アメリカ:図書館のおはなし会は悪魔が担当
子どもへの読み聞かせ自体は素晴らしいことだと思います。各地の図書館が様々な工夫を凝らしては、積極的に取り組んでくださっております。 ゲイトウェイパンディットの記事 にあったんですが、
頑張り過ぎて最近はこんなのも :
今月14日、
悪魔の格好をしたドラァグクイーン(女装した男性)が、カリフォルニアのロングビーチにあるミシェル・オバマ近隣図書館で、子どもたちに読み聞かせをしました。
ま、基本的には好きな格好すりゃいいと思いますけど。世の中限度ってもんがあります。例えば裸で外をうろつかれたら目のやり場に困ります。洋服を着ているからって、悪魔の格好で幼い子どもたちの前に出るのはどうかと思います。夜のバーで大人を前に踊るのとは訣が違うじゃないですか。
御本人の
ツイッターアカウント の紹介文:
「地球人よ御注意あそばせ:こちらはズチ・ムチ、あなた方の住人で、外宇宙から来た殺人ピエロ。女装してるわ。タコスが好き」
(※「ズチ・ムチ」と報道しているアメリカの局があったので、なんて読むのが正しいのか分かりませんが取り敢えずこの音表記にしておきます。
「外宇宙からの殺人ピエロ」のネタ元は、80年代後半のB級映画『Killer Klowns from Outer Space(邦題:キラークラウン)』だと思われます)。
至近距離で見てしまったら夜中にトイレに行けなくなるような仮装ですが、
“殺人ピエロ”がバフォメットもどきで登場して、大喜びしたのは悪魔崇拝者ども。以下がこのイベントを知った悪魔教会のツイート :
「悪魔万歳!」
ミシェル・オバマが男性だというのが原因ではありません(多分)。
今流行りのLGBT運動を若い世代に浸透させるため、アメリカで広がっている読み聞かせの一手法みたいです。 以下は先月末、ミズーリ州セントルイス公共図書館の様子。 青い顔の方とか、なんでこう、魔女っぽくドレスアップしないと気が済まないのかな。普通の女装じゃいかんの?
イギリス:ネオナチの過激派が方向転換
VIDEO
こちらの男性、その生涯をずっとネオナチの極右思想に捧げてきた、フリーランスの過激運動家です。 今年の3月にもメガホンを持って街頭でスピーチしていました。
それが チャンネル4のインタビューで
いきなりの方向転換 を発表。
理由は……母親がユダヤ系で、自分はゲイだから。 えと、あの、ネオナチが毛嫌いしている相手ですよね、それ。おまけに
こちらの記事 によると、姉だか妹はイスラム教徒と結婚し、1970年には改宗。今でも彼女やその子どもたちと親しくしているのだとか。
ケヴィン・ウィルショー氏は子どもの頃から父親の極右思想の影響を受けて、それを更に押し進めたネオナチ思想に傾倒。18歳のときにはイギリス国民党に参加しました。原因は「学校であまり友達がいなかったから」 ……学校や家庭で孤立した子どもが不良グループに参加するのと変わらんやん。
「自分たちの極端な思想のせいで
社会から隔絶された集団に身を置くことになっても、 他の人達から攻撃を受けているグループのメンバーであるという
仲間意識を味わえる 」のだそうです。
長い間、自分でも矛盾しているのは分かっていたそうです。ホモであることが仲間内でバレかけ、居辛くなりました:
「物凄く身勝手な話なんですが、事実なんです。
道端で人々が虐待され、罵られ、唾を吐かれるのを 目撃しました――それが
自分に向けられて初めて、自分がやってきたことが間違いだったと急に気が付くんです」
モスクを襲撃して逮捕されるような
ウィルショー氏が、NGO団体「Hope Not Hate (ヘイトじゃなく希望)」
に助けを求めたのは、 昨年のクリスマスに
「全てがただ虚無に感じられて、意味のないものに思えた」から。 「でもああいう人々、あの退化したナチの人たちからどうやって離れたらいいのか見当も付きませんでした」と告白しています。
現在58歳。これからこういう人が増えるのでしょうか。
文・Yutika
また、臨時国会の冒頭や、特別国会の首相指名後には、首相の所信表明演説が行われ、その後、各会派による代表質問が行われる流れになりますが、報道によれば、アベ首相は所信表明演説を行わない見通しだそうです。善意に取れば、自身が首相の座にふさわしくないと認めているのか、あるいはツイッターに見られるように、「国会など存在しなくても誰も困らない」という意思表示か。
アベの国会軽視は、今さら目新しくもない風景ですが、このままですと、前川前事務次官の証言から逃れるように閉会した6月18日から、来年1月の通常国会まで、なんと7ヶ月間も、国会は完全機能停止状態だそうです。モリ・カケから逃れる7ヶ月。
記事にあるように「この馬鹿げたことをまかり通らせているのは、国民の感覚麻痺」なのでしょうか。この度の選挙を通じて、健全な民意は確かにある、その民意が封じ込められていただけだと分かりました。
為政者にとっても、国民にとっても、これまでと同じではいられない時代かもしれません。