バチカンが、
トルコで、イエス・キリストが十字架に磔にされたことを否定する、1500年前の聖書のページが見つかったことに激しい懸念を表しました。
プレスTVによりますと、この聖書はバチカンを強く懸念させており、それはこれに「バルナバスの福音書」が含まれているためだとしています。バルナバスはイエスの弟子です。
この書物は2000年に発見され、アンカラの民俗学博物館に保管されているということです。
この書物は皮でできており、
イエスが使っていたエラム語で書かれています。この書物の一部のページは時間の経過により黒くなっています。情報によりますと、
この書物は専門家によって調査されており、
その真正性が認められています。
研究者の一部は、この聖書を調査し、
「イエスは十字架に磔刑にされず、さらに彼は神の子ではなかった。イエスは神の預言者だった」と述べています。
この書物の最後には、
「イエスは生存しており、彼の代わりにイエスの弟子の一人が磔にされた」と書かれています。この書物では
さらに、イスラムの預言者ムハンマドの出現が予言されています。
バチカンはこの書物の発見に強い懸念を示し、トルコ政府に対して、カトリックの専門家に調査させるよう、提案しました。
ローマカトリック教会の関係評議会によれば、聖書の内容の一部は検閲され、省略されているということで、おそらく省かれているものにバルナバスの福音書が含まれているということです。
私は以前から子供にもよく言っていたのですが、一生を通じて戦争や災害、身内の死などといった不幸をまったく経験しないという人は、一体どのくらいの割合なのだろうか。おそらくほとんど居ないのではないか。例えとして、私の両親は戦争を経験している世代であること。兄弟が戦死していること、そして自身は戦後の混乱期を生きて来たこと。幸い今の若い人たちはこのような苦難を知らないわけだが、一体こうした平和というのはどのくらい続くものなのか。戦争の無い時代においては、地震や台風などの自然災害または交通事故などに巻き込まれる可能性がある。加えて配偶者の不倫や離婚といった混乱を考えれば、何らかの不幸に遭遇しない人というのは居るのだろうか。そして息子にはそろそろ平和な時代は終わり、社会は大混乱に投げ込まれる。どちらかというとサバイバルを考えた方が適切な時代になる。そういう意味で、これまでの常識的な価値観が通用しない面白い時代になると考えてもいい。世の中というのは不思議なもので、どんな状況にあってもそれで利益を得ている人たちが居る。だからあまり他の人の行動を見てその真似をするというような生き方は、しない方が良いというような事を話しました。
今でもこの通りだと思っています。ホームレスを自分の事として考えられない人は、将来自分が、あるいは子供が徴兵される可能性を考えて見ればどうでしょう。確実に人口は減少して行き、いずれ奨学金などの餌を与えて自衛隊に入隊させるか、それでも数が足らなければ、徴兵は現実に検討されるだろうと思います。今のガザのように、戦場に行って罪のない人々を殺さなければならないのであれば、私はまだホームレスの方がずっとましな人生だと思うのです。自分に一切の不幸が降りかからず、平穏無事に一生を終えられると本当に考えているのだとしたら、よほどお目出度い人たちだと思います。