玉依姫(タマヨリヒメ)が内宮となり神日本磐余彦尊(神武天皇)を生んだ紀元前711年の前後で、ホツマの神々の世界に異変が起こった!

竹下雅敏氏からの情報です。
 鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアワセズノミコト)と玉依姫(タマヨリヒメ)の子が神武天皇(カンヤマト・イワワレヒコ)です。玉依姫には不思議な伝承があって、賀茂川で禊をしていたところ、白羽の矢が飛んできて河合の館の軒に刺さり子を身籠ったというのです。この子は後に御毛入尊(ミケイリノミコト)と名付けられます。
 ホツマツタヱの年表から分かるように、玉依姫が後にミケイリと名付けられる子を産んだのは、紀元前118,624年です。また、鵜葺草葺不合命が玉依姫を内局に迎え、連れ子を御毛入尊と名付けたのは、紀元前66,055年になります。
 紀元前60,687年に、天照大神が神上がります。そして、玉依姫が内宮となり神日本磐余彦尊(神武天皇)を生んだのは、紀元前711年です。
 記事で触れたように、別雷神(ワケイカヅチノカミ)は「アマテルがニニキネに授けた名」なのですが、玉依姫は「白羽の矢」によって身籠り、“矢は「別雷の神」だと噂された”というのですが、後に御毛入尊と名付けられた子の父親はニニキネではなく、大山咋神(おおやまくいのかみ)だと私は考えています。
 この部分の伝承は混乱しており、恐らくはわざと混乱させていると思われるのですが、この伝承に関しては次回に詳しく解説するつもりです。
 いずれにせよ、玉依姫が内宮となり神日本磐余彦尊(神武天皇)を生んだ紀元前711年の前後で、ホツマの神々の世界に異変が起こったようです。神武天皇誕生以前では、鵜葺草葺不合命と玉依姫、天児屋根命(あめのこやねのみこと)積葉八重命(つみはやえのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと)などのホツマの神々は、図に示した「3.0次元の5層」に肉体(狭義)の「身体」の焦点があるのですが、神武天皇誕生以降では「3.0次元の6層」に変化しているのです。
 天児屋根命は、先の年表によれば紀元前685年に1,560,025歳で神上がり、積葉八重事代主命は、紀元前668年に843,048歳で神上がっています。神武東征で神武天皇のもとに下った饒速日命は、この時少なくとも89万歳でした。ところが、神武天皇は紀元前711年に生まれ、紀元前660年に52歳で即位し、紀元前585年3月10日に、わずか128歳で崩御しているのです。
 神武天皇以降は寿命が急激に短くなるのですが、「ホツマの神々」が神武天皇の誕生の前後で、3.0次元の「5層」から「6層」に降下した理由は、今のところ「謎」のままです。
(竹下雅敏)
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【27 御祖神船魂の紋】


hotumatutaye.com/wp/wp-content/uploads/2014/06/260610ほつまつたゑ全文.pdf より一部抜粋
御祖神(ミヲヤカミ)船魂(フナタマ)の紋(アヤ)
    (前略)
    レノサキ   カモタケツミト  これの先  カモタケツミと 
    イソヨリト  ソミスズマデモ  イソヨリと 十三スズ迄も 
    コナキユエ  ワケツチカミニ  子なき故  ワケツチ神に 
27-25 イノルヨノ  ユメニタマワル  祈る夜の  夢に賜わる 
    タマノナノ  タマヨリヒメヲ  玉の名の  タマヨリ姫を 
    ウミテノチ  ヒタシテヨハヒ  生みて後  養して齢 
    ソヨスズニ  タラチネトモニ  十四スズに タラチネ共に
    カミトナル  アカヒノカミゾ  神となる  アカヒの神ぞ
    (中略)
    ミソギナス シラハノヤキテ  ミソギなす 白羽の矢来て 
    ノキニサス アルジノオケノ  軒に刺す  主の月経の
    トトマリテ オモハズヲノコ  留まりて  思はず男子  
    ウミソダツ ミツナルトキニ  生み育つ  三歳なる時に 
    ヤオサシテ チチトイウトキ  矢お指して 「父」と云う時 
    ヤハノボル ワケイカツチノ  矢は昇る  ワケイカツチの 
    カミナリト ヨニナリワタル  神なりと  世に鳴り渡る

