ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(4)」 ~ガッツ・セルビア人の歴史

調べれば調べるほど、奥深いコソボ問題。
ユーゴスラビアでも中心的存在だったセルビアってどんな国なんだろう?
なぜ、アメリカ・EUはセルビアを悪者にしたがるんだろう?
もしかして、アメリカ・EUはセルビアを恐れているのか?
ユーゴスラビアのふくざつ〜な歴史を遡って、理解しました。
恐るべきセルビアの底力を。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(4)」 ~ガッツ・セルビア人の歴史


ユーゴスラビア全体の流れからみるセルビアの歴史


う〜〜ん。

なに、難しい顔してうなってんの?

コソボのこと、知れば知るほどに奥深い。
これは、ユーゴスラビアの歴史に踏み込まねばならぬ。

でも、ユーゴスラビアの歴史ってめっちゃ複雑でしょ?

ああ、その通りだ。
セルビアの歴史が試験に出たら、お手上げだな。
「鳴くよウグイス鎌倉幕府」じゃ、すまねえぞ!

え?? あ、それ、「鳴くよウグイス平安京」。
鎌倉幕府は「いい国作ろう鎌倉幕府」だよ。


お・・おう・・(汗)
と、とにかくだ、セルビアの学生は大変だなあ。
あそこら辺の歴史、いっぱい、覚えることがありすぎて・・。
せめて、アウトラインだけなぞってみるか?

知りたい! セルビアの歴史。

そうか、じゃあ、まずユーゴスラビアの歴史を理解しよう。


【ゆっくり解説】解体されたヨーロッパの大国ユーゴスラビア、その理由は?


この動画で、ユーゴスラビア全体の流れがわかる。
そしてここから、世界史の窓」を参考に、セルビアの歴史を追いかけてみよう。

うんうん、おもしろく話してね。

おもしろく?
おもしろく話すには、ムリがあるな。
戦争や虐殺の話ばっかりだぞ。
おれが、セルビアの歴史を読んで、最初に思ったことはなにか?

うんうん、なに?

ここら辺、西バルカンって言うんだが・・・
お祓いしたほうがいい!

おはらい???

呪われてるっつうか、この土地には戦争を望む悪い霊がおってな、夜な夜な「戦争したい〜戦争したい〜」と叫んでおるのじゃ。

アハハハ! 笑わせないでよ。

いやいや、笑いごとではないぞ。
だれか、あの土地を浄化してくれ。
ガヤトリー・マントラ」の伝道師を送り込みたいくらいだ。
ちなみに、かの地に赴くものは、ぴよちゃんシャツを着て行くことをオススメする。



もお、冗談はいいから、セルビアの歴史でしょ。

だから、お祓いが必要なくらい、たくさんの者が殺されておるのよ。
このまま放っておけば、また新たな戦いが〜 呪いが〜。

わかったから、先に進んで。

はいはい。
セルビアは、古くからの歴史を持つ国であるが、ずうっと戦争続きにもかかわらず、たくましく生き残ってきた国である。
今起こってるコソボ問題なんて、耳クソって感じ。

そんなことないよ!
小さく見えても、ここにアメリカやEUが割り込んできたら、大きな戦争になることもあるよ。

今日は、おめえの方がまともなことを言う。

感心してないで、続けてよ。

すまん、セルビアの歴史を調べていたら、脳が疲れ果ててしまい、こうゆうアホなことでも言ってないと、バランスが取れないんよ。
これは、ユーゴスラビアの地図だが。

Author:Ijanderson977[CC BY-SA]

セルビアは、ユーゴスラビアに組み込まれる前までは、「セルビア王国」だった。
ユーゴスラビアも、第一次世界大戦後に誕生した「ユーゴスラビア王国」で最初に登場した名称で、「南スラヴの」という意味だ。

「セルビア王国」かあ。ということは王様がいたんだね。

「セルビア王国」がバルカン半島にやってきたのは、7世紀のこと。
14世紀に全盛期をむかえた
が、この時代からすでに、セルビア人ばかり優遇されると、クロアチア人やボスニア人はボヤいておったと。

はあ、民族紛争の火種は、昔からあったんだね。

やがて「セルビア王国」は、1389年の「コソボの戦い」でオスマン軍に敗北。オスマン帝国の支配下におかれた。

オスマン帝国の最大版図
Author:Kaiser&Augstus&Imperator[CC BY-SA]

14世紀にも、「コソボの戦い」があったのか。
セルビア人にとって、コソボは因縁の地だねえ。

コソボもお祓いをした方がええな。
いつか、神主をコソボに連れて行こう。

脱線しない!

