自宅で自然に死にたい
しろ、おめえはどこで死にたいか?
エッエッ?! いきなり、なんの話?
病院で死にたいか?
それは、イヤだなあ。
うちがいいな。自分のベッドで眠るように逝きたいな。
国民の半数以上が、自宅で死にたいと考えてるらしいが、
長尾和宏著「『平穏死』10の条件」には、「いくら平穏死を強く望んでも、簡単には叶わない時代に我々は生きている。」と書いてある。
「平穏死」というのは、静かに息を引き取ること?
「
末期の患者が延命治療などを受けず、自然な衰弱にまかせて死亡すること。」(
コトバンク)
延命治療しない、自然な死に方だね。
ぼくも、スパゲティーをグルグル巻いたフォークみたいになって死にたくないなあ。
しかし、日本人の5人に4人は病院で死んでる。
なんで、家で死にたい人がほとんどなのに病院で死ぬことになるの?
昔はみんな、家で亡くなったんじゃないの?
1978年を境に、自宅より病院で亡くなる人が増えてきた。(「平穏死」10の条件 P29)
ぼくも、家で家族を看取る自信ないなあ。
おめえは人が死ぬとこ、見たことあるか?
うちのじいちゃん、ばあちゃんは病院で亡くなったよ。
危篤で呼ばれてったら、みんなバタバタしてて、看護婦さんがワゴンをガタガタ運んできて、
医者がドタドタ走ってきて、家族は病室の外に出されてね。
そして、
すべてが終わった後に医者が出てきて「ご臨終です。」だろ?
年取ってたし、
なにもしなくていいから、せめて「さよなら」が言いたかった。
ところが
在宅では、最後の瞬間までみんなに見守られて、手を握られて、穏やかに亡くなることが可能だ。
人は、こんなに静かに亡くなるんですねって!家族が一番おどろくらしい。
そうなんだあ、
在宅医がうまく病状をコントロールして、穏やかな死に導いてくれたんだね。
未熟な在宅医
そこなんだよ!
いい在宅医に出会えれば、家にいても平穏死できる。
しかし、いい在宅医じゃなかったら、どうなるんだろう?
それが、この本「痛い在宅医」のテーマだ。
「痛い在宅医」ってタイトルがまた、目を引くよねえ。
何が痛いんだろ?
「
自分が未熟であることを自覚していない在宅医を、第三者から見て痛々しい」(痛い在宅医P242)。
つまり、
未熟な在宅医のしたことを見て、長尾先生が「痛い」と感じたんだね。
そもそも、
在宅医というのは医師でありさえすればなれるんだ
が、「在宅療養・支援・診療所」の要件というのがある。(痛い在宅医P147)
①24時間連絡を受ける体制の確保
②24時間の往診体制
③24時間の訪問看護体制
④緊急時の入院体制
⑤連携する医療機関等への情報提供
⑥年に1回、看取り数等を報告している。
これは! お医者さんにとっても、けっこうキツイんじゃない?
町医者が、
一人でやったら確実に早死にしそうだ。
ただ、
これを守ると在宅医・診療報酬が上乗せされる。しかも
特別な試験もないから、医師免許さえあれば専門資格がなくてもやれるんだ。
それはちょっと、不安だね?
そう言えば、
大橋巨泉の最期・・・・・退院して、これからノビノビ過ごそうって時に。
集英社[Public Domain]
麻薬鎮痛剤を在宅医の指示通りに飲んだら、意識もうろうになって病院に担ぎこまれて、結局そのまま亡くなったんだろ?
あのときの主治医は、もともとニキビ治療の専門家だって。
こんなふうに、
モルヒネの使い方もろくに知らないで、在宅医やってる医者がいる。
がん患者が自宅で最期を迎えようというときに、医者がモルヒネの使い方を知らなかったら、
患者も家族も安心して任せられねえ。
「痛い在宅医」のサブタイトルを見ろよ!
「先生、
なぜうちのパパは、平穏死できなかったの? 私が殺した・・・・・?」
「
在宅医を選ぶ前に必ず読んでください!」
うわ、これは読まなきゃって感じだね。
肺がん末期の父親を自宅で看取った娘さんと、長尾先生との対談で、実話だ。
彼女はこれまで、
長尾先生の本を読んで在宅看取りに共感し、父親を自宅で穏やかに看取りたいと思っていた。
ところが
結果は、「こんなはずじゃなかった!」
お父さんを家に連れ帰り、かえって大変なことになったんだね。
そうなんだ。
父親の壮絶な最期を目の当たりにした彼女は、長尾先生の本の内容に疑問を感じ始めた。
本に書いてあるように、ことは単純じゃなかったんだね。
ああ、
彼女は「自宅で死ぬことは幸せ」という面しか見てこなかった。
長尾先生が大切に看てきた患者さんが、自宅でしずかに最期を迎えたことしか書いてなかったからだ。
ところが、
そういう理想的なお医者さんばかりじゃなかった。
現実は、こうだった。
父親が呼吸困難で死ぬほど苦しんでいるのに、主治医は電話にも出てくれない。
すぐに来てもくれない。
父親が
苦しんだあげくに亡くなるのを、直視するしかなかった。
壮絶だねえ。
でも、救急車を呼べばよかったんじゃない?
