アーカイブ: 中東問題

[大紀元] 中国は最も危険な国、数十年以内に革命か=グーグル会長 

竹下雅敏氏からの情報です。
最後の4行の赤字部分ですが、予言ではなくて、誰が犯人かを暴露するものですね。やはりこれまでROCKWAY EXPRESSやカレイドスコープで指摘されてきた通りなのです。ただこのシュミット会長の言葉には焦りが感じられます。まったく同様の論理で、グーグルと自分の悪事もハッカーに知られてしまうからです。時間との闘いですが、シュミット会長にどのくらいの勝ち目があるのでしょう。
(竹下 雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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中国は最も危険な国、数十年以内に革命か=グーグル会長 
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本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
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[櫻井ジャーナル]イスラエルの戦闘機がシリアの研究施設を空爆したが、シリア軍は反撃を自重、その一方でロシア軍の戦闘機がシナイ半島からイスラエルに向かって飛行して威嚇したとの情報

読者の方からの情報です。

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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イスラエルの戦闘機がシリアの研究施設を空爆したが、シリア軍は反撃を自重、その一方でロシア軍の戦闘機がシナイ半島からイスラエルに向かって飛行して威嚇したとの情報
転載元よ)
 1月30日の夜明け頃、4機のイスラエル軍戦闘機が超低空飛行でシリア領空に侵入、首都ダマスカスの近くにある軍事研究センターを空爆、2名が死亡したと伝えられている。シリアからレバノンを拠点とする武装勢力、ヒズボラへ対空ミサイルSA-17を含む兵器を運んでいた車列が攻撃されたとする話がアメリカ政府筋などから当初は流れていたが、事実ではなかった可能性が高まった。

 NATOや湾岸諸国が傭兵を使った軍事侵略を受けているシリアは、殺戮と破壊で惨憺たる状態になっている。そうした中、化学兵器が周辺に拡散し、ヒズボラの手に渡る恐れがあるとイスラエルは主張、そうした事態が生じることを阻止すると宣伝していた。危機感を煽り、軍事攻撃に対する風あたりを弱めようとしていたのだろう。

 その宣伝に乗り、シリア領内での空爆に踏み切ったのはヒズボラとの本格的な戦闘を回避するためだと書いているマスコミもあるが、現在の状況でシリア政府が化学兵器を使用する可能性は限りなくゼロに近く、ヒズボラに渡すとも思えない。シリア軍が化学兵器を使うことを望んでいるのは反シリア政府軍側だ。NATOやイスラエルがシリアを直接、攻撃する口実になる。

 レバノン軍からの情報によると、イスラエルのシリア空爆には4機編成の戦闘機集団が3グループ、参加している。最初のグループがレバノンの領空を侵犯したのが29日の午後4時半。4時間後に別のグループと入れ替わり、翌日の午前2時まで飛行、そこで3番目のグループが登場し、午前7時55分に離れていったという。この3番目のグループが攻撃したということになる。

 攻撃の2日前、イランはイスラエルに対し、シリア領に対する攻撃はイラン領に対する攻撃だと見なすと警告していた。イスラエルがシリアを攻撃する準備をしていることに気づいていた可能性がある。

 また、今年に入ってNATOは「化学兵器話」を口実して、トルコに地対空ミサイル・システムを配備しはじめたが、イスラエルもレバノンやシリアとの国境に近いハイファへ防空システムの「アイアン・ドーム」2ユニットを配備した
と報道されている。シリアを攻撃する準備だと見る人も少なくなかった。

 レバノンからの情報によると、イスラエルの攻撃にロシア軍は速やかに反応、30日の段階でミグ31がシナイ半島を横断してイスラエルの方向へ飛行、イスラエル側からの警告を受けて西に転回して地中海に出るが、その地中海には18隻で編成されたロシア軍の艦隊が待機していた。アメリカ政府に対し、ロシア軍の「本気度」を見せつけた形だ。

