ぴょんぴょんの「郡司ファイル」 ~『薬害エイズ事件』に残されたミステリー

知れば知るほど、ナゾ多き「薬害エイズ事件」。
安部英(たけし)医師以外にもう一人、事件の矢面に立たされた人物がいます。当時の厚生省薬務局・生物製剤課長、郡司篤晃(ぐんじあつあき)氏。
事件当時、非加熱製剤を管理する立場にあったため、バッシングされました。
そして、郡司氏を有名にした「郡司ファイル」とは?
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「郡司ファイル」 ~『薬害エイズ事件』に残されたミステリー

かの有名な「郡司ファイル」


こないだの、薬害エイズ事件の話だけど。

・・えっと、えっと、なんだったっけ?

もう、忘れたんかい? 
ほれ、安部医師が冤罪だった・・。

ああ、あったね。

あったね、じゃねえよ。
実はあの事件、もう一人、叩かれたヤツがいたの、知ってた?



見ろよ、当時の週刊誌の見出し、
「薬害エイズ『殺人』の大罪:安部元エイズ班班長と郡司元薬務局課長“悪魔の奉職”」
(週刊文春1996年3月7日号)

郡司元薬務局課長? 聞いたことない。 

郡司氏は医師で、アメリカでエイズが流行し始めたころに厚生省に入った。
厚生省薬務局・生物製剤課長だった彼は、いち早くエイズ研究班を立ち上げたが、郡司氏の名を一躍有名にしたのは、かの有名な「郡司ファイル」だった。




知らないなあ?

ほら、菅直人が、こんなん出ました〜って出したヤツだよ。

そう言えば、ニュースで見たような。

長期化した薬害エイズ訴訟もそろそろ和解へ、という1995年10月、東京・大阪地裁は、原告一人あたり一時金4,500万円を支給する第一次和解案を提示した。
が、厚生省が加害責任を否定
したため、和解に至らなかった。
で、1996年2月、原告団は厚生省前で座り込みを決行。
「原告団 体調悪い中、厚生省前での座り込み。雪交じりの霙降る連日、被害患者が病状を押して全国から結集、支援者ら3日間で3万人が厚生省をにらみつける」。
薬害被害者から学んだこと 13p)

薬害の被害者はいつも、こういうひどい思いをさせられる。

そこに登場したのが、1ヶ月前に厚生大臣になったばっかの菅直人。
菅は、外で座り込みしていた原告団を大臣室に招き入れ、
「こんなものが倉庫に隠されていました。83年当時、厚生省内に非加熱製剤が危険だという認識がありました」と言って、「郡司ファイル」を見せて謝罪した。



あそこから菅さんは、一躍スターになって、総理大臣にまで上りつめた。

その時のことが、Wikiには、こう書かれている。
「1996年2月9日、厚生大臣菅直人は自身が独自に名付けた通称"郡司ファイル"が1月26日に自分が探して発見されたことを発表し、2月16日に原告団に謝罪。」

「郡司ファイル」は、菅さんが見つけて命名したのかあ。

大臣就任1ヶ月でよく見つけました、前の厚生大臣は何やってたんだってな。
「郡司ファイル」の作者、郡司氏本人はこう書いている。
「そのファイルは、自分で作ったものだからどんなものなのかすぐわかった。(中略)...新人の技官補佐が着任早々、いわば自分の勉強のためにいろいろと書いては私に見せるので、私が手直しをして、そのまま捨てるわけにも行かず、ファイルしていたものである。課としては重要なファイルではないが、課長が残したものなので捨てるわけにも行かず、どこかに置かれていたものだろう。」(「安全という幻想」148p)

なあんだ、郡司氏の単なるプライベートメモだったのか。

たしかに、非加熱か加熱かで揺れる当時の厚生省の様子も、ちょこっとメモに残されてはいたが。
とは言え、菅直人が原告団に謝罪してから、ことは急展開。
3月7日、東京・大阪両地裁は、エイズ発症者に月15万円を支給する第二次和解案を提示し、製薬会社も政府も和解受け入れを発表。原告側も3月20日に受け入れを決め、3月29日に両地裁で和解が成立した。
Wiki

まるで、菅さんのおかげで、トントン拍子に進んだみたいだ。


徹底的なメディア攻撃にさらされた安部医師と郡司氏


その一方で、安部医師や郡司氏は悪者にされ、徹底的なメディア攻撃にさらされた。
その中で、特に郡司氏を槍玉に挙げたのが、NHKスペシャル「埋もれたエイズ報告」(1994年2月6日放映)。


どんな内容だったの?

