アーカイブ: *生き方

ままぴよ日記 39 「中学校での子育て広場2」

 前回の続きです。10年前に中学校の教室で子育て広場を始めました。今では赤ちゃんが廊下で遊んでいるのを見つけてハイタッチをしていく中学生。掃除の時間になると長いモップで掃除をしているのは2歳の子?中学生になった教え子に赤ちゃんを抱かせて嬉しそうにしている元小学校の先生。1つ1つの交流がほほえましいのです。
 私はこの中学校で一度も問題行動を見たことがありません。
(かんなまま)
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何もないノンプログラムの子育て広場


中学校で子育て広場を始めたのはいいのですが、一番の心配はママ達が来てくれるか?そして生徒が来てくれるか?でした。


この広場は自由参加です。楽しかったらまた来てくれるという流れを作らなければ義務感だけでは続きません。このことはいつも私の中の心配事でもあります。行って楽しいとは何か?居心地がいいとは何か?絶えず気を配りながら広場を運営してきましたが、回を重ねる度に子どもや中学生の「関係を作り上げる力」を信じられるようになってきました。というより、感動を覚えるようになりました。

ほとんどの子育て広場は、参加者確保のためにイベントばかり企画して呼び込んでいます。離乳食を出しますよ、工作しますよ、体操、ヨガ・・・。利用者の数が次年度の予算に影響しますから必死です。でも、そんなことばかりしていたら支援者は疲れて参加者も飽きます。参加者をお客様にしてしまっているのです。

私達は何もないノンプログラムの広場を目指しています。そこにどんなドラマが展開するか?全てお任せです。だからこそ居心地の良さが問われます。

スタッフは事務室に籠って次のイベントの準備や報告書づくりなどしません。いつもママ達に寄り添って孤立していないか?ストレスを抱えていないか?に配慮します。ママ達は相談したいときにいつでも相談でき、友達と出会ったり、助け合ったりできます。これが当事者支援の自然な子育て風景です。


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*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護3

がんばってお父様の介護を始めたあい∞んさんでしたが、日々身近に接することでお互いの思いの違いが表面化してしまい、ついに我慢の限界。
あい∞んさんは一旦、介護から離れることになりました。
さて、この後は一体どうなるのでしょう。
(まのじ)
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あい∞ん在宅看取り介護3


Q.「お父さんのことはお母さんが全部してあげて!もう私は関わらない。」と、脱・介護宣言をしてしまいましたが、もともとお母様は家業でお忙しい身でしたね。実際には、お父様の介護はどうなったのでしょう。

その頃の父は、まだ自分で身の回りのことが出来ていました。ただ、ストーマ(人工肛門)の袋を装着することだけが難しかったようで、私が離れてからは、母がストーマの袋を貼る担当になり、また、それ以外にも父の食事の支度は母がしてくれるようになりました。

母は、それまでは食品の安全や栄養には無頓着でしたが、とても機転の利く人で、父の喜ぶことを自然にやっていました。父にとって心地良い言葉かけがとっても上手だし、今までは作る機会がなかったようなお料理も本で栄養を調べ、色んな食材をバランス良く選んで「これは○○に良いからね~」と一つ一つ説明して食卓に乗せたり、また、本人が好みの慣れ親しんだ調理や味付け、たとえそれが出来合いのお惣菜で保存料や着色料がたくさん入っていても、父が喜んで食べられるものが並びました。お魚も再登場です。


母が料理を担当し始めると、父はだんだん元気になっていき、晩酌を楽しめるほどまで体調も回復しました。「自分は90歳まで絶対に生きる!」と周りの方達に常々言っていたし、母も「お父さんは90歳までは生きんといけんよ!」と和していました。
食事は、身体だけでなく心の栄養にも大切なんだなぁ…と思いました。

母の立派なところは、食事のことだけでなく、何度も突然に漏れるストーマにも嫌な顔ひとつ見せず、「ここが一番景気がえ~ね~!景気がええのが一番!」と笑って父を和ませることでした。
私が毛嫌いしている排便の始末も、ちっとも嫌がらずに受け入れている。
・・・・なんという寛容さ!!!
今の私には絶対にできない寛容な対応と言葉かけ。
本当にすごいな・・・・と心から想いました。
何よりも大好きな母(妻)に身の回りのことを色々としてもらうことが、父にとって一番嬉しくて幸せなことだったのではないかなぁと思いました。母のお蔭さまで、父は余命が延びたのだろうなぁ!