 そのアメリカ側では、トルコの米空軍インシルリク基地の部隊、あるいはヨルダンに駐屯している特殊部隊などが警戒態勢に入ったと言われている。アラブ首長国連邦に配備されたF-22ステルス戦闘機も同様。

 インシルリク基地は、アメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員が反シリア政府軍を訓練してきた。その反シリア政府軍の主力はサウジアラビアやカタールに雇われた傭兵で、その中にはリビアの体制転覆でNATOや湾岸諸国と手を組んでいたアル・カイダ系武装集団も含まれていることは本ブログで何度も書いてきた。

 その反政府軍はシリア政府をなかなか倒せず、最近では凶暴な実態を隠しきれなくなっている。

 そうした状況から脱するため、NATO軍やイスラエル軍が直接、攻撃に参加したいところだろうが、それには口実がいる。今回のイスラエル軍による攻撃にシリア側が反撃していたなら「開戦」になったかもしれないが、シリア軍は挑発に乗らなかった。政府軍を装った反シリア政府軍に化学兵器を使わせ、それを口実に使うというプランもあるようだが、これは見透かされている。アメリカでチャック・ヘイゲルが国防長官に就任したならば、ますます好戦派/ネオコン/イスラエルは動きにくくなるだろう。

[ROCKWAY EXPRESS]バイデン米副大統領:アメリカはイランとの直接対話の用意がある

竹下雅敏氏からの情報です。
文中赤字の部分ですが、明らかにオバマはイスラエルから離れ始めたのです。"イスラエルはこのようなアメリカの姿勢に反発しより一層危険な手段に打って出る可能性も高まる"ということですが、実はこれがアルジェリア人質事件だったと思うのです。米国戦争屋とイスラエルは密接な関係です。先の記事でのコメントのように"戦争屋とアンチ戦争屋は、代理戦争の最中"にあります。イスラエルとネオコンは、この事件を起こすことで、オバマと交渉をするつもりだったのではないでしょうか。しかしオバマはまったく交渉をするつもりはありませんでした。アルジェリア政府に命令をして、ただちに突入させたのです。この事件は追い詰められたイスラエルとネオコンが必ず仕掛けてくるものとワナをかけて待っていたように思えるのです。オバマを育てたのはブレジンスキーです。彼のもっとも得意な作戦のように思えるのです。これらは皆、私の推理なのですが、イスラエルがオバマとどのような交渉をするつもりだったのか、それが何らか記事で出てくるのを待っているところです。
(竹下 雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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バイデン米副大統領:アメリカはイランとの直接対話の用意がある
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イランとの直接対話の可能性を語るアメリカのバイデン副大統領

◆2月4日

 アメリカのバイデン副大統領は、アメリカはイランとの直接対話の用意がある、と発言したようだ。これは1月3日号「ヒラリー・クリントンはイランで飛行機事故に遭遇し負傷したのか?」でも示唆されていたことで、アメリカはイランとの関係でそのスタンスを転換させ始めていることの兆候である。

 この件では、12月26日号「アメリカの新国防長官に最適なチャック・ヘーゲル」で、「今までの親イスラエルの傾斜度が是正され、逆にイスラム教世界との融和が進む、と考えられる」と指摘した通りのことが起きていることになる。

 つまり逆に言えば、イスラエルはこのようなアメリカの姿勢に反発しより一層危険な手段に打って出る可能性も高まる、ということだろう。しかし、オバマ政権の意思は固いと、このROCKWAY EXPRESSでは見ている。

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●バイデン米副大統領:アメリカはイランとの直接対話の用意がある
http://edition.cnn.com/2013/02/02/politics/biden-us-iran/index.html
【2月2日 By Mariano Castillo, CNN】

