アーカイブ: 原爆投下の真実

[ナチスの亡霊]ベラスコの告白…広島原爆はナチス製だった

竹下雅敏氏からの情報です。
 昨日、広島に落とされた原爆はどうもナチス製だったらしいと記し、この記事にリンクしておきました。長い記事なので、今回要約したものを載せておきます。記事をご覧になると、非常に説得力があります。
 この件に関して、デービッド・ウィルコック氏は、“やっと最近、機密解除されたようですね…アメリカは実際に原爆を作るだけの量のウランを持てるほど裕福になったことはかつて一度もないと。足りない分はナチスドイツから入手した”と言っています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
ベラスコの告白 広島原爆はナチス製だった
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

[世に倦む日日 他]昭和天皇は、米軍に広島と長崎に原爆を投下させた / 原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報 / 昭和天皇の戦争責任 〜私たちは、歴史を完全に見誤っていた〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 “世に倦む日日”の一連のツイートと、下に貼りつけたツイートの中でリンクされている記事をご覧になると、軍上層部、したがって昭和天皇は、原爆が投下されることを知っていたと考えられます。
 “続きはこちらから”以降の文章は、さらに深く事の経緯を説明しています。この情報が真実だとすると、これまで私たちは、歴史を完全に見誤っていたことになります。しかし、この記事の内容は真に迫っていて、深くうなづけるものになっています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

――――――――――――――――――――――――
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

世に倦む日日 ‏@yoniumuhibi
昨夜のNHKスペシャルの「特攻」特集で、大本営陸軍部の作戦部長が「特攻は、終戦工作の動機づくりのため」などという(意味がよく分からない)証言をしていた。この読み解きが肝心だ。まさに「動機づくり」のため、昭和天皇は、米軍に広島と長崎に原爆を投下させたのだ。合意だったということだ。
8月9日 のツイート


世に倦む日日 ‏@yoniumuhibi
このNHKの番組が放送されて4年になる。歴史の真相は少しずつ明らかになっている。軍部が知っていたということは、昭和天皇が知っていたということだ。昭和天皇は、見て見ぬふりをして投下させた。
http://bit.ly/1gTNU8R
http://bit.ly/1IWsJgz
8月9日 のツイート



――――――――――――――――――――――――
原爆投下
活(い)かされなかった極秘情報
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

» 続きはこちらから

[ユースタスC.マリンズ氏]原子爆弾の秘密の歴史 広島はなぜ破壊されたのか – 語られざる歴史

竹下雅敏氏からの情報です。
 かなり重要な内容の動画だと思います。日本人にしても、アメリカ人にしても、原爆を落とす目的でわざと戦争を長引かせたということを、一体どれくらいの人が知っているのでしょう。おそらく、沖縄戦もそのためだったはずです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
広島・長崎に原爆を落した本当の訳
転載元より抜粋)


————————————————————————
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

[イランラジオほか]長崎原爆投下から70周年、決して正当化できない戦争犯罪を振り返る

竹下雅敏氏からの情報です。
 私も、“アメリカの原爆投下は…決して正当化できない”と思います。国民は歴史を正しく教えられていません。原爆投下の責任に昭和天皇も含まれるのか否か、一説によると、昭和天皇は原爆投下の場所を指定したとも言われています。もしもこれが事実ならとんでもないことで、戦争に至る経緯も含めて、検証し直さなければならなくなります。
 下の記事にある通り、戦争終結に原爆が不要だったことは明らかで、それを人体実験として敢えて実行した者たちの戦争犯罪は、厳しく問われるべきです。
 アメリカは、この件にしてもそうですが、その後のベトナム戦争、アフガニスタン空爆、イラク戦争など、一度も自分たちの過ちを謝罪しません。こういう国は亡びるより他にないと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
日本の世論調査、原爆投下の謝罪要求60%以上
転載元より抜粋)
a10 日本で行われた最新の世論調査で、日本の人々は、広島と長崎への原爆投下について、アメリカの正式な謝罪を求めています。

ロシアの国際メディア、スプートニクの依頼により、日本で実施されたオンラインでの世論調査によりますと、日本人の60%以上が、アメリカは、1945年の広島と長崎への原爆投下について、日本の人々に謝罪すべきだと考えていることが分かりました。