母は、父の好きなようにさせても気にならないタイプ。けれども私は父の有りのままを見守れない。
お互いにストレスを感じない相性の良い相手、心を許せる人が傍に居て、頼れたり、本人の自由にできることがどれほど大切なことかを認識できました。
甘やかされて我がままな娘(私)の選択は、結局、父の命にとってはとってもベスト!なことだったのかもしれません。

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ぺりどっと通信54 うんこ


毎日のように我々が排泄するうんこ💩
今まで自分の体内のあったものが外に出された瞬間から忌み嫌われるうんこ💩
なのに、みんな大好きなうんこ💩
そんなうんこに関する話題を取り上げてみました。
(ぺりどっと)
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ある日、本屋に立ち寄ってみると、あるコーナーを占めていた一角が目に飛び込んできました。


そう、メリはちさんのデビュー記事を華々しく飾った"うんこ漢字ドリル"シャンティ・フーラのプレゼントになったことも。今や、漢字ドリル以外のラインナップもすこぶる豊富というわけです。

その"うんこ漢字ドリル"が、今年の夏のあの話題をすでに予見してます(2番を見てみて)

漢字学習の本は普通なら「数千部売れればいい」と言われるジャンルで、うんこドリルは今やシリーズ累計500万部も突破しとる大ヒット教材!それにあやかって、ぺりどっとも「うんこ」を取り上げたわけなのさ。

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ままぴよ日記 38

 「きゃーーかわいい!」「癒される~」と、うれしそうに声をあげるのは子育て広場に来た中学生のお兄ちゃんとお姉ちゃん達。

 10年前、中学校に子育て広場を作ってから毎回聞こえてくる言葉です。中学生と赤ちゃん1対1の点と点を繋ぐことしかできませんが、どんな教科書よりも確実にお互いの命が交流し合っています。そして、私はその声を聴きながら「ああ、この広場を作ってよかった!」「続けてきてよかった」と思うのです。
(かんなまま)
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自立できるかどうかの大切な時期


小学校までお利口だった子ども達が中学校になると急に感情を表さなくなってしまいます。わかっているのかわかっていないのか返事もしません。中学校の先生は生徒に諭しても空回りするので次第に注意する声が大きくなっていきます。注意すればするほど逆効果になり、生徒から無視されます。どうやってこの時期の関係を築けばいいのか?悩ましいところです。


では、そんな生徒は中学生になっていきなり無感動、無愛想で挨拶もしない失礼な人になったのでしょうか?いえいえ、そうではありません。むしろ今まで何を言っても聞いてもらえず諦めの境地なのかもしれません。

又、思春期になり、自我が目覚めて考えたり迷ったりすることが増えても自分の気持ちを整理して伝えるのは難しいし、性エネルギーが引き起こす激動の変化に自分自身が一番戸惑っているのかもしれません。多感で誤解されやすい時期なのです。でも、これからの自分の人生にとって、自立できるかどうかの大切な時期でもあります。


私が教育委員長だった頃、学校教育に子育ての視点を入れたくて悩み、模索しました。会議で乳幼児期からの一貫した子どもの育ち支援の観点を取り入れて教育施策を作る提案などもしてきましたが、ほとんどが実現しませんでした。

教育委員長という肩書はあっても元はただの専業主婦。男社会の大きな組織の中で発言を期待されてもいませんでしたし、子どもの育ちの現場にいる母親感覚で発言しても教育指導という立場の教育界との意識の差は大きく理解してもらえませんでした。先生自身も現場の子どもの姿より国で決められた指導要領に従わなければいけません。

