編注)編集長コメントを修正いたしました。また翻訳全文を掲載いたしました。(2014/12/12 1:25)
翻訳チームからの情報です。
————————————————————————
プーチン大統領・2014年10月24日ヴァルダイ国際討論クラブでの演説 ― 世界秩序: 新たなルールかルールなきゲームか
一極世界の終焉から国々・諸地域の協力の時代へ
翻訳者・阿呆神望による解説
ロシアのプーチン大統領は、先の10月24日、外交・国内政策の世界的第一人者が参加するヴァルダイ国際討論クラブで演説を行いました。この演説は2000年に彼が大統領になって以来「最高の、最も重要な演説」(ミハイル・ゴルバチョフ)、「チャーチルの『鉄のカーテン』演説以来の最も重要な演説」などと評価される一方で、ロシア国内でも国民の高い支持を得ているようです。歴史的視点から、ワン・ワールド (NWO = 世界政府の樹立 = 世界の一極化) の美名のもとに世界権力の一極集中を目論む冷戦後のアメリカの外交政策が、いかに危険で、愚かで、罪深いかを完膚なきまでに暴露すると同時に、返す刀で世界が今後進むべき方向を示した見事なメッセージに、本サイトでおなじみのポール・クレイグ・ロバーツ氏も「私の生涯でこれほどの演説を見たことがない」、「プーチンの発言を読めば誰でも彼を世界のリーダーと結論せずにはいられない」と称賛の言葉を惜しみません。まさにこれが「ホワイトハウスの腐敗した戦争屋 [=ネオコン/シオニスト、ネオナチ/サタニスト]、ドイツ、イギリス、フランス、日本、カナダ、オーストラリア政府内の彼らの操り人形たち... と、あらゆる民族・国民の利益が尊重される人道的で生き甲斐のある [道徳的] 世界のために奮闘するリーダーとの違い」なのでしょう。
実はプーチン大統領は若い頃から日本の武道を学んだ人で、「日本の文化や哲学に親しんだ者として、日本を愛さずにはいられない」(丹波實氏『日露外交秘話』)とまで語っていたそうです (現在柔道8段)。また弁護士としての訓練を受けた人にふさわしく、この会議で 1) 道徳にもとづく国際法の整備と国際機関の改善の必要を訴えるとともに、2) 伝統 (歴史・文化) の異なる各国の利益を尊重し、3) 今後は世界の多極化に応じ、地域の中枢となる諸機関が協力して世界の安定と安全をはかる仕組みをつくる必要があると述べています。(おそらくこの構想は、「日本の文化や哲学」への彼の理解 ― 武道を通じ東洋的な「道」として了解されている?― を一つの手掛かりに、馬渕元駐ウクライナ大使が指摘された「全人類的価値とロシアの伝統的価値との有機的結合」をはかろうとするロシアの人々の積年の努力を、政策として具体化しようとしたものではないかと思われます。馬淵睦夫『国難の正体』p.252ff.)
テキストをしっかり読むと、日本の政治家や官僚とはまったく異なる点として、彼がいかに自分の敵(「ホワイトハウスの戦争屋」)を見抜いていたか驚かれる方も多いのではないかと思います。特に国際関係や外交の真相を知りたい方、歴史と文明の転換期について見通しを得たい方にはこの演説はとても参考になり、このたびウクライナを危機から救った彼の行動と考え方についても理解が深まるかもしれません。
ところでロバーツ氏も述べているように、もしも「西洋の社会が正気であれば、公の場でのこのプーチンのメッセージは全文が掲載され、専門家の意見をまじえて討論が行われ」てしかるべきところだったでしょう。そればかりか、おそらく「テレビでも活字メディアでも、賛成の大合唱」さえ聞かれたかもしれません。ところが残念なことに、私たちの国でもこの点で相変わらずの状況が続いているのは皆様もご存知の通りかと思います。このような中、シャンティ・フーラの時事ブログではおそらく日本で最も早期にプーチン大統領の演説の全文(ロシア政府による英語訳)の翻訳作業が行われ、このたび演説の内容がウェブ上で初めて逐語訳的に忠実に再現されることになりました。(この歴史的な演説の意義についてご教示(「情報提供」)を賜り、訳者としてもとても幸運な機会に恵まれたことに謹んで謝意を申し述べさせていただきたいと思います。)
英語では金権・利権のために政治を商売にする政治家達(政治屋)と区別して、国益(民主主義では国民の幸福)のために働く政治家をステーツマンといいます。今や「没落」しようとしている西洋(欧米)と、戦後も「永久占領」下に置かれている日本。日・米・欧の三極でもはや政府与党がステーツマンの政治を行えなくなっている現状 (首相以下グローバリストが圧倒的多数を占める) に対して、どんな学者も顔負けではと思えるほど透徹した広く深い認識の持ち主が、大国ロシアのトップとして世界規模での政治を動かそうとしているのは何かの天の計らいでしょうか。
ところが現在、ロシアでは国営メディアの報道などを通じて多くの人々が西側の腐敗の現状を知るようになり、国民の間で西洋世界の為政者に対する怒りや敵対意識が強まっている(最近の世論調査で79%が西側主要国を敵と見ると回答)といいますから、将来これがロシアの政治の意外な展開の方向に結びつく可能性も否定できないかもしれません。また昨年ロシアの多様性をテーマに行われた同クラブの会議で、プーチン大統領は国内の統合のあり方と歴史的・文化的伝統の回復の必要を問いましたが、この演説に対して強い支持を表明したロシア共産党 (KPRF) のリーダーは、同時にこれを「ロシア連邦」という新たな政府の必要を示唆したものと受けとめ、「政策を変更し、政府を解散する必要性を政治的・イデオロギー的に具体化したものと考える」とまで言っています。このように、悲劇ではないにせよ2015年には「ロシアは斬頭される」(ロシアはいよいよ飛躍のときを迎える。それを開始させたのは現在の統治者であり、それが今後も彼をコントロールする...)と予言したブルガリアのヴァンガの言葉を彷彿させる展開の方向も、これからは無視できなくなってくるかもしれません。ほんとうに私たちは何という歴史の転換期に居合わせているのでしょう!
使用したテキストは、ロシア政府(クレムリン)の英語のウェブページでヴァルダイ討論クラブでのプーチン大統領の発言として掲載されているもの (ロシア語の英訳) です。このうち質疑応答を除く演説 (約40分) の部分をすべて訳出し、彼の言葉の中からロシア政府が囲み欄 (転載元の横側) に抽出してクローズアップしている部分を太字(編注:PDFデータには太字がございません)で示しています。それではどうぞ心ゆくまでお楽しみください。
PDFデータ
・プーチン大統領の歴史的スピーチ 於ヴァルダイ国際討論クラブ会議 2014.10.24.pdf
PDFデータ(赤字有り)
・プーチン大統領の歴史的スピーチ 於ヴァルダイ国際討論クラブ会議 2014.10.24.pdf
以下全文掲載
[2014年10月24日、ソチで開催されたヴァルダイ国際討論クラブ第11セッションの最終本会議における、ウラジミール・プーチンの演説と質疑応答のトランスクリプトから抜粋]
ヴァルダイ国際討論クラブ会議
議題 「世界秩序: 新たなルールかルールなきゲームか」
本年は、海外25カ国からの62人を含む108人の専門家、歴史家、政治アナリストが参加した。本会議では、現在の国際法の制度・規範のシステムを侵食する要因の分析に専念する3日間にわたる討論の結果が総括された。
ウラジミール・プーチン: 同僚、紳士、淑女、友人の方々、皆さんをヴァルダイ国際討論クラブ第11セッションにお迎えできましたことをうれしく存じます。
先ほど言われたように、今年はクラブを共催する諸団体にロシアの非政府組織、専門家グループ、一流大学などが新たに参加しています。討論の範囲を広げてロシアそれ自体に関連する問題だけでなく、グローバル・ポリティックス [=地球規模の政治] と経済を含めるという発想も提起されました。
組織と内容がこのように変更されたことにより、専門家による指導的な公開討論の場としてのこのクラブの影響力は強まることでしょう。 同時に「ヴァルダイ精神」ともいえる、この自由で開かれた雰囲気と、あらゆる種類のまったく異なる率直な意見を表明する機会が、今後とも存続することを希望しております。
この点に関する限りでは、私も皆さんの期待を裏切らず直裁率直に意見を発言するとの旨を申し述べさせてください。 私が申すことには少し手厳し過ぎると思われるものがあるかもしれません。とはいえ、真っ直ぐ正直に実際に思っていることについて話すのでなければ、このようにして会合を開いてもメリットはほとんどありません。もしそうでなければ、外交的会合の趣旨に従って誰もが本当に意味のあることを言わないほうがよいということになり、皆さんは有名な外交官の言葉を思い出して、外交で言葉を遣うのは真実を語らないためだと思い至るわけです。
私たちには会合を開く別の理由があり、お互いに率直に語り合うために集まっています。今日私たちが直裁で単刀直入になる必要があるのは、辛辣な言葉の応酬を行うためではなく、現に世界で起こっている事柄の真相を究明し、世界がさらに安全な場所ではなくなり、予測不可能性が増している理由、私たちの周囲の至る所でリスクが高まっている理由を理解する試みのためなのです。
今日の討論は 「世界秩序: 新たなルールかルールなきゲームか」というテーマのもとで行われました。私の考えでは、このテーマは今日私たちが迎えた歴史的転機と私たちのすべてが直面する選択を正確に言いあらわしていると思います。 現在世界が非常に急速に変化しつつあるという理解にはもちろん何ら新しいものはありません。 私はこれが今日の討論で語られていた事柄であることを承知しています。 グローバルな政治、経済、国民の生活において、また産業技術、IT、社会工学の分野において、人は劇的な転換が起っていることに気づかないわけにはいきません。
今、私の発言が、結局討論に参加した方々の一部がすでに述べたことの繰り返しになるとしてもお許しを願います。これを避けることは事実上不可能です。すでに詳細な論議が行われましたが、私の観点を提示しましょう。これは他の参加者の見解とある点で一致し、他の点では異なることでしょう。
現在の状況の分析を行う際に、私たちは歴史の諸々の教訓を忘れないようにしたいものです。まず第一に、過去において世界秩序の転換 ― 今日私たちが目にしている出来事は世界的規模のものです ― は、世界規模での戦争や紛争か、そうでなければ地域レベルの激しい紛争の連鎖を伴うのが通例でした。第二に、グローバルな政治、地球規模の政治とは、何はさておき、経済的リーダーシップ、戦争と平和の問題、人権を含む人道的次元に関わるものです。
今日、世界は矛盾に満ちています。私たちは信頼できるセーフティネットを整備しているかどうか、互いに率直に尋ね合う必要があります。不幸にも、現在の大域的および地域的な安全保障体制が、激動から私たちを守ることができるという保証も確実性もありません。この体制は著しく弱体化し、断片化、変形されています。国際的・地域的な政治機関、経済機関、文化協力機関もまた困難な時期を経験しつつあります。
そうです、世界秩序を保証する仕組みの多くは、今では相当久しい昔、とりわけ第二次世界大戦直後の時期に創られたのです。私が強調したいのは、創立が当時にまで遡るこの体制の堅固さが、戦勝国の間の勢力均衡と諸権利に基づくだけではなく、この体制の「創立の父たち」がお互いを尊重し合い、他に対して圧力をかけようとせず、合意を達成しようとした、という事実に基づいていた点なのです。
最も重要なのは、この体制が発展する必要があり、その様々な欠陥にもかかわらず少なくとも世界で起こっている諸問題を一定の限度にとどめ、諸国間の自然な競争の強度を調整できることが必要だという点です。
時に非常な努力と困難を伴って私たちが過去数十年にわたり築いたこの抑制と均衡のメカニズムを、代わりになるものを何も築くことなく、単に壊してバラバラにしてしまうことはできないと私は確信しています。さもなければ私たちには暴力以外に何も手段が残されないことになるでしょう。
私たちに必要だったのは、合理的な再建を行い、これを国際関係のシステムの新たな現実に適合させることだったのです。
