————————————————————————
ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(4)」 ~ガッツ・セルビア人の歴史
ユーゴスラビア全体の流れからみるセルビアの歴史
いやいや、笑いごとではないぞ。
だれか、あの土地を浄化してくれ。
「ガヤトリー・マントラ」の伝道師を送り込みたいくらいだ。
ちなみに、かの地に赴くものは、ぴよちゃんシャツを着て行くことをオススメする。
だれか、あの土地を浄化してくれ。
「ガヤトリー・マントラ」の伝道師を送り込みたいくらいだ。
ちなみに、かの地に赴くものは、ぴよちゃんシャツを着て行くことをオススメする。
オスマン帝国の最大版図
Author:Kaiser&Augstus&Imperator[CC BY-SA]
そこが、ガッツなんだよ。
で、オスマン帝国の支配下におかれたセルビア人はどうだったか?
もちろん、ブーブーだった。
そのブーブーのエネルギーが結集され、セルビア人としての民族的意識が高まって、ヤツらは自治国を立ち上げた。
で、オスマン帝国の支配下におかれたセルビア人はどうだったか?
もちろん、ブーブーだった。
そのブーブーのエネルギーが結集され、セルビア人としての民族的意識が高まって、ヤツらは自治国を立ち上げた。
だが、隣りのボスニア・ヘルツェゴビナの行政権を握っていた「オーストリア=ハンガリー帝国」は、セルビアの強さを見てイラッときた。
1908年、オーストリア=ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを併合すると、そこに住む多くのセルビア人が反発した。
オーストリアなどゲルマン民族中心の世界を夢見る「パン=ゲルマン主義」が、セルビアを中心にスラヴ人統一国家を作る「大セルビア主義」と対立する構図となった。
1908年、オーストリア=ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを併合すると、そこに住む多くのセルビア人が反発した。
オーストリアなどゲルマン民族中心の世界を夢見る「パン=ゲルマン主義」が、セルビアを中心にスラヴ人統一国家を作る「大セルビア主義」と対立する構図となった。
サラエボ事件場面を描いた新聞挿絵
Wikimedia_Commons[Public Domain]
そんな目に合いながらも「セルビア王国」は、連合国側として第一次世界大戦に勝利すると、「セルブ=クロアート=スロヴェーン王国(セルビア人・クロアティア人・スロヴェニア人の王国)」の建国宣言を行った。
これが後の1929年、「南スラヴ」を意味する「ユーゴスラビア王国」になった。
これが後の1929年、「南スラヴ」を意味する「ユーゴスラビア王国」になった。
ナチスの支配下からユーゴスラビアを救った、チトー率いるパルチザン(抵抗運動)
ナチスの支配下からユーゴスラビアを救ったのが、チトー率いるパルチザン(抵抗運動)。第二次大戦後、「ユーゴスラビア王国」は「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と名を変え、チトーは大統領に就任した。
略して、「ユーゴスラビア社連共」?
略して、「ユーゴスラビア社連共」?
チトー大統領
Wikimedia_Commons[Public Domain]
「セルビア王国」「ユーゴスラビア王国」がそうであったように、新しくできたユーゴスラビアも、建国当初からセルビア人が重要な地位を占めており、クロアチア人はブーイングだった。
特に、クロアチアの民族主義組織 「ウスタシャ」は、反セルビア、打倒セルビアへ突き進み、これが、クロアチア紛争やボスニア紛争に繋がっていく。
(戦争の体験談を語るわ)
特に、クロアチアの民族主義組織 「ウスタシャ」は、反セルビア、打倒セルビアへ突き進み、これが、クロアチア紛争やボスニア紛争に繋がっていく。
(戦争の体験談を語るわ)
ウスタシェのシンボル
Wikipedia[Public Domain]
「大セルビア主義」を掲げるミロシェヴィッチ大統領
ミロシェヴィッチ大統領
Wikimedia_Commons[Public Domain]
ああ、お祓い対象のコソボだ。
アルバニア人が多数を占めるコソボがうるさいので、チトーの時代、自治州だったコソボは共和国並みの権限をもらっていた。
その結果、コソボのアルバニア人は、セルビア人やモンテネグロ人を迫害するようになった。
アルバニア人が多数を占めるコソボがうるさいので、チトーの時代、自治州だったコソボは共和国並みの権限をもらっていた。
その結果、コソボのアルバニア人は、セルビア人やモンテネグロ人を迫害するようになった。
コソボの独立宣言以後
セルビア正教の拠点「ペーチ総主教修道院」
Author:commons[CC BY-SA]
そうだ、恨み骨髄だぞ。
