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自己肯定感が低い日本の若者
日本の若者(13歳~29歳)は諸外国に比べて自己肯定感が低いと言われています。
同じ調査で、若者の政策決定過程への関与を問うたら、「子どもや若者が対象となる政策や制度については子どもや若者の意見を聞くようにすべき」と思う若者が圧倒的に多いのに「私個人の力では政府の決定に影響を与えられない」とあきらめているのが読み取れます。
20%が親から愛されていないと感じている。48%が自分は役に立たないと感じているのには驚きました。そして、早く「仕事をして稼ぎたい」という回答が多いのは経済的不安や仕事がないという事かもしれません。
今の日本の社会が、若者の自立心や、働きたい、社会に貢献したい、という意欲を削いでしまっているのです。いったい、どのくらいの子どもや若者が自分は自分らしく生きていると実感しているのでしょうか?
まさにコロナ禍の大学生が「私たちの叫び 2021」という動画を作ってくれました。
私たちの叫び 2021
本来ならば大学で友達を作り、大人と子どものはざまで自分の将来を考え、自分と戦い、自立しようともがく年頃の若者達が、コロナ禍でその場を全て奪われてしまったのです。これは若者の未来を根こそぎ変えるほどの大災害です。でも、若者の声は密室の中でかき消されて誰も気づいていません。子育ての孤立化と同じです。
でも、周りを見回すと、大人自身も自分の人生を生きていないし、自分の存在価値を見失って負の連鎖の中にいます。
私達は幸せになりたくて生まれてきたのに、どうしてこうなるのだろう?
私がこんな大きなテーマを世間に向かって問うても何から始めたらいいのか?無力です。
現に、市の子育てに関する行動計画を作る「子ども子育て会議」「総合計画会議」「男女共同参画会議」「教育の未来を語る会」に何度も参加して、その都度、子どもや親の現状を代弁してきました。特に、子どもの施策に関しては主体が子どもである事、子どもの育ちを保障する環境を作る事などを具体的に、声を大にして提言してきました。でも何も変わりません。
その上、若者に対する支援施策が全く存在しません。「子ども」というくくりで18歳まで入っていますが、話し合われるのは義務教育の中学までの事ばかりで、それ以上の高校、大学、就職の時期の支援が抜け落ちているのです。この環境下で独り立ちしようとしている若者を支援するのは急務なのに。
余談ですが、計画書や条例は前もってたたき台を作り、それをもとに会議が進みます。計画書を作る専門の業者がいて、ほとんどが丸投げで委託します。もちろん公費です。高いです。市の職員は異動があり、いわば事務職なので、専門的な知識がありません。だから専門の業者に委託して、たたき台を作るのは仕方ない事だと思います。
それをもとに、地域の特性や問題点をみんなで審議して行動計画を作り上げるのです。だからこそ、審議会、委員会委員には現場のことを知る専門家や当事者を入れるべきです。我が町は審議会、委員会の男女比率を30%にすることを目標にしていますが、今年度はやっと24%になりました。市会議員は21人中1人です。まだまだ男社会です。
そして、審議委員は既存の婦人会、PTA、民生委員会、青年会議所、区長会、園長会、学校長会などの関係団体に声がかかります。そうなると自動的に会長が審議委員になるわけですが、残念な事に充て職*なので、ほとんどが男性。必ずしもその審議内容に関心がある人ではありません。たいていの場合は代表として出席することに目的があり、滞りなく会議が進むことが大切なのです。
* 充て職 (官公庁用語)ある職に就いている人に他の職を兼任させること。または、ある職に就いている人の身分・地位をそのままに他の職に従事させること。例えば、県知事が関連団体の理事長を兼ねる、また、裁判官が法務省で法務行政に従事するなど。(Goo辞書より)
大切なのはそこに込める魂です
私が教育委員になったのも、市の意向ではなく国から「女性や一般人を入れるように」というお達しがあったからでした。当時は学校の先生上りが教育委員になるという慣例がありました。教育委員という役があるのも知らなかった私に白羽の矢が当たったのです。私は自分の役割の大きさに責任を感じました。必死で勉強もしました。
そして、私の後ろにはたくさんの子どもや親、そして先生がいる事を意識して、勇気をもって発言しました。開拓者の気持ちでした。ある意味、裸の王様に子どものような質問をして、おかしいと思ったら直球を投げるわけです。
「教育委員会の文章には指導という言葉ばかり書いてありますが、育てるという意識はないのですか?」「それを話し合う会議なのになぜ事後報告ばかりなのですか?」「不登校の子が通う教室を適応指導教室と呼ぶのは子どもに失礼じゃないですか?」等々。そのたびに議長が時計を見て不機嫌になりました。周りは黙って下を向いています。
もちろん、私も「場をわきまえなさい」という空気は読めます。そんな時は反論せず、やわらかい口調で、笑みを浮かべ、引きました。でも、気持ちが変わらないので又発言します。めげませんでした。
目の前に大きな体制が出来上がっていて、私に変革の意見を求めていないのもわかってきました。でも、多様な意見を尊重するために女性や一般人が選ばれたのです。私自身も自分に清らかで正直である事の方が大事でしたから信念は変わらず、怒らず、落ち込むこともありませんでした。