ところがアメリカ合衆国は自らを冷戦の勝者と宣言して後、これを必要とは認めませんでした。秩序と安定を維持するために絶対に欠くことのできない諸国間の新たな力の均衡を確立する代わりに、このシステムをはっきりと大幅な不均衡に陥れる措置をとったのです。
冷戦は終結しましたが、既存のルールの尊重、あるいは新たなルールと基準の創出についての明確で透明な合意にもとづいて、平和条約が調印されることは結局ありませんでした。このため冷戦のいわゆる「勝者」が、自らの必要事項と利害に諸々の出来事が適合するよう圧力を加え、世界を作り直すことを決定したとの印象が生まれました。既存の国際関係のシステム、国際法、実施される抑制と均衡が、これらの狙いの妨げになった場合は、このシステムは価値がなく、時代遅れで、即座に廃止する必要があると宣言されました。
たとえをお許し頂くなら、この場合、新興成金が突然巨額の財産を世界の主導権と世界支配という形で手に入れる結果となったわけで、これはその際の彼らの振る舞い方なのです。自らの富を、もちろん自分自身の利益のためにも賢明に管理する代わりに、彼らは多数の愚行を犯したと私は思います。
現在私たちが迎えている時代は、世界の政治で異なる解釈が行われ、故意に沈黙が守られている歴史上のある時期なのです。国際法は、圧倒的な法律無視によって再三再四撤退を強いられてきました。客観性と正義は政治的ご都合主義の下で犠牲にされ、合法的な規範が恣意的な解釈と偏向した評価に取って代わられました。同時に、世界的なマスメディアを完全に支配することによって、望むときに白を黒、黒を白に描くことができるようになりました。
一国とその同盟国、というよりもむしろ衛星国ですが、これらの国々が優勢だった状況では、世界的規模での解決への模索が、自国の処方箋を世界共通のものとして課そうとする試みに転じることがしばしばでした。このグループの野望が非常に大きくなった結果、彼らのロビー、権力の回廊で決められた方針が国際社会全体の見解であるかのように提示され始めました。ところが実際には、そうではなかったのです。
まさに「国家主権」という概念が大半の国々にとって相対的な価値となりました。 本当のところ、この時画策されていた常套手段は、世界の唯一の権力の中枢に対する忠誠の度合いが大きいほど、しかじかの統治体制の正統性も大きくなる、というお決まりの定式だったわけです。
後ほど自由討論が行われますから、私は皆さんの質問によろこんでお答えし、皆さんに質問する自分の権利も用いたいと思います。間もなく行われるこの討論の際に、たった今私が提示した立論を誰かに反証させてみましょう。
服従を拒んだ者達に対する措置はよく知られており、幾度もの試みに耐えてきたものです。これらの措置には、武力行使、経済的圧力やプロパガンダによる圧力、内政干渉、またしかじかの紛争への非合法的介入や不都合な政権の転覆を正当化する必要がある場合には、一種の「超法規的」正当性に訴えることが含まれます。ここ最近、世界の多くの指導者に対してあからさまな脅迫が用いられてきたという証拠も増えています。自らに最も近しい同盟国を含めて世界中を監視下に置くため、いわゆる 『ビッグ・ブラザー』 が何十億ドルの費用を使っているのは故あってのことなのです。
私たちは自らに問うてみましょう。 「自分たちはこれに対して安心していられるだろうか。この世界に生きることはどの程度安全で幸福なのか。世界はどれほど公正で合理的になったかと。もしかすると、心配したり、議論したり、気まずい質問をしたりする理由は、本当はないのかもしれません。もしかすると、アメリカ合衆国の例外的な立場と主導権を発揮するやり方は、本当は私たち皆にとって喜ぶべき事柄であり、世界中の出来事へのこの国の干渉によって平和、繁栄、進歩、成長、そして民主主義がもたらされているのでしょうか。またもしかすると私たちはただリラックスして、これらすべてを享受するのがよいのでしょうか。
私に言わせれば、それは真実ではないのです。絶対に違います。
一方的な強権政策と自分たちのモデルの押し付けをすると、逆の結果が生まれ、紛争は解決される代わりに結局さらに激化することになります。 安定した主権国家に代わって混沌が広がり、民主主義の代わりに、あからさまなネオファシストからイスラム過激派に至るたいへん怪しげな層が支持されます。
何故彼らはこのような人々を支持するのでしょう。それは彼らが自分たちの目標を達成する途上でこれらの人々を道具として使用することに決め、次いで指を火傷しては後ずさりするからなのです。ロシアの言い回しで言うと、私たちのパートナーは相変わらず同じ熊手の上を踏みつけてしまう。つまり何度となく同じ過ちを犯すのですが、私はそのやり方には絶えずあきれさせられます。
かつて彼らはソ連と戦うためにイスラム過激派運動の資金援助を行いました。これらの過激派グループはアフガニスタンで戦闘を経験し、後にタリバンとアルカイダを誕生させました。国際テロリストによるロシアの侵略 (私たちはこれを忘れてはいません) と中央アジア地域諸国の侵略に対して、西側諸国はこれを支援したとは言わないまでも少なくとも目をつむり、私ならこう申しますが、情報提供と政治的・財政的援助を行ったのでした。アメリカ合衆国は、テロリストによるゾッとするような攻撃が国土そのものに加えられて、初めてテロリズムという共通の脅威に目覚めました。念のために申しますが、その当時アメリカ国民を支援し、9.11の恐ろしい悲劇に対して友人として、またパートナーとして対処した最初の国が私たちだったのです。
アメリカとヨーロッパの指導者達との話し合いの際、私はいつも世界規模の課題として共にテロリズムと戦う必要について語りました。私たちはこの脅威を甘受してこれを受け入れることはできませんし、ダブル・スタンダードを使っていくつもの別箇の部分に切り分けることもできません。私たちのパートナーは合意を表明しましたが、少し時間が経つと私たちは結局振り出しに戻ってしまいました。軍事行動がまずイラクで、次いでリビアで行われ、リビアは崩壊の瀬戸際にまで追いやられました。なぜリビアはこの状況に追い込まれたのでしょうか。今日ではリビアはバラバラになる危険にさらされた国で、テロリストたちの訓練場となっています。
エジプトの現在の指導者層の決意と英知だけが、アラブのこの主要国を混沌と過激主義者の跳梁跋扈から救いました。合衆国とその同盟国は、過去におけると同様、シリアでも直接反政府勢力への資金と武器の供給を行い、この勢力がさまざまな国からの傭兵によって諸階位を充当することを可能にし始めました。これらの反乱分子たちはどこで資金、武器、軍事専門家を調達しているのかお尋ねします。これらすべてはどこから入手するのでしょう。悪名高いISILは、どのようにしてとても強力な戦闘集団、実質的に本物の軍隊となることができたのでしょうか。
財源はどうかと言えば、今日、資金は麻薬から得られるばかりではありません。麻薬の製造量は、アフガニスタンに国際合同軍が駐留するようになって以来、単に数パーセント増にとどまらず何倍にも増えました。皆さんはこれをご承知です。テロリストたちは石油の販売からも資金を得ているのです。石油は彼らの支配地域で生産されており、彼らはこれをダンピング価格で販売し、製造と輸送を行うのです。けれども誰かがこの石油を買って再販し利益を得ても、早晩自分たちの国にやって来て破壊を広めることもあり得る連中にこうして資金を与えている事実については考えないのです。
テロリストたちはどこから新兵を補充しているのでしょうか。イラクでは、サダム・フセインが打倒された後、軍隊を含む国家の機関は荒廃したまま放置されました。その当時私たちは、細心の用心をするようにと申しました。あなた方は人々を路頭に追いやっているけれど、この人たちはそこで何をするのでしょう。彼らは正しかろうと正しくなかろうと地域大国のリーダーの地位にあったのを忘れないでくださいよ。これからこの人たちをどのような職業の人間にするのですか、と。
その結果どうなったでしょう。数万人の兵士、士官、前バース党活動家が路頭に追いやられ、現在では反政府勢力の序列に加わっています。おそらくこれによって、イスラム国グループが非常に実働的であると判明した理由が説明されるでしょう。軍事的観点からとても実働的に行動しており、一部にたいへんプロフェッショナルな人々がいます。ロシアは繰り返し、一国による一方的な軍事行動、主権国家の内政への干渉、過激主義者・急進主義者にちょっかいを出す危険について警告を行いました。 私たちは、これらのグループにテロリスト組織のリストに載っている中央シリア政府、とりわけイスラム国に対抗させておくことを主張したのです。 それに対して何か成果が見られたかと言えば、このアピールは無駄に終わりました。
時として、私たちの同僚・友人たちは自らの政策の帰結と絶えず闘っており、自ら作り出した危険に対処することにすべての努力を投入しますます大きな代償を支払っている、との印象を私たちは受けます。
同僚の皆さん、現在の一極支配の時代は、たった一つの権力の中枢があるだけでは世界全体の諸々のプロセスを管理することができない、ということを疑う余地なく証明しました。それどころかそのような不安定な構造物は、地域紛争、テロリズム、麻薬取引、宗教的狂信、盲目的愛国心、ネオナチズムのような現実の脅威に対抗できないことが明らかになりました。また同時にこれは、慢心した愛国の誇り、世論操作や、強者が弱者をいじめ、抑圧するのを放置することに、大きく道を開いてしまいました。
本質的に、一極世界はただ人々と国々に対する専制権力を正当化する手段であるというほかありません。リーダーを自称する人にとってさえ、一極世界はあまりに不愉快で、重苦しく手に負えない負担だということがわかったのです。この討論の場で少し前にこの関心の方向に沿ったコメントが加えられましたが、私もまったくこれに賛成です。これが、この新たな歴史の段階で、アメリカの主導権を永続させる都合の良いモデルとして偽の二極世界の外見を再び作り出そうとする諸々の試みが見られる理由なのです。アメリカの政治的プロパガンダで、かつて主要な敵であったソビエト連邦の地位に代わるのが誰なのか、誰が悪の中枢にされようと大差はありません。条件が合えば、これは核技術をわが物としようとする国としてのイラン、世界最大の経済大国としての中国、核超大国としてのロシアでもあり得るのです。
今日、世界を寸断し、新たな分割線を引き、何かのためではなく、誰か(誰でも)に対抗するために連立を企てようする新たな努力が見られます。それは、かつての冷戦期のように敵のイメージを作り出し、この主導権、あるいはお望みなら、一方的強権政策を行使する権利を得ようとする努力なのです。冷戦の際はこのような状況の見せ方が行われていました。私たちは皆これを理解しますし、知っております。アメリカ合衆国は同盟諸国にいつも言いました。「私たちには共通の敵がいる。恐ろしい仇で悪の中枢だ。私たちは同盟国であるあなた方をこの敵から守っている。だから私たちにはあなた方にあれこれ命令し、この集団防衛のために自分たちの政治・経済的利害を犠牲にして応分の代償を支払うよう強制する権利がある。だがもちろん、そのすべてを管理するのは私たちなのだ。」 要するに、今日、変化しつつある新しい世界でグローバル・マネージメントのお馴染みのモデルを再生産しようとする試みが見られるわけですが、そのすべてはアメリカ合衆国の例外的な地位を保証し、政治・経済的な分け前を受け取るためのものだというわけです。
しかしこれらの試みは現実からますます乖離し、世界の多様性と両立しなくなっています。この種の措置のせいで対立と対抗手段が生まれるのは避けがたく、望まれる目標とは逆の効果が生じます。政治が性急に経済に干渉し合理的決定の論理が対決の論理に取って代わられると、何が起こるのかを私たちは目にしています。対決の論理では、事業の国益を含めて自らの経済的地位・利益は損害をこうむるばかりです。