1991年7月、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに侵攻して、長いクロアチア紛争が始まった。
そして、ここでもまた、セルビア人の大量虐殺が行われた。
1995年8月、クロアチアの民族主義組織「ウスタシャ」がセルビア人の拠点クニンを攻撃し、数十万人のセルビア人が虐殺され、追われた。
1991年7月、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに侵攻して、長いクロアチア紛争が始まった。
そして、ここでもまた、セルビア人の大量虐殺が行われた。
1995年8月、クロアチアの民族主義組織「ウスタシャ」がセルビア人の拠点クニンを攻撃し、数十万人のセルビア人が虐殺され、追われた。
「戦争の体験談を語るわ」は、子どもの頃にボスニア紛争に巻き込まれた人の体験談だ。
著者は言う、セルビア人が悪なのかと思えば、クロアチア人も悪だったと気づかされる。
友だちを殺したセルビア人は絶対的な悪で、自分を助けたボスニア人は被害者だと思っていたが、ボスニア人もセルビア人の集落を襲って食料を奪ったり、セルビア人の大人や子どもを殺害したり、女性をレイプしていたのだ。
彼はわからなくなった。何が正しくて、何が間違っているのか。何が悪で、何が正義なのか。
「あんなに被害を受けて、その苦しみを知っているはずの人たちが、同じ事を、相手の民族に、人々にするんだ。」(戦争の体験談を語るわ)
著者は言う、セルビア人が悪なのかと思えば、クロアチア人も悪だったと気づかされる。
友だちを殺したセルビア人は絶対的な悪で、自分を助けたボスニア人は被害者だと思っていたが、ボスニア人もセルビア人の集落を襲って食料を奪ったり、セルビア人の大人や子どもを殺害したり、女性をレイプしていたのだ。
彼はわからなくなった。何が正しくて、何が間違っているのか。何が悪で、何が正義なのか。
「あんなに被害を受けて、その苦しみを知っているはずの人たちが、同じ事を、相手の民族に、人々にするんだ。」(戦争の体験談を語るわ)
砲撃で炎上するサラエヴォの行政評議会ビル(1992年5月)
Author:Evstafiev[CC BY-SA]
「皆、殺したくて殺してるんじゃなくて、殺さなければ殺されるって意識の下で戦ってたんだ。だからこそ、単純に誰が悪いとは言えなくて、そして未だにバルカン半島が火薬庫である理由だ。」(戦争の体験談を語るわ)
そして、紛争が終わってみれば、悪者はセルビア人だった。
アメリカ主導で設立された国際刑事裁判所「旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)」に、戦争犯罪で起訴された容疑者の民族内訳は、セルビア人67%、クロアチア人21.7%、ムスリム5.6%。
「紛争中はユーゴスラビア全土でそれぞれ同様の人道崩壊があったと多くの証言がなされているので、容疑者の民族的な比率がこれほど偏っているのは、やはり不自然であろう。」(imidas)
アメリカ主導で設立された国際刑事裁判所「旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)」に、戦争犯罪で起訴された容疑者の民族内訳は、セルビア人67%、クロアチア人21.7%、ムスリム5.6%。
「紛争中はユーゴスラビア全土でそれぞれ同様の人道崩壊があったと多くの証言がなされているので、容疑者の民族的な比率がこれほど偏っているのは、やはり不自然であろう。」(imidas)
そして最後に、1998年から始まったコソボ紛争。
その頃、コソボには非暴力主義のすぐれた指導者イブラヒム・ルゴヴァがいた。
だがなぜかアメリカは、彼を無視して山賊集団「コソボ解放軍(KLA)」のトップをリーダーに起用した。
その頃、コソボには非暴力主義のすぐれた指導者イブラヒム・ルゴヴァがいた。
だがなぜかアメリカは、彼を無視して山賊集団「コソボ解放軍(KLA)」のトップをリーダーに起用した。
コソボ解放軍(KLA)【アルバニア語の略称UCK】
Wikimedia_Commons[Public Domain]
アメリカとヨーロッパは、このならず者集団に武器や兵士を与え、セルビアと戦わせた。
さらにアメリカは、セルビアを悪に仕立てて世論を煽り、NATOにセルビアを空爆させ、コソボ紛争は終結。
以来、コソボはアメリカの傀儡になり、セルビアは悪のレッテルを貼られたままだ。
さらにアメリカは、セルビアを悪に仕立てて世論を煽り、NATOにセルビアを空爆させ、コソボ紛争は終結。
以来、コソボはアメリカの傀儡になり、セルビアは悪のレッテルを貼られたままだ。
コソボ爆撃のため飛び立つNATO軍(米空軍)のF-15E
Wikimedia_Commons[Public Domain]
生活水準が高く、比類なき工業国家だったユーゴスラビア
最後に、昔のユーゴスラビアはどんな国だったのか?
