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コロナ特措法成立 〜 立法事実が無かろうと何としても罰則規定を盛り込みたかった菅政権、感染症対策を理由に私権の制限が可能に

 2/3参議院本会議でコロナ特措法が可決、成立しました。その内容たるや、入院拒否者への罰則、時短要請に応じない事業者への罰則、コロナ感染者を受け入れ要請に応じない民間医療機関の名前の公表という社会的制裁を盛り込み、その上、国会がコントロールできない形で罰則付きの「私権の制限」ができる「まん延防止重点措置」という新たな規定まで盛り込まれていました。野党は、その直前の内閣委員会等でギリギリまでこの法案の異常を訴え、政府・与党にとって立法ありきであったことを追求し、明らかにしました。
 福島みずほ議員は、1/15感染症部会の「シナリオ」が存在したことを指摘し、専門家の意見が賛成であろうと反対であろうと脇田座長のセリフは「早期の上程を目指していただきたい」と「演劇のように」決まっていたことを暴露しました。また衆議院で法案の立法事実があるのか指摘を受けた後に、政府があわてて自治体にアンケートを行い、辻褄合わせの実態調査を行ったことも明らかにしました。「どこの世界に国会に法案を提出した後、立法事実を調査するところがあるんですか!」
さらに福島議員が飲食業の20時以降の営業に過料を科すことについて質問すると、「お客が居座って営業時間が延長した場合は過料対象にならない」という摩訶不思議な答弁が出てきました。では一体、夜20時以降の営業の違反をどうやって判断するのか。ここでも過料ありきであったことがうかがえます。事実、政府関係者は「罰則の存在自体が大事」と菅政権の本音を白状しています。
 感染症対策は、人権侵害となる罰則ではなく、手厚い補償でしかなし得ないことを参院本会議で丁寧に論じた田村智子議員の反対討論が核心でした(25:30〜35:27)。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)
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時短命令拒否に過料、適用は慎重に判断 改正特措法などコロナ関連法が成立
引用元)
 新型コロナウイルス対策を強化する改正特別措置法と改正感染症法を含む関連法は3日、参院本会議で自民党、公明党、立憲民主党、日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した

 改正特措法は営業時間短縮命令を拒んだ事業者に、緊急事態宣言下で30万円以下、「まん延防止等重点措置」下で20万円以下の過料を科す。改正感染症法は入院拒否者に対し50万円以下、疫学調査拒否者に30万円以下の過料を科す。
(中略)
政府は「抑止効果として罰則があること自体が大事だ」(関係者)との考えで、適用は慎重に判断する構えだ。
(以下略)
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【国会中継】参院本会議 コロナ特措法等改正案が可決、成立(2021年2月3日)
配信元)
田村智子議員(25:30〜35:27)

“covid19に関わる大学病院勤務で、ECMO、呼吸器管理のプロフェッショナル”という方のツイート「コロナ病棟は、“スタッフの過剰な人数に加えて、9割程度の期間、常に空床あり”というのが現実」

竹下雅敏氏からの情報です。
 “covid19に関わる大学病院勤務で、ECMO、呼吸器管理のプロフェッショナル”という方の大変興味深いツイートです。コロナ病棟は、“スタッフの過剰な人数に加えて、9割程度の期間、常に空床あり”というのが現実だと言っています。
 その分、“人員がさかれた通常のICUが地獄のようになっている”とのこと。こうした問題の根底に「コロナ利権」があり、“なぜ、重症病棟に中等症以下の患者がいるのか?”というと、空床が目立たないようにするためと、加算金のためだという事です。
 「医師数人、看護師10数人以上、ME数人、みんな3月に退職予定です。…コロナが落ち着いたとき、残るのはどんな人達か想像してください。そんな残骸病院に入院したいですか?」と訴えています。
 私はコロナちゃんの出現で、医療従事者が本音を語るようになり、医療業界の闇が暴き出されることになると思っていましたが、そろそろ医者の間でバトルが始まって来た感じです。これは膿を出すという意味で重要な過程です。
 現状は「医療崩壊ではなく、医療モラル崩壊です」と言っていて、その通りだと思うのですが、“コロナが落ち着いたとき、残るのはどんな人達か”を想像すると、このままでは本当の意味での「医療崩壊」が確実に起こると言えそうです。ただ、私は楽観的なので、“腐った組織なら崩壊した方が良いのでは…”と思ったりします。なぜなら、夕張モデルがあるからです。
(竹下雅敏)
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地方選挙で自民候補の落選が続いている 〜 コロナ対策への「怒り」が形になっているのではないか / 戸田市議選で当選したスーパークレイジー君

