11月初め、長い髪をスッキリまとめ、サリーの入ったバッグを肩にかけた王蘇麗は、颯爽と成田に降り立った。数時間前のインドの濃い空気はもはや無い。懐かしい日本の晩秋で待っているのはコードネーム「ミルキーユ・こじか」。すでに何度かのやり取りで今回のミッションが容易でないことは理解していたが、王の瞳はすでに達成を確信していた、、、。
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プロローグ 彼女の名は王蘇麗
なんちゃって。
11月10日に広島エアポートホテルで行われたシャンティ・フーラ・イベントに駆けつけてくださった王さん。その時のカッコイイお姿を見た方は、まのじのこんな想像も納得して下さるでしょう。
イベントでの王さんは、ヨガで培われた美しい所作と華やかなサリーのお姿が印象的で、インドの商品の説明も我が子を紹介するような優しさがありました。
バックステージでのお話がこれまためっぽう面白く、こんなお話をスタッフだけで楽しむのはモッタイナイ。普段はインドにお住いの王蘇麗さんに、なんとか連載に登場していただき、読者の皆様と一緒に味わいたいと思っていました。
お忙しい王さんをようやく捕まえ、ついにインタビューが叶いましたが、実際に質問を始めるまでもなく王さんからは、いろんな話題が溢れるように語られました。
どこへ飛んでいくか想像できない愉快な連載になりそうです。けれども一つ確かなことは、舞台がインドであるということです。
王さんのインド。
そう、まのじには「カレー」しか出てこないインドですが、王さんとこじかさんのわずかな打ち合わせだけでも、すでにインドの印象は大きく揺らぐのです。
王さん曰く「インドはよく象に例えられ、自分がインドだと思ったものが、実は象のほんの一部分だった、という話ですが、私のインド記事も、インドに住む一外国人の一視点の、ほんの一部一面なのだと思います。」
今回まずは、語り手、王さんのプロフィールを伺うことにしました。
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Q. 王さんがインドに関わるようになったのは、いつからですか?
王蘇麗 : 2度インドに飛び込んでいます。1度目は単身20代で2年間奨学生を、2度目は2人の子連れで、40代で移住しました。
人生初めてのインド行きのこと、これは、お話ししたいです!
不安と期待がいりまじり、とりあえずタイのバンコクにたどり着きました。バンコクからデリーまでの搭乗機はエアフランスの2階建てエアバスでしたが、 格安チケットで来たのに、なぜか2階席の搭乗券を渡されました。 インドに行くのに、2階の全員が最終目的地パリ行きのフランス人ビジネスマンのようでした。驚いたのは、アペタイザーからメインディッシュが、クロッシュ(取って付き丸皿蓋)で運ばれてきて、 なみなみとグラスには高級ワインが注がれる、格安エコノミーの待遇とは違う夢のような「豪華版・初インドフライト」ではありませんか!
そしていよいよインド。砂漠色の赤土の大地に着陸です。だっれも降りる気配も、ない。
脳裏を横切るのは「インドは待たされる」のガイドブックの一文。
いつ降りられるのかなぁ?
と、ちょっと待って!
飛行機、動いたしぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!
飛行機の乗り越しをしたという人をいまだ聞いたことがありません。
・・・何が起こったの?
1、バンコクの搭乗手続きで、格安チケット保持者身分で、ファーストクラス搭乗カウンターに(空いていたのと緊張で)並んでしまった。
2、搭乗カウンタースタッフのミスか、フランス人のエスプリか、で、私にファーストクラス搭乗券が渡された。
ファーストクラス客は誰もインドで降りず、 全員パリに向かう人たちだったのです。
それが判明した後のフランス人のクルー14人は凄かったですよ。
次のパキスタンのカラチの空港に着いた途端、全員が私をザッと囲んで、イミグレーションを「駆け抜け強行突破」しましたからね。
私、ビザ無いんですから、通常、入国できるはずありません。
その後、クルーの中にカップルがいたので、一部屋を使いなさいと、5つ星シェラトンのダブルで就寝し、翌日はフランス人クルーと一緒にカラチ観光と食事をし、夕方の便で移動して、ようやく初インド到着となりました。
「黙っていたら、パリまで行けたのに」とからかわれました。
フランス人女性CAはノーメークで、アイシャドウとルージュだけなのに、毅然とカッコ良く、
あの操縦士は絶対に連絡先を聞いてくる男だから、教えちゃいけないわよ、とか。
あれからフランス人女性に憧れ、アニー・エルノーとかの現代作家に傾倒したものです。
人生初めてのインド行きのこと、これは、お話ししたいです!
不安と期待がいりまじり、とりあえずタイのバンコクにたどり着きました。バンコクからデリーまでの搭乗機はエアフランスの2階建てエアバスでしたが、 格安チケットで来たのに、なぜか2階席の搭乗券を渡されました。 インドに行くのに、2階の全員が最終目的地パリ行きのフランス人ビジネスマンのようでした。驚いたのは、アペタイザーからメインディッシュが、クロッシュ(取って付き丸皿蓋)で運ばれてきて、 なみなみとグラスには高級ワインが注がれる、格安エコノミーの待遇とは違う夢のような「豪華版・初インドフライト」ではありませんか!
そしていよいよインド。砂漠色の赤土の大地に着陸です。だっれも降りる気配も、ない。
脳裏を横切るのは「インドは待たされる」のガイドブックの一文。
いつ降りられるのかなぁ?
と、ちょっと待って!
飛行機、動いたしぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!
えーーーまた飛んじゃったよーーーー!
飛行機の乗り越しをしたという人をいまだ聞いたことがありません。
・・・何が起こったの?
