ナチスとソ連で2分割されていた

なあなあ、無間地獄と焦熱地獄、どっちがいい?

ええっ? いきなり、何?! どっちもイヤに決まってるやん。

じゃあ、ナチスと共産党の支配、どっちがいい?

もお、同じような質問しないでよ! どっちもイヤに決まってるやん。

すまんすまん。ポーランドが追い込まれた状況を考えたら、そんな疑問が湧いてくるんだ。

ポーランド、無間地獄と焦熱地獄の選択を迫られたの?

いや、実際には選択どころか、両方から攻められた。
西からはナチス・ドイツ、東からはソ連、そしてあっという間に、ナチスと共産党で2分割された。

うわあ〜〜!

2009年のポーランド国家記憶研究所(IPN)の推計によると、
ドイツ占領下で死亡したポーランド市民は562万〜582万人、ソ連占領下で死亡したポーランド市民は15万人、シベリアなどへ 強制送還されたのは32万人と推定されている。(
Wikipedia)

あれ? ソ連占領下の死者は、ドイツとケタがちがう。

ソ連もひどかったが、ドイツよりましだったそうだ。実際、ドイツの支配地域から、ソ連の支配地域に逃げてくる難民も多かったと言う。

それでも、無間地獄と焦熱地獄の差だよね。
実際には、ソ連の支配地域は産業が発展し、失業も解消され、生活水準は改善され、多くのサービスが無料または低料金で利用でき、貧困層や技術教育を受けた人々はポーランド統治下よりも恵まれていたそうだ。(
Wikipedia)

う〜ん、でも、ソ連にも言論弾圧があるでしょ? 共産党を批判したら逮捕されて拷問でしょ? やっぱ、どっちも地獄じゃん。

たしかになあ。

そう言えば、
ポーランドのイメージって暗いよね。アウシュビッツがあるのもポーランドだし。「
戦場のピアニスト」も、第二次世界大戦中のポーランドが舞台の、怖くて悲しい映画だったし。
だが、現在のポーランドはちっとも暗くない。EUにもNATOにも加盟していて、人口が3800万人以上でEU内で5位。GDPもEU内で5位か6位につけている。しかも、高い生活水準、安全、経済的自由、大学教育の無償化、充実した医療制度。(
Wikipedia)

うわあ、大学がタダ?

教育を重視しているのがわかるよな。
2分割されるまで1つの国だった

今のポーランドが幸せなら、別に何も言うことないけど、地獄に攻められた時代のポーランド、なんでそんなことになっちゃったんだろう?

おれも、そこが知りたい。今の平和なポーランドから、歴史をさかのぼってみよう。
ソ連が崩壊したのは1990年。ソ連支配下だったポーランドで、初めて自由で民主的な議会選挙が行われたのは、その1年前の1989年。そこから、どんどん経済が豊かになった。

へえ〜、民主的な選挙が始まって、まだ35年しか経ってないのか。ついこないだまで、ソ連共産党の支配だったんだ。
ソ連共産党の支配に至ったきっかけは、ナチスの侵攻だ。1939年9月1日、いきなり西からナチス・ドイツが攻めてきた。9月17日、今度は東からソ連が攻めてきた。そして、9月28日に首都ワルシャワが陥落し、ポーランドはあっけなく、ナチスとソ連に2分割されてしまった。
ワルシャワ爆撃

でも、2分割されるまで、ポーランドは1つの国だったんだよね。

そうだ。周辺国のドイツ、帝政ロシア、ソ連、ウクライナなどと領土を争って、戦争し続けたポーランドは、国境もつねに変化し続けた。1つにまとまったポーランド・リトアニア共和国も、少しずつ細切れにされ、1795年にとうとう消滅してしまった。

消滅したんだ?
第二ポーランド共和国の誕生

それから123年経った
1918年、第一次大戦後のヴェルサイユ条約によって、ポーランドは、「第二ポーランド共和国」として独立できることになった。

第一次世界大戦で活躍したのかな?

その時のポーランドは「第二ポーランド共和国」、現在のポーランドは「第三ポーランド共和国」とも呼ばれる。

でも、ドイツが侵攻したのは1939年9月1日。「第二ポーランド共和国」ができたのは1918年。てことは、
独立してからたった20年ちょっとで、ポーランドは地獄になったってこと?

ああ。

20年しか、独立がもたなかったの? 20年間、何やってたの? ドイツとソ連に挟まれているんだから、ドイツやソ連の侵攻に備えるでしょ?

