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ぴょんぴょんの「少年Aの物語(3)」 ~真犯人は「子ども」で「物書き志望」
「とんでも」犯人説

事件の6つのポイント

1 2月・3月の連続児童殺傷事件は、少年Aの犯行なのか?
4 挑戦状から見る真犯人は「子ども」で「物書き志望」
5 少年Aに不利な証言をした元同級生
6 「懲役13年」は少年Aが書いたものなのか?
2 事件当日、複数の人から目撃された「黒ポリ袋を持った不審な中年男性」とは?
3 挑戦状と少年Aの作文の文字を比較した結論4 挑戦状から見る真犯人は「子ども」で「物書き志望」
5 少年Aに不利な証言をした元同級生
6 「懲役13年」は少年Aが書いたものなのか?
1 2月・3月の連続児童殺傷事件は、少年Aの犯行なのか?
2月の事件(1997年2月10日)は小学6年生の女の子(当時12歳)が、左後頭部をショックレスハンマーで殴打され、1週間のケガをした。同じ時刻、同じ場所で、別の小学6年生の女の子(当時12歳)も、同様に右後頭部を殴打された。
わからんが、2点ほど疑問がある。被害者は凶器を「黒いゴムのような棒状のもの」と言い、教育委員会の報告書では「鉄パイプのようなもの」となっている。さらにもう1点、Aはそのハンマーを、近所の雑貨店で万引きしたと言っているが、店がショックレスハンマーを置き始めたのは事件の1年後(1998年)。事件当時は、その店ではまだ売られていなかったと言う。(阿修羅)
3月の事件(1997年3月16日)は小学4年生の女の子(当時10歳)が、頭部を八角げんのうで殴打され、その1週間後に亡くなった。同日の同時刻、小学3年生の女の子(当時9歳)が、刃渡り約13センチのくり小刀で腹部を刺されて、14日間のケガをした。
2 事件当日、複数の人から目撃された「黒ポリ袋を持った不審な中年男性」とは?
淳君の頭部が、中学校正門前に置かれた前後、身長170センチくらいで30〜40代と見られる男性が、学校の周囲をウロついていたのを、何人もが目撃している。この男は、黒いポリ袋を持っていたり、繁みにしゃがんでいたり、道路の真ん中を歩いていたそうだ。また事件当日、正門前に乗り入れるように停められた黒いブルーバードも、何人かに目撃されている。(阿修羅)
また、事件当日の朝、中学校正門付近で、不審な車が何度も目撃されているが、これも見張りの先生の車と考えられる。実際、当日6時半、正門前に乗り入れた車が目撃されていて、運転席側に立った男性が、門を開けるでもなく不審な様子だったと言う。実はこの人、首の第一発見者の管理員らしい。いつものように正門前に車を停め、鍵を開けようとしたら首を見つけたので、急いで職員室に走って110番通報をした。その時間は警察の記録と合致している。(阿修羅)
目撃情報から見て、正門に首が置かれたのは5:00〜5:30amと推定される。しかし、Aの家族は毎朝6時にそろって朝ごはんを食べるので、その時間の外出は不可。よって供述書では、Aは真夜中の1:00〜3:00amに2階の窓から抜け出して、首を置きに行ったことになっている。
3 挑戦状と少年Aの作文の文字を比較した結論
淳君の口にくわえさせた第一挑戦状と、神戸新聞社に送られた第二挑戦状。これら2通の挑戦状を、少年Aの逮捕前に筆跡鑑定したのが、筆跡鑑定学の第一人者と呼ばれる魚住和晃教授だ。教授によると、「書き慣れていない人間の文字ですよ。(略)一文字、一文字、考えて書かれている。(略)この文章はうなるところはあるが、しかし、素人が悦にいってる感じがする。若い男ですよ。(略)暗く、ほっそりとした、二十代の子や。」(阿修羅)
