ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝4 ― イギリス東インド会社のアジア蹂躙

 民間会社であるイギリス東インド会社は「超国家的特権」が付与され、インドに中国に、アジアへアフリカへと進出し、世界各地に植民地を拡げ、略奪の限りを尽くしていきます。
 インドの破壊劇などは凄まじいものでした。彼らは世界最大最凶のギャング団と表するのが正確でしょう。
 イギリス東インド会社の本体は、違った名称で最近までそのまま存在し活動していました。ただし、このギャング団が世界各地での破壊劇と略奪を成立させるには、現地の政府関係者など有力者の協力が不可欠なのです。ギャング団は現地有力者を自陣に取り込み、それを特権階級に置き、現地から収奪させ貢がせるのでした。
 現在私たちは、数百年来世界各地で繰り広げられてきた破壊劇略奪劇をこの日本で改めて目の当たりにしています。
 安倍政権です。過労死促進法、TPP、モンサント(種子)促進保護法、水道事業明け渡し法等等、全て既に過去に起きたことの焼き直しです。さて・・・。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝4 ― イギリス東インド会社のアジア蹂躙

インドに進出したイギリス東インド会社 ~キャラコ論争から産業革命、インド破壊劇


エリザベス1世
Wikimedia Commons [Public Domain]

1600年、エリザベス1世から勅許公認を受けて合本会社として設立スタートしたイギリス東インド会社は、オランダとの競合の関係もあり、インドに進出していきます。

1601年1月出航した最初の航海では「1603年9月にイギリスに戻り、103万ポンドの胡椒を持ち帰った。ロンドンに入荷した胡椒はそこからヨーロッパ各地に売りさばかれた。」(「世界史の窓」)とあるように、イギリス東インド会社の当初の目的は香辛料類の獲得で、そこからの利益追求でした。

しかしイギリス東インド会社は、やがてインドに徐々に深く浸食していき、植民地支配し徹底的な収奪を行う過程で様々なものを手に入れていきます。宗教や哲学などの深遠な知識がその一つです。これが神智学へと繋がります。

物品面では先ずインド産綿布が挙げられます。
当時イギリスは毛織物工業が国内産業の中心でしたが、輸入されたインド産綿布の着心地の良さや、加工が容易などの機能面から次のような事態が生じます。

「インド産綿布はキャラコと言われ・・・イギリス社会に急速に普及した・・・。・・・インド産の安価なキャラコの輸入によって打撃を受けた毛織物業者がその輸入を禁止するように運動を始めた。」(「世界史の窓」)

このキャラコ輸入を巡る毛織物業者と東インド会社の激しい論争を「キャラコ論争」といいます。この論争は「1700年にはキャラコ輸入禁止法、さらに1720年にはキャラコ使用禁止法が制定された」(「世界史の窓」)という結果になります。

しかし、「綿織物のすぐれた着心地を知ってしまった民衆の中に出来上がった需要は、むしろ強くなり、それに応えるようにイギリス国内に綿工業が勃興するのを押しとどめることはできなかった。イギリス各地に、インドから綿花を輸入して、綿織物を製造する工場が作られ、膨らむ需要に追いつくために技術革新が進んだ。それが1730年代に始まるイギリスの産業革命であった。機械化された工場で製造された綿織物は、今度は逆にインドに輸出されるようになり、インド綿布の家内工業を破壊していくこととなる。」(「世界史の窓」)

イギリス東インド会社が持ち帰ったインド産綿布は、結果的にはイギリスでの産業革命に繋がったのです。そして更にその産業革命はイギリス東インド会社の手を通して、インドの綿布産業を破壊したのです。

Wikimedia Commons [Public Domain]

このインドでの綿織物業の破壊劇は凄まじく、イギリス東インド会社はインドに英国産の綿織物を輸入流通させるため、邪魔になったインドの織物職人数万人の手を切り落としたとの複数の情報があります。

イギリス東インド会社の利益追求のためのどう猛さと残忍さを思えば、職人の手を切り落とした等の情報、これは間違いない事実のように思えるのです。ともあれインドで綿織物に従事していた人間は職を失い餓死の山を築かされたのは間違いなさそうです。

超特権を付与されたイギリス東インド会社 ~麻薬(アヘン)産業で巨万の富


オリバー・クロムウェル
Wikimedia Commons [Public Domain]

設立当初から一航海毎に出資者を募っていたイギリス東インド会社は、効率面に難があり、最初から株式会社として設立されたオランダ東インド株式会社に対しては継続性や計画性で劣っていました。これが改善され、オランダ東インド株式会社と競争し優位に立てるようになったのは、ピューリタン革命でイギリス議会の支援を受けて国王チャールズ1世を反逆罪の罪で処刑したオリバー・クロムウエルによるもので、改組は1657年からでした。

