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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝39 ― ナポレオンの覚醒
ナポレオンの栄達 ~コントロール下にあったナポレオン
玉座のナポレオン
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ナポレオンが一気に栄誉栄達、権力の階段を駆け上がった裏には、スポンサーとなったロスチャイルド初代の存在があったことを前回触れました。これと類似することを『闇の世界史』138頁にも次のように記しています。
「銀行家たちは目論見の道具としてナポレオンを利用することに決め、ヨーロッパの王権をさらに多く転覆させる意図をもって、ナポレオン戦争を生じさせた。」
ナポレオン戦争の目論見は、クシャトリアの王権転覆とヴィプラのキリスト教会の破壊でした。これはロスチャイルド初代の意志でした。『ロスチャイルドの密謀』96頁では、ナポレオン自身もロスチャイルド初代にとりいったとして次のように記しています。
「名目上はキリスト教徒だったナポレオンはほどなく、アムシェルの一家に宿るキリスト教への強い憎悪を察知し、資金提供者の胸をくすぐる手段に訴えた。すなわち彼もカトリック教会に反発したのだ。ローマ法王が貶められると考えただけでアムシェルは喜喜たる思いに駆られ、ナポレオンに限りなく金を注ぎ込むようになった。」
また、ナポレオンを発見したタレーランがナポレオンに対して「教会を破壊する唯一の方法は戦争だけだ」と吹き込んだとします。
これまで米革命戦争、フランス革命などで見てきたように、ロスチャイルド家は、狙いをつけた相手に対しては代理人を送り込み、籠絡させ、コントロールするのです。ナポレオンは自らロスチャイルド初代に自分を売りこんだのですが、同様にナポレオンにも彼をコントロールさせる人間を送り込んでいました。
『ロスチャイルドの密謀』では、ナポレオンをコントロールする役割を担ったのが、かつてナポレオンに軍服を与え、1796年にナポレオンの妻となったジョセフィーヌ・ポーアルネとします。
ジョセフィーヌ・ポーアルネ
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ジョセフィーヌ・ポーアルネはポール・ドウ・バラス伯の愛人で、ナポレオンのジョセフィーヌ・ポーアルネとの結婚は、バラス伯を通じてロスチャイルド家に仕組まれた結婚であったとしているのです。96頁に「ジョセフィーヌはバラスの役に立とう、夫ナポレオンから聞かされた秘密情報を流し、それがそのままロスチャイルド家に伝えられていたのである」としています。
ジョセフィーヌがバラス伯の愛人であったことはウィキペディア記事にもあり、ナポレオンをコントロールするための結婚であったことには間違いないでしょう。
このような状況の中でナポレオンは戦争で欧州を制圧し、ついに1804年皇帝の座へ、頂点へと登りつめます。
金融帝国を築くロスチャイルド一族 ~一族の頭脳ネイサンの強力ツール
ナポレオンが一気に権力の階段を登りつめるこの時期、一方のナポレオンのスポンサーであったロスチャイルド家もまた、この頃着々と金融帝国を築きつつありました。『闇の世界史』117―8頁には、初代ロスチャイルドは息子ネイサンをロンドンに送り込み、「英国銀行を支配する人物群とフランス銀行、ドイツ銀行、オランダ銀行を支配する人々の連携を強化できる」ともくろみ、ネイサンは「託された財を首尾よく三倍に殖やした」としています。
セリフは『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』より
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1798年に英国に渡ったネイサンは21歳だった模様です。ロンドンに行く前にもネイサンは悪辣な手段を容赦なく使用していたようで、『ロスチャイルドの密謀』61頁には次のように指摘されています。
「ネイサンは5人兄弟の“頭脳”だった。三男でありながら、他の兄弟は彼の指示を仰いだ。英国に支社が設立されることになると薄汚い工業都市マンチェスター(ロンドンではない)に送り込まれ、その地に腰を落ち着けることになった。
というのも、マンチェスターの綿布取引に関連する一大商業計画を練っていたロスチャイルド家は、取引をロンドンに移すまでに、徹底的に利益を吸い上げようと狙っていたのである。
マンチェスターで5年間、取引を行い、ネイサンは1805年にロンドンに移った。実際のところは「逃れた」と言うのがふさわしい。それほどに民衆は彼の強欲な取引に怒りを募らせていた。」
というのも、マンチェスターの綿布取引に関連する一大商業計画を練っていたロスチャイルド家は、取引をロンドンに移すまでに、徹底的に利益を吸い上げようと狙っていたのである。
マンチェスターで5年間、取引を行い、ネイサンは1805年にロンドンに移った。実際のところは「逃れた」と言うのがふさわしい。それほどに民衆は彼の強欲な取引に怒りを募らせていた。」
ロスチャイルド家が金融帝国を築く上で最も重視した強力なツールが「情報」です。「通貨と情報を制する者が、世界を制する」です。これがヴァイシャ革命の実体でしょう。『ロスチャイルドの密謀』は次のように続けています。