合同経済プロジェクトと共同投資を行なえば、国々は客観的に一そう緊密に結びつけられ、国家間の関係で生じる目下の諸問題を片付ける助けになります。しかし今日、グローバル企業のコミュニティーは、西側諸国政府からの先例のない圧力に直面しています。私たちは 「祖国が危機に瀕している」、「自由主義世界が脅威に曝されている」、「民主主義が危うくなっている」といったスローガンを耳にする時、どのような事業、経済的便宜とプラグマティズムについて語ることができるでしょうか。そこで誰もが動員される必要があります。それが現実の動員政策の有様なのです。
諸々の制裁は、すでに世界貿易の基礎、WTOルールと私有財産の不可侵の原則を弱体化させつつあります。これらは、指摘すればそもそもまさに西側諸国の利益となったモデルである、市場、自由、競争に基づく自由主義のグローバル化のモデルに打撃を与えているのです。こうして今や、西側諸国はグローバル化のリーダーとしての信用を失う危険を冒しています。これが何故必要だったか、私たちは自問しなければなりません。結局のところ、アメリカ合衆国の繁栄は、投資家と海外のドル・米国債券保有者の信用に大きく依存しています。明らかにこの信用が現在弱体化しつつあり、今ではグローバル化によって得られた成果に対する失望の気配が多くの国々に見られます。
よく知られているキプロスの前例と政治的動機による制裁は、経済的・財政的主権や、外圧のリスクから自らを守る方法を見いだしたいという国々、またはそれらの地域グループの望みを、支援しようとする傾向を強めたにすぎません。ますます多くの国がドルへの依存度を軽減する方法を捜しており、これに代わる金融・決済システムと準備通貨の準備を行っていることがすでに私たちには分かっています。アメリカの友人たちは、今まさに自らが座っている木の枝を切り落そうとしているところなのだと私は思います。政治と経済を混同してはいけないのですが、ところがそれが今起こっている事なのです。 私はいつも、政治的動機による制裁はあらゆる人に損害を与える過ちだと思っていましたし、今もそう思っています。 私たちは後ほどきっとこの主題を再び取り上げることと思います。
これらの決定がどのように行われたか、誰が圧力をかけていたかを私たちは知っています。けれどもロシアは感情的になって気分を害したり、誰かの住処に物乞いに行くつもりはないことを強く主張したいと思います。 ロシアは自給自足できる国なのです。私たちは、すでに形成されている海外経済環境の内側で取り組みを行い、国内生産と科学技術を発展させ一層の決断力を持って行動することでしょう。過去に諸々の出来事が起きた時そうであったように、外圧は私たちの社会を強固にし、常に油断なく主要な開発目標に全力を注がせるだけなのです。
もちろん制裁は障害となるものです。彼らはこれによって私たちに痛手を負わせ、発展を阻み政治・経済・文化的に孤立させようとしている。言い換えれば、強いて私たちを後進的な地位に置こうとしているのです。 けれどもさらにもう一度申しましょう。今日、世界は以前とは非常に異なる場所となっているのだと。 私たちには、誰かと縁を切って自らを隔離し、経済自立国家として生きようとして、一種の閉ざされた開発の道筋を選ぶつもりはありません。経済・政治的関係の正常化を含め、対話に対して私たちは常に開かれています。ここで期待されるのは、先進国の商工団体のプラグマティックな [=理論よりも実際の経験・観察に導かれた] 取り組みと立場なのです。
この頃ロシアはヨーロッパに背を向けているようだ ― 今回の討論でも恐らくすでにそのような発言がありました ―、新しいビジネス・パートナーを殊にアジアで探しているようだ、と一部で言われています。これについては、そのようなことは全くないと申しましょう。 アジア太平洋地域での私たちの積極方針は、昨日始まったばかりのものでも制裁に対応したものでもなく、すでに相当の年月の間踏襲されてきた政策です。 西洋諸国を含む他の多くの国々と同様、私たちが経験したのは、アジアが世界の経済と政治でますます大きな役割を果たしており、不利益をこうむらずにこれらの発展を見過ごす余裕はまったくないということなのです。
再度申しますが、これは現在誰もが行っていることですし、わが国は地理的に多くの部分がアジアにあるのですから、それだけ一層私たちもそうすることでしょう。 この地域で私たちが競争上の優位性を活用しない、などということがあるでしょうか。もしそうしないのならば、よほど先見の明がないということになってしまいます。
アジアの国々との経済的な結び付きを発展させ、共同統合プロジェクトを実施すれば、わが国の国内の発展のための大きなインセンティブが生まれます。今日の新たな人口統計、経済、文化の動向のすべては、唯一の超大国への依存が客観的に減少するであろうことを示唆しています。これについては、これまで欧米の専門家たちが議論を行い、著作を著してきました。
おそらくグローバルな政治における諸発展は、グローバル経済で私たちが目にしている諸発展、すなわち個別のニッチをめぐる激しい競争や特定の地域にみられる頻繁な指導者の交代を反映することでしょう。 これはまったく起こりうる事柄です。
グローバルな競争では、教育、科学、健康管理、文化のような人道的要素が一層大きな役割を果たすことは疑いがありません。またこのことは国際関係にも大きな影響を及ぼします。その理由の一部を挙げると、これらの「ソフト・パワー」の力は、巧妙なプロパガンダの詐術よりも、人的資本の開発に掛る実際の功績に大きく依存するという事情があるのです。
同時に、いわゆる多極的世界の形成は(私は同僚の皆さんにこの点にもご注意願いたいと思います)、それ自体としては安定性を改善するものではありません。それどころか、逆のケースとなる可能性が一層高いのです。世界が平衡に達するという目標は、多くの未知数を含む方程式として、かなり難しい問題に変わってきているのです。
ですから、たとえ厳格で不都合なことがあるとしてもルールに従って行動することを選ぶというのではなく、むしろまったくルールなしに行動することを選ぶとすれば、私たちの将来はどうなるでしょうか。しかもこの筋書きはまったくありうる話で、世界情勢の緊張を考慮に入れると、これを除外することはできません。現在の動向を考慮してすでに多くの予測を行うことが可能ですが、それらは楽観的なものではありません。私たちが互いの誓約と合意の明確なシステムを創らず、危機的状況の管理と解決のための仕組みを築かないならば、世界全体が無政府状態に陥る兆候が拡大することは避けられないでしょう。
今日すでに私たちは、世界の主要国が直接または間接に参加して一連の暴力的衝突が起こる可能性が、急激に高まっているのを目にしています。しかも危険因子としては、従来の多国間の紛争のほか、個々の国家の内部での不安定があり、これは特に主要国の間で地政学的利害が交差する地点や文化、歴史、経済的な文明大陸の境界地帯にある国 [/民族] に当てはまります。
ウクライナについては詳細な討論が行われ、さらにいくらか討論が行われることと思いますが、これは国際的な勢力均衡に影響を及ぼすような種類の紛争の一例で、これが最後の紛争にならないことは確かだと私は考えます。ここから、軍縮協定の現行システムを破壊するその次の本物の脅威が生じます。この危険なプロセスは、2002年にアメリカ合衆国が弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、次いでグローバル・ミサイル防衛システムの創出を活発に追究し始めた際アメリカによって開始され、今日まで継続されているのです。
同僚、友人の皆さん、
この危険なプロセスを開始したのは私たちではなかったことを私は指摘したいと思います。再び私たちは、諸国家が直接衝突するのを防ぐものが、利害の均衡と相互の保証である代わりに、恐怖と相互絶滅の均衡である時代に陥ろうとしています。 法的・政治的手段がないため、武器が再び世界的議題の焦点になりつつあり、国連安全保障理事会の承認がまったくなくても場所と方法を問わず武器が使用されています。また安全保障理事会がそのような決定を下すことを拒む場合には、時代遅れの無能な機関であると即座に宣言されます。
多くの国家には、自ら核爆弾を調達する以外に主権を確保する方法が分かりません。これは極めて危険です。私たちは協議の継続を強く要求し、協議を支持するばかりでなく、核兵器保有量の削減に向けた協議の継続をあくまでも求めます。核兵器は世界で少なくなれば少なくなるほど良いのです。 また私たちには、一切のダブル・スタンダードを排して本気で協議を行う場合に限り、核軍縮について非常に真剣に具体的に話し合う用意があります。
今私が言おうとしているのはどのようなことなのでしょうか。多くの種類の高精度兵器は、性能の点ですでに大量破壊兵器に近づいています。 核兵器を全面的に放棄するか、その潜在量を大幅に削減する場合、高精度システムの開発・製造で先進的な地位にある国家が明らかに軍事的に優位に立つでしょう。戦略的均衡が破れると不安定になる可能性が高くなります。いわゆる世界規模での最初の先制攻撃の使用の誘惑に駆られる可能性があり、要するにリスクは減るのではなく、強まるのです。
次に明らかに脅威となるのは、民族・宗教・社会的な紛争が一層深刻化することです。このような紛争は、それ自体危険であるばかりでなく、無政府状態、無法状態、カオス [混沌] の状態にある地帯を周辺につくりだすため危険です。これらの場所はテロリストや犯罪者達には快適で、海賊的行為、人身売買、麻薬取引が蔓延します。
ちなみに、当時私たちの同僚 [=米国側] は何らかの形でこれらのプロセスを操り、地域紛争を利用して「カラー革命」を自らの利害に適うよう企てようとしたのですが、これは取り返しのつかない大きな変化をもたらすこととなりました。 制御されたカオスの理論の創案者たち自身にもカオスをどう取り扱えばよいかはわからないらしく、彼らの足並みは乱れています。
私たちは、支配エリートと専門家コミュニティの両者によって行われる討論を綿密に追跡しています。これは昨年一年間の西洋諸国の報道出版物の記事の見出しを見れば十分なのですが、同じ人々が民主主義の闘志と呼ばれており、イスラム教徒についても同様です。まず革命について記事が書かれ、次いでこれが反乱・政治的社会的動乱と呼ばれます。結果は明白で、さらに地球規模でカオスが拡大することになります。
同僚の皆さん、この地球規模の状況を考えると、今やものごとの基本となる事柄について合意が始まる時がきています。これは途方もなく重要かつ必要なことであって、自分の陣営に戻るよりもほるかに良いことなのです。 私たちは皆、共通の問題を直視するほど運命を共にしていることに気づきます。この状況から脱出するための論理的な方法は、国々や社会が協力を行い、増大する諸課題に対して共同で答えを見つけ、共同でリスク管理を行うことです。確かに私たちのパートナーの一部には、ある理由からそのことを思い出すのは自らの利害に適う場合に限るという者たちもあるのですが。
実際的経験は、課題に対する共同の解決策が万能薬とならないことを教えており、私たちはこれを理解する必要があります。それに大半のケースでは、そのような解決策に達することは困難です。 国益の相異、さまざまなアプローチの主観性を克服することは容易ではなく、特に文化・歴史的伝統が異なる国々のこととなると容易ではありません。しかしそれにもかかわらず、私たちには、共通の目標を持ち同じ基準にもとづいて行動し、共に実際に成功を遂げた諸々の実例があるのです。
シリアの化学兵器の問題の解決と、イランの核開発プログラムに関する実質的な対話、また同様に、ある程度前向きの結果を得た北朝鮮問題への私たちの取り組みについて皆さんに想起していただきたいと思います。将来、私たちがこの経験を地域的・大域的な課題の解決のために用いることができないということがあるでしょうか。
安定と安全を可能にする一方で、健全な競争を促進し、発展を妨げる新たな独占の形成を許さない新しい世界秩序 ― この秩序の法的・政治的・経済的根拠となり得るのは何でしょうか。誰かが今すぐに余すところなく包括的な既成の解決方法を提供できる、ということは到底あり得ません。私たちは幅広く諸政府、グローバル企業、市民社会、この討論クラブのような専門家の討論の場から参加者を得て、大規模な作業を行う必要があるでしょう。
