沿岸の国という意味だ。

え? なんか、ひねりのない名前。

文句を言うヒマがあったら、ここら辺の歴史でも勉強しろ。

歴史は苦手だよ〜。



〈モルドバ共和国〉よりずっと裕福な〈沿ドニエストル〉


しゃあねえな、じゃ、まずは前回の復習だ。〈沿ドニエストル〉は、〈モルドバ共和国〉から独立宣言した「未承認独立国家」。位置的にはウクライナとモルドバに挟まれている。ロシア人、ウクライナ人、モルドバ人がそれぞれ3割ずつ、仲良く暮らしている。

〈モルドバ共和国〉では、異民俗同士ギクシャクしてたよね?

金持ち争わず。〈沿ドニエストル〉は、ソ連時代の工業地帯が残っているから、農業しかない〈モルドバ共和国〉よりずっと裕福なのよ。

そうだった。〈モルドバ共和国〉は、ウクライナとヨーロッパの最貧国を争ってた。

さらに〈沿ドニエストル〉には、ソ連時代の弾薬・砲弾倉庫があって、そこに約1000名のロシア軍が「平和維持軍」という名目で駐留している。

ねえねえ、やっぱ〈沿ドニエストル〉、やめない? 舌かみそうだし。〈トランスニストリア〉の方がいいよ。 


〈モルドバ共和国〉周辺の歴史


文句ばっか言うヤツだな。そうか、なんで〈トランスニストリア〉がナチス・ファシズムで、嫌われるか知りたいんだな? なら、教えてやろうじゃねえか。だがしかし、そこいら辺の話は、めちゃくちゃ複雑で、めちゃくちゃ長い〈モルドバ共和国〉の歴史を知る必要がある。

ぼくでもわかるように、かんたんに説明して。

じゃあ、こいつでどうだ? ドーン!


モルドバの歴史 #pb選手権2022 ‪@Asueiball‬ さんの企画 【ポーランドボール】第8話


かわいい〜! でも、これだけ? ザックリすぎない?

そこまで言うなら、しかたねえ! 膨大すぎて眠くなる、〈モルドバ共和国〉周辺の歴史を、じっくり説明してやるから、覚悟しろ!

えっっ?!(ちょっと、後悔・・)

まずは「世界史の窓」を参考に、14世紀に、今のモルドバのあたりにあった〈モルダヴィア公国〉の話をしよう。〈モルダヴィア公国〉= 現在の〈モルドバ共和国〉 +現在の〈ルーマニア北東部〉だ。


えっと、地図で言うと〈ルーマニア北東部〉は、〈ルーマニア〉の上で右の方だね。

さて14世紀末、〈モルダヴィア公国〉は、北上した〈オスマン帝国〉に征服され(1420年)、最終的に〈オスマン帝国〉の属国となった(1538年)。

オスマン帝国って、強かったんだね。

そんな〈オスマン帝国〉も18世紀以降に衰退し始めて、〈ロシア〉が登場すると、〈オスマン帝国〉と〈ロシア〉は「ロシア・トルコ戦争」でバチバチやり始める。〈モルダヴィア公国〉は、〈ロシア〉が勝つと〈ロシア〉の支配下に(1829年)、〈ロシア〉が敗れると〈オスマン帝国〉の支配下におかれた(1853年)。

まるで、〈ロシア〉と〈オスマン帝国〉のキャッチボールだ。

ところでこの辺で、あとあとのために、〈ベッサラビア〉について説明しておこう。

〈ベッサラビア〉? 聞いたこともないね。

何度目かの「ロシア・トルコ戦争」で、〈オスマン帝国〉は〈モルダヴィア公国〉の東部を〈ロシア〉に割譲した(1812年)。〈ロシア〉はそこを〈ベッサラビア〉と名付けた。重要なのは〈ベッサラビア〉が、今の〈モルドバ共和国〉とほとんどかぶっていることだ。Wiki

Wikimedia_Commons[Public Domain]

黄色い部分が〈ベッサラビア〉、白枠のブーツが現在の〈モルドバ共和国〉だ。
黒海に面した〈ベッサラビア南部〉は、現在ウクライナだ。

なるほどね、〈ベッサラビア〉は、ほとんど今の〈モルドバ共和国〉だ。

クリミア戦争後(1856年)、ロシア領だった〈ベッサラビア南部〉は〈モルダヴィア公国〉に返還されたが、ロシア・トルコ戦争後(1877年)、〈ベッサラビア南部〉は再び〈ロシア〉領となった。

目が回りそう。

〈ロシア〉は、黒海に出られる〈ベッサラビア南部〉は押さえときたいんだよ。

そうゆうことか。

〈ベッサラビア南部〉が取ったり取られたりしてる一方、〈モルダヴィア公国〉は、同じルーマニア人の住む〈ワラキア公国〉と合併して〈ルーマニア公国〉になった(1859年)。Wiki

Wikimedia_Commons[Public Domain]

大きくなってる。

さらに〈ルーマニア公国〉は〈ルーマニア王国〉となり(1881年)、

Author:Bogdangiusca[CC BY-SA]

今の〈ルーマニア〉につながって行く。

めでたしめでたし♪

じゃねえのよ。おれたちは〈モルドバ共和国〉の歴史を追いかけてるのよ。

そうだった。〈モルダヴィア公国〉は、ほとんどルーマニアになってしまった。じゃ、〈モルドバ共和国〉はどこから来たの?

〈ベッサラビア〉だよ。

〈ベッサラビア〉ってなんだっけ?

さっき、教えたばかりだぞ。黄色い長靴のあそこだよ。

思い出した! 〈ルーマニア〉からあぶれた、〈ルーマニア〉の右、いや東の黄色い部分だね。

〈トランスニストリア〉がなぜ嫌われるのか? そのカギは、〈ベッサラビア〉にあるんだが、ここからがあまりに長いので、続きは次回とする。

ふう〜、もう、お腹いっぱい!

(つづく)


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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