はいはい、
で、「コソボの戦い」で負けて、「セルビア王国」は滅亡したのよ。

ええ〜! 登場して数分で、滅亡しちゃった?

心配するな。
「ガッツ・セルビア人」は、その後「セルビア王国」を復活させる。

ガッツ・石松みたいだね。

ああ、ヤツらはコソボの屈辱を忘れねえ。
あの敗北があるからこそ、今のセルビアがある。
コソボを思い出して、ガッツをもらう。
そのためにも、セルビア人はコソボを手放せねえのよ。

ふうん、ふつうは悲しい思い出の土地は手放したいけどね。

そこが、ガッツなんだよ。
で、オスマン帝国の支配下におかれたセルビア人はどうだったか?
もちろん、ブーブーだった。
そのブーブーのエネルギーが結集され、セルビア人としての民族的意識が高まって、ヤツらは自治国を立ち上げた。

逆境に強い!

さらに、その自治国は独立して、ついに1882年、「セルビア王国」は復活した。
もちろん、そこに至るまでは多くの死傷者を出しているが。

あの最強のオスマン帝国と戦って、勝ち取った「セルビア王国」。
恐るべし! ガッツ・セルビア人!

だが、隣りのボスニア・ヘルツェゴビナの行政権を握っていた「オーストリア=ハンガリー帝国」は、セルビアの強さを見てイラッときた。
1908年、オーストリア=ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを併合すると、そこに住む多くのセルビア人が反発した。
オーストリアなどゲルマン民族中心の世界を夢見る「パン=ゲルマン主義」が、セルビアを中心にスラヴ人統一国家を作る「大セルビア主義」と対立する構図となった。


「大アルバニア主義」は聞いてたけど、「大セルビア主義」もあったのか。

そうゆう「大」が好きな民族バカって、どこにもいるんよ。

「大日本帝国」というのも、あったしね〜。

ゲルマン民族とスラブ民族の対立。
そのタイミングで起きたのが、サラエボ事件だ。


ボスニアのサラエボで、オーストリアの皇太子が暗殺されたんだよね。
第一次世界大戦のきっかけになった事件でしょ。

サラエボ事件場面を描いた新聞挿絵
Wikimedia_Commons[Public Domain]

暗殺者は「大セルビア主義」のセルビア人ということにされ、これをきっかけにオーストリアはセルビアに宣戦布告。

第一次世界大戦を始めさせるのが、目的だからね。

セルビアは隣国のブルガリアからも宣戦布告され、えらいこっちゃ。

オーストリアともブルガリアとも戦争しなくちゃならないんだね。

ついに、セルビアの首都ベオグラードは陥落。
セルビアを脱出する避難民らは、山の中をアルバニアへと逃れた。
厳しい寒さの道中で、多くの犠牲者が出たと言う。

はああ・・戦争はイヤだ。

そんな目に合いながらも「セルビア王国」は、連合国側として第一次世界大戦に勝利すると、「セルブ=クロアート=スロヴェーン王国(セルビア人・クロアティア人・スロヴェニア人の王国)」の建国宣言を行った。
これが後の1929年、「南スラヴ」を意味する「ユーゴスラビア王国」になった。


ふう、やっと「ユーゴスラビア王国」が出てきたね。


ナチスの支配下からユーゴスラビアを救った、チトー率いるパルチザン(抵抗運動)


ゼイゼイ・・こっからが、また大変な道のりだ。
「ユーゴスラビア王国」は、第二次世界大戦でナチスドイツの傀儡となった、クロアチアの支配下に置かれた。

クロアチアとナチスが、手を組んでたんだね。

ナチスの支配下からユーゴスラビアを救ったのが、チトー率いるパルチザン(抵抗運動)。第二次大戦後、「ユーゴスラビア王国」は「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と名を変え、チトーは大統領に就任した。
略して、「ユーゴスラビア社連共」?