 一定の条件下で、アメリカはイランとの直接対話を行うことについての意思があると2日、バイデン副大統領が語った。

 アメリカは、「イラン指導部と二国間会談を行う用意がある」と、副大統領はミュンヘン安全保障会議での演説で語った。

 二国家間ではイランの核計画に関して行き詰まり状態にある、しかし会談に関する呼びかけはずっと成されてきている。

一方、イランのアリ・アクバール・サレヒ外相は、ファーズ通信とのインタビューで、次期国務長官のジョン・ケリーがイランに対するアメリカの政策の柔軟化に貢献してくれることを期待している、と語り、彼が少なくとも、「アメリカの反イランの姿勢と政策の一部を修正する」ことを期待する、と語った。

オバマ大統領指名国防長官のチャック・ヘーゲルはかつてイランとの直接対話を語っていた事があった。

ケリーの指名承認公聴会では、現在のイランに対する制裁は効果を発揮しているが、外交的手段による進展が期待できる状況がある、と語った。

直接対話に批判的な者たちは、イランはそのようなことを制裁を遅らせることに利用するだけで、一方彼らは自分達の核計画はそのまま継続することで利益を得ることになると言っている。

先月、アメリカはイランに対する新たな制裁措置を取った。その制裁措置では、イランの核計画に技術と資材を供給している個人や会社を標的にしているという。

 この国務省と財務省によって発表された制裁は、イラン経済を標的とする最新のもので、イランの経済と核資材の開発を標的とする最新のものでもある。 

 イランは自分達の核計画は民生用エネルギー目的だといい続けている。しかし、国連の国際原子力機関は、イランの核計画の意図するものが平和目的かどうかを確かめることはできないと語った。

2010年以来、イランに対して経済と兵器に関連する制裁措置を施してきている。

[ROCKWAY EXPRESS]イスラエル軍機:ダマスカス近郊の科学研究センター爆撃

竹下雅敏氏からの情報です。

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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イスラエル軍機:ダマスカス近郊の科学研究センター爆撃
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[マスコミに載らない海外記事]アフガニスタン: もう一つの秘話

竹下雅敏氏からの情報です。
これが植民地支配なのです。500年もずっとこんなことをやっているのです。この文章を読んで、まだアメリカは自由と正義の国だと思いますか?そしてアメリカだけではないのです。ところがこうしたはっきりと悪と言える植民地支配を実行しつづけた国の国民のほとんどが、地球上で自分たちが、もっとも民主的な国だと思っているのです。
自分が悪の一部だと思っている人は、マシな人なのです。
(竹下 雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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アフガニスタン: もう一つの秘話
転載元より抜粋)
マイケル・パレンティ

現代アフガニスタン史と、そこでアメリカ合州国が果たした役割について多少学ぶことが役に立つかも知れない。

若干の本当の歴史

封建時代からアフガニスタンの土地所有制度は、変わらぬままで、土地の75パーセント以上が、地方人口の僅か3パーセントでしかない大地主によって所有されていた。1960年代中期、民主革命諸派が合同して、人民民主党 (PDP)を形成した。1973年、王は退位させられたが、彼の後釜となった政府は、独裁的で、腐敗し、人気がないものだった。今度はその政権が、1978年、大統領宮殿前での大規模デモがおき、軍がデモ側に立って介入した後に、追い出された。

主導権を握っていた軍当局者達は、詩人で小説家のヌール・ムハンマド・タラキーの指導のもとで、新政府を作るようPDPを招いた。このようにしてマルクス主義者が主導する全国的な民主勢力連合が権力を獲得した。
「これは全く自発的な出来事だった。CIAでさえ、この件でソビエト連邦を責めることはしなかった」当時アフガニスタンで農業調査プロジェクトを行っていた、元ウイニペグ大学教授のジョン・ライアンはそう書いている。

タラキ政府は、労働組合を合法化し、最低賃金を設定し、累進所得税、読み書き能力向上キャンペーンや、一般人がより医療、住宅、公衆衛生を享受できるような計画を推進した。ホヤホヤの農民組合が創設され、いくつかの主要食料品に対する価格引き下げが行われた。