とはいえ成功と本物の成果が得られるのは、ただ国際情勢に参加する主要な国々が利害の調和、道理にかなった自制について合意することができ、積極的で責任あるリーダーシップの模範を示しうる場合だけであることは明らかです。私たちは一国による一方的な行動の限度をはっきりと見定めなければならず、多国間で機能する仕組みを利用する必要があります。また国際法の実効性の改善の一環として、安全と人権、国家主権の原則とあらゆる国に対する内政不干渉の原則を保証するために国際社会の諸行動の間のジレンマを解決しなければなりません。
まさにこれらの行動の衝突のために、複雑な国内のプロセスに対し外部から恣意的な干渉が加えられることが増々多くなっています。このため幾度となく世界の主要プレーヤーの間に危険な対立が誘発されるのです。主権の維持という課題は、世界の安定の維持と強化にあたってほとんど最優先の課題となります。
明らかに、外部からの力の使用の基準を議論することはきわめて困難であり、これを個々の国々[/国民、民族] の利害と切り離すことは実際には不可能です。とはいえ誰にとっても明らか合意事項がなく、必要な合法的干渉について明確な条件が定められないと、危険ははるかに高まります。
国際関係は国際法に基づかなければならず、国際法そのものは正義、平等、真理などの道徳原理に基づくべきであることを補足として付け加えましょう。 たぶん最も重要なのは、自分のパートナーたちと彼らの利害に対する尊重です。これは疑う余地のない決まり文句ですが、ただこれに従うだけで世界の情勢が抜本的に変わりうるのです。
国際機関・地域機関の実効性を回復することは、私たちにその意思があれば可能である、と私は確信します。殊に第二次世界大戦後つくられた諸機関はまったく世界共通のもので、現在の情勢を管理するのに十分な最新の実質を与えることが可能ですから、何も一から新たに築く必要もない。 これは 「未開発地域」 ではないのです。
これは、かけがえのない中心的な役割を果たす国際連合の取り組みの改善についてもいえることですし、また過去40年のうちに欧州大西洋地域の安全と協力の確保に必要な仕組みであることがわかった欧州安全保障協力機構についても同様です。今もなお南東ウクライナの危機を解決する試みに際して、この機構は非常に積極的な役割を果たしていると言わなければなりません。
ますます制御不能となり、さまざまな脅威を伴う国際的環境の根本的変化を踏まえ、私たちは責任の重い諸大国の新たな世界的コンセンサスを必要としています。これは、古典的な外交の精神による何らかの地域的な取決めもしくは強国の勢力範囲の分割、または誰かが地球を完全に支配することに関わるものではありません。私たちが必要とするのは新しい型の相互依存だと私は考えます。私たちはこれを恐れるべきではなく、それどころかこれは諸々の立場を調和させる望ましい手段なのです。
地球上の一定の諸地域が強くなり成長することを考えると、特にこれは実際上重要です。この強化と成長のプロセスでは、これらの新たな複数の極を組織化して影響力のある地域組織を創出するとともに、これらの地域組織の相互作用のルールを発達させることが客観的に必要となります。 これらの中枢間の協力によって世界全体の安全保障と政策・経済の安定性は著しく増大されることになるでしょう。 けれども [地域組織=中枢間の] そのような対話を確立するためには、互いが相補的に振る舞い、誰もわざと争いや対立を強いることができないよう、あらゆる地域の中枢とその周囲に形成される統合のための諸々のプロジェクトが互いに等しく発達の権利を有する必要がある、との前提条件から出発する必要があります。さもなければ、そのような破壊的な行動によって国家間の絆が破綻することになり、諸国家自らが極度の苦境にさらされるか、ことによると全面的に破壊されてしまうでしょう。
昨年の出来事を皆さんに思い出していただきたいと思います。私たちはアメリカとヨーロッパのパートナーたちに、例えばウクライナの欧州連合加盟を性急に秘密裏に決定することは経済への深刻なリスクをはらんでいると伝えました。私たちは政治については何も言わず、ただ経済について考えを伝え 「事前の準備なくそのような措置を取れば、ウクライナの主な貿易パートナーであるロシアを含めて他の多くの国々の利害に抵触する、「多数の人が話合いに加わることが必要である」と意見を述べました。ちなみにこの件については、私は皆さんに例えばロシアのWTOへの加入交渉が19年間続いたことを想起していただきたいと思います。これは非常に困難な作業でしたが、一定のコンセンサスに達しました。
なぜ私はこのことを持ち出すのでしょうか。その理由は、私どものパートナーたちがウクライナのEU加入プロジェクトを実行する際、いわば裏口を通って自分たちの商品とサービスを携え私たちのところにやって来ようとしたからなのです。私たちはこれに同意しませんでしたが、この点については誰も私たちに質問をしませんでした。私たちはウクライナのEU加盟に関連するあらゆる論題について、実に粘り強く話し合いを行いました。けれども私は強調したいのですが、これは全く礼儀正しい仕方で行われ、起こりうる問題を示して、疑う余地のない論拠と首尾一貫した論理によって論証を行ったのです。 誰も私たちの言うことに耳を傾けることを望みませんでしたし、話し合いたいと望むこともありませんでした。 彼らはただ、これはあなた方とはまったく関わりのないことだと言うばかりで、後は何の言葉もなく話し合いはそれでおしまいだったのです。こうして包括的ではあるが ― この点を私は強調しますが ― 文明化された、礼儀正しい対話の代わりに、結局政府が転覆される羽目になりました。彼らはこの国を、経済破綻と社会の崩壊、膨大な死傷者を伴う内戦というカオスの真っ只中に陥れたのです。
一体これは何故なのでしょう。 私が同僚の人々に理由を尋ねると、答えはもはやなく、誰も何も言いません。まさにそれが答えで、誰もが途方に暮れており、それを言いあらわすとこのような結果になったのです。これらの行動は勢いづけるべきではなかったのですが、そうしていればこうした結果にはならなかったことでしょう。 結局のところ (これについてはすでにお話ししましたが) ヤヌコヴィッチ前ウクライナ大統領は一切について署名を行い、一切について同意しました。何故そうするのか。これにはどのような意味があったのでしょう。これは文明人が問題を解決する方法でしょうか。革命に必要なものを急いで寄せ集め絶えず新たな「カラー革命」をでっちあげる者たちは、自らを 「才気あふれる芸術家」 とみなして留まることをまったく知りません。
統合された諸連合のための取り組み、地域組織の協力は、透明で明快な根拠に基づいて築かれるべきであると私は確信しています。ユーラシア経済連合が形成されたプロセスが、このような透明性の良い例です。このプロジェクトの当事者である国々は前もって自らの計画をパートナーたちに伝え、WTOルールと完全に調和する連合のパラメータ、この取り組みの諸原則が定められました。
付言すれば、私たちはユーラシア連合とヨーロッパ連合の具体的な対話が開始されることも歓迎していたことでしょう。ちなみに、彼らはこれも同様に完全に拒絶したのですが、これまた理由がはっきりしません。何をそんなに恐れているのでしょう。
またもちろん、このような共同の取り組みでは、経済的・人道的協力のため大西洋から太平洋にかけて遥かに広がる共通のスペースを創出する必要について対話を行う必要があると考えられます (これについて私は何度も話をし、少なくともヨーロッパでは、西洋の私たちのパートナーの多くが賛成すると述べるのを聞きました)。
同僚の皆さん、ロシアは選択を行いました。私たちの優先事項は、自らの民主的で開かれた経済組織をさらに改善すること、国内の発展を加速すること、世界のあらゆる有益な最新の傾向を考慮に入れること、そして伝統的な価値と愛国心に基づいて社会を統合・強化することなのです。
私たちには統合を志向する積極的、平和的な基本方針・政治日程があり、現在、ユーラシア経済連合、上海協力機構、BRICS、その他のパートナー諸国の同僚たちと共に積極的に作業を行っているところです。この政策の狙いは諸政府間の絆を発展させることで、これらを断ち切ることではありません。 私たちは何かのブロックを急いでまとめようと企てているのではありませんし、打撃の応酬に参加しようとしているわけでもありません。
ロシアが何らかの帝国を樹立し、近隣諸国の主権を侵そうとしているとの申し立てや言明には根拠がありません。ロシアは、世界でいかなる特別の、排他的な立場をも必要とはしていない ― このことを私は強調したいと思います。私たちは他者の利害を尊重するとともに、ただ自らの利害が考慮され、自らの立場が尊重されることを望むばかりなのです。
私たちは、世界が変化と世界規模の転換の時代に入り、この時代にあって皆が格別の用心、軽率な措置を避ける能力を必要としていることをよく承知しています。冷戦後の時期、世界規模の政治への参加者たちは、幾分これらの資質を失いました。今、私たちは彼らに思い出させる必要があります。さもなければ平和な安定した発展への希望は危険な幻想となり、今日の混乱は、ただ世界秩序崩壊の前触れの役割を果たすに過ぎないことになるでしょう。
そうです、もちろん私はすでに申しました。一層安定した世界を築くことは難しい課題だと。 私たちが今話しているのは、長い困難な取り組みのことなのです。私たちは第二次世界大戦後、[国々、地域組織の] 相互作用のルールを発達させることができました。また1970年代には、ヘルシンキで一つの合意に達することができました。私たちの共通の責務は、現在の新たな発展段階で、この根本的な課題を解決することなのです。
ご清聴ありがとうございました。
翻訳:阿呆神望
翻訳者・阿呆神望による解説
ロシアのプーチン大統領は、先の10月24日、外交・国内政策の世界的第一人者が参加するヴァルダイ国際討論クラブで演説を行いました。この演説は2000年に彼が大統領になって以来「最高の、最も重要な演説」(ミハイル・ゴルバチョフ)、「チャーチルの『鉄のカーテン』演説以来の最も重要な演説」などと評価される一方で、ロシア国内でも国民の高い支持を得ているようです。歴史的視点から、ワン・ワールド (NWO = 世界政府の樹立 = 世界の一極化) の美名のもとに世界権力の一極集中を目論む冷戦後のアメリカの外交政策が、いかに危険で、愚かで、罪深いかを完膚なきまでに暴露すると同時に、返す刀で世界が今後進むべき方向を示した見事なメッセージに、本サイトでおなじみのポール・クレイグ・ロバーツ氏も「私の生涯でこれほどの演説を見たことがない」、「プーチンの発言を読めば誰でも彼を世界のリーダーと結論せずにはいられない」と称賛の言葉を惜しみません。まさにこれが「ホワイトハウスの腐敗した戦争屋 [=ネオコン/シオニスト、ネオナチ/サタニスト]、ドイツ、イギリス、フランス、日本、カナダ、オーストラリア政府内の彼らの操り人形たち... と、あらゆる民族・国民の利益が尊重される人道的で生き甲斐のある [道徳的] 世界のために奮闘するリーダーとの違い」なのでしょう。
実はプーチン大統領は若い頃から日本の武道を学んだ人で、「日本の文化や哲学に親しんだ者として、日本を愛さずにはいられない」(丹波實氏『日露外交秘話』)とまで語っていたそうです (現在柔道8段)。また弁護士としての訓練を受けた人にふさわしく、この会議で 1) 道徳にもとづく国際法の整備と国際機関の改善の必要を訴えるとともに、2) 伝統 (歴史・文化) の異なる各国の利益を尊重し、3) 今後は世界の多極化に応じ、地域の中枢となる諸機関が協力して世界の安定と安全をはかる仕組みをつくる必要があると述べています。(おそらくこの構想は、「日本の文化や哲学」への彼の理解 ― 武道を通じ東洋的な「道」として了解されている?― を一つの手掛かりに、馬渕元駐ウクライナ大使が指摘された「全人類的価値とロシアの伝統的価値との有機的結合」をはかろうとするロシアの人々の積年の努力を、政策として具体化しようとしたものではないかと思われます。馬淵睦夫『国難の正体』p.252ff.)
