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ダンテス・ダイジの言う解脱は、実は「悟り」のこと! ~名だたる聖者も、単にある段階の「悟り」を得たに過ぎず、「解脱」は、このような「悟り」の遥か彼方にある

竹下雅敏氏からの情報です。
 「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」の著者であるダンテス・ダイジに会ったことがあるという方が、興味深いエピソードをまとめていました。引用元では、出来る限り、ダンテス・ダイジを美化せず、見たままの印象を描こうと努めています。大変興味深いものなので、クンダリニー・ヨーガの方面に関心のある方は、全文をご覧ください。
 ダンテス・ダイジ自身が、「解脱と人格の完成は全く関係がない」と言っています。昨日の記事で、「悟り」を得ると「自我」がなくなり、本当の自分(エス)が露わになるため、人によっては「問題児」になると説明しました。こうした例として、バクワン・シュリ・ラジニーシを挙げ、5月30日の記事では、実は彼は衆合地獄からの転生者であり、悟りを得た後の問題行動でさらなるカルマを積み、死後、大叫喚地獄へと堕ちたことをお伝えしました。
 記事をご覧になると、このダンテス・ダイジという人物も 「問題児」であり、バグワン・シュリ・ラジニーシとよく似ていると感じられるでしょう。
 実際に、進化段階もその境遇もとてもよく似ています。記事の中で“某教祖”とあるのは、オウム真理教の麻原彰晃のことです。麻原彰晃が「問題児」であることは、誰もが認めるでしょう。
 さて、宗教に関しては多くの人が様々な誤解をしているので、いくつかの基本的なことを押さえておきたいと思います。記事の黒字(太字)部分は問題があるところです。ダンテス・ダイジは、“解脱というのは、今ここにいることだ”と言っていることから、彼の言う解脱は、実は「悟り」のことだとわかります。
 クンダリニーが、肉体(広義)のレベルでサハスラーラ・チャクラまで上昇すると、進化段階が1.0となり、このレベルでの「悟り」が得られます。日常生活のふとした気づきで得られる「悟り」は、この段階であることがほとんどです。
 クンダリニー・ヨーガというのは、進化段階が1.0から2.0に到るルートです。クンダリニー・ヨーガで解脱したと自称する人たちの進化段階が、軒並み2.0であることから、こう見るのが正しいと思います。バグワン・シュリ・ラジニーシは進化段階が2.3で生涯を終えていますが、彼が「悟り」を得た時の進化段階は2.0でした。
 このように、「悟り」は進化のどのレベルでも、クンダリニーをサハスラーラ・チャクラに持ち上げると得られるのです。しかし、「解脱」とは異なります。
 たかだか進化段階が2.0で、最終解脱という言葉を用いる人がいるのには驚きます。そもそも、「解脱」の本来の意味は、“二度と肉体に生まれ変わる必要のない状態”のはずです。ところが、厳密な意味で、「解脱」をこのように定義すると、実は、釈迦牟尼(ガウタマ・シッダールタ)、マハー・アバター・ババジ、シャンカラ、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカナンダ、ラマナ・マハリシ等々といった名だたる聖者の誰一人として、「解脱」してはいないのです。彼らは、単にある段階の「悟り」を得たに過ぎません。実は、「解脱」は、このような「悟り」の遥か彼方にあるのです。
 私が知る限り、最も偉大な聖者と言えるのは、ラーマリンガ・スワーミハルで、彼は、第1システムから第2システムへと昇進しました。他に彼のような例を見たことがないので、彼の達成は偉業だと思いますが、その彼ですら、厳密な意味で、「解脱」には達していないのです。
 このように、宗教の用語には混乱が多く、その言葉をどういう意味で使っているかは、きちんと吟味しなければなりません。クンダリニー・ヨーガで得られる達成は、別の方法でも容易に得られるものです。あえて危険なルートを選ぶ必要はないと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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ぼくの見たダンテス・ダイジ
引用元)
第1章
(前略)
ダイジは背が高かった。180以上あると思う。身体は細身でひきしまっていた。
(中略)
和尚(ラジニーシ)は解脱している。でも、無師独悟だから、とても苦しんだ。
クリシュナムルティーも解脱している。でも、あの人は禅でいう「身心脱落」と一緒と言っていたっけ? 某教祖も指導を受けた、インドのパイロット・ババという行者も、解脱している。某教祖はババに「お金だけ取られて何も教えてもらえなかった」というようなことを書いていた記憶があるが、ババは非常に、のんびりとした性格だから、そんなにさっさと指導を始めたりは、しないそうだ。功をあせったのが良くなかったのだろう。
「君なら3年で解脱できる」と言われたが、ぼくは就職した。
「解脱したら、もう生まれてこないんですよね」と聞いた。
いや。何回も生まれてくる人もいるし、別のところに肉体だけ、置いておく人もいる」
(中略)
解脱と人格の完成は全く関係がない。道元は悟りが深まれば深まるほど、きつい性格になっていった。」
(中略)
第2章
(中略)
ダイジはよく、在留米軍の基地内にあるディスコへ踊りにいき、酒を飲んでは米兵とケンカをしていたらしい。(中略)…  一度ダイジに、「先生は、本当に解脱したんですか? 自分でそう思い込んでるだけじゃないんですか?」と、聞いたことがある。ダイジの答えは、「誰がどう思おうとかまわない。キチガイだと思うんなら、それでもいい。」