この後、イギリス東インド会社は更なる発展を特権の獲得によって遂げ、その構成ファミリーたちは巨万の富を獲得していきます。

ジョン・コールマン博士によると(『新版 300人委員会』)「スチュアート王朝のチャールズ2世は1661年に、東インド会社に主権国家との和平締結および宣戦布告の権利を与えた。・・・チャールズ2世はこのほかにも、ベナレスおよびガンジスのケシ(アヘンの原料)栽培の完全支配とそこから上がるすべての収益を独占する権利も与えた。また、インドの政治指導者と直接交渉する権利・・・も与えた。こうして1830年にはインド全土が東インド会社の支配下に置かれたのである。・・・ジョサイア・チャイルド、トマス・パピヨン、モンタギュー、マールバラ(チャーチル)、ラッセルといったイギリスの最も古いファミリーと彼らのアメリカの仲間たち(とりわけウオーレン・デラノ家)はアヘン貿易で巨万の富を築き上げた。

東インド会社の商館=セント・ジョージ要塞
Wikimedia Commons [Public Domain]

イギリス東インド会社は1661年にして「超国家的機能」の特権を英国王から付与されていたのです。そしてとりわけ重要なのが巨万の富を生むアヘン(麻薬)の生産と流通販売をイギリス東インド会社が一手に独占していたことです。

麻薬産業の本体がイギリス東インド会社で、それはそのまま現在の麻薬ビジネスに繋がっているのです。イギリス東インド会社時代から麻薬ビジネスに携わり、巨万の富を築き上げてきたファミリーとは、当然ながら英王室を始めとした英国の貴族名家たち、それに米国の名家たちであったことをジョン・コールマン博士たちは明かしています。

過去から現在まで、麻薬の密売などで逮捕されるのは、寡頭ファミリー組織に属さない末端の下っ端で取引も極々少量です。寡頭ファミリーたちの獲得する冨や取引量は桁違いなのです。

また、1700年代半ばからフランス東インド会社との闘争に勝利していき、インド各地の支配権を確保するにつれ、イギリス東インド会社は徴税制度を整理しインド人民に過酷な徴税を行っていきます。
そして高く売れる商品を生みだすため、本来の小麦畑などはケシの栽培地等にされます。これがインドでの飢饉を呼びます。なんと!「19世紀に2000万人以上が餓死しているのです。」(「世界史講義録 第100回イギリスのインド支配」)

参考:「世界史の窓
Author:Rob984 [CC BY-SA]

アヘン戦争 ~中国清王朝の蹂躙劇


インドで生産されたアヘンは、ご存知の通り中国にも激烈な影響を与えます。アヘン戦争です。
1700年キャラコ輸入禁止法によって、イギリス東インド会社の主貿易品目は中国の茶葉になっていました。しかし茶葉貿易の陰でアヘン貿易が展開していたのです。

ジョン・コールマン博士は以下のように指摘します。「1683年、ベンガルからイギリスに到着した最初の積み荷は、イギリス東インド会社(BEIC)の「紅茶クリッパー船」によって運ばれたものだ。「新製品」のアヘンは・・・実験つまり「テスト・マーケティング」のため・・・しかしイギリスの低所得者はアヘンの吸煙を頑として拒否した。ロンドンの財閥や寡頭支配者はアヘンを拒んだりしない市場をあわてて探し、結局、市場は中国に落ち着いた。・・・BEIC創設の・・・表向きキリスト教布教団体・・・「中国内陸伝道団」が試供品の袋をクーリーに見せて、アヘンの吸い方を「伝道」し始めるや、たちまち莫大な量のアヘンが中国に流入してくることになった。・・・イギリス王室が認可したものだ。・・・アヘン窟は中国全土に増加し始め・・・1729年になって、ようやく清国の雍正帝は最初のアヘン売買禁止令を発布した。」(『300人委員会』)。

もちろんイギリス東インド会社がこの禁止令に従うはずがなく、アヘン密輸で巨利を得、清国政府との長い争いが続きます。1800年代に入ったこの麻薬売買の中心人物がデービッド・サッスーンです。ロスチャイルド家の代理人です。巨大麻薬ビジネスには銀行の存在が必要にして不可欠なのです。

道光帝
Wikimedia Commons [Public Domain]
林則除
Wikimedia Commons [Public Domain]

さて、1839年、清国の道光帝はアヘン禁輸を命じ、林則除を欽差(特命)大臣に任命。林則除は船舶にあったイギリス商人のアヘンを没収し、アヘン1400トンを化学処理した上で海洋に破棄します。
これに対しイギリス東インド会社はイギリス本国に派兵を要請し、イギリス軍と共になって清国政府へ大砲を発砲します。軍事的アヘン戦争の始まりです。

軍事戦争もイギリス側が圧勝。1842年清国は屈辱の不平等条約南京条約を締結。それは、清におけるアヘン売買を合法と認め、200万ポンドの賠償金を支払い、香港を英王室に割譲するのを内容としたものです。このアヘン戦争の結末が日本での黒船来航に繋がるのです。
中国におけるアヘン売買は、もちろんアヘン戦争後も活発に続けられます。それから現在に至るまで麻薬ビジネスの対象は世界各国となり取り、仕切る者は巨万の利益を上げ続けています。

ともあれインドに引き続き中国もその国土と人民がイギリス東インド会社によって蹂躙されたわけです。イギリス東インド会社は世界各地に植民地を拡げ略奪を続行していきます。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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