テキストをしっかり読むと、日本の政治家や官僚とはまったく異なる点として、彼がいかに自分の敵(「ホワイトハウスの戦争屋」)を見抜いていたか驚かれる方も多いのではないかと思います。特に国際関係や外交の真相を知りたい方、歴史と文明の転換期について見通しを得たい方にはこの演説はとても参考になり、このたびウクライナを危機から救った彼の行動と考え方についても理解が深まるかもしれません。
ところでロバーツ氏も述べているように、もしも「西洋の社会が正気であれば、公の場でのこのプーチンのメッセージは全文が掲載され、専門家の意見をまじえて討論が行われ」てしかるべきところだったでしょう。そればかりか、おそらく「テレビでも活字メディアでも、賛成の大合唱」さえ聞かれたかもしれません。ところが残念なことに、私たちの国でもこの点で相変わらずの状況が続いているのは皆様もご存知の通りかと思います。このような中、シャンティ・フーラの時事ブログではおそらく日本で最も早期にプーチン大統領の演説の全文(ロシア政府による英語訳)の翻訳作業が行われ、このたび演説の内容がウェブ上で初めて逐語訳的に忠実に再現されることになりました。(この歴史的な演説の意義についてご教示(「情報提供」)を賜り、訳者としてもとても幸運な機会に恵まれたことに謹んで謝意を申し述べさせていただきたいと思います。)
英語では金権・利権のために政治を商売にする政治家達(政治屋)と区別して、国益(民主主義では国民の幸福)のために働く政治家をステーツマンといいます。今や「没落」しようとしている西洋(欧米)と、戦後も「永久占領」下に置かれている日本。日・米・欧の三極でもはや政府与党がステーツマンの政治を行えなくなっている現状 (首相以下グローバリストが圧倒的多数を占める) に対して、どんな学者も顔負けではと思えるほど透徹した広く深い認識の持ち主が、大国ロシアのトップとして世界規模での政治を動かそうとしているのは何かの天の計らいでしょうか。
ところが現在、ロシアでは国営メディアの報道などを通じて多くの人々が西側の腐敗の現状を知るようになり、国民の間で西洋世界の為政者に対する怒りや敵対意識が強まっている(最近の世論調査で79%が西側主要国を敵と見ると回答)といいますから、将来これがロシアの政治の意外な展開の方向に結びつく可能性も否定できないかもしれません。また昨年ロシアの多様性をテーマに行われた同クラブの会議で、プーチン大統領は国内の統合のあり方と歴史的・文化的伝統の回復の必要を問いましたが、この演説に対して強い支持を表明したロシア共産党 (KPRF) のリーダーは、同時にこれを「ロシア連邦」という新たな政府の必要を示唆したものと受けとめ、「政策を変更し、政府を解散する必要性を政治的・イデオロギー的に具体化したものと考える」とまで言っています。このように、悲劇ではないにせよ2015年には「ロシアは斬頭される」(ロシアはいよいよ飛躍のときを迎える。それを開始させたのは現在の統治者であり、それが今後も彼をコントロールする...)と予言したブルガリアのヴァンガの言葉を彷彿させる展開の方向も、これからは無視できなくなってくるかもしれません。ほんとうに私たちは何という歴史の転換期に居合わせているのでしょう!
使用したテキストは、ロシア政府(クレムリン)の英語のウェブページでヴァルダイ討論クラブでのプーチン大統領の発言として掲載されているもの (ロシア語の英訳) です。このうち質疑応答を除く演説 (約40分) の部分をすべて訳出し、彼の言葉の中からロシア政府が囲み欄 (転載元の横側) に抽出してクローズアップしている部分を太字(編注:PDFデータには太字がございません)で示しています。それではどうぞ心ゆくまでお楽しみください。
阿呆神望(翻訳者)
PDFデータ
・プーチン大統領の歴史的スピーチ 於ヴァルダイ国際討論クラブ会議 2014.10.24.pdf
PDFデータ(赤字有り)
・プーチン大統領の歴史的スピーチ 於ヴァルダイ国際討論クラブ会議 2014.10.24.pdf
以下全文掲載
[2014年10月24日、ソチで開催されたヴァルダイ国際討論クラブ第11セッションの最終本会議における、ウラジミール・プーチンの演説と質疑応答のトランスクリプトから抜粋]
ヴァルダイ国際討論クラブ会議
議題 「世界秩序: 新たなルールかルールなきゲームか」
本年は、海外25カ国からの62人を含む108人の専門家、歴史家、政治アナリストが参加した。本会議では、現在の国際法の制度・規範のシステムを侵食する要因の分析に専念する3日間にわたる討論の結果が総括された。
ウラジミール・プーチン: 同僚、紳士、淑女、友人の方々、皆さんをヴァルダイ国際討論クラブ第11セッションにお迎えできましたことをうれしく存じます。
先ほど言われたように、今年はクラブを共催する諸団体にロシアの非政府組織、専門家グループ、一流大学などが新たに参加しています。討論の範囲を広げてロシアそれ自体に関連する問題だけでなく、グローバル・ポリティックス [=地球規模の政治] と経済を含めるという発想も提起されました。
組織と内容がこのように変更されたことにより、専門家による指導的な公開討論の場としてのこのクラブの影響力は強まることでしょう。 同時に「ヴァルダイ精神」ともいえる、この自由で開かれた雰囲気と、あらゆる種類のまったく異なる率直な意見を表明する機会が、今後とも存続することを希望しております。
この点に関する限りでは、私も皆さんの期待を裏切らず直裁率直に意見を発言するとの旨を申し述べさせてください。 私が申すことには少し手厳し過ぎると思われるものがあるかもしれません。とはいえ、真っ直ぐ正直に実際に思っていることについて話すのでなければ、このようにして会合を開いてもメリットはほとんどありません。もしそうでなければ、外交的会合の趣旨に従って誰もが本当に意味のあることを言わないほうがよいということになり、皆さんは有名な外交官の言葉を思い出して、外交で言葉を遣うのは真実を語らないためだと思い至るわけです。
私たちには会合を開く別の理由があり、お互いに率直に語り合うために集まっています。今日私たちが直裁で単刀直入になる必要があるのは、辛辣な言葉の応酬を行うためではなく、現に世界で起こっている事柄の真相を究明し、世界がさらに安全な場所ではなくなり、予測不可能性が増している理由、私たちの周囲の至る所でリスクが高まっている理由を理解する試みのためなのです。
今日の討論は 「世界秩序: 新たなルールかルールなきゲームか」というテーマのもとで行われました。私の考えでは、このテーマは今日私たちが迎えた歴史的転機と私たちのすべてが直面する選択を正確に言いあらわしていると思います。 現在世界が非常に急速に変化しつつあるという理解にはもちろん何ら新しいものはありません。 私はこれが今日の討論で語られていた事柄であることを承知しています。 グローバルな政治、経済、国民の生活において、また産業技術、IT、社会工学の分野において、人は劇的な転換が起っていることに気づかないわけにはいきません。
今、私の発言が、結局討論に参加した方々の一部がすでに述べたことの繰り返しになるとしてもお許しを願います。これを避けることは事実上不可能です。すでに詳細な論議が行われましたが、私の観点を提示しましょう。これは他の参加者の見解とある点で一致し、他の点では異なることでしょう。
現在の状況の分析を行う際に、私たちは歴史の諸々の教訓を忘れないようにしたいものです。まず第一に、過去において世界秩序の転換 ― 今日私たちが目にしている出来事は世界的規模のものです ― は、世界規模での戦争や紛争か、そうでなければ地域レベルの激しい紛争の連鎖を伴うのが通例でした。第二に、グローバルな政治、地球規模の政治とは、何はさておき、経済的リーダーシップ、戦争と平和の問題、人権を含む人道的次元に関わるものです。
今日、世界は矛盾に満ちています。私たちは信頼できるセーフティネットを整備しているかどうか、互いに率直に尋ね合う必要があります。不幸にも、現在の大域的および地域的な安全保障体制が、激動から私たちを守ることができるという保証も確実性もありません。この体制は著しく弱体化し、断片化、変形されています。国際的・地域的な政治機関、経済機関、文化協力機関もまた困難な時期を経験しつつあります。
そうです、世界秩序を保証する仕組みの多くは、今では相当久しい昔、とりわけ第二次世界大戦直後の時期に創られたのです。私が強調したいのは、創立が当時にまで遡るこの体制の堅固さが、戦勝国の間の勢力均衡と諸権利に基づくだけではなく、この体制の「創立の父たち」がお互いを尊重し合い、他に対して圧力をかけようとせず、合意を達成しようとした、という事実に基づいていた点なのです。
最も重要なのは、この体制が発展する必要があり、その様々な欠陥にもかかわらず少なくとも世界で起こっている諸問題を一定の限度にとどめ、諸国間の自然な競争の強度を調整できることが必要だという点です。
時に非常な努力と困難を伴って私たちが過去数十年にわたり築いたこの抑制と均衡のメカニズムを、代わりになるものを何も築くことなく、単に壊してバラバラにしてしまうことはできないと私は確信しています。さもなければ私たちには暴力以外に何も手段が残されないことになるでしょう。
私たちに必要だったのは、合理的な再建を行い、これを国際関係のシステムの新たな現実に適合させることだったのです。
ところがアメリカ合衆国は自らを冷戦の勝者と宣言して後、これを必要とは認めませんでした。秩序と安定を維持するために絶対に欠くことのできない諸国間の新たな力の均衡を確立する代わりに、このシステムをはっきりと大幅な不均衡に陥れる措置をとったのです。
冷戦は終結しましたが、既存のルールの尊重、あるいは新たなルールと基準の創出についての明確で透明な合意にもとづいて、平和条約が調印されることは結局ありませんでした。このため冷戦のいわゆる「勝者」が、自らの必要事項と利害に諸々の出来事が適合するよう圧力を加え、世界を作り直すことを決定したとの印象が生まれました。既存の国際関係のシステム、国際法、実施される抑制と均衡が、これらの狙いの妨げになった場合は、このシステムは価値がなく、時代遅れで、即座に廃止する必要があると宣言されました。
たとえをお許し頂くなら、この場合、新興成金が突然巨額の財産を世界の主導権と世界支配という形で手に入れる結果となったわけで、これはその際の彼らの振る舞い方なのです。自らの富を、もちろん自分自身の利益のためにも賢明に管理する代わりに、彼らは多数の愚行を犯したと私は思います。
現在私たちが迎えている時代は、世界の政治で異なる解釈が行われ、故意に沈黙が守られている歴史上のある時期なのです。国際法は、圧倒的な法律無視によって再三再四撤退を強いられてきました。客観性と正義は政治的ご都合主義の下で犠牲にされ、合法的な規範が恣意的な解釈と偏向した評価に取って代わられました。同時に、世界的なマスメディアを完全に支配することによって、望むときに白を黒、黒を白に描くことができるようになりました。