「解脱っていうのは、この世界からの逃避なんじゃないんですか?」と聞くと、
「オレが現実から逃げてるって言うのか? 解脱というのは、今ここにいることだ。」と言った。
(中略)
ダンテス・ダイジの存在は、伝統的な禅宗の組織の中では、「問題児」として、議論の対象となっていたそうだ。ダイジの師でもある、ある老師のもとを訪れたときも、「来るのは構わないから、変なもの(ヨーガ)をぶらさげてくるな。」
と言われたらしい。そして、その老師自身も、「何故、あんなもの(ダイジ)の見性を認めたのか。」と責められていたそうだ。
(以下略)

3.11に平成天皇が関与か? ~天皇は籠の鳥の状態で、望まなくても立場上カバールの悪業に加担せざるを得ない状況

竹下雅敏氏からの情報です。
 Eriさんが、早速爆弾投下。内容が正確なだけに、その破壊力がすごいです。ただ、多くの人が誤解するといけないので、私がどう見ているのかを説明します。参考にしてください。
 ベンジャミン・フルフォード氏が、日本の天皇は籠の鳥の状態だと言っていたように、“望まなくても立場上カバールの悪業に加担せざるを得ない”状況だったと思います。一例ですが、プチエンジェル事件の顧客リストには、皇室関係者の名前があったと噂されています。事実なら、言うことを聞かざるを得ないでしょう。
 それと、皇室を頂点とする裏の支配層はカルト集団で、「日月神示」に代表される予言を信じていたと思います。彼らは、日本は再武装してハルマゲドン(第三次世界大戦)に参加する計画だったと思います。何せ、明治以降の支配層の多くはイスラエルの末裔だからです。
 この関係で、3.11が実行されたと思っています。しかし同時に、2011年以降に天界の改革は、地上の改革へと焦点が移りました。この関係で、イルミナティに大きな変化が起こったのです。2011年8月31日にモナコで開かれた57ヶ国会議は、その一つです。ナサニエル・ロスチャイルドを中心とする改革派は、これ以降、悪魔崇拝と縁を切り、300人委員会がゴールドマン・ファミリーズ・グループへと変わるきっかけになったと考えています。
 状況が決定的に変わったのは、ゴールドマン・ファミリーズ・グループを牽引するヘンリー・キッシンジャー博士が、プーチン大統領と手を組んだ時です。これ以降、世界は劇的な変化を遂げています。
 現在、Qグループの協力者と考えられるのは、トランプ大統領、プーチン大統領、ヘンリー・キッシンジャー博士、金正恩氏だと思います。トランプ大統領の金正恩氏に対する発言を聞いていれば、このように考えざるを得ません。
 また、Qグループと同盟してカバールを倒し、地球の恒久平和を目指しているのが地球同盟ですが、地球同盟に属する人物として、天皇陛下、ナサニエル・ロスチャイルド、習近平氏がいると思います。もちろん、ベンジャミン・フルフォード氏が窓口の白龍会も地球同盟に属しており、ニール・キーナン氏が代表するドラゴン・ファミリーもまたそうです。
 元はと言えば、Qグループ自体がカバールに属していましたが、目覚めて、今は神と共にカバールを倒す側についています。同様に、日本の裏の支配層の大部分はカバールですが、天皇陛下や裏天皇、八咫烏は光の側について戦っているわけです。
(竹下雅敏)
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配信元)
 
