前川喜平氏が下関市にやってきた 〜 4/14教育講演会「教育の未来を語る」

 4月14日土曜日、全国で安倍政権への抗議行動が行われた日、下関市では前川喜平氏の講演会がありました。官邸周辺のウソ発覚、混乱が加速する今、前川氏のコメントにも自然、注目が集まります。
下関市教育委員会は、この講演会の後援を断るという了見の狭い決定をしていましたが、チケットの売れ行きは順調だったらしく、当日は、下関市民会館の中ホールから大ホールへと変更になりました。
 前日までの好天とは打って変わって、チューリップの花びらも飛んでいく朝からの強風と雨に、国会前も雨なのかな、と思いながら傘をさしました。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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前川喜平講演会〜教育の未来を語る!



どんな話をされるのだろう?


 13時からの講演会ですが、12時過ぎにはもう続々と人々ががやって来ます。男女問わず、年齢層も幅広く若い学生さんも散見されます。今日のタイトルは「教育の未来を語る」という「教育講演会」ですから、若い方々も前川氏がどんな教育論を持たれているのか関心があるのでしょう。しかし何と言っても、今の時局に関するお話が飛び出すのでは、という市民の期待は大きいと思います。特に、直前の4月12日東京大田区での講演会では、前川氏の率直な発言もありましたので、おのずと聴く方にも力が入ってしまいます。

 しかして前川氏は開口一番、「他の話はしませんよ。」
う〜む、みんなの期待を見抜かれました。
やはり首相の選挙区ということで気を遣われたかな。
そこから、あの落ち着いた温和な語り口で、教育に対する国の責務、ということを軸に、これからの教育への課題と希望を語られました。



教育を受ける権利、受けさせる義務とは


憲法の、教育に関わる条文の話から始まりました。

憲法26条 教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償

①すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


第26条第1項を前川氏が語ると、《すべての人》は、その《個性》に応じて《個々の状況にふさわしい》教育を受ける権利となって現れます。

「すべての国民」ではまだ狭い、国籍を問わず日本に住む人たちは皆、教育を受けられる
「能力」はテストで測れるようなものではない。猿と馬と鳥に泳ぎを競わせても無意味なように、それぞれ木登り、走り、飛ぶ能力に応じた教育がある。
「ひとしく教育を受ける」とは、同じ画一的な教育のことではなく、それぞれの子供達の状況に合わせた教育を用意するという意味になります。

ここで詳しく語られたのが、不登校の子供たちの話でした。
子供は、そもそも学校に行く義務はなく「学校に行かなければならない」という考えは間違い。ご自身も小学3年生の時に不登校だったと言い、不登校であっても、その子に応じた教育を受けられるようにしてあげることが国の義務だと話されました。

また、重病のために学校に通えない子供達の親に対して、国は「就学猶予」「就学免除」という対応をしてきました。これは、子供を学校に通わせなくてもよい、就学の義務を免除してあげます、というものですが、前川氏に言わせると、これはとても問題のあることで、本来、保護者は、通学できない子供の代わりに教育を受ける権利を主張する立場です。国はその親子の要請に対して、その子に可能な教育の用意をする義務があります。それなのに保護者にその責任を転化して、教育の機会を奪っていました。
前川氏は、これを在任中に変えたかった、院内学級などを用意してあげられないのは残念なことだったと話されました。

この憲法26条第2項を、前川氏が解釈すると、
「国は、すべての人に、無償の、普通教育の機会を保障する義務を負う」ということになります。
これが実現すれば、なんと暖かな国の支えでしょうか。



マイノリティの人々への教育、そもそもマイノリティって?


それから前川氏は、「マイノリティ性」について詳しく話されました。
マイノリティとは、なんだろう?

例えば、発達障害など何らかの障害を持った子供達は全体の10%程度把握されています。また両親のいずれかが外国人であったり移民である子供達はマイノリティとされますが、現在増加の一途です。もっと細かに見て、自転車に乗れない子はマイノリティ、泳げない子もマイノリティ。

と、ここで、前川氏はご自身が泳げない子供だった経験を話されました。都会の学校に転校してからのプールの授業は恐怖で、大変なコンプレックスになったそうです。その結果、氏は「プールの授業は人間の進化に反している!なぜ陸に上がったものがわざわざ水に戻る必要があろうか!」と子供ながらに結論されたとか。

