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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特殊稿 ― バビロニア・タルムード(2)
イラク戦争は「タルムード思考」の具現化 ~新自由主義グローバリズムは「タルムード」派生
西欧の植民地奴隷支配の先鞭をつけたのが、テンプル騎士団の海賊行為とその海賊行為に「お墨付き」を与えたカソリック教会でした。外伝15の中で紹介した「ヘブライの館の記事」にあるフランシスコ・ザビエルとテンプル騎士団が連携していた事実は、「タルムード」を通して見てみれば非常に納得がいく事柄なのです。
フランシスコ・ザビエルはイエズス会のトップで、イエズス会は名目上カソリックの宣教師集団です。そして植民地奴隷支配のためのスパイ、先兵役となったのが主にイエズス会宣教師だったのです。
テンプル騎士団の海賊行為をカソリック教会が認可し、その後はテンプル騎士団とイエズス会が連携して植民地奴隷支配の道をどんどんと開拓していったわけです。
彼らに共通する底流が「ゴイは犬より劣る。ゴイは殺しても良い。ゴイを犯すのもゴイから奪うのも自由である」との「タルムード思考」でしょう。「タルムード」が実質として彼らの聖典なのです。
この「タルムード思考」は現在まで息づいてきており、現代でその思考が具現化した最も代表的な例となるのが「イラク戦争」だと思います。第1次イラク戦争は、実は米国側がサダム・フセインに詐術を用いて戦争に誘導させ、最後には降伏し白旗を掲げたイラク兵の大集団を抹殺しているのです。
第2次イラク戦争はありもしない「大量破壊兵器」をイラクが保持しているという偽りのでっち上げで一方的に戦争を開始し、徹底的にイラクの人民と国土を破壊しました。
Author:Futuretrillionaire [CC-BY-SA]
なぜこれほどの卑劣な残虐行為を平気で行えるのか? ブッシュ親子とその周辺、彼らは「新自由主義者」と評されますが、要は彼ら全てが「タルムード思考」だったからでしょう。新自由主義やグローバリズムなどは「タルムード」の焼き直しに過ぎません。
また、第2次イラク戦争を強烈に後押ししたのがキリスト教原理主義です。彼らについては本編の第28話と29話で取り上げ、彼らの実体はキリスト教を名乗ってはいるがサバタイ-フランキストであり、その彼らの聖典は、聖書と言うよりは猛烈な差別観にまみれた「ヨハネの黙示録」であったことを見ています。
しかし、実質としてそれに加えて「タルムード」も彼らの聖典だったわけです。「ヨハネの黙示録」と「タルムード」も、共通するのは猛烈な差別意識の上に成り立っている聖典?ということです。
「タルムード」をあけすけに表現するとこれで、教えの柱の一つは「自分の正体や意図は完全に隠して相手から徹底的に略奪せよ。そのため嘘、隠蔽、捏造、成りすまし、あらゆる手段を行使せよ」です。
サバタイ-フランキストの隠れた聖典が「タルムード」(注)であるのは、彼らがこの教えの実践者なので明らかです。また「タルムード」のもう一つの柱は「姦淫、邪淫を愛せよ」です。
タルムードは基本的にはブラック・ロッジの聖典 ~ユダヤ教徒の中に潜入したカナン族
『悪魔に愛された女』という書物があります。悪魔主義者の集会の様子などが鮮明に描かれており、実際にその場にいて体験した者でないと決して表現できない悪魔儀式の凄惨な内容が綴られています。
この中でも「メーソンの聖典がタルムード」であることを示す場面が出てきます。メーソンとはフリーメーソンのことで、フリーメーソンの由来は実はテンプル騎士団になるので、フリーメーソンの聖典が「タルムード」であるのは自然ではありそうです。ただし気をつけなければいけないのは、決してフリーメーソン全体の聖典が「タルムード」であるわけではないことです。
フリーメーソンの儀式でのバフォメット
Wikimedia Commons [Public Domain]
『悪魔に愛された女』で描かれる悪魔崇拝の集会に集う第20代米国大統領ジェームズ・ガーフィールドを長とする上流社会の名士たちは、フリーメーソンの最上層部のメンバーです。
結社フリーメーソンはピラミッド型の組織で、最上層部のメンバー以外は悪魔儀式などと全く関わりがなく、また最上層部のメンバーでも悪魔儀式に全く関わっていないグループもあります。フリーメーソン最上層部の中で悪魔崇拝グループとそれ以外にと分かれるのです。
フリーメーソンの最上層部の中に「結社内結社」の悪魔崇拝秘密グループが形成されており、ガーフィールドたちはこのメンバーだったのです。
この秘密グループが、地上世界におけるブラック・ロッジ組織です。つまり、カナンを首領とする「地獄のイルミナティ」「表のイルミナティ」組織です。(この解説は映像配信「教育プログラム16」をご視聴下さい。)
その彼らの聖典が「タルムード」というわけで、基本的に「タルムード」とはブラック・ロッジの聖典と規定できます。
『悪魔に愛された女』には「タルムード」に記述される教え、その言葉の主が誰なのか?が描写されていて、その名は映像配信「宗教学講座 第146回 旧約聖書(イルミナティ)」で示されています。
さて、地獄の悪霊たちの聖典である「タルムード」がユダヤ教の聖典に位置付けされるのですが、どういうことか?「タルムード」に次にような一節があります。
🔯「吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認めるものなり。」
🔯「律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。」
