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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝39 ― ナポレオンの覚醒
ナポレオンの栄達 ~コントロール下にあったナポレオン
玉座のナポレオン
Wikimedia Commons [Public Domain]
ナポレオンが一気に栄誉栄達、権力の階段を駆け上がった裏には、スポンサーとなったロスチャイルド初代の存在があったことを前回触れました。これと類似することを『闇の世界史』138頁にも次のように記しています。
「銀行家たちは目論見の道具としてナポレオンを利用することに決め、ヨーロッパの王権をさらに多く転覆させる意図をもって、ナポレオン戦争を生じさせた。」
ナポレオン戦争の目論見は、クシャトリアの王権転覆とヴィプラのキリスト教会の破壊でした。これはロスチャイルド初代の意志でした。『ロスチャイルドの密謀』96頁では、ナポレオン自身もロスチャイルド初代にとりいったとして次のように記しています。
「名目上はキリスト教徒だったナポレオンはほどなく、アムシェルの一家に宿るキリスト教への強い憎悪を察知し、資金提供者の胸をくすぐる手段に訴えた。すなわち彼もカトリック教会に反発したのだ。ローマ法王が貶められると考えただけでアムシェルは喜喜たる思いに駆られ、ナポレオンに限りなく金を注ぎ込むようになった。」
また、ナポレオンを発見したタレーランがナポレオンに対して「教会を破壊する唯一の方法は戦争だけだ」と吹き込んだとします。
これまで米革命戦争、フランス革命などで見てきたように、ロスチャイルド家は、狙いをつけた相手に対しては代理人を送り込み、籠絡させ、コントロールするのです。ナポレオンは自らロスチャイルド初代に自分を売りこんだのですが、同様にナポレオンにも彼をコントロールさせる人間を送り込んでいました。
『ロスチャイルドの密謀』では、ナポレオンをコントロールする役割を担ったのが、かつてナポレオンに軍服を与え、1796年にナポレオンの妻となったジョセフィーヌ・ポーアルネとします。
ジョセフィーヌ・ポーアルネ
Wikimedia Commons [Public Domain]
ジョセフィーヌ・ポーアルネはポール・ドウ・バラス伯の愛人で、ナポレオンのジョセフィーヌ・ポーアルネとの結婚は、バラス伯を通じてロスチャイルド家に仕組まれた結婚であったとしているのです。96頁に「ジョセフィーヌはバラスの役に立とう、夫ナポレオンから聞かされた秘密情報を流し、それがそのままロスチャイルド家に伝えられていたのである」としています。
ジョセフィーヌがバラス伯の愛人であったことはウィキペディア記事にもあり、ナポレオンをコントロールするための結婚であったことには間違いないでしょう。
このような状況の中でナポレオンは戦争で欧州を制圧し、ついに1804年皇帝の座へ、頂点へと登りつめます。
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P・R・サーカー氏は、人民がクシャトリアやシュードラなどへ分類されるのはその地位や役職では無くて、個々人のマインドによるとしています。地位・役職はクシャトリアやヴィプラであっても、そのマインドが奴隷根性ならシュードラなのです。
いつしかナポレオンは自分の支配者ロスチャイルド一族へ反感を抱き、やがて「粛然と逆らい始め」ます。ナポレオンはクシャトリアではありました。しかし皇帝になるまでのナポレオンのマインドはロスチャイルドの奴隷、つまりシュードラでした。ナポレオンはクシャトリアとしてのマインドに完全に覚醒し、支配者ロスチャイルドへの反乱を起こしたのです。これはヴァイシャへのクシャトリアの革命とも、ヴァイシャに対するシュードラ革命ともいえます。
この革命は失敗し、ナポレオンは転落し、やがて死を迎えます。しかしナポレオンはシュードラでは無く、クシャトリアとして死を迎えた、といえるでしょう。
そして本当のシュードラ革命は、「抑圧されていたシュードラ人民が権力者を引きずり下ろす」という単純なものでなく、シュードラ一人一人が覚醒し、その個性に応じクシャトリア、ヴィプラ、ヴァイシャへとそのマインドに変容することであり、これが理想のシュードラ革命だとも考えています。