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「2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」の衝撃的な未公開映像 ~「バッファロー男」として有名になった元海兵隊の退役軍人のジェイコブ・チャンスリー氏が、襲撃前に議事堂の中を警察と共に歩いている様子

竹下雅敏氏からの情報です。
 トランプの支持者たちがワシントンD.C.で行われたトランプの野外公演の後、連邦議事堂に行って襲撃した「2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」の衝撃的な未公開映像が、3月7日のタッカー・カールソンの番組で公開されました。一つ目の動画の4分48秒~6分10秒の所です。
 この映像には、「バッファロー男」として有名になった元海兵隊の退役軍人のジェイコブ・チャンスリー氏が、襲撃前に議事堂の中を警察と共に歩いている様子が映っています。6分のところで及川幸久氏は、“実際に、その後、上院の議事堂に入って祈りをしているんですね。その時、祈りの中で警察に感謝の言葉を言っているんですね”と言っています。
 1月11日の記事で、議事堂襲撃事件の際に銃撃で死亡した空軍退役軍人アシュリー・バビット(Ashli Babbit)さんを射殺したのが、米国連邦議会議事堂警察のマイケル・バード中尉であったことをお伝えしました。マイケル・バード中尉は下院議場セクションの司令官で、“暴徒が命令に従わなかったため、「最後の手段」として発砲しただけだ”と言っていたわけですが、議事堂警察が事前に「バッファロー男」を案内していたことを知らなかったはずがありません。
 アシュリー・バビットさんは、この事件の「生贄」として殺されることが予め決まっていて、マイケル・バード中尉にその役割が与えられていたと考えた方が自然なのかもしれません。
 二つ目の動画の8分12秒で、アメリカの保守系のジャーナリストであるカイル・ベッカー氏のツイートを引用し、“1月6日が完全に平和だったとは誰もいってない。政府は平和的なトランプ支持者を暴力的な反乱分子にするために、故意に過激派に暴動を起こさせた。トランプ支持者に見せかけて、そういう連中をこの中に入れ込ませていた。アメリカ政府が、トランプが二度と立候補できないようにした”と及川幸久氏は言っています。
(竹下雅敏)
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2023.3.7【米国】タッカー・カールソンが公開した映像【及川幸久−BREAKING−】
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2023.3.8【米国】カールソン公開映像が大炎上【及川幸久−BREAKING−】
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再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)にインボイス制度が始まると、電力会社の負担分は一般市民の電力料金でまかなう? / 締め切り迫るパブリック・コメントを送って反対の意思表示を

 インボイス制度に関する大事なパブリック・コメントを募集しています。不当な電気料金値上げに繋がる問題で、ぜひ多くの反対の意見を届けたいところですが、締め切りが3月10日に迫っています。急いで概要をまとめてみました。
 再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)という制度があります。自宅に太陽光パネルを設置している一般家庭が自宅で消費して余った電力を一定価格で買い取ってもらえる制度です。わずかの電力しか売電していない家庭にも資源エネルギー庁から「インボイス制度の登録はお済みですか」というハガキが送付されているそうです。間違って課税事業者の登録をしてしまったらインボイス制度導入後に消費税の納税義務が発生します。一般家庭は免税事業者のままでも問題ないのですが、あわてて登録してしまった方は「取り下げ」ができます。ところがこれには隠れた問題がありました。
 FITの認定事業者である一般家庭がインボイス制度の免税事業者のままだった場合、電力を買い取る立場の電力会社は、その分の仕入れ税額控除ができなくなります。「買取義務者(電力会社)に過度な負担が生じ、買取義務の継続が困難となることのないよう、(中略)インボイスが発行されない取引については買取義務者の消費税負担分を制度的に措置する」、有体にいえば、インボイス制度で電力会社が負担することになる消費税分は、電気料金の「再エネ賦課金」値上げでまかなうということらしい。「一般の事業者はインボイス制度で誰がどんなに損しようが、廃業しようが助けてもらえない。電力会社だけがどうして救われる? しかもなぜその分を我々に負担しないといけない?」とのツイートがありました。資源エネルギー庁は、国民から了解を取るつもりでパブリック・コメントを募集しているということです。
 冗談ではない。勝手にインボイス制度を決めただけでなく、勝手に電力会社を救うための電気料金値上げを許したと思われてはいけません。
 パブリック・コメントの記入方法が動画で丁寧に紹介されています。「氏名・住所・メアドなどは入力不要です。」とあります。また「数」が大事だそうです。電力会社「だけ」を助けるような「再エネ賦課金」に反対、そもそもの「インボイス制度」に反対の声をふるって送りましょう。
(まのじ)
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3/5 NHK日曜討論で「アベノミクスは失敗ではない」と妄言の世耕参院幹事長 / 「2度の消費税引き上げは政府のオウンゴール、財政政策失敗を反省し直ちに消費税廃止、インボイス中止」と長谷川ういこ氏

