注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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労働者が出資、運営「ワーカーズコープ」法が成立へ 協同労働を実現
働く人が自ら出資し、運営にも携わる「ワーカーズコープ(協同労働)」という新たな働き方が実現しようとしている。協同労働を可能にする法案が、26日召集の臨時国会で成立する見通しだ。新型コロナウイルスの影響で廃業や雇い止めも相次ぐ中、労働者が自ら仕事を創り、生き生きと働ける新たな選択肢として注目されそうだ。(坂田奈央、石川智規)
協同労働の考え方は、現代社会で働く多くの人たちが、意欲や能力に見合った就労の機会を与えられず、失職する恐怖や疎外感にも悩まされているという問題意識に根ざしている。地域社会の要望に沿った、やりがいを感じられる仕事を住民が自ら創り、主体的に働ける仕組みとして、協同労働が考え出された。
協同労働を担う組織「労働者協同組合」を設立するための規則を定めた労働者協同組合法案が、与野党全党・全会派の賛同による議員立法として、先の通常国会に提出された。臨時国会で審議されれば、全会一致で成立する見通しだ。
(以下略)
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[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜 衣食住の保障と幸福に対する正しい認識 〜 【第7回】
皆さんは、プラウトが主張する、衣食住、医療、教育は最低限保障されていなければならないということに同意するでしょうか。それともグローバリズムという弱肉強食の世界こそ自然の摂理だと考え、弱者は見捨てられて当然だと思うでしょうか。この2つの立場が相容れない事は明らかです。
1%と99%の戦いでは、99%は負け組です。弱肉強食ならば、負け組は奴隷か家畜が相応の身分です。それが嫌なら、努力して這い上がって来いという世界観です。ところがその勝ち組である1%は何の努力もせず、世襲と言うシステムで、安楽な暮らしが保証されているのです。皆さんがこういうシステムを、公正公平だと思うなら、それも仕方ありませんが、私にはどう考えても、不正かつ邪悪に見えます。
苫米地氏が対談で語っていたように、オリンピックなどの祭典は、人々を奴隷として洗脳するのに、大変都合が良いように思えます。超人的な努力をした、ほんの一握りの人間が栄光を手にすることが出来るのです。多くの人々が貧しいのは、才能がなく、努力も足りないからだという暗黙のメッセージが、ここには有ります。
ですが全く別の考え方があります。人間は誰でも幸福に生きる権利があるという考え方です。幸福な人生のためには、先に挙げた5項目(衣食住、医療、教育)が最低限無償で、全ての人に与えられるべきなのです。
この中には生き甲斐も、自分の仕事に対する誇りも入ってはいません。自尊心の低い人が幸福なはずがありません。プラウトは、生きる権利を最優先事項としますが、“個人の尊厳”のためにも、生活保護は適切ではなく、適切な職が必要だと考えています。私もこの立場です。
今の日本は相当に病んでおり、生活保護を受け取れた人が勝ち組という、逆転した価値観が一部の若い人にはあるようです。確かに真面目に懸命に働いても、生活保護以下の収入しか手に入れることが出来ないとするならば、このような考え方が出て来てもおかしくはありません。しかし、それは政治、社会が腐っているからなのであって、このような考え方は、明らかに間違っています。
働きもせず、他の人たちの労働の上に寄生をして平気でいられるとすれば、その人はどれほど自尊心が低い人物なのでしょう。人生において金がすべてなら、こういう考え方も出来るでしょうが、これまでプラウトで説明されて来たように、人間は身体的側面以上に、心と意識の割合が大きいのです。
人間の幸福は、この意識、心、体のバランスの上に成り立っています。意識と心を無視して、体だけに特化した世界観、すなわち、お金だけに特化した世界観に、現代人はあまりにもどっぷりと浸かってしまっているのではないでしょうか。幸福とは何かをきちんと認識すれば、プラウトが提唱する世界観、そしてそれに基づいた経済システムが基礎になるのは、明らかではないでしょうか。
もしも、負け組の99%の人たちが、プラウトの世界観を拒否する理由があるとすれば、支配者側の論理に同調することで、心理的に自分が勝ち組の側に属しているという幻想を維持し続けたいからだとしか思えません。この意味でも、まず最初に行わなければならないのは、自分自身をありのままに見ることです。
(竹下雅敏)
“誰も責任を取らず、言いっぱなし”の「通知行政」で、現場が混乱するのは必至です。“現場職員です。緩和したら、確実に生命脅かす状況下におかれる方が多数居ます”や、“これでは諸施設のクラスターは避けられない”という意見が見られますが当然でしょう。
あくまでも、“適切な感染対策を取ることなどを条件に施設の管理者の判断で…制限を緩和する方針”なので、こうした難しい問題は「現場に押し付け、全責任も現場にある」と言うわけです。政府のこうした無責任な態度は、ポジティブに捉えれば、“自分の頭で考えろ!「天は自ら助くる者を助く」だ!”ということになるでしょうか。ところで、このことわざはイギリスの作家サミュエル・スマイルズの「自助論(Self-Help)」に記されているのだとか。
政府がアテにならないことは、もはや常識です。ここもポジティブに捉えれば、国民が自立するチャンスなわけです。自分が現場職員なら、この難問をどう切り抜けるか?
新型コロナウイルスは「飛沫感染」「空気感染」が主な感染経路です。いかに口(唾液)の中のウイルス量を減らすかがポイントになると思います。そこでイソジンじゃなくて、二酸化塩素か石鹸での「うがい」を高齢者施設の関係者に奨励してはどうでしょう。
「二酸化塩素」は新型コロナウイルスだけでなく、口内の歯周病菌を殺し認知症に効果を発揮する可能性があります。
神社に手水舎(ちょうずや)がありますが、こういった施設を用意して、面会希望者には必ず「うがい」をしてもらうようにすれば、クラスターを出さずに済むかも知れません。