 ここ最近の地方選挙で、自民党の候補の落選が目立つようです。1/24の山形県知事選では現職に強みがあったとは言え、自民党公認候補はダブルスコアでの惨敗でした。1/31の千代田区長選挙では都ファと国民民主の候補が、自公候補に大差をつけて当選しています。そして同じく1/31の北九州市議選では自民党の公認候補6人が落選するという大敗でした。北九州市ではその議席を維新と立民が取りました。報道ではコロナで厳しい状況にある有権者の「不満が候補者選びに影響した」とありましたが、不満という生易しいものではなく、後がない市民の怒りが目に見えてきたのではないかと思いました。
 そのような中、目を引く選挙の記事がありました。1/31埼玉県戸田市で行われた市議選で、スーパークレイジー君という若者が当選しています。「元暴走族」「元黒服」「少年院」「刺青」などギョッとするようなプロフィールで、そこだけを見ると話題狙いの候補者かと思ってしまいそうです。しかし彼をずっと追っていたジャーナリストの畠山理仁氏は「彼の当選に驚いていない」と記していました。「それは彼の選挙に対するスタンスが一貫して『正直』だったからだ。」とありました。「正直」。今の政界に最も必要なものではないですか。当選直後のスーパークレイジー君のインタビュー動画を拝見すると、謙虚に今後の市政への意欲を語られていました。選挙は党派や団体を目安に候補者を決めることが普通ですが、これからは一人一人「この人は正直か?」を私たちが真剣に見極める時代にしなければ、いつまでも上級国民に利用されてしまいます。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「お前も自民やろ」批判で北九州市議選大敗 党内にショック 公認候補22人中6人落選
引用元)
1月31日に投開票された北九州市議選(定数57)で、自民の公認候補22人のうち6人が落選した。新型コロナウイルスへの対応を巡る政権批判などが逆風となって、地方選にも影響した形だ。次期衆院選の前哨戦と位置づけた選挙が大敗に終わり、自民県連にショックが広がった。
(以下略)
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広島県HPの「PCR検査の集中実施」解説が優れていると評判に 〜 検査懸念派にも丁寧に回答 / 「石原伸晃モデル」や「自民党モデル」も優れているので進めてください

 広島県が公式ホームページに掲載したPCR検査の解説が優れていると評判になっています。広島県は住民への集中的・一斉検査を実施すると発表し注目を集めましたが、その意義を改めて丁寧に説明した形となります。とりわけ評価されているのが「陽性者がたくさん出て、医療体制を逼迫させるのではないか」というような懸念に対しても、中長期的に感染者数を減らす効果があり、医療崩壊を防ぐことにも役立ち、結果的に経済効果もあると丁寧に、しかも分かりやすく解説されています。広島県民だけでなく全国民にとっても参考になります。
その上で「改めて本当にすごい無駄金だったな、アベノマスク」というツイートが図星すぎて、へたり込みそうになりました。日本のトップリーダーが無能でも地方のリーダーが優れていれば助かりそうです。この勢いで「頻繁にPCR検査を受け、陽性になれば無症状でも入院」の『石原伸晃モデル』、「組織に感染者が出たら濃厚接触者の有無に関わらず、全職員PCR検査」の『自民党モデル』を速やかに全国民にも広めていただきたいですわね。
あ、あとイベルメクチンも。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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一斉PCR検査の広島県が反対意見を論破!Q「陽性者が沢山増える」A「既に感染しているものが発見されるだけ」Q「偽陰性が」A「精度は確認済み」
転載元)
(前略)
*広島県
住民への一斉PCR検査を実施すると表明した広島県が公式ホームページにPCR検査の必要性を解説するための項目を作りました

広島県は公式ホームページ上でPCRの一斉検査について、「一番の目的は、無症状者・軽症者の方を見つけて、感染の経路を断ち切ることです」「感染の再拡大防止と、社会経済活動への制約の長期化を回避して、影響を最小化するため、『早く、強く、短く』という考え方のもと、広島市の特に感染者が多い地域において、PCR検査を集中的に実施し、感染の経路を可能な限り断つことで、確実に感染拡大を抑え込みたいと考えています」と説明し、新型コロナウイルスを封じ込めるためにはPCR検査を一斉に行う必要があるのだと言及。

PCR検査を否定する意見に関しても、「感染者が『増える』のではなく、すでに感染している方が見つかるもの」「早めに拡大の芽を摘み取ることで、中長期的にはトータルの感染者数を減らすことができる」「むしろ医療崩壊を防ぐためにも、実施する必要がある」と述べ、PCR検査で陽性者が増えることに大きな問題はないとコメントしていました。

また、ネット上で飛び交っている偽陰性の問題には「北海道大学大学院で約2,000例の唾液の診断精度の比較を行い、特異度は99.9%以上」「偽陰性は10%~30%起こる可能性があるが、他の無症状・軽症の感染者を見つけることに大きな意味がある」「陰性の結果が出ても、決して気を緩めることなく、引き続き家庭内での感染予防対策の徹底」などと具体的な数字や調査結果を出して、PCR検査の正当性を主張しています

