またしても「存在しない」はずの陸自日報が見つかり 防衛相が陳謝

 防衛省が「存在しない」と国会答弁していたイラク派遣の陸上自衛隊の日報が、またしても見つかりました。小野寺防衛相が陳謝しました。昨年、稲田防衛相が辞任することになった南スーダンPKOの日報隠蔽をなぞるような経過です。この問題をずっと追っている布施氏によると、政府の言う「非戦闘地域」がウソだとバレるような文書は意図的に「個人メモ」扱いとし、あえてこれまでは情報公開の対象とならないようにしてきた可能性があるそうです。文書の保管調査についても、もっとも有りそうな部署を探さないなど「ずさんというより隠蔽」が疑われても仕方がない対応だと指摘されています。防衛省にここまでさせるのは、実際に派遣地域で激しい戦闘が起きていたからと推測され、事実、布施氏の著書「日報隠蔽」には、自衛隊の南スーダンPKO宿営地ジュバでは大規模な武力衝突があり、緊迫した状況だったルポが記されています。
 財務省同様、これまで安倍政権の都合に無理やり合わせてきた官僚の姿をここでも見るわけですが、するとなぜ、10年以上も開示されてこなかった日報が、今このタイミングで発覚したのでしょう。文書を見つけたのが1月12日、小野寺防衛相に上がってきたのが3月31日、こうした発覚が同時多発的に表沙汰になるような流れができているのかもしれません。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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防衛相、イラク日報巡り陳謝「適切に対応できなかった」
引用元)
 防衛省は2日、過去の国会答弁で存在しないとしてきたイラク派遣の際の陸上自衛隊が作成した活動報告(日報)が見つかったと発表した。2004~06年の延べ376日分、約1万4千ページに上る。小野寺五典防衛相は「適切に対応できず申し訳なかった」と陳謝し、今月半ばまでに資料要求した国会議員に開示する方針を示した。

(中略) 昨年も南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報データを「廃棄した」とした後、陸自内に保管されていたことが発覚。当時の稲田朋美防衛相が辞任し、黒江哲郎事務次官、岡部俊哉陸上幕僚長が懲戒処分を受け、その後引責辞任した。
(中略)

 防衛省によると、まず陸自研究本部(現・教育訓練研究本部)が見つけて今年1月12日に陸上幕僚監部総務課に報告。陸幕衛生部は1月26日に発見し、同31日に陸幕総務課に報告した。陸幕は2月27日に統幕に伝え、小野寺氏には3月31日になって報告が上がった。小野寺氏は2日、安倍晋三首相に報告したという。
(以下略)

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南スーダンは「戦場」だったのか? 日報隠蔽問題を通して見える既視感
引用元)
(前略)
国民のほとんどは大枠としての「日報隠蔽問題」を知っていたとしても、実際に南スーダンの現場で何が起こり、自衛隊がそこで何を見ていたのか知らないのではないか。
(中略)
布施氏が開示請求をしていた2016年7月の自衛隊の日報。それは、ジュバで大規模な武力衝突があった期間だ。当初は「文書不存在」とされていたが、防衛省・自衛隊幹部が「隠蔽」していた事実が発覚。稲田氏は最後まで「公表したのだから隠蔽ではない」というロジックの見解を示していたが、防衛大臣を辞することになった。

さて、ここまでは日本の話である。では、実際に南スーダンでは何が起きていたのだろうか。

自衛隊宿営地の隣接地に建設されている9階建ての大型施設、通称「トルコビル」。ジュバの国際空港を一望できるこの場所は、一時マシャール派の戦闘員によって占拠され、政府軍との激しい銃撃戦が起きていた。
(中略)

この建物がマシャール派に占拠され、銃撃戦が起きていたことは事実だ。そんな場所からわずか100メートルの場所に宿営地がある。これで「戦闘はなかった」と本当にいえるのだろうか?
(以下略)



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配信元)





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