福島瑞穂議員のスピーチ:安倍政権による東京新聞記者への質問制限や、国会議員の質問への削除要求は他の人への萎縮効果を狙ったもの、解決策は「連帯」

 インドア派キャンパーさんが「短いので聞くといいです。」と勧められていて、聞くと、本当に短く(10分程度)愉快な話しでありながら、今、東京新聞の望月記者に対して行われていること、そして国会で起こっていること、それらと地続きで民主主義が脅かされている状況が簡潔に語られていました。
文字で重要部分を要約するつもりでしたが、内容全て削るところのないもので、結局書き起こしになってしまいました。
 福島瑞穂議員は、明るくお茶目に話されていますが、とても勇敢な方だなあと改めて敬服します。
民主主義の要は、表現の自由(憲法21条)です。そして表現の自由は、知る権利も当然に保障されています。ところがDV政権である安倍政権は、目障りな東京新聞の望月記者への質問制限をし、今もって撤回もしていません。
これと同じ構図が国会内でも行われていて、福島瑞穂議員の発言への強引な削除要求や安倍総理の恫喝発言が行われてきました。これらは、一記者、一議員への圧力というよりも、見せしめ的に他の議員への萎縮効果を狙ったものだと話されています。
どこまで卑劣な政権なんだ。
 しかし、おもしろ可笑しくスガ氏を茶化して「オレを不愉快にさせるような質問をするな」と、権力の本音を説明されると、連中におべっかを使ったり、首を引っ込めたりすることがアホらしくなります。
 権力を縛り、監視するのは健全な国会、野党、メディア、そして市民で、これらの連帯がキーだと語られています。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)




(以下、書き起こし)
 今日は、国民の知る権利の侵害を許しませんということで、このような集会が開かれることに心から連帯のご挨拶を差し上げたいと思います。
権力は、憲法によって縛られている。そして権力や行政をしっかり監視をしなければならない
で、監視をするものは、三権分立であったり、国会、野党、メディア、市民だと思っています。

しかし今、安倍政権下で、それぞれへの圧力が強まっています
表現の自由や知る権利、様々な市民的自由が制限されたり圧迫されることがないように、思想信条の自由や信教の自由など、全部含めて侵害されないよう気持ちを合わせて大きくアピールをしたいと思います。

今、望月記者の果敢なる質問への制限が行われていて、撤回もされていません。
管官房長官が「あなたの質問には答えません」と言いました。記者会見は権力をヨイショする場所ではなく、チェックする場所であるにもかかわらず、ひどい話です。

 同じようなことが国会でも起きています
2015年の安保関連法のことを戦争法と言い(私だけではないのですが)、削除要求を受けました。とりわけ安倍総理出席の元での予算委員会での質問に削除要求がけっこうあって、「戦争法」「鉄面皮」「自殺にまで追い込んで守ってもらったんじゃないですか」「現代の奴隷制たる技能実習生」これらの言葉は削除要求を受けました
でも、これらは全て、他の野党も協力して「削除要求はおかしい」と言ってくれたおかげで削除されずにそのまま議事録に載りました。

しかし今の安倍政権がひどいのは、「戦争法」などこれらの言葉は、過去、国会で使われてきています。
「鉄面皮」は戦後51回、ある社会党の議員などは自民党のことを「嘘つき、ぺてん師、いかさま師、詐欺師、鉄面皮」など10個くらい並べて「これが自民党政治だー」とまで言っていることがそのまま議事録に載っているのです。
つまり不用意に傷つけるのではなく、おかしいではないかということが大事だと思います

 2017年3月16日、加計学園のことを質問したら、安倍総理が「福島さん、あなた名前を言いいましたね。あなた責任取れるんですか」と言う。
私は(それは)おかしいと。権力をチェックするのが国会であり、野党の国会議員であると。私は質問があるから聞いているのであって、国会議員を恫喝する気ですか。」と答え、本当にそう思っている。

まさに官邸の望月記者への恫喝と同じですが、議事録をつらつらと読み返して思うのは、二度と「加計学園」という言葉が国会で発せられないように、そんな風に安倍総理がガーッと言うと、みんなも「おっとっと」と萎縮して、そのことを国会で質問しないように(その意図をもって)安倍総理は恫喝したのではないかと思っています。ただ(実際には)そうならずにブレークしてみんなが質問するようになりましたが、構造としてはとてもよく似ている。

