ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝54 ― 乗っ取られた米国 〜 暴力支配1

 連載の最初期、近・現代編 第4話にて「いわゆるユダヤ人権団体」の代表格としてADL(名誉毀損防止同盟) を取り上げ、「看板通りユダヤ人の人権を守るのならいいのです。しかし実態は全く違います。」と指摘しました。実際にADL(名誉毀損防止同盟)のウィキペディア記事にも次の記述があります。
1993年には、ADLの不法スパイ事件が明るみに出た。ADLはサンフランシスコ、シカゴ、アトランタの警察官を通して個人や団体の秘密ファイルを収集していたのである。当初は一部マスコミのみが取り上げていたこの事件は次第に反響を呼び、ついには大手新聞も報道するまでになった。最終的に、ADLには有罪判決が下された。
要するに、ADLは組織ぐるみでサンフランシスコ、シカゴ、アトランタの警察を買収で支配していたということでしょう。そうやって個人や団体の秘密ファイルを収集する犯罪スパイ行為を行っていた、と。

完全な犯罪団体です。その犯罪のやり口は黒社会のギャングたちのものと同一でしょう。明るみになったADLの犯罪行為は、氷山のほんの一角に過ぎないでしょう。マシンガンで恐喝を行う米国の暗黒街とADLは切り離せなかったのです。

米国を支配するのは、
  • FRBの借金でしか発行できない通貨による金融支配
  • 「反ユダヤ主義」のレッテル貼りの言論圧殺の情報支配
  • それと加えて、暴力の実力行使の暴力支配
だったのです。②③の実行組織がADLです。イスラエルのモサドとADLは深く関わっているでしょう。

すでに見たように、イスラエルの建国はパレスチナ住民に対する殺人と土地強奪、そして世界への嘘で成立していました。久しぶりに外伝に戻ったのは、イスラエルの建国からイスラエルによる日本支配を明瞭にするには、どうしてもADLが深く関与する米国の暴力支配の部分を確認する必要があると思ったからです。主にテキストとするのが『ヘブライの館2』の「アメリカの暗黒街のユダヤ紳士たち」記事です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝54 ― 乗っ取られた米国 〜 暴力支配1

ADLの設立のもう一つの意味


ジェイコブ・シフ
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外伝シリーズでは、米国の歴史が通貨発行権を巡る暗闘の歴史であったことを多く取り上げました。簡単にはロスチャイルド家とポジティブなテンプル騎士団(現在はホワイトハットと呼ばれている?)の戦闘ともいえます。この暗闘の決着がついてしまったのが1913年末のFRB設立であり、これで米国金融支配の体制が完成してしまいました。

その1913年にはADLウィキペディア:名誉毀損防止同盟(ADL)とは、米国最大のユダヤ人団体。ブネイ・ブリス(世界最古のユダヤ人の互助組織)に起源を持ち、反ユダヤ主義と合法的に対決することを目的としている。】も設立されており、これが米国情報支配の体制を完成させたことも見ました。

米国は、1913年に悪魔崇拝グループの乗っ取りによる、金融と情報の両面からの支配を受ける体制を完成させられ、「建国の精神」は破壊されていくことになりました。この背景となったのが、1881年のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺後の現在のウクライナ地域を中心とするロシア領でのポグロムの嵐からのハザール(アシュケナジー)・ユダヤ人たちの大移民でした。『ヘブライの館2』の「アメリカのビジネス界で活躍するユダヤ人たち」記事では、

1880年代初頭から1924年頃まで、ロシア国内のポグロム(ユダヤ人迫害)が原因で、280万人の東欧ユダヤ人(アシュケナジーム)がアメリカになだれ込んだ。

と記しています。

編集者註:1906年、ニューヨークに到着した移民団の様子

このようなロシアから米国へのハザール・ユダヤ人の大移民は、周到な計画準備と手引きなしに実現することなどありえないのです。FRB設立を主導し、ADL(名誉毀損防止同盟 )を設立したのはサバタイ−フランキストで、ロスチャイルドの大番頭であったジェイコブ・シフでした。

一連の★ロシア皇帝暗殺、★ポグロムの嵐、★ハザール・ユダヤ人の大移民、これらを主導したのもジェイコブ・シフを中心としたグループと見るのが自然です。その後の展開、“ジェイコブ・シフが金融援助し日露戦争でロシアを弱体化させ、続いてトロッキーなどを支援し1917年のロシア革命を実現させた”ここから見ても辻褄が全て合ってくるからです。

Wikimedia_Commons [Public Domain]
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ADL(名誉毀損防止同盟)の設立は、米国の情報支配の他にもう一つの極めて大きな効果を持つことになります。米国内部の暴力支配です。

ADLは気に食わない都合の悪い相手には「反ユダヤ主義」のレッテルを貼り付けます。これで言論統制・言論圧殺し、相手の社会的生命を奪ってきました。

この「反ユダヤ主義」のレッテル貼りがなぜそこまでの絶大な効果があったのかは、その裏には暴力の実力行使があったからです。ADLとは米国の言論支配と同時に暴力支配を司る機関でもあったのです。ウィキペディアのADLの記事では、

(ADLは)反ユダヤ主義と合法的に対決することを目的としている。同様の目的を掲げつつ、目的のためにはテロリズムなどの非合法手段をも辞さないとするカハネ主義の過激派団体ユダヤ防衛同盟 (JDL) とは、この点で対立している。

