ウクライナ軍のネオナチ残虐行為が明白な今なお、日本の国会は「ロシア悪」一辺倒 / 鳩山元首相のあまりにも真っ当なゼレンスキー批判に集中砲火の日本

読者の方からの情報です。
 船瀬俊介氏が東スポの記事を取り上げています。鳩山元首相の「ゼレンスキー大統領に苦言」とする発言が3/1となっているのに、東スポの記事は4/7となっていて、疑問に思い調べてみましたら、3/1日刊ゲンダイの記事で鳩山元首相は「自国のドネツク、ルガンスクに住む親露派住民を『テロリストだから絶対に会わない』として虐殺までしてきたことを悔い改めるべきだ」と、ちゃんと批判されているのですね。ツィッターで炎上までしていた経緯があったようです。
喜劇役者だったゼレンスキーが神輿に担がれ操られている背景もご存知なのかと思われ、全滅に近い与野党の政治家たちとは違う立ち位置にいる有名人がいることは、少し希望が持てる気がしました。
 鳩山さんの発言は、いつもこのように奇人変人的な扱いをされてしまうのですね。しかし、ちゃぶ台返しするきっかけを作って下さるのではないかと少し期待しています。"ホーピアム"はいけないと言われても。
(編集部注:ホーピアムとは、幻想にもとづく甘い希望。)
(サトヤマダトモコ)
 ジャーナリストの鮫島浩氏の記事を読んで、久しぶりに日本語の通じる方に出会ったような気がしていました。鮫島氏の記事では、ウクライナ戦争をきっかけとして安全保障論が高まり、次の参院選では改憲勢力3分の2阻止が怪しくなってきたとありました。野党の真面目で聡明な議員でも今や「ロシアだけを徹底糾弾するのは当然、ゼレンスキーの自衛戦争を全面支援する」と迷いなく決意する姿に、誤った「現実」を与えられれば改憲をされてしまうかもしれないとの不安、いや恐怖を感じたのは鮫島氏だけではありません。もしかして彼ら国会議員は未だに、平和なウクライナにロシアが暴力的侵攻をしたという妄想を持っているのかと疑います。事態の動いていた2月ならばともかく、注意深く情報を取れば、ウクライナ政権とナチズムとの密接な関係やウクライナ軍の選民思想に基づく残虐行為、そしてゼレンスキー政権の強権的な野党弾圧、言論弾圧が明らかになっている現在、ロシアへの一方的な糾弾は積極的なナチズム肯定です。プロパガンダ・メディアの影響はかくも強烈なのか、正しい情報が流れるようになれば、くだんの議員たちも「ロシア=悪、ウクライナ=正義」の善悪二元論から解放されるだろうかと肩を落としていたところに、サトヤマダトモコ様の面白い情報が届いたのでした。
鳩山元首相。分かっておられる。しかも集中砲火を浴びることも意に介さず、恬淡とツイートされている。「ゼレンスキー大統領はロシア非難の前に自国の虐殺行為を悔い改めるべき」との発言は、あまりにも真っ当で泣けてきます。サトヤマダトモコ様の書かれている通り、ホーピアムはよろしくありませんが、こうして現実をありのままに把握できる政治家が健在であると知って、嬉しくなったのでした。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)


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ゼレンスキー大統領をコキおろした鳩山由紀夫氏と舛添要一氏に非難殺到!専門家もバッサリ
引用元)
(前略)
 鳩山氏はロシアのウクライナ侵攻に対し、<私はあらゆる戦争を非難する。ロシアは一刻も早く停戦すべきだ>とした一方、<同時にウクライナのゼレンスキー大統領は自国のドネツク、ルガンスクに住む親露派住民を『テロリストだから絶対に会わない』として虐殺までしてきたことを悔い改めるべきだ。なぜならそれがプーチンのウクライナ侵攻の一つの原因だから>と書き込んだ
(中略)
このため、鳩山氏の投稿に対し、ネット上では<このタイミングで戦時大統領に反省を求めるのはいかがなものか><ロシア軍が侵攻している最中に何を……>などと批判的な意見が続出した。
(以下略)
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野党の国会議員は「私が総理だったら」という司令官の目線ではなく「私に安倍総理から赤紙が送られてきたら」という国民目線で考えてほしい
引用元)
(前略)
(中略)維新も国民民主も改憲に前のめりなのだ。さらには立憲民主も断固反対という姿勢ではなくなってきた。ウクライナ戦争に伴う安全保障論の高まりがそれに拍車をかけている

「ウクライナと共にある」として戦争当事国の一方に全面加担する国会決議にれいわ新選組をのぞく与野党が全会一致で賛成し、国民総動員令を出して戦争を遂行するゼレンスキー大統領がロシア制裁強化を訴える国会演説をれいわを除く与野党議員がスタンディングオベーションで称賛する姿を目の当たりにすると、この国には大日本帝国憲法下の大政翼賛会のような全体主義が復活しつつあるという恐怖を感じてしまう
(中略)

(中略)
私はゼレンスキー政権という「国家」がロシアという「国家」に対して自衛権を発動することは否定しない。だが、ゼレンスキー政権という「国家」が野党の活動を停止させ、国民総動員令を発令して「ウクライナ国民」から戦わない自由を剥奪し、ウクライナ軍への招集礼状を出して戦地に送り込むことには断固反対だ(ゼレンスキー政権が国民に戦争参加を強要していること、ウクライナ国内で戦争に協力しない人々を「非国民」と呼ぶ同調圧力が高まっていること、その様子は大日本帝国下の太平洋戦争と酷似していることは、以下の記事を参照してほしい)。
(中略)
国家が戦争の旗を振ると社会は戦争に染まり、多くの人々の基本的人権が失われるのだ。大日本帝国や現在のウクライナがそうであるように。だからこそ日本国憲法は「戦争放棄」を掲げているのではないか
(中略)
(中略)ゼレンスキー政権の「正義を守るための戦争」を肯定している共産党も含め、いざという局面になった時に、彼らが信じる「正義」のために、私たち国民に武器を持って戦うことを強要してくるのではないかという恐怖を私はリアルなものとして感じている
(以下略)

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