最強の不正選挙追及者Aさんの第1級の超重要裁判資料【番外編】
〜Aさんが見たヴィジョン と 引き寄せた「エンペラー」のカード〜

 前回に引き続き、番外編として、Aさんとのメールのやり取りを紹介させていただきます。
Aさんは、選挙に出るかどうか迷っていた時に霊能者の友人に相談したそうです。その時にAさんは不思議なヴィジョンを見ます。そして、縁もゆかりもない「お殿様」の泣いている姿が出てきたというのです。また、裁判前にもその友人に相談し、タロットで占ってもらいます。Aさんは、「エンペラー」のカードを引き寄せました。
"続きはここから"以降に「お殿様」のヴィジョンと「エンペラー」について、竹下氏の解説をいただき、関連記事を添付しています。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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2016年9月8日 Aさんのメールから抜粋
神様の話は私にはよくわかりませんが今回の不正選挙に関しては、霊的な導きがあったことは不思議です。実は、2011年の4月の選挙に出るかどうか迷っていた時(この時も私の票はいじって少なくすると確信があったので、警察と大阪地検に選挙前に行ってます)。
特に警察には現行犯で捕まえてほしいと言ってます。

しかし、確実に落選するだろうと思いながら選挙に出るのはあまり嬉しいものではないので、知り合いのスピリチュアルな仕事をしている友人にどうしたらいいか相談しました。

そして、よくわからないセッションを受けました。
事前に、もし霊感が強い場合は(セッションの途中に)何かが見えたり、聞こえたりするかもしれないけれど驚かないように
と言われたのですが私は変なものを見てしまいました。

選挙に出るか出ないかの答えが欲しかったのに、見えたのはどこかの侍(お殿様)が泣いている姿でした。

その殿様を私はどこかで見た気がしたので、考えていたのですが社員旅行で会津に行った時に白虎隊とかと一緒に見た写真の殿様だと直感しました。

しかし、私は理系で日本史が苦手だったのでその人が誰なのか名前がわからなかったのです。
知り合いに聞くと松平かたもり?だと言われました。

私は意味がわからずに、なんで会津の殿様が出てきて泣くのか困りました。

私の両親は西日本の出身で東北には何も縁もありません。

選挙と会津の殿様は何のつながりがあるのか???

しかし、選挙の1か月前に福島原発の事故があり、会津は放射能に汚染されてしまいました。

なぜ、会津の殿様が私のところに出てきて泣いたのかは今でもよくわかりません。

それから、同じ友人に2015年の5月に裁判をしようと思うけどとタロットで占ってもらった時に「エンペラー」のカードが最終結果として出ました。
エンペラーのカードは全てのカードの中で最高位で、これ以上のカードはありませんと言われました。

彼女は私にエンペラーのカードを見てどう思いますか?と聞いたので、エンペラーは皇帝で一番えらい人なので誰も逆らえないと
言いました。

すると彼女はそれが裁判をすることによってどうなるかという答えだと言いました。

そして、そのエンペラーのカードは私が引き寄せたもので、タロットというのは魔術です。

私の思いがエンペラーの結果を引き寄せたのだと。

これもわかったようなわからないような話ですがどういう意味なのでしょうか?

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松平容保
引用元)

京都守護職時代の容保

京都守護職時代の容保



松平 容保(まつだいら かたもり)は、幕末の大名。陸奥国会津藩の第9代藩主(実質的に最後の藩主)。京都守護職。高須四兄弟の一人で、血統的には水戸藩主・徳川治保の子孫。現在の徳川宗家は容保の男系子孫である。
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A様
非常に興味深い話です。
松平容保は立派な人物で、ウィキペディアを見ると孝明天皇に仕えていたことがわかります。孝明天皇はホツマの神であり、松平容保は今でも天界において孝明天皇に仕えているようです。孝明天皇の霊体は現在64次元、松平容保は4次元にあります。
孝明天皇は、フトマニ図をご覧になるとわかりますが、アイフヘモヲスシ八神の「フ」の神であり、図の位置から、「ヱ」の神に仕えています。
孝明天皇は過去世において、私の義理の弟だった人物なので、こうした縁から部下の松平容保を、Aさんに霊的に接触させたのではないかと思われます。ブログ「光の海から」の2009年2月3日付の記事「2月1日ご神事のヴィジョンと竹下氏の解説」に孝明天皇が現われ、私が解説をしていますので参照して下さい。
また、象徴的な意味ですが、Aさんが引き寄せた「エンペラー」とは私のことです。

(竹下雅敏)
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松平容保は何故孝明天皇から信頼されていたのでしょうか?
引用元)
松平容保は何故孝明天皇から信頼されていたのでしょうか?松平容保を始めとする会津藩士どの藩よりも純粋に佐幕勤王の姿勢を貫き、京都における長州藩による傍若無人な騒乱を静めるために身を粉にして働いたことが評価されたことです。

(中略)
1863年7月の「天覧の馬揃え」(軍事訓練)で、孝明天皇はその真に迫った練兵の様子にいたく感じ入り、容保を厚く信頼するようになり、また容保主導で同年8月18日の「八月十八日の政変」(尊王攘夷を唱える長州勢力を京都から追放したこと)が成功したことから、天皇はこれを喜んで容保の働きを讃え、御宸翰(ごしんかん、天皇直筆の文書)と御製(ぎょせい、天皇がつくった詩歌)を与えています。

御宸翰の最後の文面には、「私の考えを貫徹できたのは、その方の忠誠によるものだ」とあり、容保はこれに感激して、この御宸翰を錦の筒に入れて首から提げて、生涯片時も放すことはありませんでした。

(中略)…これまで天皇が武臣に御宸翰を下すことは皆無であり、いかに天皇が容保を信頼していることがわかります。

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転載元から編集)

1

Aさんを霊導しているのは64次元(所属次元)の「ヱ」の神。
孝明天皇は、アイフヘモヲスシ八神の「フ」の神であり、「ヱ」の神に仕えている。



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2月1日ご神事のヴィジョンと竹下氏の解
引用元)
枠内は竹下氏による解説です。img_1
この男性は、ホツマの神で、江戸末期に孝明天皇として転生された方です。
ホツマツタヱの伝承に記された時代に、私の兄弟だった方です。
私が第1子で、彼が第3子でした。

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