「あなたの意見はいつも考えさせられました。個人的には賛成です」と、異動していく職員さんから労われました。そして教育委員を辞める時に「あなたほど、個人攻撃されても、反論せず、めげない人を見たことがありません」と誉め(?)言葉をいただきました。
私みたいな女性がいると、会議の時間は長くなり、審議の内容ではなく、時間の経過にイライラする人がいます。皆さん、忙しい時間を作ってきているので、時間も大切だとはわかります。でも、問題はそこではないのです。何を話し合うのか?その目的によって審議委員を選ぶところから変えていかなければいけないのです。これは男女に限らず、だと思います。
最近の審議会や委員会は一般公募もあり、活発に意見が交わされるようになってきました。私もママ達を積極的に委員に推薦しています。そして事前に勉強会をして後押しします。子どもを抱えて委員になるのは大変です。でも、その経験がママ達の自信になります。こんな支援が欲しい、という当事者の意見は大切です。それが施策に反映されるとママ達に有能感が生まれて、もっと社会をよくしたいと思えるようになるのです。
でも、ほとんどの場合、一生懸命に発言して「子どもの人権を保障する」などを行動計画に明言化しても、すぐに世の中は変わりません。もちろん、明言化することは重要です。「それに沿って行動しなければならない」と約束するのですから。次のステップはそれをどんな形で実現するか、です。
計画書などの文言は「○○を検討します」と書かれていることが多くて、あいまいです。「相談窓口を作ります」とはっきり書かれていても、机と椅子を置いて「相談窓口」と看板を作って帳面消しをしてもいいのです。大切なのはそこに込める魂です。だから言い続けるのです。
私の場合は、思いが先にあったので、自分でできる事はやっていました。気が付けば、これが世に言う「子育て支援」だったのか‥という感じで、行政と一緒にやろうなんて思ってもいませんでした。でも、私だけではどうにもならないことを知り、当たり前の流れで、市へ提言していくうちに委員に選ばれて行ったのです。
やはり、個人プレーでは限界があります。私は、現場にいる者と行政が協働で進めていくのが一番いい方法だと思います。お互いの得意分野と不得意分野を補えあえるからです。でも、もう一つ越えなければならない壁が立ちはだかっています。
市の担当者によっては、シャッターをガラガラとしめられることが多々ありました。市民の窓口担当者と言っても、お上からのお達しや市民からのクレームに対応するだけで手がいっぱいで、私達の提案が無理難題にしか見えなかったのでしょう。縦割り、現場を知らない、言われた事だけするという行政の体質も致命的でした。
でも、耳を貸してくれる行政マンもいて、一気に変わることも経験してきました。行政に足を運ぶと「お手柔らかに~」と避けられていたのが、話し合ううちに共感し合えるようになりました。
市議会で反対意見が出ても、私達の気持ちを代弁してくれるようになりました。議会で意見が紛糾して子育て広場建設がダメになりそうになった時も「子育て広場を作るという私の胸の火は消えていません。諦めませんよ。一緒にやりましょう」と言ってくれて、市役所でポロリと泣いたこともあります。
「市の財政問題で、新しい施設を作ることはしない」と明言していた行政が、利用者のママ達を含めた私達の熱意と、少子化、虐待や産後鬱、いじめや不登校が増えていく現状を見て、議会の反対に屈せず、新しい子育て広場を新築移転してくれることになったのです。
その時に役に立ったのが子ども子育て会議で明言化された「子どもにとって最善の利益となる環境を作る」という行動計画でした。新しい広場で、様々な支援をしていきたいと夢が膨らみます。やっと、行政と協働で子育て支援をすることができるようになりました。
今、建物の設計の段階から関わり、おもちゃ、庭の木、遊具に至るまで話し合っているところです。
そして、市と協議していく過程で次々にママ達の心にも火がともり、自分も子育てしながら役に立つことはないかと集まってきてくれています。やる気が出るって素敵な事です。
大人社会が作り出した嵐に、子どもや若者の尊厳が木の葉のように、なす術もなく吹き飛ばされて、どこから始めたらいいかわからないほど混乱している世の中。若者は世間の無関心、無理解の厚い壁に無力感を感じているでしょう。
でも、人はみんな自分を生きたいし、人の役に立ちたいと思っています。若者のやる気の灯が消えてしまわないうちに、拾い上げて温めてあげたい。今ならまだ、自分の力で命の火を燃やすことができるだろうと信じています。トンネルの先に明かりが見えています。
子どものいじめ相談件数は2019年度、61万2496件で、これも過去最高。コロナ禍でこれも3倍(厚生労働省)。
不登校も2019年度18万1272人(文部科学省)で過去最高だったが、4割の養護教諭が明らかに増えていると報告。子ども、特に女子高生の自殺も増えています。
新型コロナ感染対策による日常生活の変化、親のストレス、生活苦が直接子どもに影響を与えていると思いますが、大人社会が作り出した嵐に、子どもや若者の尊厳が木の葉のように、なす術もなく吹き飛ばされているように感じます。