 
 
 

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死後の世界では「自我」が消滅し、「本当のあなた(エス)」がむき出しになる世界に移る

竹下雅敏氏からの情報です。
 以前の記事で、“PNSE(悟り、覚醒)の最終段階になると、自我という感覚は完全に消滅する”とありました。この時のコメントで、“これは、努力して変わらなければならない「理想の自己像」を持っていないことを意味します…自他を区別する概念が無くなったという意味ではありません”と説明しました。
 今回は、心理学では「自我」をどう捉えているかを見てみたいと思います。フロイトは、人の心の構造を外側から内側に向かって、「超自我」、「自我」、「エス」と考えたようです。「超自我」はいわば世間体で、あなたが“こういう場面ではこう振る舞わなければならないと思い込んでいるもの”です。「エス」とは、“本当のあなた”です。記事では、“本能のまま、欲求のままに動く、いのちの衝動”と書かれています。なので、「超自我」と「エス」は通常対立しており、“その間に挟まって調整役になるのが「自我」”だということです。
 フロイトの「自我」の定義は、大変わかりやすい。確かに、こう考えると「自我」の本質がよくわかります。世間体に合わせて被っている仮面が「自我」なのです。
 例えば、酒に酔って“女のいるところに連れていけ~。おっぱい、おっぱい、俺には不逮捕特典がある!”と騒いで、周りの人々に迷惑をかけているのが「エス」です。その後、自身の言動に猛烈なバッシングがあって、神妙な顔をして謝罪をするのが「自我」なのです。
 この意味で、人が大人として振る舞っているのは、世間体や法律があるからで、どんなことをしても許される状態、または法に問われない状態でどういう言動を取るかを想像すると、「エス」は随分と“幼くわがまま”であり、人によっては“犯罪者”でありうるということになります。これは、戦場という無法地帯で、兵士が現地住民にどれほど残酷な行為をするかを想像すれば、よくわかると思います。
 「悟り」を得ると、「超自我」と「エス」、すなわち“世間体”と“本当の自分”の調整役となる「自我」がなくなるわけです。「超自我」と「エス」が対立している時には、緩衝材となる「自我」はないのですから、これはかなり激しい戦いになるわけで、このような例として、バグワン・シュリ・ラジニーシの生涯を挙げることが出来ます。
 また、「超自我」と「エス」の対立がない場合は、孔子の晩年の境地「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」と似たような状況になると思います。すなわち、思うままに振る舞っても、道徳規範を踏み外すことがなくなるのです。
 当然、後者は随分と大人の境地だと言えます。実際に孔子がこのように語っていることから、孔子が「悟り」を得ていたのは明らかです。
 「マイトレーヤの使命第3巻、ベンジャミン・クレーム著 シェア・ジャパン出版」には、孔子の進化段階は5.0と書かれています。彼は、単に「悟り」を得ていただけではなく、覚者(進化段階5.0以上)だったのです。
 私には、ほとんどの地球人は、幼稚園児か小学校低学年の児童のように見えます。私は、その人の「自我」ではなく、「エス」を見ているからです。
 実は、私はできるだけ若いうちに「悟り」を得た方が良いと考えています。そうすることで、“本当の自分”が成長するからです。
 エマニュエル・スウェデンボルグは、「人間は霊界に入って本当の自分になる」と言っています。人は死ぬと肉体の衣を脱ぎ、内側の本質が露わになります。スウェデンボルグは、“人間の本質が肉体などの外面的なものではなく、内面的な心にあることに異論はないだろう。人間が肉体を離脱して、心だけの世界である霊界に行くと、その人間の本質により近い世界になる”と言っています。
 要するに、死後の世界では「自我」が消滅し、「本当のあなた(エス)」がむき出しになる世界に移るのです。心の清らかな人は、内面の本性に従って天国に行き、争いの絶えない心の人は、地獄に堕ちるのです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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自我って何? どう付き合っていけばよいの?
引用元)
フロイトの心的構造論

