ままぴよ日記 17

 今年のカレンダーをめくりました。

「神が人々に求めているのは地上で幸せに暮らし、愛を拡大することだけです」
という文章が目に飛び込んできました。そのカレンダーを手に持ちながら思わず涙があふれてきました。

 家族をはじめ、いつもたくさんの人に関わりながら目の前の日常を生きるのみの私。心の奥ではいつも神様に近づきたいと思っているのに・・・これでいいのか?と問うてばかりの自分。忙しすぎて至らない自分。不安で先走りする自分。映像配信も見れていない。世の中の真実もどこまでわかっているのやら・・・。
 子育て中のママたちの気持ちや子ども達の生きづらさを感じるたびに自分の無力さの壁にぶつかり、足元の小さな幸せのために祈るばかりです。

 でも、そのように生きているだけでいいのだと思えました。救われました。ありがとうございます。
(かんなまま)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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トンネルを抜ける日


日に日に学校嫌いになっていく孫。いくら励ましても起きている時間の大半を過ごす学校。そのストレスを浄化する術も持たず、唯一自分をさらけ出せる家で弱い弟を一方的に攻撃して、問題のない家庭にまで悪循環を作ってしまう苦しさ。「そんな学校は行かない方がいい!」と言いたいのですが親も余裕がありません。


ばあばの私にできることも限られています。せめて今の邪気を取ってあげて本来の孫を取り戻してあげたいと思いました。「ばあばがあなたの代わりに祈ってもいい?」と尋ねました。下を向いて「ウン」と言いつつ「学校嫌い!先生嫌い!」と言いました。

次の朝、孫に代わって除霊、浄化の祈りをしてガヤトリーマントラを3マラを唱えました。体が寒くなりました。本当に苦しかっただろうことが感じられます。自分自身の除霊浄化をして愛のマントラを唱えました。

ただずっと祈り続けることはできません。私が孫に対して祈っていい存在なのか?私と孫がどこかの身体において拒否し合っていないか?この事態が孫にとってカルマなら介入してもいけません。孫の人生です。ある意味、この経験も成長の過程ですし、それに対処しながら少しずつ自分に自信をつけていってほしいと願っています。

私の子育て経験から言うと、トンネルを抜ける日は突然やってきます。体の成長が爆発的に伸びて内側から湧いてくる生きる力が「そんな事は気にするな!もっとやりたいことは他にあるよ」と後押ししてくれる時期が来るのです。成長する喜びのエネルギーが勝り、小さな何かがきっかけとなって自分に自信が付き、悲観したり、人に当たったりするよりもっと充実した楽しいことがあるということに気が付くのです。

pixabay[CC0]


でもそれはたやすいことではありません。自分とつながり、自分で気が付かなければいけないのです。小さな悟りです。その時が来るまで根気よく見守り、せめて傷つけないようにしてあげたいものです。現にお姉ちゃんが暗いトンネルを抜けてすっきりした顔になってきました。赤ちゃんが生まれたことにより、生活のいろいろな面でお姉ちゃんの活躍の場も広がりました。頼れる小さなお母さんです。優しい顔でお世話をしています。


娘の誕生日


そんな日常の中、娘の誕生日がやってきました。お姉ちゃんと弟はそれぞれにお手紙を書いてプレゼントしたそうです。それを見ていた下の弟は慌てて手に持っていたミニカーをくれたとか(笑)

pixabay[CC0]


弟の手紙には「お母さん、いつもありがとう。おかげでいつも学校で楽ちんをしているよ。いつもお手伝いありがとう。1年生はBとCだけど僕はCがなくて先生から褒められました。アドバイスありがとう。おかげで漢字がきれいになったよ」と書かれていました。お母さんが心配しているのもわかっています。喧嘩ばかりして言えなかったけれど「いつも僕を助けてくれてありがとう!」「先生から褒められているから安心してね!」と伝えたかったのだと思います。最後に「この手紙は絶対に捨てないで」と書かれていました。きっと自分の素直な気持ちを書いた永久保存版なのでしょう。こんな気持ちを持つこと自体が切ないです。