一国とその同盟国、というよりもむしろ衛星国ですが、これらの国々が優勢だった状況では、世界的規模での解決への模索が、自国の処方箋を世界共通のものとして課そうとする試みに転じることがしばしばでした。このグループの野望が非常に大きくなった結果、彼らのロビー、権力の回廊で決められた方針が国際社会全体の見解であるかのように提示され始めました。ところが実際には、そうではなかったのです。
まさに「国家主権」という概念が大半の国々にとって相対的な価値となりました。 本当のところ、この時画策されていた常套手段は、世界の唯一の権力の中枢に対する忠誠の度合いが大きいほど、しかじかの統治体制の正統性も大きくなる、というお決まりの定式だったわけです。
後ほど自由討論が行われますから、私は皆さんの質問によろこんでお答えし、皆さんに質問する自分の権利も用いたいと思います。間もなく行われるこの討論の際に、たった今私が提示した立論を誰かに反証させてみましょう。
服従を拒んだ者達に対する措置はよく知られており、幾度もの試みに耐えてきたものです。これらの措置には、武力行使、経済的圧力やプロパガンダによる圧力、内政干渉、またしかじかの紛争への非合法的介入や不都合な政権の転覆を正当化する必要がある場合には、一種の「超法規的」正当性に訴えることが含まれます。ここ最近、世界の多くの指導者に対してあからさまな脅迫が用いられてきたという証拠も増えています。自らに最も近しい同盟国を含めて世界中を監視下に置くため、いわゆる 『ビッグ・ブラザー』 が何十億ドルの費用を使っているのは故あってのことなのです。
私たちは自らに問うてみましょう。 「自分たちはこれに対して安心していられるだろうか。この世界に生きることはどの程度安全で幸福なのか。世界はどれほど公正で合理的になったかと。もしかすると、心配したり、議論したり、気まずい質問をしたりする理由は、本当はないのかもしれません。もしかすると、アメリカ合衆国の例外的な立場と主導権を発揮するやり方は、本当は私たち皆にとって喜ぶべき事柄であり、世界中の出来事へのこの国の干渉によって平和、繁栄、進歩、成長、そして民主主義がもたらされているのでしょうか。またもしかすると私たちはただリラックスして、これらすべてを享受するのがよいのでしょうか。
私に言わせれば、それは真実ではないのです。絶対に違います。
一方的な強権政策と自分たちのモデルの押し付けをすると、逆の結果が生まれ、紛争は解決される代わりに結局さらに激化することになります。 安定した主権国家に代わって混沌が広がり、民主主義の代わりに、あからさまなネオファシストからイスラム過激派に至るたいへん怪しげな層が支持されます。
何故彼らはこのような人々を支持するのでしょう。それは彼らが自分たちの目標を達成する途上でこれらの人々を道具として使用することに決め、次いで指を火傷しては後ずさりするからなのです。ロシアの言い回しで言うと、私たちのパートナーは相変わらず同じ熊手の上を踏みつけてしまう。つまり何度となく同じ過ちを犯すのですが、私はそのやり方には絶えずあきれさせられます。
かつて彼らはソ連と戦うためにイスラム過激派運動の資金援助を行いました。これらの過激派グループはアフガニスタンで戦闘を経験し、後にタリバンとアルカイダを誕生させました。国際テロリストによるロシアの侵略 (私たちはこれを忘れてはいません) と中央アジア地域諸国の侵略に対して、西側諸国はこれを支援したとは言わないまでも少なくとも目をつむり、私ならこう申しますが、情報提供と政治的・財政的援助を行ったのでした。アメリカ合衆国は、テロリストによるゾッとするような攻撃が国土そのものに加えられて、初めてテロリズムという共通の脅威に目覚めました。念のために申しますが、その当時アメリカ国民を支援し、9.11の恐ろしい悲劇に対して友人として、またパートナーとして対処した最初の国が私たちだったのです。
アメリカとヨーロッパの指導者達との話し合いの際、私はいつも世界規模の課題として共にテロリズムと戦う必要について語りました。私たちはこの脅威を甘受してこれを受け入れることはできませんし、ダブル・スタンダードを使っていくつもの別箇の部分に切り分けることもできません。私たちのパートナーは合意を表明しましたが、少し時間が経つと私たちは結局振り出しに戻ってしまいました。軍事行動がまずイラクで、次いでリビアで行われ、リビアは崩壊の瀬戸際にまで追いやられました。なぜリビアはこの状況に追い込まれたのでしょうか。今日ではリビアはバラバラになる危険にさらされた国で、テロリストたちの訓練場となっています。
エジプトの現在の指導者層の決意と英知だけが、アラブのこの主要国を混沌と過激主義者の跳梁跋扈から救いました。合衆国とその同盟国は、過去におけると同様、シリアでも直接反政府勢力への資金と武器の供給を行い、この勢力がさまざまな国からの傭兵によって諸階位を充当することを可能にし始めました。これらの反乱分子たちはどこで資金、武器、軍事専門家を調達しているのかお尋ねします。これらすべてはどこから入手するのでしょう。悪名高いISILは、どのようにしてとても強力な戦闘集団、実質的に本物の軍隊となることができたのでしょうか。
財源はどうかと言えば、今日、資金は麻薬から得られるばかりではありません。麻薬の製造量は、アフガニスタンに国際合同軍が駐留するようになって以来、単に数パーセント増にとどまらず何倍にも増えました。皆さんはこれをご承知です。テロリストたちは石油の販売からも資金を得ているのです。石油は彼らの支配地域で生産されており、彼らはこれをダンピング価格で販売し、製造と輸送を行うのです。けれども誰かがこの石油を買って再販し利益を得ても、早晩自分たちの国にやって来て破壊を広めることもあり得る連中にこうして資金を与えている事実については考えないのです。
テロリストたちはどこから新兵を補充しているのでしょうか。イラクでは、サダム・フセインが打倒された後、軍隊を含む国家の機関は荒廃したまま放置されました。その当時私たちは、細心の用心をするようにと申しました。あなた方は人々を路頭に追いやっているけれど、この人たちはそこで何をするのでしょう。彼らは正しかろうと正しくなかろうと地域大国のリーダーの地位にあったのを忘れないでくださいよ。これからこの人たちをどのような職業の人間にするのですか、と。
その結果どうなったでしょう。数万人の兵士、士官、前バース党活動家が路頭に追いやられ、現在では反政府勢力の序列に加わっています。おそらくこれによって、イスラム国グループが非常に実働的であると判明した理由が説明されるでしょう。軍事的観点からとても実働的に行動しており、一部にたいへんプロフェッショナルな人々がいます。ロシアは繰り返し、一国による一方的な軍事行動、主権国家の内政への干渉、過激主義者・急進主義者にちょっかいを出す危険について警告を行いました。 私たちは、これらのグループにテロリスト組織のリストに載っている中央シリア政府、とりわけイスラム国に対抗させておくことを主張したのです。 それに対して何か成果が見られたかと言えば、このアピールは無駄に終わりました。
時として、私たちの同僚・友人たちは自らの政策の帰結と絶えず闘っており、自ら作り出した危険に対処することにすべての努力を投入しますます大きな代償を支払っている、との印象を私たちは受けます。
同僚の皆さん、現在の一極支配の時代は、たった一つの権力の中枢があるだけでは世界全体の諸々のプロセスを管理することができない、ということを疑う余地なく証明しました。それどころかそのような不安定な構造物は、地域紛争、テロリズム、麻薬取引、宗教的狂信、盲目的愛国心、ネオナチズムのような現実の脅威に対抗できないことが明らかになりました。また同時にこれは、慢心した愛国の誇り、世論操作や、強者が弱者をいじめ、抑圧するのを放置することに、大きく道を開いてしまいました。
本質的に、一極世界はただ人々と国々に対する専制権力を正当化する手段であるというほかありません。リーダーを自称する人にとってさえ、一極世界はあまりに不愉快で、重苦しく手に負えない負担だということがわかったのです。この討論の場で少し前にこの関心の方向に沿ったコメントが加えられましたが、私もまったくこれに賛成です。これが、この新たな歴史の段階で、アメリカの主導権を永続させる都合の良いモデルとして偽の二極世界の外見を再び作り出そうとする諸々の試みが見られる理由なのです。アメリカの政治的プロパガンダで、かつて主要な敵であったソビエト連邦の地位に代わるのが誰なのか、誰が悪の中枢にされようと大差はありません。条件が合えば、これは核技術をわが物としようとする国としてのイラン、世界最大の経済大国としての中国、核超大国としてのロシアでもあり得るのです。
今日、世界を寸断し、新たな分割線を引き、何かのためではなく、誰か(誰でも)に対抗するために連立を企てようする新たな努力が見られます。それは、かつての冷戦期のように敵のイメージを作り出し、この主導権、あるいはお望みなら、一方的強権政策を行使する権利を得ようとする努力なのです。冷戦の際はこのような状況の見せ方が行われていました。私たちは皆これを理解しますし、知っております。アメリカ合衆国は同盟諸国にいつも言いました。「私たちには共通の敵がいる。恐ろしい仇で悪の中枢だ。私たちは同盟国であるあなた方をこの敵から守っている。だから私たちにはあなた方にあれこれ命令し、この集団防衛のために自分たちの政治・経済的利害を犠牲にして応分の代償を支払うよう強制する権利がある。だがもちろん、そのすべてを管理するのは私たちなのだ。」 要するに、今日、変化しつつある新しい世界でグローバル・マネージメントのお馴染みのモデルを再生産しようとする試みが見られるわけですが、そのすべてはアメリカ合衆国の例外的な地位を保証し、政治・経済的な分け前を受け取るためのものだというわけです。
しかしこれらの試みは現実からますます乖離し、世界の多様性と両立しなくなっています。この種の措置のせいで対立と対抗手段が生まれるのは避けがたく、望まれる目標とは逆の効果が生じます。政治が性急に経済に干渉し合理的決定の論理が対決の論理に取って代わられると、何が起こるのかを私たちは目にしています。対決の論理では、事業の国益を含めて自らの経済的地位・利益は損害をこうむるばかりです。
合同経済プロジェクトと共同投資を行なえば、国々は客観的に一そう緊密に結びつけられ、国家間の関係で生じる目下の諸問題を片付ける助けになります。しかし今日、グローバル企業のコミュニティーは、西側諸国政府からの先例のない圧力に直面しています。私たちは 「祖国が危機に瀕している」、「自由主義世界が脅威に曝されている」、「民主主義が危うくなっている」といったスローガンを耳にする時、どのような事業、経済的便宜とプラグマティズムについて語ることができるでしょうか。そこで誰もが動員される必要があります。それが現実の動員政策の有様なのです。
