ローマ法王の言葉を報じる米CBSニュース
CBS News
フランシスコ法王が、バチカンでの会合で、「地獄はない」と述べ、さらには「魂は死後に消滅する」として、カトリックが長く標榜してきた「永遠の魂の存在」の否定ともとれるような発言をおこなったことが話題となっています。
(中略)
Pope Francis: 'There Is No Hell'
CBS News 2018/03/29
ローマ法王フランシスコが「地獄はない」と述べる
ローマ法王フランシスコは、法王の長年の友人であり、無神論者のエウジェニオ・スカルファリ(Eugenio Scalfari / イタリアの著名日刊紙の創刊者)との
インタビューにおいて、「地獄は存在しない」とし、魂は「消える」と主張した。
(中略)
スカルファリ氏 「以前、あなたとお会いした時に、
あなたは、私たち人類はある瞬間に消えていくとおっしゃいました。そして、神は新しい種を創造するとも。しかし、あなたは、罪の中で死んだ人たちの魂についてのことや、そして、それらの魂が地獄に行き、永遠に苦しみを受けることについては私に決して話されません。
あなたは神の意図に同意した良い魂について私に語りました。しかし、悪い魂はどうなるのですか? 彼らはどこで処罰されるのですか? 」
これに対して、フランシスコ法王は以下のように答えた。
「彼らは罰せらません。悔い改める者は神の許しを得るのです。そして、神が意図している魂の階級に入ります。しかし悔い改めずに神の許しを得ることができない者は消えるのです」
「地獄はありません。あるのは、罪深い魂の消滅なのです」
(中略)
[追記] このスカルファリ氏の記事が世界的な注目を集めた翌日の 3月29日、バチカン当局は次のように発表した。
ローマ教皇フランシスコは最近、復活祭に出席した非公式の会合において、日刊紙ラ・レプブリカの創設者を迎え入れましたが、彼にはいかなるインタビューの機会も与えられてはいませんでした。
ラ・レプブリカの当該記事は、教皇の言葉が引用されているわけではなく、したがって、この記事の引用は、教皇フランシスコの言葉を忠実に転記したとみなされるものではありません。
ここまでです。
この法王がローマ教皇に就任して以来の歴史を振り返れば、「不思議ではない」と思います。フランシスコ法王が、もともと永遠の命など信じていない人であることは、過去の多くの会見でわかります。
2014年の記事、
・
「神の敵の登場」:神による天地創造を否定し、ビッグバンと進化論を演説で肯定したフランシスコ法王
In Deep 2014/10/30
(中略)
地球上に生きている私たち人間を含めた生物の「構造の奇跡」を知ると、「神が魔術師であったかのような錯覚」を持ったとしても、まったく不思議ではないものです。
今では「神」という言い方ではなく、インテリジェント・デザインとか、コズミック・インテリジェンスなどという言われ方することが多いですが、表現は何であれ、今の地球の生物的存在の奇跡的な現実が実現するには、ビッグバンにしても進化論にしても、あまりにも「足りない」です。
(中略)
フレッド・ホイル『生命はどこからきたか』 第14章 より
30個の不変なアミノ酸を持ち、100個の結合部分からなる短いポリペプチド鎖でさえも、20の 30乗、約 10の 39乗回にもなる試みが行われて初めて機能を持つ酵素となる。
300個の不変部分を持ち、1000個の結合部分からなる酵素の場合は、要求される試みの回数は 20の 3000乗で与えられ、それは 1の後に 0が 390個も並ぶ数である。
(中略)
ちなみに、「永遠の地獄」という概念に関しては、
1917年にボルトガルのファティマという場所に「聖母マリアだと主張する存在」が連続して
出現して語った「ファティマの聖母」という事象などでも具体的にその存在が提示しています。
聖母マリアだと主張する存在は、3つメッセージを残していますが、そのうちの
第1のメッセージは以下のようなものでした。
ファティマ 第1のメッセージの内容
「多くの人々が罪深い生活や傾向によって、死後地獄へ導かれている。肉欲や傲慢など現世的な罪から回心しないままでいることにより、人は死後、永遠の地獄へと行く。地獄は神話ではなく実在し、そこはすべての人が死後行く可能性のあるところで、入ったが最後、二度と出ることはできない」
これらのことについては、過去記事、
・
ファティマの聖母から知る「永遠の地獄」への序章 - 「地獄」は神話ではなく、事実として存在する
In Deep 2015/03/15
にあります。
(中略)
キリスト教のトップといえる人物が「永遠の魂の存在を認めない」という意味での唯物論者であり二元論者であることが、はっきりとしてきたということのようです。
(以下略)
しかし漠然としたまま自分が望むように、安易に事が好転できる副作用の無い魔法などこの世界にはありません。それで却ってだからこそ自分の望むような未来像を提供し、それを叶えてくれるようなヒーロー、救世主の出現を待ち望む、このような風潮が古来からこの世界に植え付けられてきたのかもしれません。
救世主の待望の裏には人々の鬱憤や不満があり、こうした人々の鬱憤や不満の解消への願望は、多くの場合は「革命」として現象化したように思えます。
さて、ではそういった革命が人々の願望を叶え、豊かさや幸福をもたらしたか?といえば、人々の一時の瞬間的な鬱憤晴らしはあったとしても、豊かさや幸福をもたらすどころか、猛烈な逆作用をもたらしています。フランス革命、ロシア革命、青年トルコ革命・・・どれも革命前より革命後のその社会は、悪化し陰惨な結果となっています。
ではなぜその結果になったか? 始めから計画の一端だったからです。ほとんどの革命はハルマゲドン計画実現に向けた破壊工作の一つなのでした。大衆の日々の鬱憤や不満とそれの裏返しとなった願望を彼らは利用したとも言えます。
さて、本来の仏教は救世主を待ち望むメシアニズムとは全く異質な宗教です。しかし大乗仏教が勃興し、それがアジア全域に広まるのと相まって、ある存在を未来の救世主であるとの認識が人々の意識下にすり込まれ、拡大浸透していきました。
このアジアに拡がったその未来の救世主とは誰か? ゴータマ・ブッダの没後56億七千万年後に成仏してこの世界に降臨し世界を救済するとされる弥勒菩薩です。