1年生の通知票はABCランクでAがありません。担任の先生は、生徒に注意するときに「そんなことをしたらCしかあげません!」が口癖だとか。だから通知票にCと書かれるのを恐れている子ども達です。脅しながら授業をするなんて言語道断!先生は自分の普段の言動がどれだけ子ども達の成長に影響を与えているのかわかっているのでしょうか?まずは人として生きる道であるヤマ・ニヤマを正してほしいと思います。

残念ながらこんな事例が多すぎます。先生は教科を教える以前に指導者として子どもに直接関わる存在です。子どもは先生の普段の姿を見ています。感じています。その全てを学習しています。そして子どもでもちゃんと持っている良心が混乱していきます。


小学校の先生としての重要な資質は、眉間にしわを寄せて号令することではなく、多様性を認め、良心的で、今を楽しめることです。知識を教える専門的な技術はそのあとです。是非、子ども達に生きる喜びと、人としてのヤマ・ニヤマの道を教えてあげてほしいと思います。これはこれから生きる上での指針となります。だから子どもに関わる専門職の質はとても重要です。そのためには「幸せとは何か?」から問い直さなければいけないかもしれません。つくづく、この世は肝心なことを教えないものだと思います。

ストレスをためて子どもに発散して脅す術しか持たない先生が担任だったら、学校に行かせている限り守ってあげようにも限界があります。その理不尽な方法を学んだ子ども達が家で同じようなことをします。でも子どもたちは日々の生活の中で「それはしてはいけないことだ」「大好きなお母さんが悲しんでいる」こともわかっています。結局、いけないことをしてしまう自分は悪い子だと知っています。そして自分が嫌いになります。孫のつらさがここにあります。

ママへのお手紙という形で本心を伝えることができて幸いでした。娘も「ありがとう。ママもあなたの気持ちはわかっているよ。このお手紙を大事にするね」と孫の気持ちを受け止めてあげました。

そう!時間はかかりますが、先生と戦わなくても親が毅然とした態度で守り続けていれば成長とともにきっとトンネルを抜けていくことでしょう。今から自分の人生を生きていく時期だからこそ、理不尽なことが多い世の中であっても自分の良心と行動を一致させる生き方を教えるのです。それはその子へ愛を注ぎ続けることであり、日常の親の姿で示すしかありません。


相手の幸せを祈る


このように一人ひとり焦点を当てたら毎日いろいろなことが起こります。我が家は家族が多い分、いつも誰かに何かが起こっています。そのたびに、家族の気持ちに思いを馳せ、抱きしめたり、葛藤したり、感情を整理できなくて保留にしたり・・・。そしてそれぞれの幸せを祈り続けます。

でも、相手のことを祈るのは難しい本当に幸せを祈るなら、相手を尊重し、任せる事も必要です。自分本位の期待で祈っても、それはエゴであり混乱するだけです。今の苦労が幸せになるために必要な試練ならば受け入れなければいけません。それは神様からのプレゼントだと思います。

そして、棚から牡丹餅のような祈り方で祈る時と清らかな心で祈る時の違いは明らかです。すべてが神様に届くならば棚ぼた式の祈りは「そんなに都合のいい幸せは本物ではないよ」と遠回りに叶うようになっていて、清らかな祈りはストレートに叶うのだと思います。生き方と連動して叶うものなのでしょう。

pixabay[CC0]


これは私が結婚40年かけて生活の中で学び続けていることです。私の学校は家庭です。
そして、わが孫のことを祈りながら、その先にたくさんの子ども達の幸せに思いを馳せます。親になった我が子のことを祈りながら、その先にたくさんの親たちへと思いを馳せます。我が親のことを祈りながらその世代の人々や自分の老後、世話をする人のことを思います。周りの生き物のことを祈れば目に見えないすべてのものに繋がってまわりまわって自分に還ってくるのだと思います。人は自分だけで生きていけないように、自分だけの幸せなどありえません。

そして愛のマントラは神様の愛そのものです。
至らない自分であっても、心配ばかりしている自分であっても、そのままの思いを乗せて愛のマントラを唱えていると「心配しないで!ただ愛すればいいのだよ」と、それ自体を浄化して愛へと昇華させていただける言葉なのだと思います。この音で世の中が満たされますように!


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は8人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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