セルビア育ち、モンテネグロ在住のセルビア人が語っている。
〈かつてのユーゴスラビアは、あらゆる工業が発達した、比類なき工業国家だった。さらに教育、医療が無料で、生活水準が高く、国民の大半が中産階級であると実感できた。〉
〈現在のように弱小国が分立したバルカン半島より、当時の方が豊かで安定していた。その証左として、ソ連や東欧の共産国家とちがって、ユーゴスラビアはヨーロッパにも自由に旅行ができた。〉(Wedge ONLINE)
セルビア育ち、モンテネグロ在住のセルビア人が語っている。
〈かつてのユーゴスラビアは、あらゆる工業が発達した、比類なき工業国家だった。さらに教育、医療が無料で、生活水準が高く、国民の大半が中産階級であると実感できた。〉
〈現在のように弱小国が分立したバルカン半島より、当時の方が豊かで安定していた。その証左として、ソ連や東欧の共産国家とちがって、ユーゴスラビアはヨーロッパにも自由に旅行ができた。〉(Wedge ONLINE)
〈戦争中の軍隊であるから、一部の行き過ぎた行為は否定できない。が、多くのセルビア人は、米国始め西側のメディア操作が、事実を誇張した情報を拡散して、歪められた国際世論を形成したと考えている。〉
(Wedge ONLINE)
〈特に米国は、長年の戦略目標であるバルカン半島の軍事拠点確保のために、ユーゴスラビアを分断して弱体化することを狙っていた。EUの拡大強化を狙う英独仏も、米国の陰謀と利害が一致していたために一方的な報道が拡散した。〉
(Wedge ONLINE)
(Wedge ONLINE)
〈特に米国は、長年の戦略目標であるバルカン半島の軍事拠点確保のために、ユーゴスラビアを分断して弱体化することを狙っていた。EUの拡大強化を狙う英独仏も、米国の陰謀と利害が一致していたために一方的な報道が拡散した。〉
(Wedge ONLINE)
彼は、リビアのカダフィ大佐の話もしている。
〈当時、ユーゴスラビアの国営企業は、リビアから多数の大型プロジェクトを請負っていた。ユーゴスラビア人技術者は、「カダフィ大佐は私利私欲がなく、石油ガス輸出による外貨収入を、全て人民のために公共投資している」と評価していた。〉(Wedge ONLINE)
〈当時、ユーゴスラビアの国営企業は、リビアから多数の大型プロジェクトを請負っていた。ユーゴスラビア人技術者は、「カダフィ大佐は私利私欲がなく、石油ガス輸出による外貨収入を、全て人民のために公共投資している」と評価していた。〉(Wedge ONLINE)
カダフィ大佐
Wikimedia_Commons[Public Domain]
メディアが流している情報とは、かけ離れているよな。
多民族を抱えながらも、豊かで幸せだったユーゴスラビア。
民族同士で力を合わせれば、まちがいなく今頃は、アメリカ、ロシア、中国に並ぶ大国になっていただろう。
多民族を抱えながらも、豊かで幸せだったユーゴスラビア。
民族同士で力を合わせれば、まちがいなく今頃は、アメリカ、ロシア、中国に並ぶ大国になっていただろう。
ユーゴスラビアでも中心的存在だったセルビアってどんな国なんだろう?
なぜ、アメリカ・EUはセルビアを悪者にしたがるんだろう?
もしかして、アメリカ・EUはセルビアを恐れているのか?
ユーゴスラビアのふくざつ〜な歴史を遡って、理解しました。
恐るべきセルビアの底力を。