竹下雅敏氏からの情報です。
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子育てに於いて「しっかりしなさい」と言う言葉は禁句
配信元)
YouTube 18/9/7
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配信元)
底なしの劣等感を抱えている人の特徴1
— 吉濱ツトム (@yoshihama_t) December 13, 2018
・すみませんが口癖
・罪悪感で人に頼めない
・嫌われる、変に思われる恐怖心が強い
・全て自分が悪いと勘違いする
・過去のやらかしを延々と反芻する
・交流後、自虐的猛省をする
・未来への強い不安と絶望を抱えている
・人付き合いを回避する
・傷つきやすい
深い劣等感を持つ人の日常は自己否定との戦いだ。
— 吉濱ツトム (@yoshihama_t) December 22, 2018
つねに内なる声が
・こんなこともできないのか
・なんであんな振る舞いをしたんだ
・上手くいくわけない
・笑われてるぞ
・嫌われてるぞ
・変に思われてるぞ
・断ったら皆いなくなるぞ
・だからダメなんだ
と、自分自身にモラハラの限りを尽くす
深い劣等感を抱えている人は
— 吉濱ツトム (@yoshihama_t) December 27, 2018
・嫌われる
・変に思われる
ことへの病的な恐怖により、極めて人生の早期から
・自身を捨て
・カメレオンとなり
・周囲に完全な迎合を
・達成することで
・自尊心の防衛を
はかる。
いつしか、呼吸のごとくできるようになる。
自分の正体がわからなくなる。
ウツや深い劣等感を抱えている人は、1日の大半を
— 吉濱ツトム (@yoshihama_t) December 29, 2018
・否定的な自己注目
に費やす。
自分は
・なんてダメな人間だ
・なんであんなことをやらかしたんだ
・あの人は私を嫌ってる
と。
それらの思考に現実的な感情も伴うゆえ、ウツと劣等感は悪化する。
否定的自己注目は加速する。
悪循環に陥る。
「深い劣等感を持つ人の日常は自己否定との戦いだ」とあるように、このような心の状態は望ましいとは言えません。しかし、これと対極にある“底なしの優越感に浸っている人”が幸福とも思えません。また、自己肯定感が強く“自分のことが大好き!”という人も、ひょっとしたらナルシストかも知れません。要するに、この両極端はどちらも幸福な心の状態ではないと思われるのです。
悟りを得ている人は“自分が嫌い”でも“自分が大好き”でもありません。悟りを得ている人に聞いてみると良いでしょう。 “私のことをどう思うかですか? 私は私ですよ”と答えるでしょう。
「私は誰か」を追求すると、最終的に「私は私」に到達するのです。到達するという表現は間違っています。理想を追いかけている私は存在しないからです。
「ヨーガ・スートラ」では、冒頭で「ヨーガとは心の働きを止滅することである」と書かれており、次に、「心の働きが止滅されたときには、純粋観照者である真我は自己本来の態にとどまることになる」と書かれています。
難しい表現ですが、「心の働き」とは、「理想を追い求める心の働き」だと考えるとわかりやすいでしょう。“悟りを得た人の心は静かであり、常に、あるがままの私に安らいでいる”と言っているわけです。要するに、ツイートに書かれているような、自分を責める「内なる声」はありません。また、自分を褒める「内なる声」もないのです。
残念ながら、一足飛びにこの意識状態に辿り着けるわけではありません。自分の心を肯定も否定もせず、ただ見つめ続けるという行が必要でしょう。ひょっとしたら、病気の治療と霊的な修行の方法論は一致するかも知れません。ポイントは、“肯定も否定もせず”というところです。
悟りを得る直前の意識状態というのは、五感を研ぎ澄ませ、内側も外側も全てに気づき続けるというものです。J・クリシュナムルティというインドの哲学者は、この状態を「全的な気づき」と呼んでいます。
苦しみからの解放は、心を見つめて、心のトゲとなっている想念を暴き出すより方法がありません。それは、気づくことによって直ちに起こります。
冒頭の動画で語られているように、親の何気ない一言が、本人には呪いの言葉になっているというケースが多々あります。子供を不幸にする呪いをかけないようにするにはどうすれば良いでしょう。それは、「あるがままを愛すること」です。