 精神分析で有名なフロイトは、人の心の構造を「自我」、「超自我」、「エス」という概念を用いて説明しました。超自我は、社会の中で生きていくために必要な価値観のようなもので、子どもの頃からのしつけや教育を受ける中で身につける倫理観や道徳観などから構成されています。

 これに対してエスとは本能のまま、欲求のままに動く、いのちの衝動です。エスは創造性の源でもあり、人が生きていく上では非常に重要です。しかしエスと超自我は対立します。その間に挟まって調整役になるのが自我だとフロイトは考えました。

 フロイトの考え方をベースにして、エリック・バーンは、超自我を親、自我を大人、エスを子どもに例えています。例えば誰かと食事に行き相手が話しているときに、早くも目の前においしそうな料理が出てきたとしましょう。いいにおいがするから食べたいと考えるのが自分の中の子どもの部分、つまりエスです。相手がしゃべっているのだから食べては失礼だと考えるのが超自我、エスと超自我を調整するのが自我というわけです。
 
自我は単なる調整役ではなく人生を活性化する

 フロイトは自我を調整役と考えましたが、自我の積極的な役割を認める考え方もあります。例えば超自我が強すぎると、親のしつけにまったく反抗できず、単に親の言いなりになってしまう恐れがあります。自分の本当の欲求を表に出せず、心の中の声に耳を傾けられないわけです。だからといって内なる衝動だけに従っていては社会性のない人間になってしまいます。

 超自我が社会の中で自分に対する期待や求められている役割を内在化する(自分のものとして取り入れる)一方で、自我には自分の本当の欲求を意識し、時と場合を選んで実現していくという機能があります。しっかりとした自我がないと極端な話、自分で判断することのない人間ができてしまいます。自律した人生を送るためには、自我がとても重要なのです。

Q諜報軍にリクルートされた、Eriさんのツイートは極めて重要にして驚くべきもので、しかも正確 ~日本でも確実に革命が起こる

竹下雅敏氏からの情報です。
 このEriさんのツイートは極めて重要なので、読んでください。お気に入り登録して、情報を追いかけるとよいでしょう。内容をご覧になると、日本でも確実に革命が起こることを、確信できます。多くの人にEriさんのツイートを知らせてください。それだけ変化が速くなります。
 Qanon Dropsによると「3348 日本はQを知っている」と書かれています。しかし、中国と韓国に関しては、“Qをまだ知らない”と言っています。
 この意味は何だろうと思っていました。トランプ大統領が、日本に来て天皇皇后両陛下と親しくされたことから、“天皇皇后両陛下は日本のリーダーであり、Qグループを知っている”ということを示唆しているのかと思いましたが、確信が持てませんでした。
 ところが、Eriさんのツイッターを見ると、皇室の写真が貼り付けてあります。Eriさんが、単なる皇室ファンというわけではないでしょうから、その意味するところは、明白だと言えるでしょう。
 また、一連のツイートをご覧になると、EriさんがQ諜報軍にリクルートされたのが、2ヶ月ほど前と書かれています。そして、Qmapの日本語翻訳は、Eriさんが1人で行っているとあります。Qmapの中国語翻訳と韓国語翻訳は、まだできていないようなので、中国、韓国は“ Qをまだ知らない”と言ったのかも知れません。
 一連のツイートの内容は驚くべきもので、しかも正確だと思います。ただ、スノーデン氏が“BLACK HAT…ヒラリーらの手先で中国での工作、NSAを悪い組織のように吹聴する役割”は、少し違うと思っています。これに関しては、別の機会に譲ります。
(竹下雅敏)
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悟りを得たからといって、叡智が備わるわけではなく、進化段階に応じた智恵があるだけ ~本人の生来の性格(パーソナリティ)が浮き彫りになる

