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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第29話 ― 日清戦争の背後
国民の生と死まで支配管理する国家神道 〜実験カルト国家皇国日本
改めて、の内容をしばし記します。
「死して護国の鬼と誓いし…」、このフレーズが入った軍歌「元寇」は1894年から始まった日清戦争の少し前に作られ、戦意向上のため戦時中に盛んに歌われたとされます。
「死して護国の鬼となる」。これは皇国日本における美しいフレーズとして日本国民に刷り込まれたものですが、美しいどころか非常に恐ろしいフレーズです。
「護国の鬼」とは辞書に「国をまもるために命をすてた人。戦死した人」とあります。国のため戦死することを「自ら誓う」という形にして、国民に戦死という最大限の犠牲を強いる歌詞なのです。
それだけではなく「鬼」とは「鬼神」のことです。日本 明治編第1話に記しましたが、鬼神とは成仏させてもらえない「荒御魂」で招魂祭と一体です。非業の戦死をした「荒ぶる魂」を招魂 し、「護国の鬼神」となすのがこの歌詞の意味です。
靖国は朝鮮カルトhttps://t.co/Oxi8DIC3dz#靖国神社 の前身は不安晋三の長州の #招魂社。「招魂」とは神道ではなく、朝鮮朱子学の葬礼儀式で、死者の魂をこの世に留めて守り神のような「鬼」として使役するための儀式。「死して護国の鬼になる」とはこのこと。
— trinity (@0311trinity) September 5, 2016
日本国民に生前はその生命を「お国のため」として戦死の犠牲を強いる。しかも死後も鬼神として自らの都合の良いように利用するのです。
この国民犠牲からの利益を得るのは国家を管理する支配者達です。国家の支配層が日本の国民を生きている時のみならず、死んでからも永遠に支配管理する、これが皇国日本の思想だったのです。
明治早々に建設されていった東京招魂社(後の靖国神社)を代表とする「護国神社」群、これによって成立した国家神道と皇国日本、それに軍国主義日本帝国は一体のものです。
靖国神社など招魂社をもとにする護国神社は、それまでの伝統的神道の神社とは全く異質なものです。国家神道とは新興宗教であり、カルトといって差し支えないでしょう。日本国民の生と死までも支配管理するのです。日本国家そのものがカルトに嵌まり込んだのです。
事実として、日本ほど自国兵士の生命を極端に軽視して、使い捨ての消耗品とした国は無いでしょう。そうやって国民の生命とその死さえも利用管理しようとしてきたこの国家姿勢、並びに日本支配層の本音は、決して単に過去のものではないことは多くの方が気づいてきている通りです。
近・現代編の第3話、第4話、第5話で、ナチス・ファシズム、ソ連革命共産主義、イスラエル建国のそれぞれが、世界統一政府樹立に向けた実験だったと記しました。この実験によって無数の悲惨な犠牲者が生まれました。しかしその凄惨な犠牲者たちであってさえも、死後までは支配管理の檻の中に閉じ込められはしなかったでしょう。
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ところが日本は違っていたのです。明治以降の日本も世界統一政府樹立に向けた実験国家であった点は同じでしょうが、日本の場合は悲惨な犠牲者を出しただけでなく、その死さえも管理・利用したのです。
日清戦争の日本兵(1895年)
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日清戦争勝利の意味 〜中国も日本も英領
1894年開始の日清戦争は一般的には日本の大勝利で、日本はこの日清戦争の勝利で、欧米の列強に続くアジアの強大な近代国家として名乗りをあげていったことになっています。
列強がこぞって中国を分割する様子を描いた風刺画
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編集者註:左からイギリスのヴィクトリア女王、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、ロシアのニコライ2世、フランスの象徴マリアンヌ像、日本の象徴サムライ。背後には為すすべもなく手を上げている清国人。
事実1895年、日清戦争は下関条約が成立して終結、日本は賠償金とともに、遼東半島・台湾の日本領化・澎湖諸島の割譲を受けています。(遼東半島はその後ロシア・フランス・ドイツによる三国干渉によって還付されることに)。
更に「2億両の賠償金は国内の製鉄業の育成、金本位制の実施など資本主義体制を確立させることに大きく寄与した」(世界史の窓)となっています。
この2億両の賠償金は「金本位制」を確立させるため金塊で受け取っていたのです。これで日銀は念願の金本位制を一応は確立させたのです。日本を近代国家へと大きく歩みを進めさせたのが日清戦争の勝利というわけです。
日本の勝利、一見は確かにそうなのですが、翻って日本の誰の勝利なのか? 日清戦争は戦死者は少なかったのです。しかし戦争が原因の病死者は多かったのです。これは日本一般民衆の犠牲です。
また日清戦争勝利によって日本の産業革命は進んだとされますが、一方で日銀の産業政策によって1898年には戦後恐慌となっています。一旦景気は短期間持ち直しても1900年には再び恐慌、基本的に日露戦争まで日本では大不況が続いた模様です。特に農村部は、明治期一貫して半封建制度のもと疲弊した状態にありました。