としています。

しかし、ADLと過激派の対立は表面上の見せかけに過ぎないでしょう。むしろ米国暗黒街と一体になっていたのがADLと言えるでしょう。


イタリア系マフィアは移民の苦難から


米国暗黒街と言えばすぐに頭に浮かぶのは、映画「ゴッドファーザー」やアル・カポネの名前でしょう。つまりイタリア系マフィア、シシリー・ギャングです。しかし米国暗黒街を仕切っていたのは、イタリア系よりもどちらかと言えばユダヤ系マフィアだったようです。ハザール・ユダヤマフィアです。

ただ、イタリア系マフィアにしろユダヤ系マフィアにせよ、その背景にあったのは「移民」です。1881年からハザール・ユダヤ人たちの米国への大量移民については述べたとおりですが、同時期にイタリア(特に南部)からも米国への多くの移民があったのです。ユダヤ系と同様にイタリア系の移民が多く向かった先がニューヨークだったのです。ウィキペディア「イタリア系アメリカ人」に次のようにある通りです。

15世紀にアメリカ大陸に渡っていたイタリア人も大勢いたが、多くは1880年代からの移民である。イタリア統一が達成された後、(中略)...旧両シチリア王国に属したイタリア南部や島嶼部の住民は冷遇される日々を送っていた。(中略)...一層に困窮したナポリ地方やカラブリア半島、シチリア島の人々を中心に北米への大規模移民が始まった。南部移民の多くは既にイタリア系移民が多数定住していた東海岸北西部(ニューヨーク州とニュージャージー州)に定住し、特にニューヨーク市(マンハッタン・ブルックリン・クイーンズ・ブロンクス)は「イタリア系の街」として発展していった。

このイタリア系移民ですが、ウィキペディア記事によれば「他の白人(特にドイツ系・イギリス系・フランス系など初期の移民者)に比べ仕事・収入が限られていたことなどもあり、大抵は貧民窟と化していた。」「貧しく無学な移民集団という固定観念で見られるようになった。」とのことです。

また、「1891年3月14日にはイタリア系アメリカ人がニューオーリンズの警察署長であるデヴィッド・ヘネシー殺害に関与したマフィアという嫌疑をかけられ、11人がリンチを受けて殺害された」ともあります。

このようなイタリア系移住民が受けた激しい差別と迫害、そしてどうしようもない貧困が、イタリア系マフィアの根本にあったものでしょう。

これに対してユダヤ系移民集団ですが、『ヘブライの館2』の「アメリカのビジネス界で活躍するユダヤ人たち」記事では次のようにあります。

高い割合で熟練技術を持っていた東欧ユダヤ人は、母国、東欧に在住していた頃から慣れ親しんでいた「伝統的職業」(蒸留酒製造、被服産業、宝石産業など)を引き継いで成功する者も増えた。

…しかし、ユダヤ系移民も…。


ADLはユダヤ系ギャングと共に


数百万人規模の移民、多くのユダヤ系移民が米国社会にてすぐに成功するはずもなく、やはりイタリア系移民同様に、差別と迫害と貧困にあえぐことになりました。

『ヘブライの館2』の「アメリカの暗黒街のユダヤ紳士たち」記事では、ユダヤ移民が多く住み着いた20世紀初頭のニューヨーク市「ロワー・イーストサイド地区」の風景の写真と共に次の解説があります。

※ この地区には貧困、過労、貧弱な食事に加えて、過密で不潔な住居、新鮮な空気と日光の不足など、病気を蔓延させるあらゆる条件が揃っていた。最も恐れられたのは結核で、この病気は「ユダヤ病」とか「仕立て屋病」として知られるようになり...(以下略)

1900年頃のロウアー・イーストサイド地区の様子
Wikimedia Commons [Public Domain]

そして記事では、続いてユダヤ移民史に詳しいある研究家の言葉として、ユダヤ系移民では売春が広がらざるを得なかった状況とユダヤ人自殺者が多かったとの指摘と共に次のように記しています。重要部分です。

ロワー・イーストサイドは、いつも市内の犯罪分子をその周辺にひきつけてきたのであり、ユダヤ人はその『犠牲者』であった。ユダヤ人は偏見や差別の対象となり、『ユダヤ人いじめ』は日常茶飯事だった。

他の民族集団によるユダヤ人攻撃に反撃した者たちの一つが、ユダヤ人ギャングだったのである。〈中略〉アメリカでのユダヤ人迫害に対して、ユダヤ人たちは結束し、『ブナイ・ブリス』『アメリカ・ユダヤ人委員会』『アメリカ・ユダヤ人会議』などの組織を作っていった。

差別と迫害を受けた移住ユダヤ民が身を守り抵抗するため、ユダヤ人ギャングと共に出来上がったのがADLでもあったのです。ただし、このADLの活動はすぐに過激なものになります。

記事によれば、1907年に2000枚の犯罪者カードの顔写真を見せて、そのうちの1200人はロシア系ユダヤ人移民だと断言したニューヨーク市警察のシオドア・ビンガム長官。シオドア・ビンガム長官はニューヨークの犯罪者の地下活動を厳しく取り締まりますが、ADLの攻撃を受けることになります。次のようにあります。

ビンガム長官は、ユダヤ人の組織「ADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)」から「ユダヤ人を中傷した」という理由で攻撃を受けるようになる。「ADL」はビンガムを反ユダヤ主義者呼ばわりする運動を繰り広げ、ビンガムはニューヨーク市警察長官の地位を追われてしまった。この結果、イタリア人およびユダヤ人双方のギャングの活動は隆盛を極めることになった。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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