人は何かしらのマイノリティを抱えていて、いろんなタイプのマイノリティを全部足していったら、、もちろん一人の人にダブル・マイノリティがあったり、人によってはトリプル・マイノリティがあって重なる部分はあるとしても、マイノリティの人々は軽く5割は超えるのではないか。だとすると、それはもうマジョリティではないか。

驚きの発想ですが、マイノリティ性を様々な個性と見て、個人に応じた学びができるような学校にしていくことが国の義務だと話されました。

 一昨年12月に成立した「義務教育機会確保法」という法律(正式名称はもっと長いらしい)も紹介されました。不登校の子供達のためのフリースクールなど学外での学びの機会、そして休養の必要性を認めたこの法律を安倍総理も熱心に進めたことを、前川氏は「この点で支持している」と楽しそうに話されました。

総じて「歪められた行政」というイメージであった文科省の、これまでの地道な取り組みがわかると同時に、今後の課題も合わせて知ることができた講演でした。誰の悪口も言わず、前川氏の文科省への応援メッセージのようにも感じた講演でした。


前川氏のお人柄がうかがえる質疑応答



この後、寺脇研氏とのフリートークを挟んで、会場から出されていた質問のいくつかに、前川氏が回答しました。その中でも印象的だった質問です。

Q)道徳教育について、どう考えるか

A)人が生きていくのに本当に大事なことは多くない
仏教では、五戒(不殺生、不盗、不邪婬、不妄語、不飲酒)があるが、「人にされて嫌なことは、人に対してしない、言わない」ということだと思う。けれど人生の折々で「あちらを立てれば、こちらが立たず」という時がある。答えは一つではない。出した答えは異なっていてもいいので、自分で考え、選ぶ力をつける学びの場にする議論が必要。他人と比べて成績をつけることはできないが、自分史の中での評価は可能。


Q)18歳以上の選挙権、若者の社会参加への意識について

A)政治参加など主権者教育をきちんと学ぶことは大事だと思う。
しかし、実際の現場に要求されていることは「政治的中立性を損なうことは言ってはいけない、子供達に不用意に政治的な影響を与えてはいけない」つまり教師は、自らの見解を持っていても出してはいけない、それを悟られてもいけない、という状況下で教育を行うことになる。これでは政治教育が成り立たない

ドイツのボイテルスバッハ・コンセンサスという合意がある。教員が授業の中で、自身の政治的意見を押し付けてはいけないが、述べることは生徒の意見形成を妨げないと考えられている。他の反対意見もバランスよく提示し、生徒に選ばせるような教育を勧めている。そもそも先生の言った意見に批判もせず、なびくような生徒では困る


Q)下関市には朝鮮学校がある。現在、補助金支給が停止されてしまった。どう思うか。
Q)反日教育をするような学校に補助金を出すのは間違っている。どう思うか。

A)二つの反対の質問があった。日本の国の中に日本人以外の人がいて一緒に暮らしている現実がある。
また、日本人とは何かと突き詰めて考えると、日本人も混血で成り立っている。人種や民族は相対的なもので絶対的なものではない。在日の人々は、所得税、住民税、固定資産税、消費税、相続税を納税しているが、一方で参政権はなく税金の使い道に口出しできない。日本は日本人だけの国というのは間違い。多文化多民族の共生社会とならざるを得ない。民族教育を認めてしかるべきだし、公金投入は当然のことと思う
(会場内拍手)

(寺脇氏)日本人も逆に考えてみるとどうだろう。海外に暮らす日本の子供たちが、他国で日本の文化伝統の教育を受けることに反対されず、支援を受けることを

 話のところどころに愉快なエピソードを交えての講演会でしたが、面白かったのは、前川氏の名前の由来を聞かれての答えでした。
 幼い頃は、この「喜平」という古臭い名前が大嫌いだった。どうしてススムとかヒロシとか普通の名前でないのか。だいたい時代劇で「きへい」というと、最初の10分で死んでしまう水呑百姓で、娘に「おとっつぁん!」と泣きつかれて終わる名前だ。この名前は祖父がつけた。祖父は「喜作」という名前だった。全く「気さく」な人ではなかったが。
今では、この名前が気に入っている。鏡に映しても変わらない線対称の名前だ。



文部官僚のイメージを鮮やかに変えてしまった前川喜平氏。それぞれの場所で誠実に仕事をしておられる方々が居るのだと、明るい日差しを感じた講演会でした。

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