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭の動画をご覧になると、バグワン・シュリ・ラジニーシ(後にOshoに改名)は、“神はいないし、悪魔もいない”と言っています。これは単に、彼の無知から来るものです。悟りを得たからといって、叡智が備わるわけではありません。進化段階に応じた智恵があるだけです。
 ただ、彼はジャバルプール大学の哲学教授だったので、大変頭が良い人物です。その彼が「悟り」を得て、自分を仏陀と同等の者として自信満々の講話をすれば、彼よりも進化段階も知性も低い者にとっては、彼の誤りや問題点を見抜くことが難しくなります。
 レプティリアンの悟りの記事で説明しましたが、「悟り」を得ても、聖人君子になるわけではありません。むしろ、本人の生来の性格(パーソナリティ)が浮き彫りになるだけです。
 ラジニーシの場合は、Wikipediaに“生来の反逆的な精神の持ち主”とあるように、彼本来のパーソナリティがその生涯で如何なく発揮されたと言えるでしょう。
 彼の指導の下に、「悟り」を得た人は数多くいると思われます。しかし、基本的に似たタイプが集まってくるので、彼のアシュラムに集まった人々が、どういうタイプの人間であるかは、およそ想像がつきます。
 Wikipediaでは、オレゴン州にあった彼のコミューンは、地元住民との折り合いが悪く、暴力行為が絶えなくなり、そのコミューンはアメリカ政府から危険視され、最終的にバグワン・シュリ・ラジニーシは国外追放になったとあります。
 バグワン・シュリ・ラジニーシ自身は関わっていなかったようですが、彼の側近がサルモネラ菌によるバイオテロを意図的に行ったということで、危険なカルト団体として認定されたようです。
 引用したWikipediaのバグワン・シュリ・ラジニーシの発言によれば、彼は無政府主義を支持していたように見えます。まさに、地球原産のレプティリアンのグループと似たような発想を持っていたと思われます。
 “続きはこちらから”は、バグワン・シュリ・ラジニーシのコミューンを危険なカルト団体と見る立場からの記述です。宗教と無関係な一般人であれば、このように受け止めるのが自然だと思います。
 さて、バグワン・シュリ・ラジニーシのようなパーソナリティの人物が「悟り」を得て、なおかつ、中世のように彼が王であったならどうなるかを想像してみると、面白いかも知れません。彼を慕う仲間たちにとって、そこは理想郷です。しかし、そうでない者たちには、地獄がこの世界に現出したように見えるでしょう。
 霊的世界がどのような所かというのは、一般人には想像しがたいのですが、エマニュエル・スウェーデンボルグという霊的巨人がいます。彼が体験し、記述した事がらのほとんどは、正しいものです。
 彼は、「宗教界のリーダーたちは地獄に堕ちていた」と言っていますが、これは頷けます。
 仏教は、八大地獄を上から順に、 等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、無間地獄としています。
 実は、バグワン・シュリ・ラジニーシは、衆合地獄から地上に転生に入った人物なのです。そして地上でさらなるカルマを作り、死後、大叫喚地獄へと転落していきました。
 スウェーデンボルグは、地獄の亡者は、自分たちが地獄にいるとは思っていないと言っています。他人を支配したがるエゴの強い者たちにとって、天国は居心地が悪く、地獄が性に合っているのです。
 冒頭の動画を、今一度ご覧ください。当時の彼の波動を見れば、地獄に堕ちたということがすぐにわかるはずです。彼の波動が闇に落ちていることがわからない人たちが精神世界に惹かれるのは、はなはだ危険です。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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OSHO: There Are No Devils
配信元)
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バグワン・シュリ・ラジニーシ
バグワン・シュリ・ラジニーシ(Bhagwan Shree Rajneesh和尚/オショウ;Osho)、1931年12月11日 - 1990年1月19日)は、インドの宗教家、神秘思想家、20世紀の覚者。 21歳の時、ジャバルプールのバンヴァータル庭園にあるモールシュリの木の下で光明(悟り)を得る。
 