 3月5日に放映されたNHKの日曜討論で自民党の世耕弘成参院幹事長が「アベノミクスは失敗ではありません。」と妄言を吐いていて吹き出しました。自民党議員は日曜討論に出るとヘンなことを口走る法則があるのか? しかもその理由が「もし失敗して経済が悪くなっているんだったら、我々、とっくに選挙大敗して政権を失っています。」という頓狂なもの。データをつまみ食いしたり、ごまかしたり、さんざん改ざんをやっても日本のGDPが一人負けなことを隠せず、今や韓国にも抜かれようとしています。非正規雇用を増やして失業率が改善したと言い張り、実質賃金がダダ下がりなのが日本だけなのも今や有名です。この発言のテーマは「金融緩和10年 アベノミクスの評価は」というものだったようで、金融緩和とアベノミクスをセットで評価しようとする姑息さが透けるようです。
 これについて、れいわの長谷川ういこ氏が実体経済を見据えた本質を突くコメントをされていました。
「今、中小企業や個人事業者の皆さんはコスト高に加えて、コロナ融資の返済が始まって非常に苦しんでおられます。ここで金融引き締め、つまり金利を引き上げるということは、倒産しろと言っているようなもの。当然、失業も増え、賃金も下がります。ですから日銀総裁には安定的、継続的な賃上げが実現するまで断固として金融緩和を継続することが求められると思っています。」「問題は日銀の金融緩和ではなく、政府の財政政策の方です。政府が2度の消費税引き上げを行ったから、効果が十分に出なかったのですね。日銀がせっかくパスを出しているのに、シュートをミスするぐらいだったらまだしも、オウンゴールを2回も決めている。これで効果が出るわけがありません。」「これを強く反省していただいて、直ちに消費税廃止、そしてインボイスも中止していただきたい。」
金融緩和策ではなく、アベノミクスも含めた政府の財政政策こそが失敗だったことを指摘しました。
(まのじ)
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[民の声新聞] 南相馬市に住む女性の「3.11」の体験談 〜 情報がないまま被曝の危険にさらされた市民、12年後の今なお分断される人々

  2011年3月に何度も何度も耳にした「南相馬市」、とても線量が高いエリアだったと記憶しています。その南相馬市に住む高村美春さんが、12年前の3月11日からの体験を語る活動をされています。ずっと手弁当で「3.11」を取材されている「民の声新聞」が、その語りを「自分事として」伝えていました。
 地震直後の様子は文字を追っただけでも恐ろしいです。“放射能のことは分からない。逃げろと言われても、なぜ、どこに逃げれば良いのか分からない。自宅の電気やガスなどライフラインは無事で、あえて避難する理由はない。避難指示が出たのは20km圏内だったけれども、自宅は25kmなので対象外”。友人たちからのメールも事態が掴めず混乱している中「東電の人たちは逃げてるよ」というメールが目につきます。市民には原発事故が知らされていないことが分かります。高村さんは3人の子供達を連れて逃げることにしますが、向かった先は、後に全村避難になる飯館村でした。しかし避難所がいっぱいで入れず、翌朝には自宅に戻ろうとして再び南相馬に向かって走ります。なぜか反対車線は渋滞しています。反対車線の渋滞の中から「お前何やってんだ!逆だ!早く逃げろ!」と、同級生が怒鳴ったそうです。しかしその時の彼女は、その「早く福島から出ろ!」という意味が分からなかったそうです。怒鳴った同級生は東電関連の人で情報を持っていた。
 地震直後で混乱している上に原発事故が知らされず、正確な情報も届かず、国は「安心しろ」とアナウンスする状況で、なんの罪もない市民が被曝の危険にさらされていました。3月12日には南相馬市で12μSvの数値が出ていました。
 そして最も恐ろしかったのがこのシーンです。「目の前をたくさんのバスが通り過ぎていきました。警察や自衛隊の車両もありました。近くにいた人がバスに向かって『止まってくれ、乗せてくれ!』と叫びましたが、1台も止まりませんでした。」バスで逃げたのはどういう人々だったのでしょうか。終戦時、外地に置き去りにされた人々の体験談と重なります。
 高村さんの語りは、福島県外に避難した人々の苦悩、わずかでも賠償金を受け取った人々への陰湿な攻撃、逆に賠償金が出ない人々の訴訟という戦いにも言及されて、12年後の今も人々が分断され、本当の復興に向かっていないことが伝わります。高村さんは聴衆に向かって「想像力を働かせてください。自分事として考えてください。」と訴えました。自分の身に降りかかったら、と想像すると福島を見捨てることはできません。福島への見方が変わると、国や東電への見方も変わってきます。国民が、利権事業ではない本当の福島救済への意志を固めましょう。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【12年目の福島はいま】南相馬の語り部が伝える原発事故被害のリアル 「想像力を働かせて、自分事として考えて」「放射能汚染は〝距離〟じゃない」
引用元)
(前略)
【届かぬ「バスに乗せてくれ」】

