[竹下雅敏氏]吉備真備を賀茂氏の祖とする誤りの原因と事実 / レビ族の末裔である賀茂氏の血筋乗っ取り工作

竹下雅敏氏からの情報です。
 2014年12月10日に取り上げた記事によると、“八咫烏は賀茂氏の祖とされる吉備真備が…西暦744年…聖武天皇の密勅により丹波国で結成したのが始まり”とのことでした。しかし、この記述はいくつかの誤りを含んでいます。下の記事を見るとわかるのですが、陰陽道賀茂氏の祖は賀茂吉備麻呂という人物で、この人物は、続日本紀の記述により、実在の人物であることがわかっています。先の吉備真備を賀茂氏の祖とする誤りは、二人を同一人物としたことです。
 しかし、続日本紀の記述では、“同三(719)七月、賀茂朝臣吉備麻呂、播磨守となり、また按察使に任ぜられ、備前、美作、備中、淡路四国を管した”とあり、この時期に吉備真備は遣唐使で留学中です。二人が別人だと、はっきりとわかります。
 1本目の記事は、こうした誤りと、この誤りが検証もされずに平凡社の「世界百科事典」にまで引用されて、何と陰陽道の大家・賀茂忠行を吉備真備の6世の孫とする誤りが記述されていることを指摘しています。ちなみに賀茂忠行は陰陽師・安倍晴明の師です。
 以前、八咫烏の公式ホームページを紹介しましたが、彼らの歴史認識はこうした誤りに基づいたもののようで、あまり当てにならないということがわかります。
 事実は、秘密結社「八咫烏」は、確かに聖武天皇の密勅で吉備真備により組織されたもので、その初代長官が賀茂吉備麻呂だったのです。賀茂吉備麻呂は、神武天皇を大和に導いた“ヤタガラスの翁”の子孫です。地祇系の賀茂氏の一族に巧妙に入り込み、一族の血筋を入れ替えようとしましたが、葛城一言主命の努力により、その後この一族から排除されたようです。血筋の入れ替えの始まりは、役行者の父からだと思います。この辺りの詳細は、いずれ解説したいと思っています。
 2つ目の記事は、陰陽道の賀茂氏の祖が吉備真備で、かつ役行者をも一族とする八咫烏の立場では、いろいろな矛盾が生じることを指摘しています。加えて天神系の賀茂氏との関係となると、“さっぱりとわからない”とのこと。しかし彼らの祖先に対する言説には、“胡散臭さはぬぐいきれません”と書き記しています。
 私には、事の事情がはっきりと分かるので、何の疑問もありません。ヤタガラスの翁の子孫が、地祇系の賀茂氏に入り込み、血筋を乗っ取ることには失敗しましたが、賀茂の姓を取得することには成功しました。その後、彼らは山城国葛野に移り住み、天神系の賀茂氏の血筋の入れ替えに成功します。これが下鴨神社宮司家の血筋です。上賀茂神社は血筋を入れ替えることは出来ませんでした。
 このように、陰陽道の賀茂氏はレビ族の末裔で、彼らが地祇系、天神系の血筋を乗っ取るために住処を移動し、その途中の過程で、秘密結社「八咫烏」が生まれたということを理解していると、歴史がはっきりと見えるようになります。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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