また、回答者の71%は、アメリカの原爆投下は、その犠牲者の数が想像を絶するものであるため、決して正当化できないとしています。

1945年8月6日、アメリカのトルーマン大統領の指示により、わずか3日のうちに広島と長崎の2つの都市に原子爆弾が投下されました。

これにより、およそ22万人が命を落としました。

広島と長崎への原爆投下は、世界で唯一、戦争で核兵器が使用された例となっています。
————————————————————————
ドイツとロシアがアメリカの原爆投下を非難
転載元より抜粋)
a20 ドイツとロシアが、アメリカの原爆投下を非難しました。

イルナー通信がドイツ・ベルリンから伝えたところによりますと、ドイツのシュタインマイヤー外務大臣は7日金曜、原爆投下から70年に際して、「原爆投下は、人類の歴史における最も暗い章のひとつだ」と語りました。

また、ロシア・インターファクス通信の報告によりますと、ロシアのペスコフ大統領報道官も7日、「70年前の日本に対する原爆の使用は、人道の原則に反した行為だった。このアメリカの行為には論理的な正当性はまったく存在しない」と述べました。

ペスコフ報道官はまた、この原爆投下は人類の歴史の中で核兵器が使用された唯一の例で、このような兵器が人類に使用されるのは、これで最後となるよう希望しているとしました。

当時のアメリカのトルーマン大統領の指示により、原爆は1945年8月6日に広島に投下され、9日に長崎に投下されました。

およそ22万人がこの原爆投下で命を落としました。そのほとんどは、民間人でした。
広島と長崎の原爆投下は、核兵器が使用された世界で唯一の例です。
————————————————————————
長崎原爆投下70周年 : 教会と国家にとって歓迎されざる真実
転載元より抜粋)
Dr. Gary G. Kohls
Global Research
2015年8月4日

70年前、(1945年8月9日) 全員キリスト教徒の爆撃機乗組員が、“ファットマン”、プルトニウム原爆を、日本の長崎に投下し、何万人もの無辜の一般市民を瞬時に殲滅させたが、彼等の中でも不釣り合いなほど多数が日本人キリスト教徒だった。

午前11:02に、浦上天主堂上空で原爆が爆発するまで、長崎は、日本最大のキリスト教都市だった。浦上天主堂は、東アジア最大のキリスト教大聖堂だった。

a30

長崎への原子爆弾投下後、浦上天主堂の残骸中に横たわる放射線を浴びた十字架


戦争の歴史において、あの極悪非道の大量破壊兵器使用は、後にニュールンベルク裁判で、国際的な戦争犯罪、人類に対する犯罪として定義された。

それは、原爆が広島を滅ぼした8月6日から、わずか3日後のことだった。両国の軍と民間人指導部は、もう何カ月も、日本が戦争に負けたことを知っていた。

降伏に対する唯一の障害は、連合国諸国が、日本人が神と見なしていた天皇裕仁が、日本における名目上の長の立場から排除され、恐らく、戦争犯罪裁判にかけられる可能性を意味する、無条件降伏を主張していたことだった。この要求は、天皇を神と見なしている日本人にとって、耐えがたいものだった。

ソ連は、その一日前、8月8日に、40年前の(ロシアにとって)屈辱的な日露戦争で、日本に奪われた領土を奪還することを狙って、日本に対し、戦争を宣言し、スターリンの軍隊は、満州を前進していた。ロシア参戦は、ロシアより、アメリカに降伏するほうがずっとましだと考えている日本にとって、戦争を早急に終わらせる為の強い動機となった。そして、もちろん、アメリカは、いかなる戦利品も、ロシアと分け合いたくはなく、ロシアに対して、アメリカが、この世界における新超大国だという初期の冷戦メッセージを送りたがっていた。

ロシア参戦は、 7月16日、ニュー・メキシコ州での原子爆弾実験成功を知る前に、トルーマン大統領が奨励したものだった。

だが今や、トルーマンと彼のブレイン達は、スターリンの助けなしに、原子爆弾で日本を降伏させられるのを理解した。それで、ソ連と戦利品を分け合う意図は皆無だったアメリカは、アメリカが地球上の新たな超大国だという初期の冷戦メッセージをロシアに送りたかったので、天気が良く、原爆が利用可能になり次第(実際は、四発目の原子爆弾を製造する為に使える核分裂物質はもはや無かったが)原子爆弾使用の方向で進めるようトルーマンは、爆撃機司令部に命じたのだ。

» 続きはこちらから