「第二ポーランド共和国」も、いろいろ大変だったんだよ。おれが「第二ポーランド共和国」の政治家だったとしても、ドイツとソ連の侵攻はくい止められなかったな。

なんで?
ジョゼフ・クレメンツ・ピルスツキ(1867年 – 1935年)というポーランドのカリスマがいる。彼は有能な軍人で、政治家で、「第二ポーランド共和国の父」とも呼ばれている。

おお、りっぱな眉毛!

当時のはやりだな。さて、
ピルスツキは、「第二ポーランド共和国」ができる前から、ずっとポーランド独立のために戦ってきた。彼は、
ポーランドを独立させるためには、ロシアを叩かねばならんと考えた。そのために日本にまで来た。

なんと行動的な。で、何をしに来たの?
1904年に日露戦争が勃発したからだ。
ピルスツキは日本政府に、ロシアの諜報情報を提供し、ロシアのポーランド軍も動かすから、ポーランドの蜂起を支援してくれと頼んだ。が、日本政府は取り合ってくれなかった。

せっかく来たのに残念だったね。でも、結果的に日本がロシアに勝ったから、良かったんじゃない?

そうだな。結果はピルスツキにとって良かったと思う。だが、
日露戦争とは、ロシアを潰したいロスチャイルドが、日本にカネを貸してやらせた戦争だ。ポーランド独立のために、わざわざ日本にまで来たピルスツキが、純粋に見えてしまう。
でも、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で、ピルスツキの願いは叶ったよ。「第二ポーランド共和国」が誕生したんだから。
ヴェルサイユ条約の調印式

それも、ロスチャイルドの企みじゃないかと思う。そこら辺はまたあとで話そう。

へ?

その前に、「第二ポーランド共和国」はどんな国だったんだろう?
国ができた1918年から1922年までは、ピルスツキが国家元首を務め、1920年からポーランド軍のトップにもなった。

軍のトップのピルスツキさん、戦争の専門家だよね。なのになんで、ドイツとソ連の侵攻を止められなかったの?

国内を治めるだけで、いっぱいいっぱいだったんだよ。だって、バラバラだった人々を、いきなり1つにまとめられるか?

そうだね、いくら愛国心に溢れていて、統率力もあって、政治家として優秀だとしても、難しいだろうね。

自分がトップだと思うヤツらがわんさかいるんだぞ。ロスチャイルドの命令で、ピルスツキの足を引っ張るヤツもいたはずだ。

できたてのホヤホヤの国を、20年でまとめるのは至難の業だね。

おまけに
ピルスツキは、ドイツ・ソ連侵攻の4年前の1935年に亡くなっている。その後の混乱ぶりは想像にかたくない。

はあ〜、大事な時にカリスマがいなくなっちゃったのか。

ピルスツキも、ドイツとソ連のことは考えていた。両国と「互いに攻撃しない」条約も結んでいた。だが、そんな条約が通用する連中か?

ちゃんと軍備はしてたの?
名将ピルスツキの率いた百戦錬磨のポーランド軍だ。1935年には軍の改革と再軍備を開始していた。だが、まだまだ経済が弱くて、ナチスのように近代兵器を装備できなかった。なんたって、ナチスにはスポンサーがついていたからな。

そうなんだ?
ドイツとソ連からの通達

だが、ドイツだって、いきなりポーランドに侵攻したワケじゃない。
侵攻する1939年の初め、ヒトラーはポーランドに同盟の条件を提案した。
①ドイツ領土から切り離されていた、ダンツィヒのドイツ帝国への編入
②ポーランド本土とバルト海を結び、ドイツ領「東プロイセン」とドイツ本土を結ぶ、「ポーランド回廊」の通行権を認めること。
③
反ソ連同盟に参加し、ドイツの従属国となること。(
Wikipedia)
「
ポーランド回廊と周辺の状況 1922年の国境線を示した地図。ドイツ領は桃色で、ポーランド領は黄色で示されている。ポーランド領のうち西北端のバルト海に面した細長い部分をポーランド回廊と呼ぶ。」(
Wikipedia)

ポーランドがバルト海に出るための通路、「ポーランド回廊」をドイツに通らせるくらい、別にいいと思うけど、ナチス・ドイツの従属国になるのは断じてお断りだね。

ポーランドが、ドイツとこんなやり取りをしていた
1939年3月31日、イギリスは「ポーランドの独立を保証する」声明を発表した。イギリスの保証に後押しされたのか、ポーランドはドイツの要求をすべて拒否。

イギリス、信じちゃっていいの?

