たまたま虫を見つめることで、図らずもヴィクトル・シャウベルガー氏の解き明かす「自然の精妙なエネルギーシステム」が地球の未来に繋がる重要な鍵であることに結びつく。それとは真逆の方向性である、現代科学の根本的な間違いが、当然の結果として地球の生態系や生物多様性を損ねてきたのが理解できます。小さい虫の大きな存在を感じます。
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太古から変わらぬ営みを続けている虫たち
先月あたりの話なのですが、花壇に虫が1匹飛んでいました。よく覚えていないのですが、ミツバチかな?と思います。その虫の周りだけが太古の自然を感じさせるのです。虫を中心に半径50㎝位?の空間が異次元なのです。そして思ったのは、その虫は頑なに太古の自然を記憶していて、植物に影響を与えている。記憶は遺伝子に残されていて、虫の存在が植物たちを元気付けている。ということは地球の自然回復に虫が重要な存在なのでは?ここでも私たちは虫に対しての認識が欠けている。もしくは間違っている?太古から変わらぬ営みを続けている虫には、太古の記憶がある。
地球と共に生きている自然界の生物たちと、人間の違いが浮き彫りになります。殺虫剤、農薬、除草剤、空気汚染、土壌汚染、川や海の汚染、海の埋め立て、樹木や山が姿を消す団地開発、高速道路、地面が呼吸できないアスファルト、コンクリート、戦争、ミサイル、爆撃、原子爆弾、原水爆実験、原発事故を起こしてもやめない原子力発電所・・・間違っているのはどっち?本来の人間の営みも、ここまで間違ったものではなかったはずですが。
人が暮らすのにどこまで必要なのでしょうか?物や家が自然界に還りやすい状態で、子孫に迷惑をかけない暮らしができないものかと思うようになりました。その方が健康的で自然に近く幸せな暮らしができるのではないかとも思います。あるいは、ヴィクトル・シャウベルガー氏の示す自然の精妙な求心的エネルギー生成へと、現在の遠心的、分解的な技術や生活方法が180度転換できればと思います。
内破エネルギーマシンの理論は、何それレベルの私にも、”自然は脈動する”に書かれている「私たちの技術的ー機械的経済システムは、再生不可能な資源を大量に自然から搾取することでエネルギーを消費する既得権益によって作られたものなのである。結局、このような持続不可能なテクノロジーでは、経済的崩壊、社会的混乱、環境悪化を招くだけ(中略)...目の当たりにしている無秩序と腐敗は、人類が自己破壊的なエネルギーシステムに依存していることから生じている。」という話は納得できます。
ヴィクトル・シャウベルガー氏は自然がエネルギーを生むやり方、内破(爆縮)テクノロジーを使い、飛行機、潜水艦、自動車の推進力となるもの、家庭用の電力、熱、冷却をもたらすさまざまな装置、汚染された水から湧き水のように質の高い水を作り出す計り知れない価値をもつ機械など多数を発明していたが、それらは第二次世界大戦終了時に実用モデルは破壊され、詳細な図面は今も紛失したままだそうです。
近代科学の還元主義的(あらゆる事物はばらばらの部分からなるという考え方)、物質主義的な発想法で生み出される劣化したエネルギー技術は、必ず抵抗を生じ、熱と摩擦を生み出し、分裂と断片化の非建設的な作用で世界を汚染し、生態系や生物多様性はひどく損なわれている。
現代科学とは真反対の対照的な自然の精妙なエネルギーシステムは、外側から内側に向い速度を上げながら動く求心的なタイプの動きを用いるので、抵抗やエネルギーの浪費は生じない、冷却し濃縮する建設的な作用、というヴィクトル氏の考えが現実になると、どんなにかまともな素晴らしい世界になるのだろうことかと思います。
地球全体に必要なこれらの叡智が、『エネルギー「支配層」の関係者、想像力を欠いた政治家と投資家、既得権益をもつ化石燃料産業界(”自然は脈動する”p36抜粋)』らから地球を救う方法として取り戻されることを願います。
虫達の姿形はまさに精妙な自然のエネルギーシステムそのものではないかと思ってしまうのですが・・・。10?年くらい前、ふと虫が世界からいなくなるような気がして、とても寂しく荒涼とした自然が想われ、そんな世界は嫌だ!と思いました。そんなに虫が好きというわけではなかったのですが、いざいなくなると考えると、子供の頃からこんなに親近感があったのかと驚きます。
きっと植物と虫は意思疎通があるのだろうと思いますし、人間とも意思疎通ができるのでは?一見野菜を食べる害虫のようでも、実は肥料過多の窒素分が多い不自然な野菜を食べて、自然を回復しようとしているのかもしれないのです。硝酸体窒素過多の腐る野菜は体の中でたんぱく質と結合して超発ガン性物質になると聞いたことがあります。むしろ人間が食べてはいけない野菜を食べてくれているようです。また、虫の居場所がなくなるほど除草します。虫は野菜しか食べるものが残っていないのかもしれません。
草をバンカープランツ(おとり植物)として根っこから抜かないで、背が高い部分のみを刈ることや、コンパニオンプランツ(共生植物)、例えばキュウリとバジル、人参・キャベツとローズマリー、ニラやニンニクなどをアブラムシ除けに混植、畑の周りに背の高い障壁植物を植えるなど、いろいろな自然を利用した工夫もあります。
のらのら2015年夏号(農文協)にも、畑に草をわざと残して天敵の蜘蛛の住処を作っているプロのお百姓さんを紹介されています。野原から天敵のテントウムシをスカウトしたり、土蜂の住処を作ったり、マリーゴルドをナスと一緒に植えたり、いろいろなハーブの花畑をピーマンハウスの横に作り、天敵のヒメハナカメムシなどを呼び込むのだとか。
虫がたくさんいる豊かな生態系が、本来の自然の姿なのを、改めて感じます。虫を大切に!!って・・・、鳥さんやカエルさんに喜ばれそうですが○○さんには?
いのちの詩(うた)♪