4 挑戦状から見る真犯人は「子ども」で「物書き志望」
あの頃は、よく使われていたんだろう。そして犯人は、感熱紙には指紋がつきにくいことを知っていた。ところが、少年Aはそんなこと知らないから、挑戦状は「スケッチブックの紙」に書いたと供述している(神戸事件を読む165p)。
背表紙の、ホッチキスで留めた部分を補強するテープだよ。実は「製本用テープ」の接着面も指紋が残りにくいと言う。A家の家宅捜索では、幅1.5cmのビニールテープが押収されていて、Aも「封筒の封は、家にあった赤色のビニールテープ」と供述しているが、もしそうなら、指紋がつき放題のはず。(神戸事件を読む165p)。
5 少年Aに不利な証言をした元同級生
スレ主が疑っているのは、Aの元同級生Y。と言うのも、Yの証言がなければ、警察はAに目星をつけることはなかったからだ。「兵庫県警は元同級生の証言を唯一絶対の根拠に、容疑者を少年に絞り込み、強引に自供に追い込んでいったのだ(神戸事件を読む55p)。」
中学3年のYとAは、中学入学以来の付き合いだ。両親から見たYは、「おとなしい、いい子」「すごく明るい感じで、Aの親友とばかり私たちは思っていました」(「少年A」この子を生んで‥217p)。ところが、正門前に首が置かれた日(1997年5月24日)の11日前(5月13日)、AはYを殴って、歯を折るなどひどいケガを負わせた。翌日、学校に呼ばれたAの父親はこう書いている。
「身体障害者を陰でいじめている」「猫を殺している」と言いふらしたそうだ。たしかにAは、その数年前、知的障害のある淳君を殴ったことがあるし、猫も殺したらしい。父親は、その時のAの目が虚ろで様子がヘンだったので、学校をしばらく休ませることにしたと言う(「少年A」この子を生んで‥129p)。そして、Aが学校を休んでいる間に、淳君の事件が起きたんだ。
Aから直接聞いた話として、「人を切り刻んだりすると気分が良い、人を傷つけてみたい」「自分以外の人間が、皆野菜に見えてしまう、野菜を切り刻んだり、野菜をつぶしても、悲しむ人間なんか、誰もいない、だから野菜には、何をしてもいい」。3月の通り魔事件についても、「俺がやった、酒飲んでいたから、覚えてないが、80%俺がやった」。また、Yは、「今までのA君との交際の中で感じることですが、A君なら(淳君事件を)やりかねない、と思っています」と証言した(神戸事件を読む56p)。
ところが、兵庫県警はYの証言に飛びつく。そしてAの逮捕に向け、まっしぐらにつっ走った。だが、3週間経っても証拠が上がらない。期待した筆跡鑑定も「挑戦状の筆跡がAによって書かれたと断定することは難しい」という結果。そこで、「筆跡鑑定で挑戦状とAの筆跡は一致した」とウソついて、Aを自白に追い込む作戦に出た。
6「懲役13年」は少年Aが書いたものなのか?
では、AにとってYはどんな存在だったのか? 医療少年院にいた時、Aはこんな告白している。「同級生」と一緒に、あるクラスの女の子を殺害して、それで有名になる計画を練り、Aが「友人」にパソコンで脅迫状を作らせて、女の子を脅したと(阿修羅)。
うわあ! その「同級生」「友人」はY君だね。Y君は、A君の秘密を守ってくれる、頼もしい悪友だったんだ。だからA君は、Y君に裏切られたことで暴力を振るった。そうなると、Y君はA君への復讐を考えてもおかしくない。一緒に計画した淳君事件を、実際に起こしてA君に罪を着せたのかもしれない。