血液製剤を製造していたアメリカの「トラベノール社」が、供血者にエイズ患者が見つかって世界中から自社製品を回収した。その報告が厚生省に入ったのは、ちょうど、郡司氏がエイズ研究班をつくる直前のことだった。
だが、それから約10年の時を経て、郡司氏はNHKの取材を受ける。
当時、「トラベノール社」の報告はちゃんとなされていたのか。
郡司氏が「記憶がない」と答えたのを、NHKは「研究班会議で報告しなかった」と取って、あたかもそのせいで日本でエイズが広がったように報道した。


だから、「埋もれたエイズ報告」か。

当時、会議に出席していた塩川医師も、取材に答えている。
「この文書は初めてみましたですね。これだけのことを知っていると知らないとでは、自分の考えはずいぶん違いましたよね」。

うわあ、そんなに大事な報告だったのか。

しかもこの番組は、薬害エイズ事件の理解に役立つとして、多大な評価を受けた。
裁判所では証拠として上映され、日本ジャーナリスト会議本賞も受賞し、本にもなった。
が、郡司氏はこの番組のせいで、攻撃の的となった。
郡司氏は思い出す。
取材に来たNHKのプロデューサーI氏に、開口一番、
「1982年の暮れから1983年6月の研究班会議までの間、あんたはいったい何をやっていたんだ?」
と言われたことを。(「安全という幻想」133p)

NHK! 失礼、非礼、無礼!

だが、事態は一変する。
放映後、東京地検が厚生省を家宅捜索する機会があり、その際、第1回研究班会議の録音テープが出てきた。なんと郡司氏は、会議の冒頭にちゃんと「トラベノール社」の回収について報告していた
んだよ!


「埋もれたエイズ報告」は、ちっとも埋もれてなかった!

しかも、「初めて読みましたね」とか非難気味だった塩川医師も、現場で報告を聞いていたことが判明。

なんとまあ! 

だがしかし、その後、NHKからは一切の詫びも訂正もナシ!!

ウソ!!

どころか、川田龍平氏との対談をエサに郡司氏を呼び出し、根掘り葉掘りの取材で、郡司氏を貶める番組まで作られた。
「私はまたNHKにだまされたという結論を下すしかなかった。」
(「安全という幻想」164p)
「なぜNHKが巨大な権力を使って、一個人を攻撃しなくてはならないのだろう。」(「安全という幻想」167p)

NHK! あきれた!! 

郡司氏が本に書かなければ、この事実は、永遠に葬り去られたことだろう。
だが、NHKだけじゃない、櫻井よしこもひどかった。
郡司氏「櫻井氏はあちこちの雑誌に、安部医師と私に対して、ヘイトスピーチのような文章を書いた。」
(「安全という幻想」136p)

櫻井よしこ
Author:Joi Ito[CC BY]

はあ〜 よしこさ〜ん。

薬害エイズ裁判の頃、東大教授になっていた郡司氏、
彼が原告側で証言したことが、「偽証罪」で告発されたことがあった。
「教授室の外に多くの人がやってきた。ノックがあったので、何事かと思ってドアを開けたら、櫻井よしこ氏を先頭にして、マイクとカメラを抱えた人たちがドッと押し入ってきた。」
「『これはどういうことか? 突然のカメラはやめてください』と言うと、櫻井氏が顎で合図し、カメラマンがカメラを肩から下ろした。」(「安全という幻想」137p) 
ところが、櫻井よしこの番組を見たら、郡司氏は盗み撮りされていたと知る。

なんて、やり方だ!

また、薬害エイズ患者の代表、川田龍平氏との関係もビミョーだった。
川田氏と彼を支える会は、郡司氏の最終講義に押しかけて、教室の前方の席を陣取った。
そして、郡司氏が講義を始めようとすると、「まず、エイズの質問に答えろ」と妨害した。
郡司氏は「私の知ってることは何でも話す」「二人の対話を本にしよう」と川田氏に提案したが、川田氏とは結局、まともな関係を築けなかった。

川田氏も、いろいろあったんだね。

外にもさまざまな妨害を受けた。
東大構内で突然、男に顔を殴られたり、東大新聞への投書、大学の至るところに「血友病患者1800人」「殺人政策の責任を取れ」という写真入り立て看板を立てられたり、大阪の団体から「天誅が下るだろう」と書かれた脅迫状が届いたり、電話もたくさんかかってきたり、あやしい脅しもあったので、ポケットにはスパナを忍ばせ、地下鉄ではホームから離れて立つようにしていたと。

Author:Kakidai[CC BY-SA]

郡司氏、そんな目に合ってたの?

安部医師も同様に、
「薬害エイズ事件の公判中、傍聴人であった右翼団体所属の少年に裁判所構内で殴り倒された」。
Wiki

なんで、こんなところに右翼が出てくるの?


『圧力をかけた人物』の正体


さあな。
いろいろ、絡んでいそうだな。
七転び八転び!? 15分で1冊」という、薬害エイズ患者のブログがあるが、郡司氏の「安全という幻想」については、郡司氏を評価する内容を書いている。
「完璧ではないが郡司は頑張ったと思う。本を読んでやはりその考えは変わらない」。(七転び八転び!? 15分で1冊
だが、こんなことも書いてある。
「第1回会議では郡司に限らず安部、塩川も郡司と同じ『救済すべき』という方向に向いていた。しかし第2回会議から安部、塩川らがトーンダウンするどころかベクトルが逆に向く。それは会議後の郡司も同じ。『上からの何らかの圧力』があったのではないか?ということだ。」
七転び八転び!? 15分で1冊

「上からの圧力 」があった?!

