夢のお告げの通りに武仁尊(神武天皇)の前に、“ヤタノカラス(八咫の烏)と称する翁”が現れて、その導きで大和の宇陀に至った ~プラズマ体で武仁尊のいる「6層」に姿を現したヤタノカラスの翁

竹下雅敏氏からの情報です。
 ウィキペディアの「神武東征」によれば、ホツマツタヱの伝承によく似た記述があります。

古事記
「神倭伊波礼毘古命が熊野まで来た時、大熊が現われてすぐに消えた。すると 神倭伊波礼毘古命を始め彼が率いていた兵士たちは皆気を失ってしまった。この時、熊野の高倉下(タカクラジ)が、一振りの大刀を持って来ると、神倭伊波礼毘古命はすぐに目が覚めた。高倉下から神倭伊波礼毘古命がその大刀を受け取ると、熊野の荒ぶる神は自然に切り倒されてしまい、兵士たちは意識を回復した。神倭伊波礼毘古命は高倉下に大刀を手に入れた経緯を尋ねた。高倉下によれば、高倉下の夢に天照大御神と高木神(タカミムスビ)が現れた。二神は建御雷神を呼んで、“葦原中国は騒然としており、私の御子たちは悩んでいる。お前は葦原中国を平定させたのだから、再び天降りなさい”と命じたが、建御雷神は、“平定に使った大刀を降ろしましょう”と答えた。そして高倉下に、“倉の屋根に穴を空けてそこから大刀を落とすから、天津神の御子の元に運びなさい”と言った。目が覚めて自分の倉を見ると本当に大刀があったので、こうして運んだという。その大刀は甕布都神、または布都之御魂と言い、現在は石上神宮に鎮座している。また、高木神の命令で遣わされた八咫烏の案内で、熊野から吉野の川辺を経て、さらに険しい道を行き大和の宇陀に至った。」

日本書紀
「磐余彦尊は息子の手研耳命とともに熊野の荒坂津に進み丹敷戸畔を誅したが、土地の神の毒気を受け軍衆は倒れた。この時、現地の住人熊野高倉下は、霊夢を見たと称して韴霊(かつて武甕槌神が所有していた剣)を磐余彦尊に献上した。剣を手にすると軍衆は起き上がり、進軍を再開した。だが、山路険絶にして苦難を極めた。この時、八咫烏があらわれて軍勢を導いた。磐余彦尊は、自らが見た霊夢の通りだと語ったという。磐余彦尊たちは八咫烏に案内されて菟田下県にいたった。」

高倉下命が見た夢の中で、“武甕槌命が「経津の御魂の剣を倉に置く。これを武仁尊に差し上げなさい」といったので、「あいあい」と言ったところで夢から覚めた”というのですが、「ホツマ物語 神とオロチ 鳥居礼著 新泉社」によれば「天日天日(あひあひ)」で、天日(あひ)とは、“天のアマテル神の考えのままに”という意味だという事です。
 武仁尊(神武天皇)は、ヤタノカラスの導きで大和の宇陀(奈良県宇陀郡)に至ったのですが、夢のお告げの通りに武仁尊の前に、“ヤタノカラス(八咫の烏)と称する翁”が現れたのです。
 2015年1月5日の記事で、“ヤタノカラスとは、3本足の烏ではなく翁なのです。おそらく杖をついた老人だったのでしょう。私はこのヤタノカラスというニックネームが付けられた翁は、イスラエルの失われた十支族のレビ族の長老で、この辺りに住み着いていたのだと思います”とコメントしました。
 さらに詳しく調べると、ヤタノカラスの翁は、当時「肉体(狭義)」を3.0次元の「7層」に持っていたことが分かりました。ヤタノカラスの翁は霊能力者で、プラズマ体で武仁尊(神武天皇)のいる「6層」に姿を現したのです。
(竹下雅敏)
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【29 タケヒト、ヤマト討ちの綾】

http://hotumatutaye.com/wp/wp-content/uploads/2014/06/260610ほつまつたゑ全文.pdf
タケヒト,ヤマト打ちの紋(アヤ)
(前略)
ネブルトキ タカクラシタニ 眠る時 タカクラシタに
ユメノツゲ タケミカツチニ 夢の告げ タケミカツチに
ミコトオリ クニサヤケレバ 「国喧擾ければ
29-14 ナンヂユケ カミニコタエハ 汝行け」 神に答えは
ユカズトモ クニムケツルギ 「行かずとも 国平け剣
クダサント カミモウヱナリ 下さん」と 神も「宣ゑなり」
ミカヅチノ フツノミタマオ 「ミカヅチの フツの御魂お
クラニオク コレタテマツレ 倉に置く これ奉れ」
アヒアヒト タカクラシタガ 「あひあひ」と タカクラシタが
ユメサメテ クラオヒラケバ 夢覚めて 倉お開けば
ソコイタニ タチタルツルギ 底板に 立ちたる剣
29-15 ススムレバ キミノナガネノ 進むれば 君の長寝の
イヱサメテ モロモサムレバ 毒気覚めて 諸も覚むれば
イクサダチ ヤマヂケワシク 軍立ち 山路嶮しく
スエタエテ ノニシジマイテ 末絶えて 野にしぢまいて
スメラギノ ユメニアマテル スメラギの 夢にアマテル
カミノツゲ ヤタノカラスオ 神の告げ 「ヤタの烏お
ミチビキト サムレバヤタノ 導き」と 覚むればヤタの
カラスアリ オオヂガウガツ 烏あり 遠祖が穿つ
29-16 アスカミチ イクサヒキユク アスカ道 軍率き行く
ミチオミガ ミチオミが
(以下略)

「完訳 秀真伝 下巻 鳥居礼編著 八幡書店」を参考にすると、意味は次のようになる。

(武仁尊の率いる神軍は荒坂(三重県南牟婁郡荒坂村)まで進むことが出来た。その地で動物霊を操る丹敷戸(にしきど)が軍を拒み、妖気を吐きかけてきた。神軍は毒気に当てられ、みな疲れ伏し眠ってしまった。)
高倉下命(タカクラシタノミコト)に夢の告げがあった。武甕槌命(タケミカツチノミコト)に天照大神から「国が騒がしいので汝が行くがよい」と詔があった。武甕槌命が「私が行かなくとも、国を平定する経津の御魂の剣を下せば大丈夫でしょう」と答えると、天照大神も「もっともだ」と仰せになった。
 武甕槌命が「経津の御魂の剣を倉に置く。これを武仁尊に差し上げなさい」といったので「あいあい」と高倉下命が言った所で夢から覚めた。倉を開けて床に立ててある経津の御魂の剣を取り出し武仁尊に差し上げると、君は毒気による眠りから目覚め、一行も覚め軍を進めた。山道が険しく道もなくなり、野原で沈んだ気持ちで君がまどろんでいると、夢に天照大神の告げがあった。「ヤタノカラスを導きとせよ」
 目が覚めると、ヤタノカラス(八咫の烏)と称する翁が現れた。翁が切り拓いた飛鳥道を、道臣(ミチオミ)が軍を率いて進んで行った。


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【ヤタノカラスの存在界層】

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