(前略)
クリフォード・ストーンは軍で働いている間、
軍曹より上のランクに昇進することはありませんでした。(中略)…少年期から軍の上層階級の目に留まっていました。(中略)…
彼は地球外生命体とテレパシーで「インターフェイス」つまり
話す能力を持っていたためです。
(中略)
Clifford Stone: 私が卒業した時…
1968年6月初旬でしたが、徴兵委員会から通知が届きました。(中略)…私は局へ行き、筆記テストはすべて合格しました。
(中略)…
「君には健康上の問題があるのはわかっているね。」
(中略)…
「はい。この戦争を認めていない人は大勢います。行きたくない人も大勢います。私は国のために尽くしたいのです。もし私が行けたら、私の代わりに行く人が一人減るのです。」
(中略)…
私はサウス・カロライナのフォート・ジャクソンに向かいました。(中略)…クラスに出たのは一日目、そして二日目の一部のみ。翌日
(中略)…どこからか訪れてきた男性がいました。またワシントンD.C.エリアからということでした。そして私に話しかけてきたのです。
(中略)… 「UFOについてどう思う?」と。
(中略)…そして
彼が持っていたいくつかの文書と記録を見ました。(中略)…
「私はこういうものを見るべきではないと思います。私には機密情報アクセスの権限がありませんから。」
彼は言いました、「君に見せてもいいと言われたもの以外は、見せはしないよ。」
いまだからわかるのですが
(中略)…軍の人達は私が幼少期から何らかの形で交流しているのを把握していました。相手は一種類のET種でしたが、
(中略)…その生命体のうち一体だけは私の人生を通じてずっと私と共にいました。
(中略)…UFOが関わってきた時の私の役目として、「インターフェイシング」という任務に就かされました。
(中略)…彼らは誰とでも話すわけではありません。特別な相手を選んで話すのです。
(中略)…
私はフォート・マクレランに送られました。到着するとあるものを見せられたのですが、
(中略)…それは映画で、「ここは宇宙のはるか500マイル(804km)以上彼方、人工衛星で撮られたものです」とありました。
(中略)…そして「これはニューヨーク、500マイル以上の彼方から人工衛星で撮られたものです」
(中略)…「これはベンチに座って新聞を読む男性、500マイル以上の彼方から人工衛星で撮られたものです」
「これはその新聞の見出し、500マイル以上の彼方から人工衛星で撮られたものです
その新聞の日付は1968年のものでした。そしてこれを見たのは1969年の2月でした。
(中略)
ともあれ
我々はスクールを修了し、ある男性に会いました。ジャックという名前です。
彼はSpec.5 で、アメリカ陸軍秘密保全庁に勤めていました。(中略)…NSAの本部に行きました。そこの彼のオフィスに行きました。
(中略)…ジャックの友人らしき人が言いました。
「
(中略)…ペンタゴンは一度も行ったことがないんだって? 流
(中略)…ペンタゴンの様子を見せてあげよう。」
(中略)…彼は私を案内し、オフィスもいくつか見せてくれました。
(中略)…
「
(中略)…核爆弾で攻撃されても生き残れるようペンタゴンは強固に築かれているんだ」と言いました。そして
彼は私を地下へ連れて行きました。(中略)…小さな銀色の車がありました。(中略)…
(中略)…電磁で動く仕組みでした。
(中略)…彼にペンタゴンはとても広大なのだと言われました。
(中略)…ある場所に着きました。ドアがありました。
車を降り、そのドアから中に入ると長い廊下になっていました。(中略)…
その廊下を歩きながら
(中略)…彼は壁をたたいて言いました。「硬い壁だと思うだろう?」
(中略)…そして彼が私を押すと、私は壁をすり抜けたのです。
(中略)…私はある部屋の中にいることに気づきました。(中略)…机に座っていたのは、いわゆる典型的なグレイでした。
(中略)…背は4 ½か5フィート(1.37~1.5メートル)ありました。
(中略)…彼の両側には…黒ではないけれど濃い色のスーツに濃いサングラスをかけた男性がいました。
(中略)…頭の中で電動のこぎりのような音が始まりました。私は跪き、うつぶせに倒れました。(中略)…目を覚ますと、ジャックの
オフィスにいました。何も起きてはいないと告げられました。(中略)…この活動に関与している間は、これは国のため、大義のためだと最後まで心から思っていました。そしてある時から、そうは思わなくなりました。
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1月10日に紹介したコズミック・ディスクロージャーの記事の中で、コーリー・グッド氏が“いまも地球上には大勢いて、私達のように歩き回っていますよ”と言っていましたが、この動画を見るとそのことがよくわかります。