「完訳 秀真伝 下巻 鳥居礼編著 八幡書店」を参考にすると、意味は次のようになる。

河合の館に暮らしていた賀茂建角身命と五十依姫は、十三鈴経っても子供が出来ないので、別雷神(ワケイカヅチノカミ)に祈ると、夢に玉が現れ子供が出来たので、その子を玉依姫と名付けました。産み育てて十四鈴の時に両親は神上がりました。
 玉依姫はある日、禊をしていると白羽の矢が飛んできて河合の館の軒に刺さりました。すると姫の月経が止まり子を身籠りました。その子が3歳になった時、白羽の矢を指して、「父」と言うと矢は空に飛び上がりました。この噂はたちまち広がり、その矢は「別雷の神」だと噂しました。
 
この伝承にあるように、玉依姫の両親は別雷神(ワケイカヅチノカミ)に祈り、子を授かったので、玉依姫は両親が神上がった後も別雷神を祠に祀っていました。別雷神とは、「田水のために各地に池川を掘り、その土を盛って山を造るというニニキネの大いなる功績を称えて、アマテルがニニキネに授けた名」で、ニニキネのことです。

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya27.html
タマヨリ姫に白羽の矢
神武天皇の誕生
(前略)
怪しくも、お美しい姫御子(ひめみこ)の元に、諸国の国神からの結婚の申込が殺到しますが、姫は頷かずに、タカノの森に御子共々隠れ家(かくれが)を造り、世間から身を隠して住まわれ、そこにワケイカツチ神の小祠(ほこら)を造り、常に御陰(みかげ)を慕いてお祭りしておりました。
 この噂が、いよいよ君のお耳にも入り、真実を確かめよとの詔が伝えられました。
(中略)
君が親しく姓名(うじな)をお尋ねになると、姫はりんとした声でお答えになり、
 「私の父はタケズミで、母の名はイソヨリと申し、両親が私の名前をタマヨリと名付けました。ハデズミの孫でございます。私のこの子には、父はございません。神に授けられた子です。父がなければ、イミナもできず、人は皆イツモの御子と呼んでおります」
(中略)
君は詔りされ、姫を内局(うちつぼね)として迎え、イツセ御子を養育されることになり、イツモの御子には、ミケイリ御子と名を賜わりました。その後、局の時に産んだ御子の名はイナイイ君ともうします。
 中宮になられてからお生まれになった御子の名こそ、カンヤマト・イワワレヒコの御子となられ、その時アメタネコがタケヒト君と実名(いみな)を捧げました。
(以下略)
 
鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアワセズノミコト)は、八瀬姫(ヤセヒメ)との間に五瀬尊(イツセノミコト)を儲けたのですが、八瀬姫は身罷り御子に与える乳が無いので、御乳姫(おちつも)を求めるお触れを出しました。
 お触れを見た民が、“一枝山(比叡山)の麓にお姫さまが住んでおり、たいそう良い乳が出る”と申し上げると、鵜葺草葺不合命は玉依姫を内侍として迎えて、五瀬尊を養育させました。玉依姫の連れ子(イツモの御子)は御毛入尊(ミケイリノミコト)と名付けられました。

https://www.gejirin.com/src/Ta/tamayorihime.html
タマヨリヒメ
→ 語義

玉依姫。
カモタケズミイソヨリ姫の娘。コモリおよびハテスミの孫。
なかなか子が出来なかった二人が、ワケツチ神に祈って賜った娘。
白羽の矢によりミケイリを生み、日似山麓の出雲路森(高野の森)に隠れ住む。
その後ウガヤ内局になってイナイイを生み、さらにウガヤの内宮になってカンヤマトイハワレヒコを生む。


(以下略)


【神武天皇の存在界層】
                               

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