竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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4人の女性にプロのメイク&フォトショップを施した結果 → 「自分の欠点が恋しい! そのままの自分がいい!」と意外な反応
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ロケットニュース24 14/2/22
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
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客観的に見てスタイルがいいとは言えないありのままの姿に自信を持つ必要はありませんが、理想と比較してヘコんだり、自己嫌悪に陥ることはまったく馬鹿げたことだと思うのです。
精神面も含めて、ありのままの自分を受け入れること、肯定出来ることが悟りなのです。ですから、悟りを開いても性格の悪い人は悪いままです。歴代の宗教家の中にいくらでもいます。彼らは弟子に威張り散らし怒鳴り散らし、奴隷の様に使役しても、自分は悟りを得た偉大な存在だと信じているので、何ら悪びれることもありません。本当にあるがままの根性の悪い自分自身を全面肯定していて、確かに悟りを得ているということがわかります。これはむしろ“開き直り”とか“わがまま”ではないかとも思うのですが、彼ら自身の心の中に葛藤が無い以上、悟りと言わざるを得ません。
この手の自称マスターあるいは覚者が、地球上にはかなりの人数居るようです。そういうわけですから、悟りを得ても他人の目を気にしなくなるというだけのことで、幸福とは無縁のものなのです。肯定的な部分としては、ようやく乳離れして精神的に一人前の大人になったというに過ぎません。
性格は努力して、少しずつ改善していくしかありません。周りのみんなから嫌われていて誰からも相手にされない人が、幸福だとはとても考えられないわけですが、自分自身が自分を嫌っているようでは、まず幸せになることは出来ないでしょう。ですから自分自身を好きになる、肯定できる、悟りを開くということは、幸福になるための通過点なのであって、ゴールではありません。