国民も緊迫感に欠けていた。「
ポーランド国民は政府の宣伝により、状況の深刻さを認識しておらず、ポーランド・フランス・イギリス同盟の迅速で容易な勝利を期待していた。」(
Wikipedia)

あちゃー、楽観的すぎる。
一方ドイツは、「ポーランドに一応お伺いは立てた」「侵攻の準備も整った」と言うことで、
1939年4月28日「ドイツ・ポーランド非攻撃宣言」を破棄した。(
Wikipedia)

まずいよ、まずいよ。怒らせちゃったよ。
それでもポーランドは、「いざとなったら、ポーランドを援護する」というイギリスの保証を信じた。

甘いなあ!
1939年5月、今度はソ連からお伺いが来た。
①ソ連赤軍のポーランド通過権
②ポーランド・ルーマニア同盟の廃止
③イギリスがポーランドに提供する保証をドイツとの西部国境に限定する。
ここでもポーランドは、ソ連に同意せず。(
Wikipedia)

イギリスが助けてくれると信じていた?

ドイツ侵攻6日前の8月25日、ポーランドはイギリス・フランスとの同盟を更新した。にも関わらず、9月1日に
ナチスが侵攻すると、イギリス・フランスはドイツに対して宣戦布告しただけで、軍事支援を行うこともなく、ポーランドを見殺しにした。(
Wikipedia)

はあ〜、ポーランドかわいそう〜。
きっと、ドイツとソ連、イギリス・フランス、みんなグルだよ〜。
すべて最初から計画されていたものだった

さて、ここまでの歴史を「ぴよぴーよ速報」でおさらいしよう。

わーい! ぴよぴーよ速報、大好き!
小学生でもわかるヤバイ歴史・ポーランド侵攻

う〜ん、こんな難しい話を、よくここまでかんたんにまとめたね。

特に、最後の締めがいい。「
こうしてポーランドはドイツ、ソ連だけでなく、イギリス、フランスにも裏切られ、100年以上ぶりの念願の独立は、ほんの20年あまりで壊滅し、ポーランドの人々は地獄の絶望を味わうこととなりました。しかし、これが人類史上圧倒的に最悪の戦争の始まりであるとは、人々はまだ思いませんでした。」(
YouTube 9:57〜)

そうだね、この後、日本やアメリカを巻き込んだ太平洋戦争から世界大戦になって行く。そうなる前に、イギリスとフランスがドイツを止めれば良かったのに、なんで、止めなかったんだろう? まるで、世界大戦にしたかったみたい。

「みたい」じゃなくて、
最初から、世界大戦にするのがねらいだったのよ。ここまで振り返ってみろよ。
なんで、ヴェルサイユ条約でポーランドは独立させてもらえたのか? なんで、敗戦国ドイツは、ヴェルサイユ条約で無理難題を突き付けられて、ボロボロに追い込まれたのか?

と言うことは、
第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約は、第二次世界大戦の下準備だった?

そう。
第一次世界大戦の敗戦と世界恐慌で苦しめられたドイツに、天才ヒトラーが救世主のごとくに現れる。すべてはシナリオ通りなのよ。ヒトラーとナチスを応援したのはどこの国か知ってるか?

へえ?

そうだったのか!

そして、
彼ら悪魔の計画によって、たくさんの人々が残忍に殺された。ポーランドの領土は荒らされ、ポーランド人もたくさん殺された。
そうやって見ると、ポーランドは、最初っから共産党とナチスの実験場、いや、狩り場にされる予定だったのかな?

ああ、生贄だな。

はあ〜、ひどい話だ。

ところで最初の質問に戻る。「ナチスと共産党、どっちがいいか?」 実は、シオニズムも含めて、ヤツらは悪魔主義の同じ穴のムジナなのよ。
革命・共産主義とナチス・ファシズムそしてシオニズム、この3つは全くの同根でロスチャイルド家を筆頭とする偽ユダヤの計画と出資によって生みだされたものなのです。
またこの3つは偽ユダヤのフランキズム即ち悪魔主義思想から生みだされた運動です。従ってこの関係はフランキズムを枝分かれさせ共産主義、ファシズム、シオニズムの3つのマスクを被せたものだとの表現がいいかもしれません。(
ユダヤ問題のポイント)

やっぱ、お仲間でしたか〜!
Writer
ぴょんぴょん
1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)
そこで、ポーランドについて調べ始めたのですが、いやいや、ポーランドの歴史は複雑で。第一次世界大戦以降ですら、一朝一夕で理解できるようなものではない。
そうか、だからこれまで、なんとなくポーランドを避けて来たのか。