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日本政府は「戦没者の遺骨収集事業」という名目で、フィリピンに埋められた金塊を探していたのではないか!?〜 金融取引プログラムに投入され「秘密の宇宙プログラム」に使われた山下ゴールド!

竹下雅敏氏からの情報です。
 フィリピンで日本政府が進めている「戦没者の遺骨収集事業」の実態はかなり酷いもののようで、“日本兵とされる骨の中に、大量のフィリピン人の骨が混じっている可能性が高い”という噂が広がり、現地では「遺骨の盗難騒動」が起きているということでした。
 厚生労働省はフィリピン国内に保管している遺骨のDNA鑑定結果を公表していますが、これを見ると、311検体の中で、日本人と思われる個体は5体に過ぎなかったことがわかります。
 国が丸投げをして遺骨収集をさせていたNPO法人は、本当に遺骨収集を行っていたのでしょうか。普通に考えると、「戦没者の遺骨収集事業」という名目で、フィリピンに埋められた金塊を探していたのではないかと思われます。現地の人に怪しまれないようにするには、「遺骨収集事業」だと言っておかなければならないでしょう。また、地面を掘り返すとどうしても遺骨が出てくるので、これを日本兵の遺骨だとして日本に送り返せば、世間の目はごまかせるということではないでしょうか。
 “続きはこちらから”は、コブラとベンジャミン・フルフォード氏へのインタビューです。この中で、山下ゴールドに触れている部分があります。
 フルフォード氏は、“山下ゴールドはずっと前に存在しません…ブラックイーグルトラスト等に使ってしまいました”と言っています。コブラは、山下ゴールドが“米国に輸送され…金融取引プログラムに投入されて、それが地下基地建設に使われました…山下ゴールドはとっくの昔に無くなっています”と言っています。
 山下ゴールド(黄金の百合)の75%強はすでに掘り出され、金融取引プログラムに投入されて「秘密の宇宙プログラム」に使われたと私は考えています。なので、山下ゴールドは、そのほとんどが別の場所に移されたわけです。昨日の記事では、その場所は、カバールがいざという時に逃げこむ所ではないかと指摘しました。
 コブラは、“フォートノックスのゴールドも同様に、とっくの昔になくなっています”と言っていますが、フォートノックスのゴールドはBIS(国際決済銀行)に移されている可能性があります。
 張勝植氏の著書「朝鮮名は張基元 朝鮮半島から[万人幸福の世界作り]を目指した明治天皇」のp42には、“アメリカが「ニクソンショック」で金兌換をやめた。それで、FRBにあった金は危ないから、全部BIS、スイスのほうに移した”と書かれています。
 さらにこの本には、驚くべきことが書かれています。p123~p124ですが、張勝植氏のひいおじいさんの張基元氏は、1926年から34年にアメリカのサンフランシスコに居て、船で運んだ金=ゴールドをアメリカに荷揚げして、FRB(米連邦準備制度)の準備金にしたと言っています。BISもFRBも張基元氏が金=ゴールドを預けたと書かれており、張勝植氏は、“半分はスイスでBISの基金とし、残りの半分はFRBなどに入れた”と言っています。
 張勝植氏は、ニール・キーナン氏の属するドラゴン・ファミリーとは関係がないと思います。張勝植氏の話がもしも本当なら、ドラゴン・ファミリーが米国に預けた金塊とは別の金=ゴールドがあることになります。加えて、「黄金の百合」作戦でアジアから略奪された金塊がその後掘り出されて、“金融取引プログラムに投入”されたと考えられます。
 これらの莫大な量の金塊は、BISの金塊も含めて、いくつかの場所に隠されていると考えるのが自然ではないでしょうか。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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戦没者遺骨DNA鑑定軽視し放置
引用元)