和波の投資生活ブログ [Public Domain]
また金本位制によって日本の国際的地位は高まったとされますが、金本位制を世界に課していたのはロスチャイルドです。
日清戦争後、日本は主に対ロシアを想定した軍備増強の拡大を続けていくのですが、帝政ロシア打倒を画策していたのもロスチャイルドでした。日清戦争の勝利とはロスチャイルドの思惑の俎上に載せられたものだったでしょう。大きく言えばハルマゲドン計画、世界統一政府樹立に向けて利せられたものです。
日清戦争を見る時に忘れてならないのは、これは独立国家間の戦争ではないことです。
清朝はアロー戦争で英側に散々蹂躙され、1858年に調印させられた「天津条約」にて「英領中国」になっています。
同様に同年に日英間で結ばれた「日英条約」は、正確には「日英修好通商講和条約」でした。つまり「英領日本」の条約で、それが発効するのが1868年の明治元年だったのです。
「本物黒酒」さんツイートより抜粋 [CC-BY]
日清戦争とは、共に英領であった日本と清朝の戦争なのです。英側の意向なくして勝利などありえないでしょう。日本が勝利したとは、つまり英側がその都合で日本に清朝の権限と財を与え、大陸進出を許した筈なのです。
英領とは、国家ではなくイギリス東インド会社であり、後継の300人委員会です。中国も日本も300人委員会のシマとさせられていたのです。
300人委員会の代表が英国女王です。ただし1880年頃の300人委員会の実質的な大ボスは、もう既にロスチャイルド家になっていたでしょう。
行為を正当化する「神のお告げ」〜ハイアラーキーの考え方
日清戦争の背後には間違いなくロスチャイルドの思惑と計算があったのです。しかしそれだけではなく日本側の思惑や計画もあったのです。全体としてその最も大きなものが明治天皇が霊能で受け取った「教旨」になるでしょう。
「教旨」を明治天皇とその家系は「神からの指令」と受け止めているようですが、ハイアラーキーの計画であると竹下さんは指摘されています。
その通りでしょう。「日本を中心としたハルマゲドン計画」です。
日清戦争以降、日本は軍備に莫大な費用をかけ大陸進出の動きを強めていくのですが、これの犠牲となったのがまず他ならぬ日本の民衆です。
既に見てきたことですが、「兵器購入資金を得るため日本人女性を海外に売春婦として輸出」という福沢諭吉のアイデアから、1900年代初頭から明治天皇の命令によって数十万人の日本女子が欧米に売春婦として輸出されているのです。戦後恐慌の中、富獲得のための犠牲者です。
無論、犠牲者は日本の民衆だけではありません。日清戦争の場合はその戦場は主に朝鮮半島でしたので、多くの犠牲が出たのはその地域の民衆でもあります。自国の民衆や兵士の扱いでも、人権どころか生命の尊重もなく利用しているのです。これが他国の民衆に対してならばどうだったのか? 暗澹たる気分になります。
ところが…「大陸進出そして軍事支配拡大による世界政府の樹立、それによって平和で平等な地上世界を創出する」。多分これが「教旨」の内容だったのでしょう。
「大業を成就するためには犠牲は必要であり、目的達成ためにはどのような手段も正当化される」。これはハイアラーキーの考え方で、これのもとに「教旨」は降ろされたと見受けられます。
この「教旨」に乗っかって、明治天皇は、日本は、日清・日露戦争、韓国併合に突き進んでいったのでしょう。「神の意に沿った自らは正義である」との「思い込み」のもと、何らその行為による犠牲者を省みることもなく…。
日本を中心としたハルマゲドン計画に大いに関与していたハイアラーキーが南光坊天海であり、天海が指導した「光の銀河連邦」だったのでしょう。皇国日本の背景に彼らの存在があったのです。
「国のために戦死し、死すれば護国の鬼神となること」、これを自ら誓願させる。このアイデアは天海たちハイアラーキーからのもの、との気がします。
誓願は約定にもなるので、このアイデアには人間に対し都合の良い契約書にサインを求める悪魔の姿がどうしてもダブって見えるのです。
「自らが誓った」というのがミソで、その行為によってどのような酷い結果となったところで、その責任は自ら誓ってその行為を為した者にのみ負わされます。実質的に追い込み、強要させた側は責任追求を逃れます。支配する側と支配される側でこの関係が成立しており、支配する側の狡猾で卑劣な行状でしょう。
実際日本の支配層は、上に行けば行くほど責任が追求されないシステムになっているのです。何か事があってもその真相は明らかにされず闇に葬り去られ、上は責任を取らずトカゲの尻尾切りで事は済まされます。
日本の今日ではこの光景を目にするのは日常茶飯事です。為政者が当然責任を負わなければならないことを、すべからく国民の「自己責任」にしているなどです。
なぜこのような虚偽隠蔽が横行するようになったのか? 一つの原点は間違いなく日本の大陸進出からの戦争と敗戦の事実の隠蔽でしょう。
日本が大陸に進出していき日清・日露戦争、韓国併合に突き進み、最後は日中戦争から太平洋戦争で敗北に至ったこと、この全容は日本国民に対して闇にふされたまま全体の総括、責任の所在が全く明らかにされず現在にまで至っているのです。
その闇にふされていた戦争の亡霊たちが再び復活してきたのが安倍政権ともいえるでしょう。彼らの体質は昔と同じままでした。