2 事件当日、複数の人から目撃された「黒ポリ袋を持った不審な中年男性」とは?


Author:KishujiRapid[CC BY-SA]
近所の住民が、取材中の記者に耳打ちしてきた。「男児の遺体が遺棄されていた現場近くで、目撃された黒いポリ袋を持った不審な男性がおったやろう。あれは中学の先生やで」(略)「少年は先生を恨み、ネコの首を正門に置く時などは予告しとったんや。今回も少年が何らかの予告をしていたので、先生は先回りをして少年を捜し回ったということや」。
(阿修羅)
(阿修羅)


3 挑戦状と少年Aの作文の文字を比較した結論
酒鬼薔薇聖斗が神戸新聞社に送りつけた挑戦状のSCHOOLのスペルが間違ってるのたまに思い出してジワる pic.twitter.com/sb21sdCsWK
— Q (@madickchan) October 26, 2021

4 挑戦状から見る真犯人は「子ども」で「物書き志望」
「犯行の準備段階から実行に移すまで手袋をはめるか、ふき取るなどして指紋が残らないようにしたとみられ、犯人の周到さが改めて浮き彫りとなった」(産経Web97.6.4)
(中略)...まず頭部に添えられていた紙片(第一挑戦状)だが、2枚ともワープロ用の感熱紙であることがわかっている。(神戸事件を読む158p)
(中略)...まず頭部に添えられていた紙片(第一挑戦状)だが、2枚ともワープロ用の感熱紙であることがわかっている。(神戸事件を読む158p)

同様の状況は、封筒の封をしていた赤いテープにもみられる。当初、「封筒の口は赤いビニールテープで留められていた」(神戸新聞97.6.6朝刊)と報じられたが、その後の調べで、「一般にはあまり使われない赤色の『製本用テープ』だった」ことがわかっている。(神戸事件を読む160〜161p)

5 少年Aに不利な証言をした元同級生


Aは肩をガタガタ震わせ泣いていました。その友達とAは昔から仲が良く、私も知っている子でした。それなのにAは「自分の悪口を言ったアイツが憎く、仕返ししてやったんや」と泣きながら言い、怒りで手がつけられない感じでした。「お前、あの子と友達と違うんか。」その後は、何を聞いてもAは一言も喋らず、ただ泣くばかりでした。(「少年A」この子を生んで‥118p)

5月13日 AがYを殴った。
5月22日 Yが転校した。
5月24日 淳君が行方不明になった。
5月27日 淳君の頭部が中学校正門前に置かれ、遺体はタンク山で発見された。
6月 4日 神戸新聞社に第二挑戦状が送られた。
6月 7日 警察が、Yを呼んで聞き取り調査をした。YがAに不利な証言をする。
6月28日 任意同行を求められたAは自白し、逮捕される。
5月22日 Yが転校した。
5月24日 淳君が行方不明になった。
5月27日 淳君の頭部が中学校正門前に置かれ、遺体はタンク山で発見された。
6月 4日 神戸新聞社に第二挑戦状が送られた。
6月 7日 警察が、Yを呼んで聞き取り調査をした。YがAに不利な証言をする。
6月28日 任意同行を求められたAは自白し、逮捕される。

Author:山井書店[CC BY]


6「懲役13年」は少年Aが書いたものなのか?
A君が、自分なりに考えて作ってきた「懲役13年」と題する、レポート用紙一枚の文書を僕が、使っているパソコンで、清書してやったことがありました。(略)僕が(A君から)暴行を受けた5月13日、一枚だけを、プリントアウトして、フロッピーは壊してごみ箱に捨ててしまいました。プリントアウトした、懲役13年、と題した文章一枚は、両親に渡し、A君の怖さを訴えたのでした。今、この文書の内容を出来るだけ正確に思い出して紙に書いてみました(6月7日警察調書/真相―神戸市小学生惨殺遺棄事件)
そのパソコンで打ち出した文章を一枚だけ持っていましたので、この度警察に提出しました。(7月12日検察調書/真相―神戸市小学生惨殺遺棄事件)
(阿修羅)
そのパソコンで打ち出した文章を一枚だけ持っていましたので、この度警察に提出しました。(7月12日検察調書/真相―神戸市小学生惨殺遺棄事件)
(阿修羅)
A少年が同級生に打たせたというワープロの文章の中には、例えばニーチェの「善悪の彼岸」とか、それからダンテの「神曲」からの引用なんかがある。(中略)...ところが、そのダンテの「神曲」の翻訳として引用されている文章は、(中略)...寿岳文章さんという(中略)...非常に有名な学者の訳で、(中略)...最も権威のある翻訳なんです。ところが古い本なもんですから、いま新本屋へいったってまずない。(神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由86〜87p)
A君にとってY君という存在


(つづく)
今回は、その他の矛盾から浮かび上がる、犯人像を考えます。
尚、少年Aの書いたとされる挑戦状2通、犯行メモ、「懲役13年」は、ここで読めます。