 ロシアやフィリピンで収集した戦没者遺骨取り違え問題を巡り、厚生労働省の外部有識者による調査チームは23日、2005年から何度も疑いが指摘されたのに放置していたとして「(同省の対応は)問題意識が低く、引き継ぎや情報共有も不十分だった」とする報告書を公表した。DNA型鑑定結果を軽視したことや結果公表を求めた専門家の意見に応じなかった点などを問題とした。
 日本人ではないか、その可能性が高いと指摘されたロシアの9カ所で収集した597人分と、フィリピンで収集した10人分に関し、同省のDNA鑑定人会議の全議事録を検証、関係職員やOB延べ34人に聞き取り調査した。
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フィリピン国内に保管している遺骨のDNA鑑定結果について
引用元)
報道関係者各位

フィリピン国内に保管している遺骨のDNA鑑定結果について

 本年8月16日以降報道のあった、NPO法人がフィリピンで収集し現在フィリピン国内に保管している遺骨については、保管中の遺骨から311検体を抽出して日本に送り、うち130検体のDNA鑑定結果について、平成23年10月にすでに公表を行っているところです。一方、残りの181検体については、その後2機関に鑑定を依頼したものの、鑑定結果については公表を行っていませんでした。
 ここに改めて整理し、とりまとめましたので、別紙のとおり公表します。
 なお、フィリピンでの遺骨収集については、すでにお知らせしているとおり、フィリピン政府との覚書に基づき今後再開するという方針に変更はありません。
(以下略)

https://www.mhlw.go.jp/content/12103000/000348128.pdf

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第11話 ― 中国蹂躙へのホワイト・ロッジの関与

 今年12月7日の竹下さんの記事に、第2次世界時に中国を始め、大陸からの莫大な金銀財宝の略奪を命じたのは堀川辰吉郎であり、それは銀河連合からの指令だったこと、そして銀河連合のバックはホワイト・ロッジであったことが明かされています。
 要するに、中国等からの金銀財宝略奪はホワイト・ロッジの意向だったのです。そしてこの中国の蹂躙と略奪、また植民地化は、第2次世界大戦以前から、具体的にはアヘン戦争前からホワイト・ロッジの意向から継続して実行されてきたのです。
 現実にアヘン戦争から中国を蹂躙し、略奪実行したのはイギリス東インド会社の悪魔崇拝海賊団です。ホワイト・ロッジの中には悪魔崇拝の闇組織が巣くっていて、そこに所属する地上メンバーが悪魔崇拝海賊団に加わっていました。
 しかしそれだけではありません。ホワイト・ロッジの悪魔崇拝ではない勢力、つまりミトラやマイトレーヤたち、それに従う地上組織メンバーも悪魔崇拝海賊団の行為に加担していたのです。その略奪等の行為は彼らの計画に基づいたものだったことが見て取れます。
 中国の蹂躙、略奪、植民地化もハルマゲドン計画の一環だったようです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第11話 ― 中国蹂躙へのホワイト・ロッジの関与

ジェイムズ・ブルースの素性 〜ブルース家とテンプル騎士団


ジェイムズ・ブルース(第8代エルギン伯爵)
Wikimedia Commons [Public Domain]

第2次アヘン戦争とも呼ばれるアロー戦争で、英軍を率いて天津条約を締結させ、その直後に返す刀で軍艦を率いて江戸に襲来し、日英修好通商条約を締結させたのがジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)です。彼は再開したアロー戦争でも英軍を率いて清朝を破壊し、植民地条約といえる北京条約を締結させてもいます。

この中国と日本の植民地化において大変重要な役割を果たしたジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)とは一体どういう人物であったのか? 結論を先に言えば、彼はテンプル騎士団、それも悪魔崇拝ではないほうのポジティブなテンプル騎士団でしょう。

テンプル騎士団はホワイト・ロッジに所属しますが、ホワイト・ロッジの中に悪魔崇拝闇組織が巨大に巣くっていました。こちらはエノクやマイトレーヤ配下の軍団長の覚者たちのグループで、この闇組織の地上組織が裏のイルミナティです。

一方、マイトレーヤ自身やミトラたちは悪魔崇拝ではありませんでした。テンプル騎士団には裏のイルミナティに属する悪魔崇拝のネガティブグループとミトラやマイトレーヤのグループに属するポジティブグループがあるのです。

ジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)はその家系の血統から見て、ポジティブグループのテンプル騎士団となるのです。つまりミトラやマイトレーヤのグループに所属します。

ジェイムズ・ブルースはスコットランド王であったロバート・ブルースの直系子孫です。ロバート・ブルースはイングランドからスコットランドを独立させたスコットランド王であり、その独立を決定させたのが「バノックバーンの戦い」です。数では圧倒するイングランド軍を敗退させる活躍をしたのがヘンリー・シンクレアなどが率いるテンプル騎士団でした。

ロバート1世 (スコットランド王)
Wikimedia Commons [Public Domain]

テンプル騎士団とフリーメーソン』(三交社)ではそのテンプル騎士団出現の様子やロバート・ブルースとテンプル騎士団、ならびにヘンリー・シンクレアなどシンクレア家との緊密で切っても切れない関係などが記されています。

エルサレムのヘロデ神殿を再現させたロスリン礼拝堂を建造したのがシンクレア家ですが、「あぶそるーと ロンドン」の今年1月2日記事では次のような紹介もされています。

「1314年、ロバート・ザ・ブルース王を7代目のヘンリー・シンクレア卿が力強くサポートし、見事イングランドからの独立を勝ち取っております。

このロバート1世が1329年に病死した際、王の副官であったジェームズ・ダグラス卿にヘンリー・シンクレア卿の二人の息子が選ばれ、王の遺言に従い、その心臓を銀の小箱に入れて聖地エルサレムへと帰還させようという試みが行われました。だからロスリン礼拝堂には、ロバート1世の心臓を持つ天使の彫刻が彫られているのです。」

ロスリン礼拝堂のロバート1世の心臓を持つ天使

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第10話 ― 英領中国に

 「英領日本」、これは日本人には受け入れがたいものでしょう。しかし、中国がイギリスの植民地であったと言えばいかがでしょうか?
 インドは英国女王がインド皇帝になっていますから、表向きにもはっきりと英領でした。中国は表向きその全土は英領とはなっていません。しかしアヘン戦争等で敗戦し、散々蹂躙され、収奪され、主権を奪われているので、実質的にはイギリスなどの植民地であったことには否定されないででしょう。
 中国とは異なるとはいえ日本も同じような部分があり、日英修好通商条約が英領日本に当たる条約になっていると思っています。
 「本物黒酒」さんが提示されたそれを示す資料、1874年8月11日英国官報「英国女王陛下は、«中略»と日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」
 この «中略» 部分ですが、英国官報のガゼット紙の該当部分「Mikado of japan」の前に「Enperor of China」とあります。つまり正式には「英国女王陛下は、中国皇帝と日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」となるでしょう。
 1858年の日英修好通商条約締結の直前に、清国がイギリス側と締結させられた条約があります。天津条約です。英側からすれば天津条約と日英修好通商条約は、連動というかセットになっているのでしょう。別名「第2次アヘン戦争」ともいわれる英側から仕掛けられたアロー戦争によって天津条約が結ばれているのです。
 アロー戦争でイギリス軍を率いて天津条約を結ばせたのがジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)です。ジェイムズ・ブルースがその直後に軍艦を率いて江戸にやってきて、日英修好通商条約を結ばせているのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第10話 ― 英領中国に


仕掛けられた「第2次アヘン戦争」〜不法でっち上げのアロー号事件


すでにアヘン貿易で中国から富を収奪していたイギリス東インド会社(後の300人委員会)は、1839年に勃発させたアヘン戦争にて中国を蹂躙し、アヘン貿易等にてさらなる暴利を貪っていきます。アヘン戦争で香港島を英国女王に割譲させてもいます。

中国におけるインド産アヘンの輸入量の推移
Author:Philg88 [CC BY]

編集者註:グラフでは1835年以降アヘンの輸入量が急増。それに伴い、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われたのがアヘン戦争。
1856年から1860年にかけて、再び清とイギリス・フランス連合軍との間でアロー戦争(第2次アヘン戦争)が勃発。1860年の北京条約締結以降、一層アヘンの輸入量が増加。