それは選択肢になかった。
ええっ? なんで?
長尾先生の信者だった彼女は、本に書いてあることを忠実に守った。
「
在宅看取りと決めたら救急車を呼ばずに在宅主治医に電話して待つように」(「平穏死」10の条件 P126)。
それって、どういうこと?
救急車を呼ぶ意味は、「蘇生したら引きつづき、フルコースで延命治療もお任せします。」ってことなんだ。
延命治療がついてくるの? ゲゲエ〜!! 知らなかった。
たとえば、家に寝たきりのばあちゃんがいる。
家族はおだやかな最期を願っているが、ある日ばあちゃんが、のどに餅を詰まらせた。
当然、家族は救急車を呼ぶね。
救急車が来る。ばあちゃんは呼吸停止してる。
ばあちゃんを救急車に乗せ、救急隊員が
心臓マッサージして命を取りとめる。
ああ、良かった。
病院に運ばれると、ただちに気管切開され、
人工呼吸器につながれる。
ええ?! そこまでするの?
さらに、
二度と誤嚥しないように胃ろうが開けられる。
それも、しなくていいんじゃ?
そうやって
入院が長引くうちに、ばあちゃんはボケ始め、死ぬまで家に帰れない。
なんでえ? すべてを止めて家に帰ればいいじゃない?
今の日本では、それはムリ。
人工呼吸器をはずすこと、胃ろうを塞いで栄養を断つことは殺人だ。
へえ? そんなのおかしくない? 家族の同意があってもだめなの?
だから
医師は、延命治療を中断することができないんだね。
娘さんはそれを知ってたから、救急車の選択はなかった。
だが
本来なら、在宅医がかけつけて、ステロイドや鎮静剤でお父さんを楽にするはずだった。
頼みの綱の
在宅医が、いちばん大事なときに来てくれなかった・・・。
父の死後、
彼女はどれほど自分を責めただろう。
父と自分の希望であった在宅療養が、こんなことになるなんて・・・ショック。
自分が信じた
長尾先生に、話を聞いてほしくて手紙を出したんだろう。
先生の本をひたすら信じて、その通りに実行したはずなのに、
どうしてこんなことになったのか? 聞いてみたいよね。
しかし、
それを受けた長尾先生も偉いと思う。
ただでさえ
忙しい身でありながら、一人の読者に会うために上京するんだからな。
しかも、その対談を本に出すなんて。
今時、ウソついて逃げまわる人のほうが多いのにね。
長尾先生も悩んだにちがいないが、こう書いている。
「
本書を出版するにあたって私のテーマはただ一つ。それは、逃げないこと。
今回、私の数ある著書の中で一番波紋を呼ぶに違いない作品となった。
同じ在宅医仲間から批判の矢が飛んでくることも覚悟している。」(痛い在宅医 P5)
自分を糾弾するとわかっている人と、真正面から対談する勇気がすばらしいね。
結果的に
この本は、在宅療養を希望する人々だけでなく、現在働いている在宅医にも大きな教訓になったと思う。
在宅医療を希望する人は、一度は目を通すといい本だね。あっという間に読めるし。
大入り満員のホスピスに安楽死
ところで、ホスピスについて、どう思う?
こんなふうに、在宅医に当たり外れがあるのなら、ホスピスの方がいいかなと思うけど。
残念ながら、
ホスピスはどこも大入り満員で、予約待つ間にあの世に行くケースが多い。
そっかあ・・・・。
それに、
ホスピスにもいろいろあってな。
入ると1週間で亡くなる、っていう話をよく聞くんだよ。
へええ? それは入る時にすでに死にそうだからじゃないの?
いや、「行ってきます」って
元気に入院した人もだ。
セデーションのやりすぎでは?と思うが。
セデーションってなに?
「鎮静」。
痛みや苦しみを和らげること。ほとんどモルヒネを初めとする麻薬が使われる。
知人がボヤいてたのは、
昨日までハッキリ話せてたのに、点滴した後から眠り続けて、とうとう最期まで話すことができなかったそうだ。
量が多すぎたんだよ、大橋巨泉さんと似てるね。
患者の回転を早くして、次の患者さんを入れると勘ぐられてもしかたねえな。
そういう死に方って、安楽死なの? 日本じゃ、安楽死は認められてないでしょ?
