ままぴよ日記 30

 同じ夫なのに暮らす国によって子育てへの関わりが一変することを目の当たりにした若かりし頃の私。仕事と家庭はどちらが大事?働き方をどうにかできないのか?不満を募らせて泣きながら抗議しましたが結果は耳をふさがれました。夫婦仲が悪くなるだけの現実に、これは私が求めているものではないと気が付いて自分の問題として取り組む道を模索してきました。そしてその思いが原動力となり、子育て支援の仕事につながりました。
 もうそんな感情は卒業したと思っていたのですが、娘の海外生活を見ながら日本は何も変わっていないと、別の視点で昔の気持ちがよみがえってきました。それは、むしろ今の方が深刻で、押し寄せる津波のように夫婦の問題を越えて家族に重くのしかかってきています。
(かんなまま)
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涙の理由


機上から富士山がきれいに見えてきました。日本は快晴です。
それを見て不意に涙がこぼれ落ちました。私は何故泣くの?自問するまでもなく悲しかったのです、帰国するのが。


38年前、カナダのトロントから2歳と、9か月の子ども2人を連れて帰国する時の私の正直な気持ちでした。ああ、今から仕事中心の生活で夫が帰ってこない日々が始まる。私は嫁としての人生が始まる。

カナダで体験したのは家族水入らずの暮らし、子育てを夫婦でするという当たり前のことでした。でも、当時の日本では当たり前ではありませんでした。案の定、日本に帰ってきた途端、夫は朝早くから夜遅くまで帰ってきません。勤務医にタイムカードはありません。土日は学会や勉強会もあります。その他の休みはストレス解消を兼ねての付き合いゴルフ。飲み会も盛んでした。

私は帰国して10年ほどトロントに帰る夢を見ました。多分トロントに帰りたいのではなく、あの家族で過ごした生活に戻りたかったのです。


毎日働いて当直までしながら給料をもらえないという実態


その後、日本は体制が変わったか?と言えばNOです。特に医者の世界では小泉政権の時の医療改革で臨床医研修制度が変わり、大学以外の病院でも研修できるようになりました。最先端医療の研修ができる都会の大病院や給料の高い病院に研修医が集中したため大学に残る医者が激減しました。大学が担っていたへき地医療や関連病院への人材派遣が滞り、残された医者の仕事だけが増えていきました。

Author:Taisyo[CC BY]


その時、大学の研修費と診療報酬も大幅に引き下げられたので大学病院は経営難に陥りました。でも大学病院の人事システムはそのままで、各医局に割り当てられたお金で医者の労働に見合った給料を払えるはずはありません。多くの医者が研修という名のもとで当直までしながら毎日働いているのに給料をもらえないのです。最近やっと、そんな無給医が2000人以上いるとテレビで放送されましたが、そんな数ではないと思います。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201906/CK2019062802000276.html

夫の時代もそれが当たり前。嫌だと言ったら経験を積む道はありませんでした。私の息子も大学病院に戻れば無給です。15年のベテランで研修医の指導もしているのに・・・です。ちなみに研修医の2年間は給料が保証されています。

その上、無給医は国民健康保険や国民年金に自費で加入して、医局費を払った上で働かされます。雇用関係がないので子どもを保育園に入れることもできません。生活費は休日に他の病院で当直をして稼ぎます。

過労のため居眠り運転で事故死した人、家のふろで寝てしまって亡くなった人を知っています。息子も2日連続の当直明けで病院に戻っている時に追突事故を起こしました。食事をとる暇もなく、いつもコンビニでカップ麺。「栄養のあるものを食べて休息が必要です」と患者さんに指導しながら・・・笑うしかない。当人達はこんな制度はおかしいと反論する気力もありません。私は心配というより怒りさえ覚えました。若さで乗り切りましたがこんな負の連鎖は断ち切らなければいけません。



ボストンでのラボ通い


さて、娘は子どもができた時点でフルタイムで働くことを諦めましたが、娘のパートナーは経験も積み、腕も上がり、働き盛りの年齢になりました。大学院で研究を重ねて博士号を取りました。これからどういう道を進むのかを考えた時、海外で経験を積むのは今しかないと思いました。正直、閉鎖的な病院から抜け出したかったのもあります。

受け入れ先も自分で探してボストンに旅立ちました。大学病院のスタッフが少ないので行く直前まで手術、当直を割り当てられて渡米準備のための休みを貰えない日々。「こちらはスタッフが減って迷惑を被っているのだから行く直前まで仕事をこなすのは当たり前だろう!」と冷たいのです。みんな疲れています。

おかげで娘が何から何まで準備をすることになりました。そしてボストンに着き、これからお世話になるラボに通い始めましたが、こちらの世界も実力の世界です。言葉のハンディを抱えながらも頑張りをアピールして研究費を獲得しなければいけません。