アヘン戦争の主体者は大英帝国ではなく、悪魔崇拝海賊会社イギリス東インド会社のオーナーたちです。イギリス東インド会社のオーナー ≒イングランド銀行のオーナーでもあります。

幾度も見てきたように、1600年台をかけて英国は悪魔崇拝の海賊団たちに乗っ取られています。英国という国家の上に悪魔崇拝の海賊団が位置していて、彼らが世界中を植民地支配してきて、現地人の生き血を貪ってきたのです。

pixabay [CC0]
pixabay [CC0]
Wikimedia Commons [Public Domain]

香港島が英国女王に割譲されていますが、英国女王は悪魔崇拝海賊団の仲間であり、彼らの看板としての代表なのです。従って香港島の割譲にしても、英国女王を代表として悪魔崇拝海賊団が香港島を収奪しているのです。悪魔崇拝海賊団の大ボスの一人がロスチャイルドということでもあります。

アヘン戦争からの暴利、しかし彼らはこの莫大な収奪にも満足できていなかったのです。彼らは中国に当時の清朝に武力行使を仕掛ける機会を常に窺っていました。戦争に持ちこみ、さらなる収奪を加算できる条約締結を目論んでいたのです。そのような状況下に都合よく?中国で1851年大農民反乱「太平天国の乱」が起きます。これで1853年には南京を占領するなど中国内での独立国家を設立したのです。

この非常事態の対応に苦悶する清朝、イギリス側はこれを武力行使の絶好の好機と捕らえます。1856年にでっち上げの言いがかりのいちゃもんにて戦争の口実を作り上げます。これがアロー号事件です。アロー号事件を口実にイギリス側が清朝に卑劣に仕掛けた戦争がアロー戦争です。

アロー戦争とは別名「第2次アヘン戦争」です。イギリス軍を率いる司令官はジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)でした。またイギリス側はフランスのナポレオン3世に共同出兵を求め、英仏連合軍として清国に襲いかかり蹂躙したのです。

ジェイムズ・ブルース(第8代エルギン伯爵)
Wikimedia Commons [Public Domain]

なお、1858年に日英修好通商条約の前に日米修好通商条約が締結させられていますが、交渉に当たった米側のタウンゼンド・ハリスが江戸幕府を強請るネタに用いたのもこのアロー戦争だったのです。英国、米国、フランスなど国名は違いますがみんな「お仲間」と見たほうが早いでしょう。海賊団の仲間です。

さて、ジェイムズ・ブルースらが率いる連合軍は1857年末には広州を占領し、この地方の総督兼皇帝の特命大臣を捕縛します。そして翌1858年、再び北上して天津を占領し、清国に天津条約を締結させたのです。この締結直後にジェイムズ・ブルースが返す刀で艦隊を率いて江戸に襲来し、日本側に締結させた条約が日英修好通商条約だったのです。

江戸幕府と条約交渉を行うエルギン伯
Wikimedia Commons [Public Domain]

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世界発展のために使われることはなく、IMFによる国家の破壊と略奪、そして戦争経済を回すことに用いられた「M資金」