つまりこれを、ある東京新聞の女性記者が官邸前のスピーチで「面前DV」と言って、ああ、そうだと思いましたが、望月記者や一人の国会議員に対する恫喝、制限だけではなく、その場にいる全ての記者や野党の国会議員に対する萎縮効果を狙っている。「もう質問するな」と抑え込む役割の元に行われていると思う
だから私が「嘘じゃないですか」「嘘つき」と、嘘をついているのですから当たり前のことを質問したことすら問題視され「王様は裸だと言ったらダメなの?」みたいになっている。

私たちは免責特権があり、まさに発言することでチェックをするし、記者は、とりわけ表現の自由に資する知る権利、憲法21条の元にある知る権利のために頑張っているのであって、これを制限することは個人への圧力ではなく、社会に対するチリング・エフェクト(萎縮効果)、民主主義を破壊する行為だと思っています。だから面前DVと言ったのは本当にそうで、「DV政権」的であって、、。

要するに官邸で菅さんがやってること、役人を使って国会で時々起こる削除要求、、これは予算委員会でだけ、安倍総理が出席している時だけ、理事が「わ〜〜っ」と言って「え、先ほどの福島瑞穂議員の発言に不適切な部分があったので後刻理事会で協議します」となりますが、でもね、「技能実習生は現代の奴隷制だ」と厚生労働委員会で言っても何にも問題にならないんですよ。だからあれは「おべっか」としての、TV入りの時のひとつのプレゼンテーションとして「野党の国会議員が極めて不適当なことを言っている」という(印象付け)、だから望月さんも「え?なんか変な質問してる?」みたいなイメージ操作であれをやっているのではないか。他の委員会は、もっと自由にやってるんですよ。その意味では安倍政権の元でそのようなことが行われている。

先ほどDV(ドメスティック・バイオレンス)政権と言いましたが、権力を行使して、沖縄に対してもどんなことがあってもガンガンやろうとするDVの構図に似ています。菅官房長官の官邸も、国会で行われる削除要求も「オレを不愉快にするような質問はするな」ということです。違うのです。権力をチェックするのがメディアであり、国会であり、野党なのに「オレを不愉快にさせるような質問はするな」というのでは民主主義が成り立たないではないですか。権力が暴走し続けて誰も異を唱えないのはおかしいと思います。

それから、私は全ての意見は政治的なものだと思います。年金がどうとか物価がどうとかお金がどうとかいう意見は全て政治に直結したものだと思いますが、芸能人やタレントの人や様々な人がちょっとでも政治的な発言をすると「控えるべきだ」とインターネットなどで見られます。「政治的な発言やめろ」という発言こそ政治的ではないですか。ネット上では「若い女性のくせに」などと、特に女性が叩かれていますが、ちがうでしょう。一人一人が主権者で、一人一人が政治的発言をして、間違えたり、人の意見を聞いたり、それこそが民主主義なのに、メディアで働く記者の人たち、国会議員や市民運動をやる皆さん、そして本当に一人一人の市民に対して、そういう風に「政治的発言をするな」とか恫喝をかけ、「お前のやり方はおかしい」とあたかも(やり方が悪いように)批判し、「オレが不愉快になるような質問はしないように」ということが蔓延していけば、この社会に民主主義はなくなると思っています。

表現の自由は、まさに民主主義の中の要です。表現の自由のないところに民主主義はあり得ません。だからこそ、たくさんの記者、とりわけ望月さんのことをみんなで応援し、そして一人一人の市民も表現の自由を持ち、発言し、頑張るんだということを一緒に実現していきたいと思っています。

みんな実は地続きですよね。
「政治的な発言をするな」という極めて政治的な発言をする人たちも、地続きに弾圧されている
と私は思っています。

で、キーワードは「連帯」です
私への削除要求も、他の野党が「おかしい」と言って協力してくれて、削除されていないんですね。
国連の表現の自由に関する特別報告者が「日本に欠けているのは連帯で、みんなで連帯すれば記者の方たちも解決できる」と言ったように、連帯、一人ぼっちにさせない、みんな地続きで繋がっている、みんなで声をあげよう、みんなで守ろう、みんなで応援しよう、みんなでもっともっと民主主義が生きる社会にしようというのが、やっぱり私たちの解決策であり、望月さんも応援し、孤立させないで連帯し、共有し、変えようというふうに思っています。



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