 渋滞の車列からこちらに向かって怒鳴る人がいた。同級生だった。
 「お前何やってんだ!逆だ!早く逃げろ!」
 「俺は今から新潟に逃げる。だからお前も早く福島から出ろ!」
 その同級生が東電関連の仕事に就いていたことを後に知った。「彼には知識と情報があったんです。ですが、当時の私は全く分かりません。何でそんなことを言われなければいけないの?と思いながら自宅に戻りました」


 多くの浪江町民が汚染の酷い津島地区に逃げたのと同じ構図。その日、当時の枝野幸男官房長官は午前の記者会見でこう呼びかけている。
 「人体に影響を与える放射線が放出をされているものではございませんので、ご安心を」
 だが、このとき既に南相馬市にも放射性物質が降り注いでいた。
 「南相馬市立総合病院の入り口では、3月12日20時に医師が毎時12マイクロシーベルトを計測しています。それでも『避難しろ』とは一度も言われませんでした」

 2人の子どもたちだけ避難させて職場に復帰したが、3月14日には自宅に残った長男とともに南相馬を出た。前回と同じように県道12号線を通って飯舘村に向かったが、コンビニの駐車場で驚くべき光景を目にしたという。
 「目の前をたくさんのバスが通り過ぎていきました。警察や自衛隊の車両もありました。近くにいた人がバスに向かって『止まってくれ、乗せてくれ!』と叫びましたが、1台も止まりませんでした」

 高村さんの声が一段と大きくなった。
 「何で私たちはあのバスに乗って逃げることができないの?何で誰も助けに来てくれないの?原子力発電所は安全だって言ったでしょ?爆発なんかしないって言ったじゃない。あのとき初めて国や東電を恨みました。恨んで恨んで、実は今も心ではその想いがくすぶったままです

 福島市に避難をし、福島県内を転々とした。しかし、3月末には自宅に戻った。
 「避難先の方が自宅よりも放射線量が高かったからです」
 放射能汚染は同心円状には拡がらないのだ。距離で線引きなどできないことがよく分かる。
(以下略)

ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(5)」 ~「セルビア自治体共同体」をめぐって

2月27日、ブリュッセルで、
暫定コソボ共和国のクルティ首相と、セルビア共和国のヴチッチ大統領、
EU、アメリカの代表をまじえての会談が行われました。
この記事を書いている時点で、会談の様子はわかっていませんが、
10年前の「ブリュッセル合意」(Wiki)ですでに合意された、
「セルビア自治体共同体」の議題が出たと思われます。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(5)」 ~「セルビア自治体共同体」をめぐって

セルビアの有名な「モスクワ・シュニッツ」


今日もまた、コソボかあ。

そんなガッカリした顔、するなよー。
今が、いや、これからが正念場なんだから、つきあえよな。

・・でも、もっと、おいしい話がいいな。

よし! じゃあ、セルビアのうまいもんを教えちゃる。
これが有名な「モスクワ・シュニッツ」だ!


へえ、セルビアって田舎だと思ってたら、こんな小ジャレたケーキがあるんだ。
でもなんで、ケーキの名前に「モスクワ」?

セルビアの首都ベオグラードにある、ホテル・モスクワで生まれたから。


うわあ!!
おとぎ話に出てきそうなホテルだね。

なんでも、この建物が建てられたのは1908年。

100年以上経ってる!
でも、ここ、セルビアでしょ?
ロシアじゃないのに、なんでホテル・モスクワ?

1908年と言えば、「セルビア王国」の時代。
貧しかったセルビア王国に、ロシア帝国が投資の目的で建てた多目的宮殿「Rossiya」が、ホテル・モスクワになったのよ。(Wiki

いかにも、ロシアの華やかなりし帝国時代の建物って感じ。

「モスクワ・シュニッツ」が誕生した1970年代、ホテルのパティシエはお客に出すスイーツに頭を悩ませていた。と言うのも、セルビアは貧しくて材料が乏しかったのよ。
そこで、当時高級品のパイナップルに自国産フルーツやナッツを加えて、特製クリームでサンドにしたケーキを考案した。

水増しケーキにしては、おいしそうだね。
ベオグラードに行ったら、食べてみたい。

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