新保守主義(ネオコンサバティズム, 略称:
ネオコン)は、
自由主義や
民主主義を重視してアメリカの国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さない思想。
1970年代以降にそれまで民主党支持者や党員だったが、以降に
共和党支持に
転向して共和党の
タカ派外交政策姿勢に非常に大きな影響を与えている。
(中略)
新保守主義者の歴史
起源
新保守主義の源流は、1930年代に反スタ左翼として活動したトロツキストたちにまで遡る。彼らの多くは、アメリカの公立大学の中で最も歴史のある大学の一つ、
ニューヨーク市立大学シティカレッジ(CCNY)に学んでいる。
元祖ネオコン(当時この言葉はまだ存在しなかった)たちは、基本的に
社会民主主義者か
社会主義者であった。彼らは
第二次世界大戦を強く支持した。
初期ネオコンたちは
反スターリン主義であり、
1950年代 -
1960年代初頭の時期に
公民権運動・
キング牧師を強く支持していた。しかし、彼らは
ジョンソン政権のいう「
偉大な社会(
英語版)」に幻滅を感じ、とりわけ
ベトナム反戦運動や
新左翼運動の中に
反米主義が広がっているのを感じた。
アメリカ合衆国の保守合同
アメリカ合衆国の保守の立場を採る組織や個人の間では、必ずしも利害が共通しているわけではなかった。外交政策や安全保障政策に重大な関心を払わない(
モンロー主義や
孤立主義を提唱する)
伝統主義者や、リバタリアニズムの対外不干渉主義は、
反共主義者の積極介入主義と
の間で、極めて深刻な政治対立を引き起こした。
この保守思想の分裂を1つの大きな「保守主義」としてまとめあげることに成功したのが、1955年に創刊された『ナショナル・レビュー(英語版)』という雑誌である。この雑誌の編集者の
ウィリアム・バックリー・ジュニアは、上記3つの保守派に対し、それぞれの問題の起因は
リベラリズムにあると主張した。「リベラリズムは反共主義者の嫌う
共産主義を容認し、リベラリズムは伝統主義者の嫌う伝統の破壊者であり、リベラリズムはリバタリアニズムの嫌う大きな政府の支持者である。」とし、リベラリズムと対立する3つの異なる保守の合同に成功したのである。
これにより、共和党の保守化が進み、1980年代のレーガン政権誕生へとつながっていくこととなる。
その後の、ジョージ・H・W・ブッシュ政権ではドナルド・ラムズフェルド、
ディック・チェイニーや
コリン・パウエル等の
ネオコンが大きく関与して湾岸戦争を行った。
1992年に誕生した
ビル・クリントン政権では人道介入主義リベラルホークを代表するチェコ出身
ユダヤ人である
マデレーン・オルブライト国務長官の元に、ユーゴ空爆やコソボ紛争に関与した。
2001年、ブッシュ大統領が登場し、前述のような背景、思想を持つ人物がブッシュ政権の中枢を担い
アメリカ同時多発テロ事件を奇貨とした
不朽の自由作戦に始まる
対テロ戦争、
アフガニスタン紛争では主導的役割を担った。
2008年に誕生した
オバマ政権では民主党系のネオコンであるリベラルホークが外交政策に深く関与し、ヒラリー・クリントン国務長官の元、代表的ネオコン論客
ロバート・ケーガンの妻である
ビクトリア・ヌーランドやサマンサ・パワー、アントニー・ブリンケンらが要職に就き、イラク戦争と
アフガニスタン戦争の継続、
リビア戦争、
シリア内戦(
生来の決意作戦)、
ウクライナの政変、
イエメン内戦等に大きく関与し
数々の新たな戦争を行った。
ネオコンの軍事・外交政策
ネオコンは、自由主義・民主主義・グローバリゼーション(アメリカニゼーション)を理想に掲げ、自由民主主義は人類普遍の価値観であると考え、その啓蒙と拡大に努めている。その例として、旧ソ連圏の
色の革命や中東の
アラブの春と呼ばれる
ドミノ現象への関与があげられる。
また、ネオコンは
軍事戦略において、元トロツキストで
ランド研究所の重鎮
アルバート・ウォルステッターの
予防戦争や
限定戦争などの議論に強い影響を受けている。
ネオコンとイスラエルの関係
ネオコンを支えているのは共和党の親イスラエル(シオニズム)政策を支持するアメリカ国内在住のユダヤ人、イスラエルのロビーである。アメリカのユダヤ系市民はアメリカの総人口3億人に対して600万人に満たないが、その内富裕層の割合が多くアメリカの
国防、
安全保障政策に深く関わっている。
歴史的に数多くの差別を受けてきた経緯からかつてはリベラル派の民主党支持者が多かったが、民主党政権が進めた中東政策に対する不満から共和党に鞍替えしている有権者が多い。共和党の掲げる中東への軍事介入や民主国家への支援が結果的には中東唯一の民主国家と主張するイスラエルを利することになるからである。
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