ビミョーだが、
言葉上は「鎮静死」かな。
でも、あのお父さんのように苦しんで死ぬよりも、楽でいいんじゃない?
よくわからんが、眠ったまま死んだら、お迎えでゴンスが来てもスルーして、あの世に入れなくなるんじゃねえの?
でも、死んだら3日間気絶してるんでしょ?
目が覚めたころには、麻薬も切れてるから大丈夫なんじゃないの?
おれは、
あのお父さんみたいに死に際に苦しんでも、目が覚めたとき「ああ、やっと楽になった!」って開放される方がいいような気がする。
それ聞いたら、さっきの娘さん、安心するね。
橋田壽賀子氏は、自分が認知症になったら、スイスに行って安楽死したいと言った。
へえ〜、
スイスは安楽死が許されてるんだ。
条件を満たすと
「自殺薬」を処方され、亡くなったら、検死、火葬。
骨が本国に送られておしまい! そのフルコースで100万円。
まるで、
有料の死刑執行だね。
幸せな平穏死をたくさん看てきたから言える言葉だね。
長尾先生のような在宅医は、そうそういねえだろなあ。
つうか、おれの住んでる町の中にクリニックが何件あったっけ?ってレベルだから、在宅医を語る以前の問題だ。
選択肢がないから、悩まなくていいんじゃない?
いい先生、いいホスピスっていつまでも人頼みじゃ、安心できねえしな。
家族に一人でも医療関係者がいると心強いよね。
けどおめえ、その医療関係者が延命治療させようって言ったらどうすんだよ。
そうかあ!
結局、自分だのみなんだ。
日頃から基礎的な医学的知識はもっといた方がいいね。
死ぬ前に何が起こるのか
せめて死ぬ前に何が起こるのか、あとどのくらいで死ぬのか、くらいは
知っとくべきかな。
死ぬ前に、なにが起こるの?
「
死の1週間以内に出現する主な症状:意識障害、言語障害、表情がなくなる、食事が取れなくなる、トイレに行けなくなる。
死の48時間以内:下顎呼吸、脈が触れにくくなる、血圧低下、手足の先が冷たくなる。」(痛い在宅医P119)
なるほど、
これでそろそろ危ないってわかるね。
「死の壁」って知ってるか?
「バカの壁」?
それは、おめえだろ!
「死の壁」ってのは、生と死を隔てる壁のことだよ。
「その
兆候として、患者さんが暑がって服を脱ぎ出すという状態がある。」(痛い在宅医P128)
どうして、そんなことが起こるの?
元気な時は、体の中の方が体温が高い。
ところが、
危篤になると中の熱が表に逃げるので、表が熱くなる。だから脱ぎ出すんだ。
決して、元気になって脱ぎ出すわけじゃねえから、注意が必要だ。
そういうとき、寒いからって無理やりふとんかけるのも良くないんだね。
病人のわずかな変化は、動物的なカンが大事だな。
だから、子育てをしっかりやりなさいって言うんだね。
物を言わない子どもの心を理解することは、そのための訓練だったんだ。
おれも、クロマルのニャーニャー語がわかるようになってきたぞ。
サバはキライ、鯛がスキだって言ってるぞ!
ゼイタクなネコ!
知識ばっかり入れてると、「本と違う」だけでパニクるからね。
なんだかんだ言っても、
いつか終わりは来る。
そのときは、どんなに準備していても、思うようにはならねえかも。
だから、
おれたちにはガヤトリーマントラがあるんだな。
そう。そして、
最期は「全託」と「無執着」に尽きるね。
ぴょんぴょん
Writer
白木 るい子(ぴょんぴょん先生)
1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)
そうでなくても、患者さんは大病院に流れていくから開業医は大変だ。
ところが、医師会が対策を講じたのか、大病院がこれ以上患者さんを増やしたくないからか、在宅療養の希望者が増えたからか、救世主のごとく登場したのが在宅医療制度だ。
開店休業よりも、自分から押しかけてお金がもらえる。しかも在宅医療は点数が高い。
しかし、そこに飛びついたが最後、「24時間365日オンコール」に縛られることになる。
長尾和宏氏はバリバリの在宅医である。彼はこれまで多くの著書で、在宅で看取ることのすばらしさを書いてきた。しかし、そんな美談だけではすまされない厳しい現実を、ある読者から突きつけられる。
それが本になったのが「痛い在宅医」だ。