そして、「『圧力をかけた人物』を小生は数年前、意外なルートから知った。」七転び八転び!? 15分で1冊

ええっ?! だれ? だれ?

それを探していると、こういう下りが、
「そしてなんといっても(郡司氏は)、『中曽根首相(当時)が郡司に圧力をかけた』ことは書いていない。期待はしていなかったがやはりという感じだし墓場まで持って行く気だろう。」(七転び八転び!? 15分で1冊

故中曽根首相

中曽根さん?! なんで、こんなとこに出てくるの? 

中曽根首相の在任期間は、
1982年11月〜1987年11月。(Wiki

そうか、郡司氏が厚生省にいた時期、首相は中曽根さんだったのか。

安部医師をエイズ研究班・班長にしたのも、中曽根だと言われている。

なんで、中曽根さんが安部医師を?

二人は、海軍を通しての知り合いだった。
戦時中、安部医師は海軍の巡洋艦「愛宕」の軍医、中曽根は海軍将校だった。

「海軍の同朋会『青年懇話会』を通して、中曽根康弘と親交があり、中曽根によって『エイズ研究班班長』に選ばれた男だ。」(阿修羅

巡洋艦「愛宕」
Wikimedia_Commons[Public Domain]

へえ?

安部医師がエイズ研究班長に選ばれたことが不自然だ、という指摘もある。
エイズ研究班なら、ふつうは感染症の専門家が長になるはず。
それがなんで、血友病の安部医師だったのか? 

ご自分もエイズが心配だったから?
知り合いを班長にすれば、エイズの情報が入りやすいから?

だが、考えてもみろよ、バックに中曽根がいたのなら、なんで安部医師はあんな高齢で、残りの人生を裁判で苦労させられたんだ?

たしかに・・。

じゃあ、郡司氏の場合は?
非加熱を中止させなかったのは、中曽根が圧力をかけたからなのか?

中曽根さんがCIAやカバールにつながっていたら、エイズを広げたかったんじゃ?

いやいや、中曽根に圧力かけられる以前に、郡司氏自身、非加熱製剤を止めたくなかったんだ。あの時代、非加熱製剤は、血友病患者にとって救世主だったからな。

となると、安部医師や郡司氏が中曽根さんに操られていたとは、考えにくいね。

じゃあ、菅直人はどうだろう?
こんな情報がある。
「『エイズファイル』は菅厚生大臣の手柄ではなく検察に『出さないと乗り込むぞ』と言われたので渋々出したこと」。七転び八転び!? 15分で1冊

なにー??
「郡司ファイル」は、菅さんが自分で見つけて、自分で命名したって言ったよね?

だが、おかしいと思わねえか?
大臣に就任してたった1ヶ月の菅直人が、厚生省に不利なことが書いてある「郡司ファイル」を運良く見つけ、「悪かったのは厚生省です」と謝罪して点数を稼いだ。

Author:[CC BY-SA]

たしかに、タイミングが良すぎる気もするけど。
でも、患者さんがかわいそうに思ったからじゃないの?
それに、菅さんのおかげで、こじれた薬害エイズ訴訟が和解に向かったんだよ。

結果的にはそうだが、こういう風には考えられねえか?
あの時、和解に立ちふさがる唯一の壁は、厚生省だった。
厚生省に非を認めさせれば、和解が成立する。
「郡司ファイル」の存在は、おそらく歴代の厚生大臣の誰かが知っていて、いつか切り札にしようと隠していたのだろう。
それをここぞとばかり、世に出した。
「郡司ファイル」という名までつけて。

そのせいで、郡司氏は苦境に落とし入れられたのに。

郡司氏には悪いが、悪者になってもらおう。
そのためにNHKに手を回し、彼のイメージを悪くする番組を作らせ、番組に日本ジャーナリスト会議本賞を取らせ、本も出版し、新聞、雑誌に叩かせて、櫻井よしこも走らせた。

これで、原告団も国民も、厚生省を悪者と信じるだろう。

・・・じゃあ、そのシナリオを書いたのは、誰?

あれ以上訴訟が長引いて、和解に至らないと困るヤツ。

和解が成立して喜ぶのは患者さんと家族、そのほかに誰がいるの?
あ、安部医師や郡司氏を襲った、右翼関係の人とか関係ある?

さあな。
血液絡みだから、めんどくせーのが絡んでたかもな。
しかし、今となっては検証のしようがない。
どんなに勘ぐったところで、郡司氏も安部医師も中曽根も墓の中だからな。

真相はいずこに? だれか、教えて!


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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