諸々の制裁は、すでに世界貿易の基礎、WTOルールと私有財産の不可侵の原則を弱体化させつつあります。これらは、指摘すればそもそもまさに西側諸国の利益となったモデルである、市場、自由、競争に基づく自由主義のグローバル化のモデルに打撃を与えているのです。こうして今や、西側諸国はグローバル化のリーダーとしての信用を失う危険を冒しています。これが何故必要だったか、私たちは自問しなければなりません。結局のところ、アメリカ合衆国の繁栄は、投資家と海外のドル・米国債券保有者の信用に大きく依存しています。明らかにこの信用が現在弱体化しつつあり、今ではグローバル化によって得られた成果に対する失望の気配が多くの国々に見られます。
よく知られているキプロスの前例と政治的動機による制裁は、経済的・財政的主権や、外圧のリスクから自らを守る方法を見いだしたいという国々、またはそれらの地域グループの望みを、支援しようとする傾向を強めたにすぎません。ますます多くの国がドルへの依存度を軽減する方法を捜しており、これに代わる金融・決済システムと準備通貨の準備を行っていることがすでに私たちには分かっています。アメリカの友人たちは、今まさに自らが座っている木の枝を切り落そうとしているところなのだと私は思います。政治と経済を混同してはいけないのですが、ところがそれが今起こっている事なのです。 私はいつも、政治的動機による制裁はあらゆる人に損害を与える過ちだと思っていましたし、今もそう思っています。 私たちは後ほどきっとこの主題を再び取り上げることと思います。
これらの決定がどのように行われたか、誰が圧力をかけていたかを私たちは知っています。けれどもロシアは感情的になって気分を害したり、誰かの住処に物乞いに行くつもりはないことを強く主張したいと思います。 ロシアは自給自足できる国なのです。私たちは、すでに形成されている海外経済環境の内側で取り組みを行い、国内生産と科学技術を発展させ一層の決断力を持って行動することでしょう。過去に諸々の出来事が起きた時そうであったように、外圧は私たちの社会を強固にし、常に油断なく主要な開発目標に全力を注がせるだけなのです。
もちろん制裁は障害となるものです。彼らはこれによって私たちに痛手を負わせ、発展を阻み政治・経済・文化的に孤立させようとしている。言い換えれば、強いて私たちを後進的な地位に置こうとしているのです。 けれどもさらにもう一度申しましょう。今日、世界は以前とは非常に異なる場所となっているのだと。 私たちには、誰かと縁を切って自らを隔離し、経済自立国家として生きようとして、一種の閉ざされた開発の道筋を選ぶつもりはありません。経済・政治的関係の正常化を含め、対話に対して私たちは常に開かれています。ここで期待されるのは、先進国の商工団体のプラグマティックな [=理論よりも実際の経験・観察に導かれた] 取り組みと立場なのです。
この頃ロシアはヨーロッパに背を向けているようだ ― 今回の討論でも恐らくすでにそのような発言がありました ―、新しいビジネス・パートナーを殊にアジアで探しているようだ、と一部で言われています。これについては、そのようなことは全くないと申しましょう。 アジア太平洋地域での私たちの積極方針は、昨日始まったばかりのものでも制裁に対応したものでもなく、すでに相当の年月の間踏襲されてきた政策です。 西洋諸国を含む他の多くの国々と同様、私たちが経験したのは、アジアが世界の経済と政治でますます大きな役割を果たしており、不利益をこうむらずにこれらの発展を見過ごす余裕はまったくないということなのです。
再度申しますが、これは現在誰もが行っていることですし、わが国は地理的に多くの部分がアジアにあるのですから、それだけ一層私たちもそうすることでしょう。 この地域で私たちが競争上の優位性を活用しない、などということがあるでしょうか。もしそうしないのならば、よほど先見の明がないということになってしまいます。
アジアの国々との経済的な結び付きを発展させ、共同統合プロジェクトを実施すれば、わが国の国内の発展のための大きなインセンティブが生まれます。今日の新たな人口統計、経済、文化の動向のすべては、唯一の超大国への依存が客観的に減少するであろうことを示唆しています。これについては、これまで欧米の専門家たちが議論を行い、著作を著してきました。
おそらくグローバルな政治における諸発展は、グローバル経済で私たちが目にしている諸発展、すなわち個別のニッチをめぐる激しい競争や特定の地域にみられる頻繁な指導者の交代を反映することでしょう。 これはまったく起こりうる事柄です。
グローバルな競争では、教育、科学、健康管理、文化のような人道的要素が一層大きな役割を果たすことは疑いがありません。またこのことは国際関係にも大きな影響を及ぼします。その理由の一部を挙げると、これらの「ソフト・パワー」の力は、巧妙なプロパガンダの詐術よりも、人的資本の開発に掛る実際の功績に大きく依存するという事情があるのです。
同時に、いわゆる多極的世界の形成は(私は同僚の皆さんにこの点にもご注意願いたいと思います)、それ自体としては安定性を改善するものではありません。それどころか、逆のケースとなる可能性が一層高いのです。世界が平衡に達するという目標は、多くの未知数を含む方程式として、かなり難しい問題に変わってきているのです。
ですから、たとえ厳格で不都合なことがあるとしてもルールに従って行動することを選ぶというのではなく、むしろまったくルールなしに行動することを選ぶとすれば、私たちの将来はどうなるでしょうか。しかもこの筋書きはまったくありうる話で、世界情勢の緊張を考慮に入れると、これを除外することはできません。現在の動向を考慮してすでに多くの予測を行うことが可能ですが、それらは楽観的なものではありません。私たちが互いの誓約と合意の明確なシステムを創らず、危機的状況の管理と解決のための仕組みを築かないならば、世界全体が無政府状態に陥る兆候が拡大することは避けられないでしょう。
今日すでに私たちは、世界の主要国が直接または間接に参加して一連の暴力的衝突が起こる可能性が、急激に高まっているのを目にしています。しかも危険因子としては、従来の多国間の紛争のほか、個々の国家の内部での不安定があり、これは特に主要国の間で地政学的利害が交差する地点や文化、歴史、経済的な文明大陸の境界地帯にある国 [/民族] に当てはまります。
ウクライナについては詳細な討論が行われ、さらにいくらか討論が行われることと思いますが、これは国際的な勢力均衡に影響を及ぼすような種類の紛争の一例で、これが最後の紛争にならないことは確かだと私は考えます。ここから、軍縮協定の現行システムを破壊するその次の本物の脅威が生じます。この危険なプロセスは、2002年にアメリカ合衆国が弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、次いでグローバル・ミサイル防衛システムの創出を活発に追究し始めた際アメリカによって開始され、今日まで継続されているのです。
同僚、友人の皆さん、
この危険なプロセスを開始したのは私たちではなかったことを私は指摘したいと思います。再び私たちは、諸国家が直接衝突するのを防ぐものが、利害の均衡と相互の保証である代わりに、恐怖と相互絶滅の均衡である時代に陥ろうとしています。 法的・政治的手段がないため、武器が再び世界的議題の焦点になりつつあり、国連安全保障理事会の承認がまったくなくても場所と方法を問わず武器が使用されています。また安全保障理事会がそのような決定を下すことを拒む場合には、時代遅れの無能な機関であると即座に宣言されます。
多くの国家には、自ら核爆弾を調達する以外に主権を確保する方法が分かりません。これは極めて危険です。私たちは協議の継続を強く要求し、協議を支持するばかりでなく、核兵器保有量の削減に向けた協議の継続をあくまでも求めます。核兵器は世界で少なくなれば少なくなるほど良いのです。 また私たちには、一切のダブル・スタンダードを排して本気で協議を行う場合に限り、核軍縮について非常に真剣に具体的に話し合う用意があります。
今私が言おうとしているのはどのようなことなのでしょうか。多くの種類の高精度兵器は、性能の点ですでに大量破壊兵器に近づいています。 核兵器を全面的に放棄するか、その潜在量を大幅に削減する場合、高精度システムの開発・製造で先進的な地位にある国家が明らかに軍事的に優位に立つでしょう。戦略的均衡が破れると不安定になる可能性が高くなります。いわゆる世界規模での最初の先制攻撃の使用の誘惑に駆られる可能性があり、要するにリスクは減るのではなく、強まるのです。
次に明らかに脅威となるのは、民族・宗教・社会的な紛争が一層深刻化することです。このような紛争は、それ自体危険であるばかりでなく、無政府状態、無法状態、カオス [混沌] の状態にある地帯を周辺につくりだすため危険です。これらの場所はテロリストや犯罪者達には快適で、海賊的行為、人身売買、麻薬取引が蔓延します。
ちなみに、当時私たちの同僚 [=米国側] は何らかの形でこれらのプロセスを操り、地域紛争を利用して「カラー革命」を自らの利害に適うよう企てようとしたのですが、これは取り返しのつかない大きな変化をもたらすこととなりました。 制御されたカオスの理論の創案者たち自身にもカオスをどう取り扱えばよいかはわからないらしく、彼らの足並みは乱れています。
私たちは、支配エリートと専門家コミュニティの両者によって行われる討論を綿密に追跡しています。これは昨年一年間の西洋諸国の報道出版物の記事の見出しを見れば十分なのですが、同じ人々が民主主義の闘志と呼ばれており、イスラム教徒についても同様です。まず革命について記事が書かれ、次いでこれが反乱・政治的社会的動乱と呼ばれます。結果は明白で、さらに地球規模でカオスが拡大することになります。
同僚の皆さん、この地球規模の状況を考えると、今やものごとの基本となる事柄について合意が始まる時がきています。これは途方もなく重要かつ必要なことであって、自分の陣営に戻るよりもほるかに良いことなのです。 私たちは皆、共通の問題を直視するほど運命を共にしていることに気づきます。この状況から脱出するための論理的な方法は、国々や社会が協力を行い、増大する諸課題に対して共同で答えを見つけ、共同でリスク管理を行うことです。確かに私たちのパートナーの一部には、ある理由からそのことを思い出すのは自らの利害に適う場合に限るという者たちもあるのですが。
実際的経験は、課題に対する共同の解決策が万能薬とならないことを教えており、私たちはこれを理解する必要があります。それに大半のケースでは、そのような解決策に達することは困難です。 国益の相異、さまざまなアプローチの主観性を克服することは容易ではなく、特に文化・歴史的伝統が異なる国々のこととなると容易ではありません。しかしそれにもかかわらず、私たちには、共通の目標を持ち同じ基準にもとづいて行動し、共に実際に成功を遂げた諸々の実例があるのです。