研究費を貰わなければ家族を支えられないというプレッシャーもあったと思います。自分の存在意義を証明するために猛然と働き始めました。朝は7時半から夜の10時まで。土日も出勤です。娘が熱を出しても同じペースで働きます。まさに日本男子。

アメリカに来て、その厳しさが初めて分かったのですが、世界中から研究者が集まるラボを持っている先生といえども安泰ではなく、前年の研究の成果が次年度の研究費確保につながるので、毎年毎年ラボの存続、研究費の確保のために必死で結果を残し、次年度の研究費を申請して確保するというシステムになっているようです。

だからほとんどの研究者は安定した生活の保障がありません。いつこの研究が打ち切られるか?研究費がなくなりラボを転々としたり、帰国する人も多いとか。夫婦で来たのに旦那さんが日本式働き方を続けて離婚したとか、子どもの学校の遅れが気になって帰ったりする人も多いそうです。


パートナーの性格を知り尽くしている娘と、仕事中心の生活


さて、娘夫婦は?というと、パートナーの性格を知り尽くしている娘は一言も愚痴を言いません。手伝いは全く期待しない。母親の私にも一言も愚痴を言いませんでした。これは見事でした。

初めて車を買って運転して帰る時も私はパートナーが行ってくれるものと思っていました。生活を整えるための休みはくれるはずですし、そんな危険な事は男がするものという固定観念がありました。娘は「私の方がずっと運転する機会が多いので当たり前よ」とあっさりしています。なるほど!あなたは逞しい!


実は、そこに至るまで何度も事件があったようです。同じ医者でもあり、同じ環境で仕事をしていましたが女性は子どもが生まれたら自ずと生活が変わります。男性は働き方を変える必要がありません。たとえ出産の日であっても、です。

やがて仕事復帰しても子育てと家事は全て娘の仕事となり、子どもが病気して休む時も娘だけが職場に気を使いながら休んでいました。その時が一番苦しかったようです。パートナーに色々訴えても職場環境が許さないからと耳を貸してくれませんでした。

3人目を出産しました。でも半月後、私が「安静が必要だからもっと居なさい」と止めるのも聞かないでアパートに帰ってしまいました。その真意を測りかねていたら娘がポロリと一言。「一緒に暮らさなければ、赤ちゃんのいる生活を実感してもらえない。かわいいと思う気持ちと、大変だと思う気持ちを共有してもらうには早く帰るしかない。今までは私一人で頑張れたけど3人になったら無理。協力してもらわないと」と。そして自分は仕事復帰しないと宣言しました。

脳神経外科医は緊急手術が多くて過酷な仕事だから結婚してはいけないとさえ言われています。口で「協力して!」「あなたの子でしょ!」と感情的に言ってもケンカになって落ち込むだけです。パートナーも疲れ果てていますし、同僚も同じ環境で働いています。


これは夫婦の問題を越えています。日本は働く人の人権に沿った働き方改革が必要です。長時間労働を減らし、みあった給料を払い、人間らしい生活を送られるようにしなければ始まりません。そして長時間バリバリ仕事をする人=できる男という評価を変えなければ!

でも家庭の中では少しずつ変化が出てきました。昼はもちろん一人で子育てをして、夜中も何度も起きて赤ちゃんのお世話をする娘を見て、自分も抱っこしたりおむつを替えたりしてくれるようになりました。そして「かわいい!」と本心で言ってくれるようになったのです。その後、たまの休みに子ども達を公園に連れて行ってくれて「子どもと遊ぶと癒される!」と言いながらも・・・仕事中心の生活は変わりませんでした。

さすがに4人目を産むときは私が泊まり込みでお世話をすることになりました。娘がお産で入院している間、子ども達を学校や幼稚園に送り出さなければいけません。孫が不安になって「お父さんと行く!」と言っても自分の出勤時間を変えない婿。帰りも遅い。私が居ることで安心して任せていたようですが、オーストラリアの婿は私が居ても赤ちゃんの世話や家事を率先してやっていたのを考えると、何と日本の男性、そして職場は家事や子どもの世話を父親の仕事と思っていないのだろうかと思いました。

そういえば、私のお産の時も、上の子どもを連れて実家に帰りましたが、お客さんのようにしている夫に対して私の母が「娘がお世話できなくてすみません」と謝っていました。

さて、今回はパートナーの人生でも大きな賭けのような留学です。世界を舞台にして更に仕事モードになるだろうと想定できました。でも娘がついて行った本当の理由は、家族を優先する社会の中でパートナーが否応なく休みを取らされて、子どもと触れ合ったり、大自然の中で過ごすうちに家族団らんの喜びを自ら味わってほしいという事でした。それを一番必要としているのはパートナーだという事を知っているからです。

うまくいくのでしょうか?


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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