チトー大統領
Wikimedia_Commons[Public Domain]

いや、ユーゴスラビアでいいよ。

「セルビア王国」「ユーゴスラビア王国」がそうであったように、新しくできたユーゴスラビアも、建国当初からセルビア人が重要な地位を占めており、クロアチア人はブーイングだった。
特に、クロアチアの民族主義組織 「ウスタシャ」は、反セルビア、打倒セルビアへ突き進み、これが、クロアチア紛争やボスニア紛争に繋がっていく。
戦争の体験談を語るわ

ウスタシェのシンボル
Wikipedia[Public Domain]

「セルビア王国」の時代から、クロアチア人はブーブーだったからね。


「大セルビア主義」を掲げるミロシェヴィッチ大統領


カリスマ大統領チトーが生きている間は、良かった。
だが、チトーの死によって、ユーゴスラビアはガタガタになった。
そんな折り、「大セルビア主義」を掲げるミロシェヴィッチがセルビアの大統領になった。

ミロシェヴィッチ大統領
Wikimedia_Commons[Public Domain]

大統領が「大セルビア主義」って、ヤバくない?

だが、「大セルビア主義」の大統領を選んだのは、そうせざるを得ないほど追い詰められたセルビア国民だった。
たとえば、コソボ。

また、コソボ?

ああ、お祓い対象のコソボだ。
アルバニア人が多数を占めるコソボがうるさいので、チトーの時代、自治州だったコソボは共和国並みの権限をもらっていた。
その結果、コソボのアルバニア人は、セルビア人やモンテネグロ人を迫害するようになった。

今みたいな事態になったんだね。

それを見かねたセルビア人側から、コソボの自治権を制限せよとの訴えが強くなり、国民は「大セルビア主義」のミロシェヴィッチを選んだんだ。

つまり、コソボのゴタゴタがミロシェヴィッチを選ばせたんだね。

その結果、さらにコソボのゴタゴタがひどくなった、と言う皮肉。
ミロシェヴィッチは、コソボの自治権を奪ってセルビアに統合しようとした。それが、火に油を注ぐ結果になった。

あああ、火を見るより明らかだ。


コソボの独立宣言以後


1990年7月、コソボは独立を宣言。
それを見て、ユーゴの他の国々も次々と独立を宣言。
そこから、ユーゴスラビアはぐちゃぐちゃになっていく。

すべてはコソボに始まり・・今なお、コソボでもめてる。
やっぱ、コソボ、お祓いした方がいいよ。

おめえも、わかってきたな。
でも、ふしぎだな、コソボにはセルビアの聖地があるんだぞ?
聖地があるのに、なんでこんなに呪われてるんだ?

セルビア正教の拠点「ペーチ総主教修道院」
Author:commons[CC BY-SA]

ほんとだねえ。
セルビア人には悪いけど、ほんとに聖地なのかねえ。

オッホン!
とにかく、コソボの独立に刺激されて、スロベニアとクロアチアも独立宣言。ユーゴ連邦軍はスロベニアに侵攻し、「十日間戦争」の名の通り10日で戦闘が終わった。

ずいぶん、短かったね。

その理由は、スロベニアにはセルビア人が住んでいなかったから。
だが、人口の12%がセルビア人のクロアチアは違った。

さっき、クロアチアは第二次大戦中にナチスと手を組んで、かなりの数のセルビア人が殺されたって言ってたし、これは因縁の対決だね。

そうだ、恨み骨髄だぞ。
1991年7月、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに侵攻して、長いクロアチア紛争が始まった。
そして、ここでもまた、セルビア人の大量虐殺が行われた。
1995年8月、クロアチアの民族主義組織「ウスタシャ」がセルビア人の拠点クニンを攻撃し、数十万人のセルビア人が虐殺され、追われた。

ふう〜 クロアチア人も血が濃すぎると言うか、セルビア人といい勝負だね。

そして1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言。
ボスニアの人口構成は44%がボスニア人(イスラム教徒)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人。(Wiki

はあ〜〜〜また、虐殺が始まる。

戦争の体験談を語るわ」は、子どもの頃にボスニア紛争に巻き込まれた人の体験談だ。
著者は言う、セルビア人が悪なのかと思えば、クロアチア人も悪だったと気づかされる。

友だちを殺したセルビア人は絶対的な悪で、自分を助けたボスニア人は被害者だと思っていたが、ボスニア人もセルビア人の集落を襲って食料を奪ったり、セルビア人の大人や子どもを殺害したり、女性をレイプしていたのだ。
彼はわからなくなった。何が正しくて、何が間違っているのか。何が悪で、何が正義なのか。
「あんなに被害を受けて、その苦しみを知っているはずの人たちが、同じ事を、相手の民族に、人々にするんだ。」(戦争の体験談を語るわ

砲撃で炎上するサラエヴォの行政評議会ビル(1992年5月)
Author:Evstafiev[CC BY-SA]