竹下雅敏氏からの情報です。
 Yutikaさんが翻訳した「金塊の歴史年表」から記事を編集しました。冒頭の記事によると、“日本とナチスが掠奪した財宝は、42か国の172の影の口座に振り分けられ…これらの中で一番大きな口座の1つが、「M資金」と呼ばれたもの”だということです。こうした「国際担保口座群」を監視し運用する任に就いたのが、インドネシアのスカルノ大統領だということです。
 スカルノ大統領は、デヴィ夫人とセットで覚えてください。 Wikipediaによると、1959年、デヴィ夫人が19歳の時に「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれたとのことです。この一件に児玉誉士夫が関わっていたということなので、日本の裏社会から、秘密の簿外資金の口座管財人(M1)であるスカルノ大統領へのプレゼントだと考えたらよいのでしょうか。デヴィ夫人の経歴を見る限り、スパイとは考えにくいからです。
 この「国際担保口座群」は、“世界発展のために資金を使用”するはずだったのですが、連邦準備制度を支配する者たちは、この約束を守らなかったようです。
 1963年、ケネディ大統領とスカルノ大統領は、アメリカ財務省が金に裏付けられた政府紙幣を発行するために、59,000トンの金塊を提供する「グリーンヒルトン協定」を結びます。この合意により、ケネディ大統領は暗殺(1963年11月22日)され、スカルノ大統領もその後クーデターを仕掛けられ、スハルト将軍に実権を奪われてしまいます。
 連邦準備制度の支配者たちは、1966年に、フィリピンのマルコス大統領を違法な手続きで口座管財人(M1)に任命し、マルコス大統領はその地位を、1986年まで占めたと書かれています。
 11日の記事で、“中曽根元首相とその指名者らが(M資金の)管理権を握った”のが、1986年以降でした。時期の一致は偶然なのでしょうか。
 いずれにせよ、世界発展のためにこの秘密資金が使われることはなく、IMFによる国家の破壊と略奪、そして戦争経済を回すことに用いられたようです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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[Kグループ社]複数の国際担保口座と、それを解放しようとするキーナン氏の活動に関する簡単なまとめ 【第一弾・前編】
転載元)
(前略)
Kグループ社 13/6/8
マイケル・ヘンリー・ダン
2013年6月8日 
(中略)
黄金の百合作戦とは、明確に文書化されていることだが、アジア(主に中国)に溜め込まれた何千何万トンもの黄金を掠奪するという目的に特化し、中国や他の国々に軍事侵攻する以前からそれら黄金を保有する主要な国家へと潜入して行った日本人の黄金探索集団の話だ。ナチスの黄金探索活動はよく知られているが、欧洲の銀行家利権による協力と情報提供によって、日本がかき集めた量はそれを遥かに凌ぐものだった。

【現在も東南アジアに眠る金塊の一例】



【現在も東南アジアに眠る金塊の一例】

(中略)
いわゆる公式発表においては、人類がこれまでに掘り出した黄金は全部で約16万トンだと言われている。しかし今分っているところでは、200万トンを余裕で超えると見るのが正しいようだ。第二次世界大戦中、日本は東南アジアのあちこち、特にインドネシアとタイとフィリピン諸島にトンネルや地下壕を掘っては黄金を埋蔵して行った。
(中略)
戦後になると、連合国側によってこれらの黄金が探し当てられ、まさしくこの目的のために戦前から欧洲の中央銀行の銀行家たちが練り上げていたシステムの中に組み込まれて行った。(中略)… 1944年のブレトン・ウッズ協定において、勝利目前の連合国は新たな国際金融体制を構築するため、国際通貨基金を立ち上げた。
(中略)
訳者解説
日本とナチスが掠奪した財宝は、42か国の172の影の口座に振り分けられ、その内の大半は、連邦準備制度理事会と国際決済銀行の複数の口座に運び入れられた。これらの中で一番大きな口座の1つが、「M資金」と呼ばれたもの(こちらのMは戦後日本の経済統制を指揮したGHQのマーカット局長の頭文字)。

(資産の大半がインドネシアの地下壕に隠されていたことから)インドネシアのスカルノ大統領【国連決議により1945年に】Monetary Controller of the Accounts(=口座管財人)つまり通称M1に任命されていた。
(以下略)
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デヴィ・スカルノ
デヴィ・スカルノ
Dewi Sukarno

デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年昭和15年)2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍のタレントYouTuberインドネシアスカルノ元大統領第3夫人NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)、旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)、通称はデヴィ夫人。
 
生い立ち
東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)に父・兵七郎と母・政子(福島県双葉郡浪江町出身)の間に生まれる。父は麻布区霞町界隈の大工棟梁であり、弟が1人いた(八曾男)。太平洋戦争中は、母・弟の3人で福島県浪江疎開していた。家庭は裕福ではなかった。
 