律法や聖書、つまり神の言葉よりも「タルムード」、並びに「タルムード」の言葉を降ろしたラビの方が優位で重要だとしているのです。これは唯一の神を信奉する本来のユダヤ教とは相容れないでしょう。
The world should (get) up
— A (@TyseerIbrahim) 2018年3月9日
and recognize that Judaism
rejects Zionism#القدس_توحدنا#قروب_جزائسطين #قروب_فلسطيني #ثائرون_فلسطينيون#FreePalestine #JerusalemIsTheCapitalOfPalestine#BDSOurWeapon #BDS #GroupPalestine #StopArmingIsrael#micropoetry #haiku #haikuchallenge #amwriting pic.twitter.com/DSsf75Yqiz
編集者註:ユダヤ教はシオニズムとイスラエルを拒絶する
実態は、ユダヤ人の中にカナンを首領と仰ぐブラック・ロッジの者、カナン族と言っても良いでしょう。彼らが「成りすまし」で潜入して、ユダヤ教ラビという宗教権威の座を占めてしまったと言うことでしょう。
この構図はカソリックのトップに「タルムード」を信奉する者が就いてしまっているのと同様です。
pixabay [CC0]
pixabay [CC0]
悪魔崇拝の「神」とは? ~野心に突き動かされる意味
「タルムード」はブラック・ロッジ「表のイルミナティ」の聖典ですが、上に述べたようにサバタイ-フランキストの実質の聖典でもあります。
サバタイ-フランキストの首領はロスチャイルド家で、ロスチャイルド家は「裏のイルミナティ」地上組織のトップです。つまり「タルムード」は表裏のイルミナティの、カバールの、「黒い貴族」の、要するに悪魔崇拝の聖典なのです。
悪魔崇拝者を「お前はそのままでいんだよ」と優しく包み込み慰撫し、「さあ、もっと頑張って残虐行為に励め」と鼓舞してくれる聖典なのです。彼らの掲げる「自由・平等・友愛」とは「ゴイを犯すなり殺すなり自由に我々はできる。我々は平等にその権利を有している。この絶対的な権利とその秘密を共有するのが我々の友愛である」と言ったところでしょうか。
彼ら悪魔崇拝者が礼拝を捧げ、それに支配されるところの神?とは一体何か? 外部に現れる存在もありますが、突き詰めていくと悪魔崇拝がひれ伏す神とは、それぞれの自分の中にある「野心」だと思えます。「タルムード」は野心にひれ伏す者に「それいいんだ」と慰撫し、「さあ、もっと野心を燃やせ」と鼓舞する聖典に見えるのです。
pixabay [CC0]
pixabay [CC0]
pixabay [CC0]
麻薬患者と麻薬の関係に譬えられる気もします。麻薬中毒者は麻薬を摂取すると一時的な多幸感と陶酔にふけられるのでしょう。しかしその反作用は凄まじく、麻薬の作用が切れた瞬間に猛烈な「渇き」などを覚え、そのため更に大量の麻薬を求め、その奴隷となります。野心を神とひれ伏していくのは、麻薬の奴隷となるのと同じでしょう。
竹下さんは野心の中身を整理され、中心にあるのが「性暴力」だと位置づけられています。「タルムード」の教えの中心は「姦淫、邪淫を愛せよ」で、「性暴力」まさにこれと符合します。「性暴力」行為はそれを実行する者をやがてはその奴隷にする「麻薬」なのです。
野心の5相と愛の5相
みなさんの価値観がパワー指向であって、力を求めているのであれば、これらの5つの欲望を元にして、それが行動原理としてあなたの心が支配されているのであれば、あなたの心は煩悩だらけ。
煩悩のない心の状態、それが愛です。
二つしかないんです。あなたはパワーを求めるのか、それとも愛を求めるのか。パワーを求める生き方をしたら必ず不幸になります。
煩悩のない心の状態、それが愛です。
二つしかないんです。あなたはパワーを求めるのか、それとも愛を求めるのか。パワーを求める生き方をしたら必ず不幸になります。
そしてもう一つの「タルムード」の教えの中心「自分正体を隠して略奪せよ」は所有欲、権力欲、名誉欲、支配欲の野心に対応しているでしょう。決して満たされることなく求めれば求めるほど「渇き」の飢餓が増大する欲望の麻薬です。
現在、これまで地上世界を支配してきた悪魔崇拝グループたちが白日の下にさらされ、社会から排除される動きが顕著になっています。しかし「タルムード思考」は悪魔崇拝者だけでなく、誰の中にでも潜んでいるのではないでしょうか? この「タルムード思考」の罠に填まらないように克服していくのが、私たち一人一人の課題でもあるように思えます。
そのための強力なツールが、日々の「除霊と浄化の祈り」であり「教育プログラム」でしょう。
それともう一つ、自己に「気づいている」ことでしょう。認識の光です。自身に「タルムード思考」が首をもたげてきた瞬間、それに気づき見つめる作業です。
「ゴイは犬に劣る。ゴイからは奪うべきだ。ゴイは犯して良いし殺しても良い。ただし我々の正体は秘密にせねばならない」。これが「タルムード思考」です。強烈な差別観にまみれています。人種差別や優生思想の元とも言えるでしょう。
また「タルムード思考」はその思考マジックで自分の「残虐行為」を「神に捧げる?崇高行為」にすり替えて認識させます。外的な形では「タルムード」信奉の悪魔主義者は排除されつつあります。
しかし「タルムード」の問題は彼ら悪魔主義だけの問題ではないでしょう。私たち人類一人一人が克服していく課題に思えます。「タルムード思考」の要素は、誰にでもその内側に潜んでいるように思えるからです。