「ネイサンが成功した主な理由の一つは、情報伝達の速さが鍵を握ると認識していた点だった。情報伝達のために早駆けの騎手や船舶、果ては伝書鳩さえ活用し、競争相手にも政府筋にも伏せられている「内偵情報」をせっせと求めた。
またヨーロッパの各首都に秘密の連絡員を置いた。こうした連絡員は実に忠実で、夜であろうと、寒かろうと暑かろうと、馬を駆ったり、最高品種の伝書鳩を飛ばしたり、高速船を走らせたりしたばかりか、競争相手を出し抜くためなら、英仏間の海路全てを買い切ることさえ厭わなかった。」
またヨーロッパの各首都に秘密の連絡員を置いた。こうした連絡員は実に忠実で、夜であろうと、寒かろうと暑かろうと、馬を駆ったり、最高品種の伝書鳩を飛ばしたり、高速船を走らせたりしたばかりか、競争相手を出し抜くためなら、英仏間の海路全てを買い切ることさえ厭わなかった。」
後のワーテルローの戦いで、このネイサンが作りあげた情報伝達ツールはその威力を遺憾なく最大限に発揮することになります。
ネイサン・ロスチャイルド(1777-1836年)ドイツ出身英国の銀行家。1815年ワーテルローの戦いでナポレオンが勝てば株式を売り負ければ買いの状況。ナポレオン敗北の報を入手した彼はセオリーと逆に猛烈な売り。彼の情報網を知る市場は売りへ。そこで買いに転じ安く購入。ネイサンの逆売り
— 山本敏晴 (@yamamoto1208) 2011年3月7日
ナポレオンの転落 ~「成りすまし者」による内部破壊
ナポレオンはスポンサーであるロスチャイルド家の資金提供などで1804年皇帝の座へと登りつめたのですが、権力の階段を登りつめるにつけ、自分をその座におくりこんだスポンサーへの反発心が高まっていった様子です。『ロスチャイルドの密謀』は99頁に次のようにように記しています。
「次第に覚醒するにつれ、つまり、自らはフランスのためではなく、国家への支配権をさらに強めようとしている異民族ユダヤ権力のために、革命の引き継ぎ役として求められ、戦っていることに、また自らの栄光の職分の中にイルミナティとフリーメーソンの任務が付帯されていることに気づかされると、ナポレオンはいよいよ怒りを感じた。」
「自らの支配者に粛然と逆らい始めた」ナポレオン、ここから彼の転落が始まっていきます。『ロスチャイルドの密謀』は記します。
「1804年のナポレオンの戴冠式に、アムシェルは関心を示さなかったが、その祝宴にローマ法王が招かれたことには少なからず驚かされた。そして1810年ナポレオンがジョセフィーヌと離婚し、オーストリア皇女マリア・ルイーズと再婚するに至って、さすがのロスチャイルド一族も動揺を隠せず、腹を立てた。
以後王国を破壊し、カトリック教会を潰す機会がなくなっていくことを恐れたからだ。しかし、1810年以降、投げられた骰子(さい)はナポレオンに裏目に出た。」
以後王国を破壊し、カトリック教会を潰す機会がなくなっていくことを恐れたからだ。しかし、1810年以降、投げられた骰子(さい)はナポレオンに裏目に出た。」
マリア・ルイーズ
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同書では、ナポレオンの転落を決定づけたロシア遠征の敗北を次のように記しています。
「ロシア遠征では兵站による補給、食糧不足に苦しんだ。これが軍による故意のサポタージュだとは、ナポレオンもついぞ気づかなかった。彼はモスクワ退去命令を余儀なくされ、その間にも、負傷と寒さのために死にかけている数千名の兵士が、背後に現れたロスチャイルド一族の回し者によって、無残にも射殺されていった。キリスト教徒の死は夥しい数にのぼった。」
ナポレオンのモスクワからの退却
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『闇の世界史』はロシア遠征を次のようにしています。
「革命運動の指導者によって、破壊しようとしている軍事勢力の物資、通信、輸送および諜報部門の重要な役職にその手下が密かにおくり込まれ、この手下が物資補給を妨害したり、通信を傍受して反対の命令を伝えたり、輸送路を渋滞させたり誤らせたり・・・」。
ようはナポレオンを敗退させ退位に追い込むため、ロスチャイルド一族の手下がナポレオン軍に潜り込み、軍を敗北させるため「故意のサポタージュをさせた」ということです。ナポレオン軍も味方に「成りすました」者によって内部から崩されたのです。
P・R・サーカー氏は、人民がクシャトリアやシュードラなどへ分類されるのはその地位や役職では無くて、個々人のマインドによるとしています。地位・役職はクシャトリアやヴィプラであっても、そのマインドが奴隷根性ならシュードラなのです。
いつしかナポレオンは自分の支配者ロスチャイルド一族へ反感を抱き、やがて「粛然と逆らい始め」ます。ナポレオンはクシャトリアではありました。しかし皇帝になるまでのナポレオンのマインドはロスチャイルドの奴隷、つまりシュードラでした。ナポレオンはクシャトリアとしてのマインドに完全に覚醒し、支配者ロスチャイルドへの反乱を起こしたのです。これはヴァイシャへのクシャトリアの革命とも、ヴァイシャに対するシュードラ革命ともいえます。
この革命は失敗し、ナポレオンは転落し、やがて死を迎えます。しかしナポレオンはシュードラでは無く、クシャトリアとして死を迎えた、といえるでしょう。
そして本当のシュードラ革命は、「抑圧されていたシュードラ人民が権力者を引きずり下ろす」という単純なものでなく、シュードラ一人一人が覚醒し、その個性に応じクシャトリア、ヴィプラ、ヴァイシャへとそのマインドに変容することであり、これが理想のシュードラ革命だとも考えています。