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ユーゴスラビア
息子の移民クラスには、
コソボ出身の生徒が2名いた。

Author:Shkumbin Saneja[CC BY]
男子生徒は、突然、家が警察に囲まれて、
コソボへ強制帰国させられた。
何かビザの問題があったのだろうか・・。
女子生徒は、イスラム系のコソボ出身。
ということは、アルバニア人。
アルバニア人(ムスリム)は、
難民になってしまう。
旧ユーゴスラビアは、チトー大統領が
健在だったときは、まとまっていましたが、

旧ユーゴスラビア WikimediaCommon[CC BY-SA]
チトー大統領の死後、そして、ソ連の崩壊、
東西冷戦の終了で、
まず、スロベニアとクロアチアが独立。
これが、ユーゴスラビア紛争の
きっかけとなった。その後、いろいろな
国が独立し、紛争までに発展。
いまでも、コソボはセルビア人と
アルバニア人の対立で深刻な状態。
コソボは、セルビア人にとって、
大事な土地らしい。
ユーゴスラビア連邦の崩壊で
スロベニア、クロアチア、
ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、
モンテネグロ、マケドニア、コソボ
に分かれた。

Author:Morwen[CC BY-SA]
よく考えてみると、
第1次世界大戦以前から、
スラブ系民族が立ち上がらないように
なっていたのかな・・。
旧ユーゴスラビアは、ソ連のような共産国というわけでもなく、
微妙な位置にいたわけで、それがよかったのに。
そのおかげも、チトー大統領だったんだ。

WikimediaCommon[Public Domain]
コソボにイスラム系アルバニア人を
どんどん入植させて、セルビアに
嫌がらせをしてきたオスマン・トルコ帝国。
セルビアは親日国である。
地震のときも援助が多かったらしい。
アルメニアとチェチェン
アルメニアとチェチェン出身のクラスメートが、
家に遊びにきました。
アルメニアってどこかしら?
チェチェン共和国ってどこかしら?
思わず、地図帳で場所を調べてしまう。

WikimediaCommon[CC BY-SA]
あった、あった・・。
アルメニアの首都は、エレバンか・・。
アルメニアは、とても素敵な国だそうです。
アルメニアは、トルコの東側にあり、
ノアの箱船が到着したアララト山があり、
(アララト山はトルコ領になっているが、
アルメニアは認めていない)
世界でもっとも早く、紀元301年に
キリスト教が国教になった国。
1991年に独立。

首都エレバン WikimediaCommon[CC BY-SA]
チェチェン共和国は、
映画やニュースで、きな臭いイメージで
描かれているけれど、
モスクなどの夜景も綺麗で
オイルマネーで高層ビルも立ち並んでいるとか。

pixabay[CC0]
チェチェンの友達は、ロシア系で
ボクシングをしていて、なかなかのイケメン。
アルメニアの友達も、メガネが似合う漫画風イケメン。
国を持たないクルド人
イラク出身のクルド人のクラスメートも
遊びにきました。
クルド人・・クルディスタンか・・。
ニュースでは、悪いイメージしか出てこないけれど、
クルド人といえば、国を持たない人たち。
音楽や踊りが盛んな民族なのです。
琵琶のようなギターを弾き、
舞踏や独特なお祭りもする。。
ハチャトリアンの「剣の舞」の曲を
小学校、中学校の音楽の授業で
習いましたでしょうか・・。
この曲は、クルド人の伝統舞踊を
イメージして作られたのです。
また、アルメニアにあるアララト山は、
ノアの箱船が到着した場所といわれ、
クルド人、アルメニアのシンボルなのです。
しかし、トルコ領になっている・・。
富士山にそっくりな山である。
アララト山は古くからアルメニア人の多く居住してきた地域(大アルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルとされる。オスマン帝国がこの地域を支配した時代まではアララト山の麓にはクルド人やトルコ人と入り混じりながらも数百万人のアルメニア人が暮らしてきたが、オスマン帝国末期、とくに第一次世界大戦中の強制移住によりトルコ領内からはほとんどアルメニア人はいなくなってしまった。このとき、相当の数のアルメニア人の人命が失われ、アルメニア人ジェノサイドとして国際的非難を浴びたが、トルコ政府はジェノサイドの事実を否認しており、長らく論争となっている(アルメニア人虐殺)。

Author:Самый древний[Public Domain]
昔、クルド人居住地は、
オスマン帝国内にありましたら、
第1次世界大戦で
オスマン帝国が破れ
サイクス・ピコ協定にて、クルド人たちは、
トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアに
分断されてしまったのです。
1922年から1924年までは、
クルディスタン王国もあったのですが・・。
ドイツの語学学校の
シリア難民の中にも、クルド人がいました。
シリアの東側、カミシュリー出身。
クルディスタン地区です。

クルディスタン pixabay[CC0]
語学学校も休みがちで、
家で、のんきに琵琶のようなギターを弾いていて。
授業中もいつも歌を唄っていたし。
クルド人は、のんきなんだな・・と
思いましたけどね。
スラブ系民族の人たち
セルビア人も、仕事をあまりしないで、
のんびりしているとか。
支配されていた時代が長いので、
働くことは、奴隷であると・・
そんな認識もあるらしく・・。
日本のみなさま・・
働くことは、美徳ではなく、
奴隷らしいですよ・・by セルビア人
スラブ系民族か・・。
スラブ民族のアイデンティティーを描いた
スラブ叙事詩の画家、
アルフォンス・ミュシャも有名ですね。

スラブ叙事詩 Author:JiříSedláček[CC BY-SA]
スタメナの「我が祖国」という
スラブ民族を謳った曲もある。
スラブ民族は、オーストリア帝国に
ずっと支配されてきた歴史がある。
やっぱり、ハプスブルグ家か・・。
いろいろ見ていくと、
第1次世界大戦の原因って・・・と
疑問符を打って見たくなりました。
ベルリン #Berlin でもトルコのシリア侵略 #AfrinOperasyonu に反対するデモがクルド人とドイツ人によって行われた。#Turkey_Hands_Off_Afrin #TwitterKurds pic.twitter.com/s67ZqkF3iM
— 日本人が知らない世界情勢@クルド・シリア (@newsfromworld15) 2018年1月21日
息子は、最初、ドイツの学校で、移民クラスからスタートしたのですが、クラスメートには、シリア、アフガニスタンはもちろんのこと、コソボ、アルメニア、チェチェン、イラクのクルド人・・・
とても興味深い国の出身の生徒たちがいたのです!