公式ホームページを通してPCR検査の否定派をほぼ完全に論破した形で、広島県のQ&Aは大変参考になると言えるでしょう。

広島県は数十万人の住民を一斉に検査するとしており、県知事の会見や公式ホームページの内容からそれがただのパフォーマンスではなく、本気で住民を守るために行っているのだと伝わってきます。

広島県 PCR検査の集中実施
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歴史の襞の中から2 ― 忍びの者より ―

 大正天皇がテロに遭遇し、大正期が終焉させられた。その大正天皇は、徳川慶喜の一族に人質として軟禁された。この一連の事件、この事件の主人公は当然ながら大正天皇と徳川慶喜ですが、もう一つ重要な一族があります。西郷隆盛の同族という瀧山一族です。
 従って、この一連の事件には天皇一族、徳川一族、そして西郷隆盛の同族の瀧山一族の3つの流れがあり、この3つの流れが絡み合って一連の事件が成立したことになります。そして更には、この一連の事件と絡み合い、付随するような事件も生じています。
 今回は一連の事件の背景を把握すべく、西郷隆盛とその同族という瀧山一族に関することを中心に見ていきます。このことで、なぜ富山の村が一連の事件の舞台になったのか❓がかなり見えてくると思われます。
 西郷隆盛は島津氏に仕える下級武士と大方は認識されていますが、ウィキペディア記事を見れば、彼が忍者であったことが浮かんできます。西郷隆盛の家系が忍者であり、同族の瀧山一族も忍者であった可能性は相当高いと思えます。ここに富山の土地柄の製薬、そしてサンカも絡んできます。
 まずは大正天皇が徳川慶喜に軟禁された基本情報1を改めて掲載し、そこから話を進めていきます。
(seiryuu)
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歴史の襞の中から2 ― 忍びの者より ―




基本情報1 〜徳川慶喜に軟禁された大正天皇


  • 大正天皇がテロ襲撃によって頭に重症を負い記憶喪失に。その時期は1925年前後と思われる。
  • 襲撃され、負傷した大正天皇を匿ったのが西郷隆盛の家系の末裔。彼らは治療療養のため、同族の住む村に大正天皇を移送した(移送先の村の同族の名字は西郷と異なり瀧山姓)。
  • 西郷隆盛の同族の瀧山一族が住んでいて、大正天皇が移送されたのが富山県のある村。この村のとある寺に西郷隆盛は自分の子どもたちを預けていた。西郷一族の隠れ里であった様子。
  • ところが、この村に15代将軍徳川慶喜が既に移住していた。徳川慶喜は1913年11月22日に死去となっているがこれは偽装。この村に移住した慶喜一族は中田姓を名乗るようになり、慶喜の息子の徳川五郎右衛門は中田久松を名乗った。
  • 西郷隆盛の子どもたちが預けられた寺と目と鼻の先の近所に住んでいた徳川(中田)一族は移送されてきた大正天皇をすぐに発見。自分の屋敷に拉致・軟禁した。この間に昭和天皇が即位。
  • 大正天皇を軟禁した慶喜は昭和天皇に手紙を出し脅す。「自分の孫娘を嫁にしてくれ。さもないとお前の親の大正天皇はどうなるかわからんぞ」と。
  • 昭和10年(1935年)頃、大正天皇の病が癒えて記憶を回復。大正天皇は帰城を希望するが、部下の「殺される」との説得で断念。
  • 大正天皇はこの頃、長年の体調悪化もかなり回復。体調悪化の原因は、天皇時代12番目の若い側室が鉛を入れた飲み物を飲ませていたため、この鉛毒による可能性がある。
  • 一方、この頃に徳川慶喜は1935年(昭和10年)1月25日に死去。享年99歳。
  • 大正天皇は慶喜の息子・徳川五郎右衛門こと中田久松の弟として戸籍を作られ、この村に居住。
  • 大正天皇はこの村で妻子を得るが、その妻子もテロで死去。大正天皇家族の家屋に工作がされていて、住居が台風の際に崩壊しその下敷きとなって妻子が死去した。
  • 大正天皇は納屋の土間での藁ぶとんでの寝起き。口の聞けないのふりをさせられ、野良仕事などでの生活。
  • 大正天皇は中田久松たちと奇妙な共同生活をするが、中田久松死去後も存命。しかし中田久松死去後は、久松の息子にいびられ殴られの生活。
  • 中田久松には息子と娘の兄弟がいた。息子の名前は不明。娘の名前は中田志げ。志げさんが大正天皇の世話をしていた。
  • 大正天皇は久松の弟として、90歳の長寿の祝いを地元市長から授与されるが、その後1977年2月27日に、死体になって発見された。

滝山善一氏からの情報提供をもとに作成した系図
参考:時事ブログ 2015/12/2411/1311/15
Wikimedia Commons [Public Domain]
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