ラジニーシは、古来から伝わる瞑想的な技法について紹介および解説するとともに、現代人に向けて新しい瞑想の技法を編み出し、西洋的なセラピーのテクニックも導入した。ラジニーシの周辺には、彼を慕う人たちのコミューン的な状況が生まれ、その状況のなかで、各種の瞑想的な技法、心身統合的セラピー、音楽をはじめとする多彩な芸術活動が営まれた。
 
アメリカ政府の陰謀による逮捕と裁判
 
オレゴン州でのコミューン建設は、1981年の終りごろに始まった。326km2の広さの乾燥した小高い丘陵と谷間の広がる地域にコミューンは建設された。コミューンの運営はシーラの責任のもとで進められ、ラジニーシはコミューンのゲストという扱いであった。
 
1984年10月、ラジニーシは、長い沈黙を破り、みずから声明を発するようになる。1985年7月には毎日の講話を再開し、さらにはシーラの主導権を否定するかたちで、みずから報道陣のインタビューに応えるようになる。

1985年9月、シーラは側近数名とともにコミューンから姿を消し、彼女らはコミューンの多額の資金をスイスの口座に動かしていたことなどが判明した。その数日後、ラジニーシはシーラとその一味を公開の場で糾弾し、当局による捜査を求めた。捜査の結果、シーラとその一味は、1984年以来、ラジニーシの担当医の暗殺未遂、サルモネラ菌による食中毒の意図的な誘発(ラジニーシによるバイオテロ)、ラジニーシの自室を含むコミューン内での盗聴なども犯していたことが明らかにされた。

押収された盗聴テープの解析などから、シーラとその一味の犯罪はラジニーシや他の多数のサニヤシンが関知していないところで犯されたことが確認されたが、この事件を契機として、ラジニーシプーラムを「危険視」する見方が強まった。
 
1985年10月28日、ラジニーシと数名のサニヤシンは、一時的にラジニーシプーラムを離れた際、ノースカロライナ州の空港で搭乗機を武装した警官に包囲され、逮捕状なしに逮捕された。
 
1985年11月、申し立てのあった罪状のうちひとつだけでもそれをめぐる抗弁を放棄したならば5年間の国外追放を言い渡し、裁判を短期で終わらせることにするという検察側からの司法取引を受け、アメリカを退去した。長引く裁判によってラジニーシの健康もしくは生命が脅かされることを懸念した弁護側の判断によるものである。

最終的にラジニーシは総計21の国々によって、国外追放されるか、入国を拒否されることになる。ラジニーシは、
「政府達があのコミューンを恐れるようになったのはあれが、世界の偉大な無政府主義者達、クロポトキン公爵や、他の者達みんなが考えていたこと、どんな政府も必要なくなる日が来るということだったからだ。無政府主義は人がより自由になるのを、より大きな自由を持つのを助ける。最終的にはどんな政府も必要ない。そして私達には政府はなかった。誰もが自分で責任を持っていた。」
と、語った。

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