私に与えられた役割は用意された代表挨拶の原稿を読むお飾りに過ぎないと痛感しました。それでも自分で作った原稿を読み、意見を言い続けました。おしかりもいただきましたが現場の教師や保護者からは感動したという声も届きました。


中学校で子育て広場を開く


そんな時、県の教育センターで社会教育を学んできた先生が中学校の教頭先生になりました。そして「うちの中学校で子育て関係の事業ができないでしょうか?」と相談に来られました。

一回きりの中学生と赤ちゃんの交流会のようなものを考えていらっしゃったのかもしれませんが、私は中学校で毎月1回継続して子育て広場を開かせてもらえませんか?と提案しました。

子育て広場は、家庭科の授業である保育園訪問と違って普通の親子の様子がわかります。親が我が子を抱っこしたりお世話をしたり、子どもが甘えたりする姿を見て自分がどんな風に育ててもらったのかに思いを馳せることができるし、毎月会うことで子どもの成長もわかります。何より自分が子どもを持った時のモデルになるのです。

当時、こんな形で学校に広場を作っているところはありませんでした。本来学校は部外者に定期的に教室を貸すことはしませんが、この教頭先生の計らいと校長先生の理解でやってみましょうという事になりました。


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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第51楽章 お寿司からツェツィーリエンホーフ宮殿で発せられたポツダム宣言まで

先日ぺりどっとさんがドイツでは「カローシ」(過労死)の日本語が有名であるという記事を書いていらっしゃいました。
本当にそのようで、私は少し前にベルリンにある大型書店Dussmannで、
KAROSHI と書かれている絵葉書カードを発見しました!一瞬このカード見たとき、あららら・・と思いまして、珍しいから購入しようかなと思いつつもがやめたのですが・・。
ドイツ人でこの絵葉書を買う人はいるのでしょうか??
ドイツ人は日本人の多くの方が長時間働き、休みがほとんどないことを知っていて、こんなことは口に出しては言っていませんが、表情から感じるに、
『休みがなくて、自分の時間が持てない人生なんて意味ないんじゃない??』
と言っているような気がしています。

第51楽章は、お寿司からツェツィーリエンホーフ宮殿で発せられたポツダム宣言までです。
(ユリシス)
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「スシ」とお寿司


ベルリンの大型書店Dussmann は、ベルリンの中心部にあるデパート形式の書店です。地下の音楽関連のCDから専門書、英語や多言語の本のコーナー、
専門書、そして、ドイツの文房具やプレゼントに最適な雑貨まで置いてあり、
開店時間も朝9時から深夜24時までになっていて、1日思う存分楽しめる場所です。


座って本を楽しめるスペースもたくさんあり、ドイツ人は旅行が好きなので、
旅行本も充実していて、多くの方が座って旅行本を検討しています。

ドイツでは、「カローシ」のほかに、「スシ」、「ツナミ」などはもちろんのこと、
「マンガ」、「ワサビ」、「ノリ」、「ショウユ」、「カキ」(柿)、「サツマ」(みかん)、「ウメボシ」、「クズ」(葛)、「ほっかいど」(北海道産のかぼちゃ)、「キモノ」、「オリガミ」なども


photo by ユリシス

そのまま日本語が使われています。「スシ」などは、チャイニーズが海外で流行させたと言われていています。
日本人は、「スシ」とは言わずに、丁寧にお寿司と言うものですね。
アメリカでは、アイスコーヒーやコーラと一緒にお寿司を食べていたアメリカ人たちを見て驚愕し、また、シアトルで一度、にぎりのお寿司を食べましたら(庶民的なチャイニーズ経営のお店ですが・・)、
シャリがあまりにも大きすぎてのどがつまりそうになりました!
お刺身とシャリのバランスというものがあるものなのですが、海外だとこうなってしまうのですね。
ベルリンでは、ベトナム人やタイ人が自国の料理とスシを兼ねて営業しているようです。

Author:Yumi Kimura[CC BY-SA]

今まで見たところによると、一応にぎり寿司もあるようですが、
多くの外国人の方は、太巻きやかっぱ巻きを「スシ」と思っているようです。


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