政府はまた、王が始めた、昔からの部族のくびきから女性を解放するプログラムも継続した。政府は、女子や様々な部族の子供への公教育を行った。

タラキ政府は、アヘン生産用のケシ栽培根絶に動いた。それまで、アフガニスタンは世界のヘロイン供給に必要なアヘンの70パーセント以上を生産していた。政府は農民のあらゆる借金も廃止し、大規模な土地改革計画を立て始めた。ライアンは、それは「本当の人民政府で、国民は、大きな希望を持って未来を期待していた。」と信じている。

しかし、いくつかの分野から深刻な反対が起きた。封建的な地主たちは、自分たちの保有地を侵害する土地改革計画に反対した。また、 部族民や原理主義者のイスラム法学者達は、ジェンダーの平等や女性、児童教育に対する政府の献身に激しく反対した。

タラキ政府は、その平等主義的で、集団的な経済政策ゆえに、アメリカの国家安全保障に対する反感も招いた。PDP連合が権力を得たほぼ直後、追い出された封建領主、反動的な部族の族長、イスラム法学者や、アヘン密売人を支持して、サウジアラビアとパキスタン軍の助力を得たCIAが、大規模なアフガニスタン介入を開始した。

タラキ政府の最高幹部に、ハーフィズッラー・アミーンがいたが、多くの人々が彼はアメリカ合州国に数年間留学している間に、CIAにリクルートされたと信じている。1979年9月、アミーンは武力クーデターで国家権力を握った。
彼は原理主義のイスラム国家樹立に向かって進む中で、タラキを処刑し、改革を中止し、何千人ものタラキ支持者を、殺害、投獄、あるいは追放した。しかし、二カ月の内に、軍内部の部隊を含むPDPの残党によって、彼は倒された。

これら全てが、ソ連の軍事介入前に起きたことに留意すべきだ。国家安全保障顧問ズビグニュー・ブレジンスキーは公的に認めているが、ソ連軍がアフガニスタンに入るより何カ月も前に、カーター政権が革新派政府を転覆させるため、イスラム過激派に莫大な金額を提供していた。この活動の一部として、CIAが支援するムジャヒディンによる、地方の学校や教師たちに対する残虐な攻撃があった。

1979年末、ひどく包囲攻撃されていたPDP政府は、全てCIAによって採用され、財政支援を受け、完全武装したムジャヒディン (イスラム教徒のゲリラ戦士)や外国の傭兵の撃退を支援するため、派遣部隊を送って欲しいとモスクワに依頼した。

CIA流イスラム聖戦と、タリバン

CIAにとって、ソ連の介入は、部族のレジスタンスを、イスラム教徒の聖戦へと変換し、神を否定する共産主義者をアフガニスタンから駆逐する千載一遇の好機だった。CIAとその同盟者は、パキスタン、サウジアラビア、イラン、アルジェリア、そしてアフガニスタン自身を含む40のイスラム教諸国から、およそ100,000人の過激派ムジャヒディンを採用し、供給し、訓練した。呼びかけに答えた連中の中に、サウジアラビア生まれの大富豪の右翼、オサマ・ビン・ラディンと彼の仲間たちがいた。

ソ連は、1989年2月にアフガニスタンから撤退した。

アフガニスタンを支配すると、ムジャヒディンは仲間同士で戦闘を始めた。彼等は都市を略奪し、民間人を脅嚇し、略奪し、大量処刑を実施し、学校を閉鎖し、何千人もの女性や少女を強姦し、カーブルの半分を瓦礫に帰した。2001年、アムネスティ・インターナショナルは、ムジャヒディンが、性的暴行を「征服した国民を脅し、兵士に報いる手段」として利用したと報告している。

諸部族は、やくざ流で国を支配しながら、もうかる収入源を求め、農民にアヘン生産用のケシ栽培を命じた。CIAの密接な従属的パートナー、パキスタンISIは、アフガニスタン中に、何百ものヘロイン工場を作った。CIAがやってきて二年間の内に、パキスタン-アフガニスタン国境地方は世界最大のヘロイン生産地となった。

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