シリアの化学兵器の問題の解決と、イランの核開発プログラムに関する実質的な対話、また同様に、ある程度前向きの結果を得た北朝鮮問題への私たちの取り組みについて皆さんに想起していただきたいと思います。将来、私たちがこの経験を地域的・大域的な課題の解決のために用いることができないということがあるでしょうか。
安定と安全を可能にする一方で、健全な競争を促進し、発展を妨げる新たな独占の形成を許さない新しい世界秩序 ― この秩序の法的・政治的・経済的根拠となり得るのは何でしょうか。誰かが今すぐに余すところなく包括的な既成の解決方法を提供できる、ということは到底あり得ません。私たちは幅広く諸政府、グローバル企業、市民社会、この討論クラブのような専門家の討論の場から参加者を得て、大規模な作業を行う必要があるでしょう。
とはいえ成功と本物の成果が得られるのは、ただ国際情勢に参加する主要な国々が利害の調和、道理にかなった自制について合意することができ、積極的で責任あるリーダーシップの模範を示しうる場合だけであることは明らかです。私たちは一国による一方的な行動の限度をはっきりと見定めなければならず、多国間で機能する仕組みを利用する必要があります。また国際法の実効性の改善の一環として、安全と人権、国家主権の原則とあらゆる国に対する内政不干渉の原則を保証するために国際社会の諸行動の間のジレンマを解決しなければなりません。
まさにこれらの行動の衝突のために、複雑な国内のプロセスに対し外部から恣意的な干渉が加えられることが増々多くなっています。このため幾度となく世界の主要プレーヤーの間に危険な対立が誘発されるのです。主権の維持という課題は、世界の安定の維持と強化にあたってほとんど最優先の課題となります。
明らかに、外部からの力の使用の基準を議論することはきわめて困難であり、これを個々の国々[/国民、民族] の利害と切り離すことは実際には不可能です。とはいえ誰にとっても明らか合意事項がなく、必要な合法的干渉について明確な条件が定められないと、危険ははるかに高まります。
国際関係は国際法に基づかなければならず、国際法そのものは正義、平等、真理などの道徳原理に基づくべきであることを補足として付け加えましょう。 たぶん最も重要なのは、自分のパートナーたちと彼らの利害に対する尊重です。これは疑う余地のない決まり文句ですが、ただこれに従うだけで世界の情勢が抜本的に変わりうるのです。
国際機関・地域機関の実効性を回復することは、私たちにその意思があれば可能である、と私は確信します。殊に第二次世界大戦後つくられた諸機関はまったく世界共通のもので、現在の情勢を管理するのに十分な最新の実質を与えることが可能ですから、何も一から新たに築く必要もない。 これは 「未開発地域」 ではないのです。
これは、かけがえのない中心的な役割を果たす国際連合の取り組みの改善についてもいえることですし、また過去40年のうちに欧州大西洋地域の安全と協力の確保に必要な仕組みであることがわかった欧州安全保障協力機構についても同様です。今もなお南東ウクライナの危機を解決する試みに際して、この機構は非常に積極的な役割を果たしていると言わなければなりません。
ますます制御不能となり、さまざまな脅威を伴う国際的環境の根本的変化を踏まえ、私たちは責任の重い諸大国の新たな世界的コンセンサスを必要としています。これは、古典的な外交の精神による何らかの地域的な取決めもしくは強国の勢力範囲の分割、または誰かが地球を完全に支配することに関わるものではありません。私たちが必要とするのは新しい型の相互依存だと私は考えます。私たちはこれを恐れるべきではなく、それどころかこれは諸々の立場を調和させる望ましい手段なのです。
地球上の一定の諸地域が強くなり成長することを考えると、特にこれは実際上重要です。この強化と成長のプロセスでは、これらの新たな複数の極を組織化して影響力のある地域組織を創出するとともに、これらの地域組織の相互作用のルールを発達させることが客観的に必要となります。 これらの中枢間の協力によって世界全体の安全保障と政策・経済の安定性は著しく増大されることになるでしょう。 けれども [地域組織=中枢間の] そのような対話を確立するためには、互いが相補的に振る舞い、誰もわざと争いや対立を強いることができないよう、あらゆる地域の中枢とその周囲に形成される統合のための諸々のプロジェクトが互いに等しく発達の権利を有する必要がある、との前提条件から出発する必要があります。さもなければ、そのような破壊的な行動によって国家間の絆が破綻することになり、諸国家自らが極度の苦境にさらされるか、ことによると全面的に破壊されてしまうでしょう。
昨年の出来事を皆さんに思い出していただきたいと思います。私たちはアメリカとヨーロッパのパートナーたちに、例えばウクライナの欧州連合加盟を性急に秘密裏に決定することは経済への深刻なリスクをはらんでいると伝えました。私たちは政治については何も言わず、ただ経済について考えを伝え 「事前の準備なくそのような措置を取れば、ウクライナの主な貿易パートナーであるロシアを含めて他の多くの国々の利害に抵触する、「多数の人が話合いに加わることが必要である」と意見を述べました。ちなみにこの件については、私は皆さんに例えばロシアのWTOへの加入交渉が19年間続いたことを想起していただきたいと思います。これは非常に困難な作業でしたが、一定のコンセンサスに達しました。
なぜ私はこのことを持ち出すのでしょうか。その理由は、私どものパートナーたちがウクライナのEU加入プロジェクトを実行する際、いわば裏口を通って自分たちの商品とサービスを携え私たちのところにやって来ようとしたからなのです。私たちはこれに同意しませんでしたが、この点については誰も私たちに質問をしませんでした。私たちはウクライナのEU加盟に関連するあらゆる論題について、実に粘り強く話し合いを行いました。けれども私は強調したいのですが、これは全く礼儀正しい仕方で行われ、起こりうる問題を示して、疑う余地のない論拠と首尾一貫した論理によって論証を行ったのです。 誰も私たちの言うことに耳を傾けることを望みませんでしたし、話し合いたいと望むこともありませんでした。 彼らはただ、これはあなた方とはまったく関わりのないことだと言うばかりで、後は何の言葉もなく話し合いはそれでおしまいだったのです。こうして包括的ではあるが ― この点を私は強調しますが ― 文明化された、礼儀正しい対話の代わりに、結局政府が転覆される羽目になりました。彼らはこの国を、経済破綻と社会の崩壊、膨大な死傷者を伴う内戦というカオスの真っ只中に陥れたのです。
一体これは何故なのでしょう。 私が同僚の人々に理由を尋ねると、答えはもはやなく、誰も何も言いません。まさにそれが答えで、誰もが途方に暮れており、それを言いあらわすとこのような結果になったのです。これらの行動は勢いづけるべきではなかったのですが、そうしていればこうした結果にはならなかったことでしょう。 結局のところ (これについてはすでにお話ししましたが) ヤヌコヴィッチ前ウクライナ大統領は一切について署名を行い、一切について同意しました。何故そうするのか。これにはどのような意味があったのでしょう。これは文明人が問題を解決する方法でしょうか。革命に必要なものを急いで寄せ集め絶えず新たな「カラー革命」をでっちあげる者たちは、自らを 「才気あふれる芸術家」 とみなして留まることをまったく知りません。
統合された諸連合のための取り組み、地域組織の協力は、透明で明快な根拠に基づいて築かれるべきであると私は確信しています。ユーラシア経済連合が形成されたプロセスが、このような透明性の良い例です。このプロジェクトの当事者である国々は前もって自らの計画をパートナーたちに伝え、WTOルールと完全に調和する連合のパラメータ、この取り組みの諸原則が定められました。
付言すれば、私たちはユーラシア連合とヨーロッパ連合の具体的な対話が開始されることも歓迎していたことでしょう。ちなみに、彼らはこれも同様に完全に拒絶したのですが、これまた理由がはっきりしません。何をそんなに恐れているのでしょう。
またもちろん、このような共同の取り組みでは、経済的・人道的協力のため大西洋から太平洋にかけて遥かに広がる共通のスペースを創出する必要について対話を行う必要があると考えられます (これについて私は何度も話をし、少なくともヨーロッパでは、西洋の私たちのパートナーの多くが賛成すると述べるのを聞きました)。
同僚の皆さん、ロシアは選択を行いました。私たちの優先事項は、自らの民主的で開かれた経済組織をさらに改善すること、国内の発展を加速すること、世界のあらゆる有益な最新の傾向を考慮に入れること、そして伝統的な価値と愛国心に基づいて社会を統合・強化することなのです。
私たちには統合を志向する積極的、平和的な基本方針・政治日程があり、現在、ユーラシア経済連合、上海協力機構、BRICS、その他のパートナー諸国の同僚たちと共に積極的に作業を行っているところです。この政策の狙いは諸政府間の絆を発展させることで、これらを断ち切ることではありません。 私たちは何かのブロックを急いでまとめようと企てているのではありませんし、打撃の応酬に参加しようとしているわけでもありません。
ロシアが何らかの帝国を樹立し、近隣諸国の主権を侵そうとしているとの申し立てや言明には根拠がありません。ロシアは、世界でいかなる特別の、排他的な立場をも必要とはしていない ― このことを私は強調したいと思います。私たちは他者の利害を尊重するとともに、ただ自らの利害が考慮され、自らの立場が尊重されることを望むばかりなのです。
私たちは、世界が変化と世界規模の転換の時代に入り、この時代にあって皆が格別の用心、軽率な措置を避ける能力を必要としていることをよく承知しています。冷戦後の時期、世界規模の政治への参加者たちは、幾分これらの資質を失いました。今、私たちは彼らに思い出させる必要があります。さもなければ平和な安定した発展への希望は危険な幻想となり、今日の混乱は、ただ世界秩序崩壊の前触れの役割を果たすに過ぎないことになるでしょう。
そうです、もちろん私はすでに申しました。一層安定した世界を築くことは難しい課題だと。 私たちが今話しているのは、長い困難な取り組みのことなのです。私たちは第二次世界大戦後、[国々、地域組織の] 相互作用のルールを発達させることができました。また1970年代には、ヘルシンキで一つの合意に達することができました。私たちの共通の責務は、現在の新たな発展段階で、この根本的な課題を解決することなのです。
ご清聴ありがとうございました。
翻訳:阿呆神望
翻訳文に関しては、様々な分野で広く活用して頂けるようにPDFデータを添付しています。