湯川秀樹も影響を受けた三浦梅園の思想

今日は、
知る人ぞ知る、三浦梅園の話をしよう。

だれそれ?

三浦梅園(1723〜1789)は、江戸中期の思想家で医者、天文学者、自然哲学者、私塾の講師、詩人、画家、書家で、思想家だった。家は庄屋の分家で、士農工商では「農民」だった。彼の代表的な著作は、「梅園三語」と呼ばれる「玄語(げんご)」「贅語(ぜいご)」「敢語(かんご)」で、中でも中心となる「玄語」は存在の研究、宇宙の研究とも言われる。

理科系も文化系もこなせる、マルチな才能の持ち主だね。
あの湯川秀樹も「玄語」に影響を受けたとか。湯川が書に残した「気物相い食(は)み、混成す」は、「玄語」からの引用だそうだ。(
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へえ、中間子理論となにか関係があるのかな?

ひええ、どこまで行ったの?

うちから車で30分。

はあ?! そんな近い所にあるの?

ああ。山一つ越えたら、梅園さんちだったのよ。

うわあ、りっぱな茅葺きだあ。

この家に隣接している梅園資料館には、国の重要文化財に指定されている梅園の著書や、直筆の書、愛用品、肖像画などが展示されている。それらの展示やパンフレット、そこでゲットした子ども向けの「三浦梅園伝」「三浦梅園先生の哲学」を参考に、
梅園の生涯を紐解いてみよう。

よろしくで〜す。
大分の学校ではきっと、郷土の偉人として教わるのでしょうが、よそ者の私は、いつかドライブ中に目にした「三浦梅園旧宅」という道路標示の記憶しかなく、昔の学者さんかな?くらいの知識しかありませんでした。
ところが、調べるほどにりっぱな人物で、こんな人物が日本に、大分にいたことが誇らしいと思いました。
参考:三浦梅園資料館パンフレット、「少年少女のための三浦梅園伝(文中では『梅園伝』)」「少年少女のための三浦梅園先生の哲学(文中では『哲学』)」