無名エキストラ女優~高級クラブ
1955年昭和30年)、15歳の時、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)にエキストラ出演。
中学卒業後は、東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に、150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社したが、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちする日々を送った。
1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。
1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。この一件に当時「昭和フィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたとされる。
 
スカルノ大統領夫人

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スカルノ

独立後間もない上に、東西冷戦下にあったインドネシアにおいて、当時スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を非常に重要視していた。インドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年昭和37年)にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。 
(以下略)
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配信元)

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魂さえ残っていれば、死というのは基本的には存在しないもの! ~死を恐れなかった中村哲氏の生き方

竹下雅敏氏からの情報です。
 「ペシャワール会」の中村哲氏を見送る式典で、アフガニスタンのガニ大統領が棺を担いだとのことです。中村哲氏が襲われたのは、現地時間の4日午前(日本時間の4日午後)なので、死後3日以上経っています。中村哲氏の霊体が復活しているのが感じられます。ただ、本人は自分が死んだことを、ひょっとしたら自覚していないかも知れません。あくまで空想ですが、自分が救急車で運ばれたところまでは憶えていてそのまま眠ってしまい、目が覚めて起き上がったぐらいに感じている可能性があります。
 スウェーデンボルグの著作をご覧になると、敵方に捕まった兵士が斬首され死亡したにもかかわらず、復活した霊が首に手を当てて何度もさすりながら、首が繋がっていて自分が生きていることに驚いているシーンが出てきます。
 このように、魂さえ残っていれば、死というのは、途中3日間の気絶はありますが、基本的には存在しないものなのです。中村哲氏のように、人が喜ぶ姿を見て自分が幸せでいられる人の場合、死後は地上のどこよりも良いところで暮らせるようになります。
 おそらく、近い将来、死者と交信できる手段を、私たちは手にするようになると思います。こうした科学技術の発達によって、実は死後の世界が存在すること、この地上の世界よりもずっと自由度が高く幸せな暮らしができることなどがわかってくると思います。そして、しかるべき時期が来るとまた、肉体に転生に入るわけです。
 なので、宗教的見地からは、実は、死よりももう一度肉体に転生に入ることの方が恐れられているのです。地上に転生に入ることを、「再死」と呼んで恐れます。なぜ、再誕生をこれほど恐れるかというと、この地上の世界は、ほとんどの霊にとってとても恐ろしい所だからなのです。
 仏教の開祖ゴータマ・シッダールタの悩みは、“どうすればもう一度生まれ変わらなくて済むか”ということでした。こうした観点で見ると、死を恐れる一般人よりは、「再死」を恐れる人たちの方が、精神的には一歩進んでいると言えるかも知れません。
 人々が死を恐れないで生きることができれば、全く違った生き方になるでしょう。中村哲氏の生き方は、まさにそのようなものだったと思います。
 長周新聞さんが、2015年9月2日に掲載した記事を、再掲しています。記事の中で、中村哲氏は「日本に帰ると別の惑星に来たように感じる…日本の政権については、こんなバカな政権はない…個人的なことをいうと憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はないと考えている」と言っています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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中村さんと遺族、帰国の途 空港でアフガン大統領見送り
引用元)

画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え
軍兵士と共に中村哲さんのひつぎを担ぐガニ大統領(中央)
=7日、アフガニスタン・カブール(共同) その他の写真を見る(1/3枚) 
 アフガニスタン東部で福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)が殺害された事件で、同国を訪れた妻尚子さん(66)と長女秋子さん(39)らが7日、首都カブールの空港から中村さんの遺体と共に帰国の途に就いた。8日に日本に到着する予定。

 出発に先立ち、空港ではアフガン政府主催で中村さんを見送る式典が開かれ、ガニ大統領が軍兵士と共にアフガン国旗で包まれたひつぎを航空機近くまで運んだ。ガニ氏は「アフガン再建に人生をささげた」と中村さんに謝意を表した。(共同)
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配信元)
 
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