1、バンコクの搭乗手続きで、格安チケット保持者身分で、ファーストクラス搭乗カウンターに(空いていたのと緊張で)並んでしまった。
2、搭乗カウンタースタッフのミスか、フランス人のエスプリか、で、私にファーストクラス搭乗券が渡された。
ファーストクラス客は誰もインドで降りず、 全員パリに向かう人たちだったのです。
それが判明した後のフランス人のクルー14人は凄かったですよ。
次のパキスタンのカラチの空港に着いた途端、全員が私をザッと囲んで、イミグレーションを「駆け抜け強行突破」しましたからね。
私、ビザ無いんですから、通常、入国できるはずありません。
その後、クルーの中にカップルがいたので、一部屋を使いなさいと、5つ星シェラトンのダブルで就寝し、翌日はフランス人クルーと一緒にカラチ観光と食事をし、夕方の便で移動して、ようやく初インド到着となりました。
「黙っていたら、パリまで行けたのに」とからかわれました。
フランス人女性CAはノーメークで、アイシャドウとルージュだけなのに、毅然とカッコ良く、
あの操縦士は絶対に連絡先を聞いてくる男だから、教えちゃいけないわよ、とか。
あれからフランス人女性に憧れ、アニー・エルノーとかの現代作家に傾倒したものです。
Q. 思いがけない展開でしたね!
インドに降り損ねた東洋娘は放り出されることもなく、フランス人スタッフとも仲良くなってしまう、不思議なスタートですね。
それでも王さんはフランスに住むことなく、やはりインドに惹かれたのか。
ところでインドと言えば、この方。
ぺりどっと:
僕も、成田からインド行きの飛行機のエピソードがあります。
空港にはかなり早い時間から着いていたのですけど、
空港中をいろいろ見て廻っているうちに、
いつの間にか出発時間寸前になってしまって、
慌ててカウンターに行ったら、
受付嬢がビシッと『今から一緒に走りますよ。大丈夫ですか?』
と、ぺりどっとに告げたものの、、、
受付嬢『あっ…あれ?…あぁ、もう料理が乗ってしまったので、
搭乗は無理です。あきらめてください。
明日同じ時間に来てください』と言われ、
仕方なく、その日は空港で一夜を明かし、
翌日のフライトでインドに向かいました。
後日談ですが、
そのフライトには知人がたまたま予定の便に搭乗していました。
以下、その知人とスッチーとのやり取り。。。
知人『ぺりどっとくんが乗るはずなのですが、まだ…』
スッチー『もう出発時間になりましたし、
それに料理も人数分しかありませんので…』
知人『いやいや、
ぺりどっとくんは断食できるから料理無くても大丈夫です』
とのたまったそうな。。。
王蘇麗 : そう聞くと飛行機のエピソード、思い出してしまいます、次々と。
数ある中でもインド的なモノでは、
あとから来たトクベツ人を優先するために、私がターゲットにされたことです。
搭乗手続きが済んで、スーツケースも預けているのに、急に搭乗ゲートで難癖つけられ、乗せてくれません。
そしてなぜか搭乗ゲートには、先に機内に乗っているはずの私のスーツケースがちゃっかり置いてある! 行き場の無い思いで翌日便を買い直しましたっけ。
そうそう、これもインド的でした。
航空会社の不手際で乗り継ぎ便に間に合わず、手配されたホテル。
渡されたホテル名と住所が違っていました。その住所に行ってもホテルがない。タクシーで深夜、探すわ探すわ。あるわけありません。
地元人の助け借り、やっと判明してホテルに着くも、ホテル側は責任は自分たちには無いと言い、翌日、航空会社に文句言うと、手配した旅行会社が間違ったので、自分たちの責任でないと言う。(こころの声:その旅行会社を手配したおまえたち航空会社の責任だろがー)
こういう責任逃れはかなりインド社会に蔓延していて、最後は当事者弱者が泣きます。タクシー代超過料金取られたし。
数ある中でもインド的なモノでは、
あとから来たトクベツ人を優先するために、私がターゲットにされたことです。
搭乗手続きが済んで、スーツケースも預けているのに、急に搭乗ゲートで難癖つけられ、乗せてくれません。
そしてなぜか搭乗ゲートには、先に機内に乗っているはずの私のスーツケースがちゃっかり置いてある! 行き場の無い思いで翌日便を買い直しましたっけ。
そうそう、これもインド的でした。
航空会社の不手際で乗り継ぎ便に間に合わず、手配されたホテル。
渡されたホテル名と住所が違っていました。その住所に行ってもホテルがない。タクシーで深夜、探すわ探すわ。あるわけありません。
地元人の助け借り、やっと判明してホテルに着くも、ホテル側は責任は自分たちには無いと言い、翌日、航空会社に文句言うと、手配した旅行会社が間違ったので、自分たちの責任でないと言う。(こころの声:その旅行会社を手配したおまえたち航空会社の責任だろがー)
こういう責任逃れはかなりインド社会に蔓延していて、最後は当事者弱者が泣きます。タクシー代超過料金取られたし。
インドのフライトだけでも、無事には済まないエピソードがスルスル出てきます。
これはインドのせいなのか、はたまた王蘇麗のせいなのか?
それをこれからのシリーズで検証すべく、我々読者もしっかり見極めようではありませんか。
それ以外にも、インドの国のこと、人々のこと、伝統工芸品や食べ物、、想像しただけでも興味が尽きません。
王さん曰く「最貧層から最富裕層まで知り合いになれる強みが、私たち外国人にはあります。」
こ、これは、やはり「真実、信頼、最高品質」という3つのキーワードで語られる某機関の密命を帯びたエージェントなのでは?
次回からの縦横無尽なインド話と王さん話、どうぞお楽しみに!
(インタビュアー:まのじ)