子どもには、背負いきれないくらい重い体験だ。
でも、この人たちはみんな、紛争の前までは仲良く暮らしていたんだよね。

「皆、殺したくて殺してるんじゃなくて、殺さなければ殺されるって意識の下で戦ってたんだ。だからこそ、単純に誰が悪いとは言えなくて、そして未だにバルカン半島が火薬庫である理由だ。」(戦争の体験談を語るわ

ユーゴスラビアを崩壊させるためには、マッチ1本で火がついたのか。

そして、紛争が終わってみれば、悪者はセルビア人だった。
アメリカ主導で設立された国際刑事裁判所「旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)」に、戦争犯罪で起訴された容疑者の民族内訳は、セルビア人67%、クロアチア人21.7%、ムスリム5.6%。

「紛争中はユーゴスラビア全土でそれぞれ同様の人道崩壊があったと多くの証言がなされているので、容疑者の民族的な比率がこれほど偏っているのは、やはり不自然であろう。」(imidas

圧倒的にセルビア人が多い。

1995年12月にボスニア紛争が終結。
残されたセルビアとモンテネグロの2カ国が「ユーゴスラビア連邦共和国」となった。
2006年、さらにモンテネグロが分離独立して、ユーゴスラビアは完全崩壊した。

さびしいねえ、ユーゴスラビアは消えてしまった。

そして最後に、1998年から始まったコソボ紛争。
その頃、コソボには非暴力主義のすぐれた指導者イブラヒム・ルゴヴァがいた。
だがなぜかアメリカは、彼を無視して山賊集団「コソボ解放軍(KLA)」のトップをリーダーに起用した。

コソボ解放軍(KLA)【アルバニア語の略称UCK】
Wikimedia_Commons[Public Domain]


ああ、コソボを拠点に麻薬運んだり、人身売買、臓器売買やってたKLAね。

アメリカとヨーロッパは、このならず者集団に武器や兵士を与え、セルビアと戦わせた。
さらにアメリカは、セルビアを悪に仕立てて世論を煽り、NATOにセルビアを空爆させ、コソボ紛争は終結。
以来、コソボはアメリカの傀儡になり、セルビアは悪のレッテルを貼られたままだ。


コソボ爆撃のため飛び立つNATO軍(米空軍)のF-15E
Wikimedia_Commons[Public Domain]

そして、コソボ問題はまだ終わっていない。


生活水準が高く、比類なき工業国家だったユーゴスラビア


最後に、昔のユーゴスラビアはどんな国だったのか?
セルビア育ち、モンテネグロ在住のセルビア人が語っている。
〈かつてのユーゴスラビアは、あらゆる工業が発達した、比類なき工業国家だった。さらに教育、医療が無料で、生活水準が高く、国民の大半が中産階級であると実感できた。〉
〈現在のように弱小国が分立したバルカン半島より、当時の方が豊かで安定していた。その証左として、ソ連や東欧の共産国家とちがって、ユーゴスラビアはヨーロッパにも自由に旅行ができた。〉(Wedge ONLINE

へえ、いい国だったんだねえ。
世界的にセルビアは悪者にされてること、セルビア人はどう受け取っているんだろう?

〈戦争中の軍隊であるから、一部の行き過ぎた行為は否定できない。が、多くのセルビア人は、米国始め西側のメディア操作が、事実を誇張した情報を拡散して、歪められた国際世論を形成したと考えている。〉
Wedge ONLINE
〈特に米国は、長年の戦略目標であるバルカン半島の軍事拠点確保のために、ユーゴスラビアを分断して弱体化することを狙っていた。EUの拡大強化を狙う英独仏も、米国の陰謀と利害が一致していたために一方的な報道が拡散した。〉
Wedge ONLINE

まったくその通りだよ。

彼は、リビアのカダフィ大佐の話もしている。
〈当時、ユーゴスラビアの国営企業は、リビアから多数の大型プロジェクトを請負っていた。ユーゴスラビア人技術者は、「カダフィ大佐は私利私欲がなく、石油ガス輸出による外貨収入を、全て人民のために公共投資している」と評価していた。〉(Wedge ONLINE

カダフィ大佐
Wikimedia_Commons[Public Domain]

はあ・・やっぱ、カダフィはりっぱな人で、リビアはいい国だったんだ。

メディアが流している情報とは、かけ離れているよな。
多民族を抱えながらも、豊かで幸せだったユーゴスラビア。
民族同士で力を合わせれば、まちがいなく今頃は、アメリカ、ロシア、中国に並ぶ大国になっていただろう。



Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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